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from: orimasaさん
2010年03月18日 09時50分26秒
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日本周遊紀行(67)釧路 「釧路市と釧路町」
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日本周遊紀行(67)釧路 「釧路市と釧路町」
釧路の町と市、そして「鳥取」との関係・・?、
国道44号線(根釧国道)は道東の幹線道路であり、さすがに交通量は多い。
既に釧路町に入ったようである・・!、釧路市ではない、れっきとした行政区分上の町制の町である。
大正期に釧路町(現・釧路市)より分離独立し、昨今、国の市町村合併促進奨励にて、両「市」、「町」は再び合併のための協議を進めていたが、どうやらホゴ解散になってしまったようだ。
釧路市と釧路町の因果は・・、
1920年に当時の釧路郡釧路町が北海道区制(明治30年5月に明治政府が定めた北海道における地域区分制度、北海道区制,一級町村制及び二級町村制が公布された)が施行された際に「釧路区」と「釧路村」に分離し、それが現在の「釧路市」と「釧路町」になったという。
北海道では、1899年(明治32年)頃に札幌と函館に区制が施行され、それぞれ札幌区、函館区になった。 その後、小樽区、旭川区、室蘭区、そして1920年には釧路区が誕生している。
区になるためには、人口が集中する市街地の割合が大きいことが条件であり、釧路は当時から人口に比して面積が大きかったために要件を満たさず、逆に人口が少なく面積が広い地域を分離することで市街地域における人口の比率を増し、釧路区の実現を果たそうとした。
旧釧路町(釧路市)としては、釧路川より東の山間部の別保地区だけを分村しようとしたものの住民は、当時は湿原だった雪裡太(せちりぶと)地区も含めることを要求し、旧町側もいろいろと検討した結果、要求どうり2地区を分村したという。
結果、現在の姿は釧路市愛国地区と隣接する釧路町雪裡太地区が市町境界線になっている。 その後両地域とも住宅、商業地域として急速に発展したために、現、釧路町が2万を超える人口を有する町となっている。
釧路市としては、この雪裡太地区を譲り渡したことが、後になって悔やまれる結果となったのである。
釧路史によると、分村は旧釧路町(釧路市)役場と北海道庁との間で非公式に進められた秘策だったため、それが表に出るや地区住民が猛反発して大問題となり道庁が仲裁に入って解決に至ったという曰く因縁があった。
尚、分離された釧路村は、1955年に沿岸部の昆布森村と合併して新・釧路村となり、1980年には町制が施行され、現在の釧路町になっている。
今時、平成の大合併推進で平成15年、釧路地域では六市町村合併協議会が結成され、釧路市、釧路町、阿寒町、鶴居村、白糠町および音別町の広域合併に関する協議を行われ、検討されていたが、旧来の因縁で最初に釧路町が離脱している。
序ながら・・、
釧路市はその後、五市町村による枠組みなどについて調査協議をおこなっていたが、次に鶴居村が合併協議に参加せず単独の道を選択した。 結果、釧路市、阿寒町、白糠町および音別町による釧路地域四市町合併協議会に参加することを決定し協議を重ねていたが、その後更に、当初から合併協議を重ねてきた白糠町(しらぬかちょう)が離脱した。
結局、釧路市は2005年10月、阿寒郡阿寒町、音別町と新設合併することになり、新たに「釧路市」として発足したという。 それでも道内では北見市、足寄郡足寄町に次いで3番目に面積が広い市町村となっている。
もし、当初の枠組みで釧路市・釧路町・白糠町・音別町・阿寒町・鶴居村で、新釧路市として合併が実現していた場合、とてつもない広大な一行政地域となり、その面積は現在、広域度ナンバー1の岐阜県高山市(2180km2)を軽く超え、2960.2km2でダントツ1位になっているはずという。
因みに、これより狭い都府県域は香川・大阪・東京・沖縄・神奈川・佐賀と六つもあるのである。
気がつけば新「釧路市」は我が国では珍しい(初めて・・??)国立公園を二つ抱える町になったのである。 「釧路湿原国立公園」、「阿寒国立公園」、これはトピックスであろう。
さて、釧路の市街地で夕食を摂ろうと場末風のラーメン屋で生ビールにラーメン・ギョーザ定食を摂った。 これが実に美味い、いかにも北海道らしいグルメ感であり、値段も手ごろで大満足であった。
ところで、食事を摂ったこの辺りの地名を「鳥取町」といい鳥取大通り、鳥取ドーム、鳥取中学といった「鳥取」という地名、固有名が軒並み存在しているのに気が付いた。
そうなのである・・、この地域は昔は鳥取村、鳥取町と言った行政区域だったのであり、その鳥取町は1949年10月にが釧路市に編入していたのであった。
鳥取とは勿論、山陰の鳥取、鳥取県のことであった。
江戸末期、幕藩時代の動乱から「明治」が発足し、それに伴って明治2年版籍奉還、同4年に廃藩置県が実施され、武士のほとんどが窮乏の淵に立たされた。
鳥取・池田藩32万石は、特に窮乏がひどく経済的自立は困難であったといわれ、そのため士族授産(明治維新後、士族たちをなんらかの産業につかせようとした政策)として帰農移住・開墾を勧められ、新天地を目指した。 つまり、武士が失業したのであった。
当時の地元新聞は「鳥取県の士族の中には餓死寸前の者が80戸余りもいる」と報道している。
困窮にあえぐ士族に職を与えるため、県や明治政府もいろいろと授産事業を試み、その中で最も大きな期待をかけられたのが北海道移住であった。
1884年(明治17年)6月、鳥取県の士族39戸と平民2戸の家族を乗せた宿弥丸(1,200トン)は、釧路に向けて賀露港(鳥取市)を出帆した。 これが県・勧業課の指導による鳥取県士族の北海道移住の第一陣であった。
明治維新の社会変化によって、士族の生活は大きく変わり、その後、鳥取県士族の北海道移住は1889年(明治22年)までに合計8回続き、442戸が釧路や岩見沢、根室などに移住して行ったという。
移住者は、北方警備や原野の開拓に熱意を燃やしていたが、荒涼とした原野での生活は想像を絶する、言語に絶する幾多の苦難があったことは言を待たない。
しかし、移住者たちは強い団結で悪条件を克服し、釧路地方では鳥取村をつくり、やがて
鳥取町に発展させたという。
鳥取町は1949年(昭和24年)に釧路市に合併されたが、鳥取の名は今も残されており、鳥取県の士族が入植して100年余り経過した今日、釧路市は北海道東部の中心都市にまでなっている。
次いでながら、鳥取県と北洋漁業との関わりについて・・、
北方領土周辺の海域を含むオホーツク海、べ一リング海など北太平洋で行われる漁業を北洋漁業といい、この海域は暖流と寒流が交わっているため漁種も豊富で、世界でも有数の漁獲高を占める豊かな漁場である。
日本海に面する鳥取県は漁業が盛んで、近年、「境港」は全国屈指の水揚量を誇っているのは周知であるが、1972年(昭和47年)頃からは北方領土に近い北海道東海域からオホーツク海海域にも出漁するようになり、鳥取県の漁船にとって貴重な漁場の一つになっていた。
無論、北方領土の周辺は、北方系の魚・サケ、タラやホッケなどのほか、温帯系のアジ、サバ、イワシなども豊富で、鳥取県の漁船も制限水域の近くまで出漁している。
この時、前線基地として友好都市である釧路港が大いに役立った事は言うまでもない。
しかし、御存じソ連が200カイリ漁業水域を設定した1977年(昭和52年)からは、この海域での操業が難しくなり、境港から出漁する漁船は少なくなったという。
ところで、鳥取県民の身近にも北方領土問題と似かよった大変重要な問題がある。
それは、鳥取(島根県)沖合い隠岐島の北西約157km沖合に浮かぶ「竹島」の帰属問題である。 領土的には島根県に帰属するが、周囲の広大な排他的経済水域の漁業権や海底資源の権利は鳥取県にも存在する。
1952年(昭和27年)、大韓民国がいわゆる李承晩ライン宣言といわれる海洋主権宣言をし、竹島を大韓民国側に含めてしまい、更に1978年(昭和53年)以降は、鳥取・島根両県をはじめとする日本海沿岸の漁民にとって重要な漁場である竹島周辺12カイリ内の海域からわが国の漁船を締め出している。
わが国は、竹島問題を平和的に解決するため、粘り強く外交交渉を続けているが、現在も解決するまでには至っていない。
竹島問題で苦労してきた鳥取県民は領土の大切さを身近に感じ、合わせて北方領土問題についても強い関心を持たざるを得ない県民気質なのであった
次回は、釧路の炭鉱
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