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  • from: orimasaさん

    2010年04月12日 09時26分06秒

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    日本周遊紀行(87)函館 「高田屋嘉兵衛」

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    日本周遊紀行(87)函館 「高田屋嘉兵衛」



    高田屋嘉兵衛公園に立つ銅像



    函館空港」の標識を見ながら町並みが軒を連ね、賑やかさと騒々しさが増してきた、都会に来たという実感である。 
    北海道に上陸した時に最初に世話になった、「湯の川温泉」を通過する。 
    時々市電と並行し、或るいは、すれ違いながら函館フエリー埠頭へ着いたのは、15時時半を回ってっていた。


    函館は道内を出発する際にも些か述べたが、更に詳しく述べようとすると本稿は幾行、幾枚あっても足らない。 今回は、極めてかいつまんで「高田屋嘉兵衛」(たかたや かへい)について記してみよう。


    江戸末期の函館は、日米和親条約や日米修好通商条約により日本初の国際貿易港として開港していらい外国人居留地も設置され、異国情緒タップリのロマン溢れる街並になっている。 
    この町並みの開祖といわれる重要な人物に「高田屋嘉兵衛」がいる。
     
    嘉兵衛は、江戸時代後期、淡路島(現在の兵庫県津名郡五色町)の貧しい農民の子として生まれている。 
    18歳で廻船業者を志し淡路と大坂とを往復する瓦船(瓦を運ぶ専用船)に乗る。 
    寛政7年(1795年)1,700石積の「辰悦丸」を建造し、本格的に廻船業へ乗り出す。幕府役人である近藤重蔵や間宮林蔵、最上徳内などとも接触し、信を得て蝦夷地交易を許可される。 又、幕命により択捉航路を開き、蝦夷地物産売捌(うりさばき)方となり、函館の北洋漁業の基を築いた功労者である。 
    その卓越した商才と度胸で巨万の富を得た。

    文化9年(1812年)ロシア船ディアナ号艦長ゴローニンが、偶々蝦夷(北海道)沖の地理を調査中、クナシリ島で水・食料の補給を得ようと上陸した途端、警備隊に捕らえられるという事件がおこる。
    今度はディアナ号の近くを偶然通りかかった嘉兵衛の船が捕らえ、嘉兵衛を配下五人と共にカムチャッカへ連行抑留される。 
    囚われの身となった嘉兵衛は、ディアナ号の副艦長と話し合い、帰国後、松前奉行を説き伏せてロシア側に侵略の意図が無い事を納得させてゴローニンを解放し、併せて仲間の人質解放に尽力した。 
    直後、幕府の蝦夷御用船頭に任ぜられている。
    晩年は、故郷淡路島に戻り、港や道路の修築など郷土のために力を尽くし、1827(文政10)年、59歳で自宅で静かにその生涯を閉じている。

    作家・司馬遼太郎が、高田屋嘉兵衛を書いた小説・『菜の花の沖』の中で、「今でも世界のどんな舞台にでも通用できる人物」と称している。



    江戸幕末の1858年の頃「箱館」と呼ばれる小さな港だった時代、帆に風を受けて高田屋嘉兵衛はやってきた。 
    松前藩の横暴を嫌った嘉兵衛は、松前の地を敬遠して当時まだ寒村にすぎなかった「箱館」に事業拠点を構えたのである。 
    その後の函館の繁栄はここにはじまるのであるが。

    嘉兵衛は、松前藩や藩士、そして藩に取り付く和人の商人どもを敬遠し嫌っている。 
    高田屋嘉兵衛の活動の場が蝦夷地に移り其処に足を踏み入れた時、「松前藩の暴政は修羅場の如くである」と嘉兵衛は感じていたのである。 
    豊臣と徳川の両方に取り入った歴代藩主は江戸から遠いのをいいことに、アイヌを酷使し、搾り取り、追いつめて、やりたい放題をやっていた。 
    藩は、蝦夷地沿岸の各所に漁場を設け、本土からやってきた商人らを手足にし、アイヌたちにニシンやサケや昆布をとらせて「動物以下に扱って搾りとった」、「藩は、その商人たちに寄生し、かれらから運上金(税金)をとるだけで暮らしている」と、嘉兵衛は嘆いた。

    更に彼は、松前藩のアイヌ統治の手口を見たのである。
    アイヌには和語の使用も学習も禁じ、穀物類の栽培も禁じたし、和人が種子を持ち込むことも厳禁した。 
    蓑も笠も草鞋も用いさせなかったし、道路の一本作らせなかった。 
    藩の狙いは、アイヌを原始狩猟時代の生産様式の段階に閉じ籠めてき、その方が搾取には都合がよかったのである。
    嘉兵衛は、そんな藩を敬遠しながらも幕府とは常に接触をもち、航海商圏を北方領土や樺太にまで広げていくのである。

    こんな時期にロシア人との人質事件が起きた。 
    彼は函館の町を興しながら、ロシア人達と人質を取った取られた、返せ返さないの難しい交渉事、国の争いを1人の外交官として人間性を発揮し解決していく。 
    そして最後には松前藩、幕府を説得する。

    高田屋嘉兵衛は北海道、千島の漁場を開拓して得た利益を函館の開発に投入した。
    函館の歴史を語るには欠かせない人物として今も市民の間では名高い。



    因みに、昭和、平成の昨今、北の方角(北海道)は冴えないと言われる・・!! 

    北方領土返還、北海道拓殖銀行の倒産、それに北朝鮮絡みもあり北海道経済といえば平成不況の代表のようなものといわれるが、今その函館は如何であろうか・・??。

    函館の昭和期は100万ドルの夜景、特異な町並み、名物・函館朝市場等々・北海道観光の拠点で人、人、人の大混雑であり、中高年団体や修学旅行の生徒でごった返しの時代であった。 その函館は、今現在も変わることはない・・!!。

    それに対して今の「松前」はどうであろうか・・?
    松前の本拠は無論、往時の蝦夷地を支配していた松前藩のことで、現在の松前郡松前町である。 
    当時、函館とは地理的にはほぼ同じ条件下にあった筈であるが、今の松前は江戸期の豪勢な面影は全く無く、死に体になってしまっているのが現状である。 
    これはもしかしたら「アイヌの怨念」によるものか・・??。 

    松前のJRローカル線は廃止され、菱形の北海道のしっぽの先とも言われて恐ろしく不便な土地柄になってしまった。 
    尤も、本州とは最短の距離に有って、いざアイヌ軍勢に逆襲されても津軽海峡を一っ漕ぎで逃げ帰れるから、というのが立地の理由もあったらしいが・・?、 
    その通り、幕末の松前藩は函館戦争においては土方軍勢に追い立てられ本州へ逃げ帰っているのである。



    昭和33(1958)年、函館開港100周年の記念事業として函館山のゆるやかな斜面である「高田屋通り」のグリーンベルト宝来町の一角に4m程の彼の銅像が建てられた。 

    函館出身の彫刻家・梁川剛一氏の製作のよるもので地元の絵葉書にもなっているとか。 
    銅像としては東京・皇居前広場の「楠公像」(楠木正成)、土佐・桂浜の坂本竜馬像と共に日本三大像の一つとされる。 
    尚、嘉兵衛の死後から6年後、高田屋を継いだ弟の金兵衛が幕府から密貿易の疑いをかけられ、全財産を没収されて高田屋は没落している。

    2004・12月、函館市は戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町と合併し、新たに広大な函館市が発足している。


    次回は「津軽海峡」




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