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  • from: orimasaさん

    2010年07月09日 09時39分05秒

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    日本周遊紀行(115)水戸 「水戸黄門」

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     日本周遊紀行(115)水戸 「水戸黄門」 





    水戸駅前の黄門様と助さん、格さんの像



    「この紋所が目にはいらぬか・・!!」の水戸黄門・・、



    徳川頼房の三男、水戸藩二代藩主が「水戸光圀」である。

    水戸藩主は徳川御三家の中でも唯一江戸常勤が定められ、将軍を補佐する役目を受け持っていたため「天下の副将軍」と言われた。 

    徳川家康の孫に当たる、御存じ『水戸黄門』としても知られ、諡号(しごう:帝王・相国などの貴人の死後に奉る、贈り名)は「義公」と称した。
    光圀は、学者肌で非常に好奇心の強いことでも知られており、様々な逸話が残っている。 

    日本の歴史上、最初に光圀が食べたとされるものは、麺類をはじめ、餃子、チーズ、牛乳、牛乳酒、黒豆納豆などがあるという。 
    肉食が忌避されていたこの時代に、光圀は五代将軍徳川綱吉が制定した「生類憐れみの令」を無視して牛肉、豚肉、ヒツジなどを食べていたともいう。 

    学問を好み、若い頃には中国の歴史書「史記」などの歴史書を愛読し、遂に、大書「大日本史」を著わすことになる。



    当書は、初代の神武天皇の時代から後小松天皇までの百代の帝王の治世を、「紀伝体」といわれる文体で記した日本の歴史書で、徳川光圀によって執筆が開始され、光圀死後には水戸藩及び水戸徳川家の事業として執筆・校訂が継続されて明治時代に完成したという。 
    完成させるまで実に250年の歳月を要したことになる。

    紀伝体」(きでんたい)という名前は史書において、「本紀」と「列伝」の下の文字を取って付したもので、歴史叙述の一体裁を現したもの。 歴史現象の総体の中で「本紀」(帝王代々の年譜)、「列伝」(列侯、特に国に仕えた官僚、爵位を持った家臣の一生や周辺の異民族の民俗を書き並べたもの)の他に、「志」(天文や地理・礼楽・制度など特殊な分野の変遷)や「表」(制度の一覧)などに分類して記述すること。 中国の史記で試みられ漢書で確立、以後中国の正史は多くはこの体裁をとっている。 
    個人や一つの国に関しての情報が集約して紹介されているため、その人物や国に関しては理解しやすいという。


    この「大日本史」の編纂により、学芸が振興し隆盛となって「水戸学」を生み出し、後世(幕末)に大きな影響を与えたとされる。 

    一方では、藩の年間財政収入の3分の1近くをこの事業につぎ込むこととなり、領民への負担が多く、そのため農民の逃散が絶えなかったともいう。(一説には光圀時代は年貢比率が八公二民の超重税を強いたとも言われる。) 

    ○公○民とは、農家に割り当てた米による租税率で、徳川家康は慶長6年から10年に亘り、全国の総検地を行い、課役の法を定めて、四公六民を常率としていた。 
    だが、全国260余藩の大名は、各自に税率を定めていたとされ、七公三民では重税と言われた時代である。
    八公二民が如何に重税であったかか判ろうというものである。



    因みに、幕末の「尊皇攘夷」の元となった水戸学では、水戸徳川家は天皇と対立した場合、天皇側につくために将軍を出さないように作られていたと考えらていた。
    しかし、結果的に幕末第15代将軍「徳川慶喜」を出すことになる。

    だが、風雲急を告げる江戸幕末、水戸学の精神は尊王攘夷運動に強い影響を与え、明治維新の原動力の一つにもつながった。 
    ただ、明治維新後における政府の保護は得られず、元水戸藩士が明治の主要役人になっていることは余り見えてこない。

    水戸光圀の「大日本史」の編纂実績は、250年後の明治の時代に「親政」を生むことになる。水戸学における「尊王攘夷」は幕末の革命に繋がり、攘夷はともかく尊王の精神は明治政府に受け継がれ、天皇親政の時代が平安期以来、再来するのである。 

    これが昭和の終戦まで続くことになる。



    水戸光圀が「水戸黄門」としての諸国行脚伝説が生まれ、講談や歌舞伎の題材として流布され、昭和時代には映画やテレビドラマなどの題材とされたことは周知である。 
    尤も、その内容は大半がフィクションであるが。


    光圀は、大日本史編纂のために家臣の各層の学者らを日本各地へ派遣したといわれているが、彼自身が諸国を漫遊したという史実はないとされている。 

    在世当時の光圀は名君としての誉れが高く、亡くなったときには・・、

    『 天が下 二つの宝 つきはてぬ 
               佐渡の金山 水戸の黄門
     』

    という狂歌が流行ったという。 
    このような名君としての評判や、幕末における水戸学の浸透が後の物語の形成に影響していると思われるのである。


    劇中「水戸黄門」の家臣に、助さん・格さんが登場し、人気の的になっている。 
    名は佐々木助三郎、渥美格之進であるが。

    通称・助さんは実在の光圀候の家臣であった「佐々十竹」(じっちくは号、本名宗淳:むねあつ)がモデルであるといわれ、大日本史編纂の専門校「彰考館」の総裁であったともいう。
    佐々氏は戦国武将、あのアルプス越えで有名な佐々成政の末裔(実姉曾孫)であり、その縁から佐々姓を名乗っていたという。 讃岐国出身で15歳のとき僧侶となったが、仏教以外の諸学問にも通じていた。38歳のとき仏教に疑問を持ち寺僧と大論争をした末に寺を追われて、還俗して水戸藩に仕えるようになる。 徳川光圀はその大胆さと見識を愛して側近として用いたという。

    一方の格さんは、まじめで実直と言う設定であり、彼のモデルは、水戸藩士の安積澹泊(あさか たんぱく:通称、覚兵衛)といわれる。 
    安積氏は江戸中期の儒学者で、光圀を助けて「大日本史」を編纂し、その歴史観は水戸学の基礎を築いたともいわれ、評価されてるという。


    次回は、鹿島神宮




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