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from: orimasaさん
2010年07月20日 09時44分48秒
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日本周遊紀行(119)九十九里 「伊能忠敬」
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日本周遊紀行(119)九十九里 「伊能忠敬」
歩きに歩いて日本地図を作った男・「伊能忠敬」・・、
九十九里浜の美しい砂丘の海岸道路が行く。
見通しの良い、ほぼ直線の九十九里ビーチライン、愛称「波乗り道路」を快適に飛ばす。 直線的で走りやすい海岸沿いの道は、時おり九十九里浜の潮風がビュウッと吹くので、窓を開ければ実に快適である。
「伊能忠敬」の前に、更に「鰯・いわし」について・・、
九十九里浜は、2市10町2村に渡っており、飯岡町から岬町の大東崎まで、66キロに渡る日本最長の砂浜である。 この中間地に「九十九里町」が在った。
そこに、この浜唯一の片貝漁港がある、「いわしの港」である。
日本人とイワシのつきあいは古く、石器時代にはすでに食べられていたと言われる。
九十九里浜のイワシ漁は、江戸後期には日本一を誇るほど大量に水揚げされ、最高の漁獲時は全国の漁獲高の三分の一にも達したともいう。
「黒潮」が九十九里の沖を通るため、水温や塩分の濃さが、 又、餌になるプランクトンが多量に繁殖し、そのためイワシが住むのに適しているといわれる。
イワシは、江戸時代の頃には農作物の肥料が主であったが、 現在は、飼料、肥料、食品、化粧品などの多くに用いられている。
代表的なイワシはマイワシ、カタクチイワシ(背黒イワシ)、ウルメイワシなどであが、イワシには、豊富な栄養分が多く含まれており、すばらしい健康食品でもある。
特に我々中高年族には成人病予防食品としての代表格であろう。
イワシ漁法としては、九十九里は海底が平らで遠浅なので、浜近くの村々では、昔から「地引網」が発達した。今は機械船を使った揚繰網(あぐりあみ)漁が主で、地引網は観光用となっているという。
獲れたイワシの7割が飼料、2割が加工食品で、鮮魚として流通するのは1割だそうである。
九十九里町役場の近くに、わが国に唯一その名も「イワシ博物館」が在る。
ところで、九十九里浜の古名は「玉浦」(玉の浦)と呼ばれていたらしい。
源頼朝の命で、6町(1町は約109.1メートル)を1里として、1里ごとに矢を立てたところ、99本に達したという伝承から「九十九里浜」と言われるようになったという。
因みに、現在のメートルに換算すると、109.1m*6*99=64805mで凡そ65kmになり、実際の全長は66kmというから、かなりの正確度である。
中央とされる山武市蓮沼地区(旧蓮沼村)には、その名も箭挿(やさし)神社が鎮座していて、また、その故事に因んで矢指ノ浦の別称もある。
『 まん丸や、箭挿(やさし)が浦の 月の的 』
と源頼朝が詠んでいる。
叉、徳川家康の命により「大坂冬の陣」の前年、江戸城と九十九里浜の中央を結ぶ、ほぼ一直線の道路が作られたという。
現在、その痕跡は無くなりつつあるが、九十九里浜の中央部、蓮沼村の小松地区から県道124号、東金付近から宮城野JCTの北、県道69号から船橋、京葉道路にそって江戸城へ至っていたとされる。
今は、古道と概ね並行している東金九十九道、千葉東金道、京葉道、首都高を結べば最短時間で都心から九十九里までは、凡そ1時間少々で往来できるのである。
「九十九里浜といえば地曳網によるいわし漁」と、今でも言われる。
古代にまで遡ると九十九里は貝塚類の他、多数の丸木舟などの出土例があり、縄文時代から人類の活動の盛んだった地域であったらしい。
この海岸は、日本列島に沿って北上してきた黒潮がここを境に日本列島から離れる個所であり、「黒潮文化」の北限に位置している。
そしてその一方、栗山川(2級河川、河口部・横芝光町)は「サケの回帰の南限の川」とされ、親潮の影響を受ける南端の地域でもある。
つまり、九十九里は古代には黒潮、親潮の両文化が栄えた地域もあった。
この豊穣な海の地域には、昔から紀州漁民の入植が盛んとなり、紀州とのつながりと漁業関係による繁栄があったことは「銚子」の項でも述べたが、更に、頼朝も家康も目を付けたの“さすが”と言わざるを得ない・・!!。(尚、千葉房総と西国の関わりについて、詳細後述します)
小生は、今、日本の海岸に沿って車で旅をしているが、ここ九十九里町出身で、日本中のあらゆる海岸を歩き通した男がいる、「伊能忠敬」である。
歴史上、或いは未来永劫も、これ程日本中を自分の足で歩いた人物はいないし、再び出る事はないであろうといわれる。
それも趣味や健康のためだけでなく日本地図をつくる目的、仕事としてである。
江戸末期、55歳から73歳の13年間、日本中を測量して歩いた。
距離にして35200kmといわれ、地球1周分、九州の果てから北海道の果てまで九回も往復した事になる。
忠敬は、今の九十九里に生まれ、忠敬が49才で家督を譲り、かねて趣味としていた天文を更に探求すべく江戸に赴き、幕府歴所・天文方(江戸幕府の職名・若年寄に属し、天文・暦術・測量・地誌・洋書の翻訳などに関することをつかさどった)に大阪より着任したばかりの高橋景保(たかはし かげやす・江戸時代後期の天文学者)に強引に弟子入りをした。
幕末の日本は、ペリーが浦賀に来航する前からロシアが蝦夷地に出没したり、多数の外国船が日本周辺を徘徊していた時期でもあり、時には、沿岸海域で援助や遭難、難破して救助を求めて来るときもあった。
鎖国時代の幕府は、その様な外国船に対してある種の脅威を感じ、時には衝撃をうけていた。
幕府は、このような時世に測量家としての名を挙げつつあり、腕を見込まれていた忠敬に注目し、しかも、私財を投じて測量事業を行なっていたことが幕府にとっても有益だと判断したようで、忠敬に「測量方」を依頼する。
最初の測量は蝦夷地(現在の北海道)およびその往復の北関東・東北地方において行われた。
だが、忠敬の測量が極めて高度なものであったことから、その後徐々に幕府からの支援は増強され、国家的事業として育っていったという。
忠敬が、正式に幕府の命を受け、日本の地図作りに没頭し、前人未踏の成果を挙げたのは国土防衛のためでもあったのである。 その結果、18年間に至る日本全土の測量、地図製作という大事業を成し遂げた。
忠敬が作成した地図は伊能図として、世界でも実測による地図として貴重であり、且つ精度も非常に高く、昭和の初期まで軍・参謀本部の20万分地図に使われていた程であった。
利根川河口より少々入った川べりに「佐原」の町がある。
江戸期は水運で栄えた商いの町で、古い町並みのいたるところに昔の面影が残る建物が多い。
忠敬が18歳の時に、下総国香取郡佐原村(現・香取市佐原)の伊能家に婿養子に入り、以来しばらくは商人として活動する。
伊能家は、酒、醤油の醸造、貸金業を営んでいた他、利根水運などにも関っていた。 商人としてはかなりの才覚の持ち主であったようで、伊能家を再興したほか、佐原の役職をつとめたなどの記録が残されている、そのためかなりの財産を築いたともいわれる。
現在は、この地に記念館があり、彼が制作した「大日本沿海輿地全図」(220枚)や数々の下絵地図、方位、距離観測器具などが展示されている。
次回は、「一の宮、御宿」
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