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  • from: orimasaさん

    2010年08月25日 09時58分11秒

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    日本周遊紀行(132)厚木 「小江戸と渡辺崋山」

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     日本周遊紀行(132)厚木 「小江戸と渡辺崋山」 




    画家、文人でもあり三河国田原藩家老・渡辺崋山



    「小江戸」といわれた厚木・・、

    その「厚木」は古来より知られた名称で、特に江戸期に入って「大山参詣」に通じる地域として多くの旅人に利用され親しまれところである。 

    厚木地内を横断する道には古来から多く道があり、その名前の由来も興味あるもので矢名街道、矢倉沢往還、信玄道、甲州道、順礼道、殿様道、糟屋道など多くの道が縦横に走っていた。

    矢倉沢往還は古来「足柄道」とも言われ、歴史的にも最も重要な道であったとされる。
    江戸期になると大山講が盛んになり、大山への参詣者が急増したと言われる。
    そのとき矢倉沢往還は江戸からの参詣道として盛んに利用されていた経緯から「大山街道」又の名を「厚木街道」とも呼ばれるようになり、概ね、現在の国道246号(旧道)となっている。

     


    『 厚木の盛なる、都とことならず 家のつくりしさまは 江戸にかわれど、女・男の風俗かわる事なし 』

    これは江戸時代末期の著名な画家、蘭学者であった渡辺崋山がその著書「游相日記」 の中で 記した一説である。  

    当時の厚木は江戸からの大山詣での客たちの宿場町として賑わったばかりでなく、相模川流域を媒体とした経済の要地としての役割を果たすなど「小江戸」と称されるほど繁栄していた。

    その渡辺崋山は、わが町・厚木を物見視察し、厚木の豪商や大山街道の繁栄ぶりを描いてる。 同時に厚木の風景画・「厚木六勝」などの絵画を残している。


    崋山は、天保2年(1831)9月、弟子を伴って江戸を発ち、矢倉沢往還(大山街道)を相州に向けて旅立つ。

    旅の目的は、主君である三河国・田原藩第11代藩主・三宅康友の子、友信の生母「お銀さま」の消息を尋ねることと、大山詣でで賑わう厚木村の様子を見聞することであった。

    お銀は、友信を生んだ翌年(1807)故郷の高座郡早川村(綾瀬市早川)の母親が急死し、長女であったことから呼び戻され、その後、20数年の間様子が判らなくなっていた。 崋山は幼い友信の遊び相手をし、また絵の手ほどきをした。 叉、友信の母を想う気持ちを知り、厚木へと旅立ったのである。 この時の旅の様子が、矢倉沢往還の道中の風物や江戸時代末期の厚木村など、詳しく記されており、当時の農民の生活ぶりなども知る上では、大変貴重な資料だという。


    厚木には2泊滞在したが、天王町(現 厚木町)の旅籠屋・万年屋平兵衛方に宿をとり、その夜は、厚木の風雅を愛する人々を集め、酒宴を開き、大いに歓談したという。
    交遊した厚木の人々が別れを惜しむ中、藤沢に向い、江の島、三浦を廻って江戸に帰っていった。

    市内東町の相模川沿いに「渡辺崋山・来遊記念碑」があり、崋山39歳の時であった。



    学者として、画家として、また政治家として活躍した渡辺崋山(通称は登:のぼる)は、1793年、江戸の田原藩上屋敷で生まれている。( 田原藩;現、愛知県田原市)後に、田原藩家老となり、殖産興業につとめ藩政改革を行い、田原藩の繁栄に貢献している。

    特に、天保の大飢饉(天保7、8年の大飢饉)には備蓄倉庫内の米穀によって、藩内に一人の流亡者、餓死者も出なかったことから、幕府は田原藩を優良藩として全国で唯一表彰されている。 
    崋山の指導力による功績であったという。


    又一方では、崋山は、鎖国時代にあって西洋事情を研究し、蘭学者の高野長英、小関三英(こせき さんえい:江戸時代後期のシーボルトの門下生、医者・蘭学者。出羽国の庄内地方・鶴岡出身)、幕臣の川路聖謨(かわじとしあきら:豊後・日田出身、幕末開国のため、日露和親条約や日米修好通商条約に調印、1868年・明治元年に勝海舟と新政府側の西郷隆盛の会談で江戸城開城が決定した報を聞くと割腹自殺)、江川英龍(太郎左衛門:江戸時代後期の幕臣で伊豆・韮山代官、東京湾岸のお台場を作った人物で知られる)などが加わり、海防問題などで深く議論するようになった。

    特に江川は崋山に深く師事するようになり、幕府の海防政策などの助言を行っている。
    こうした崋山の姿に藤田東湖(幕末に活躍した水戸藩の政治家、学者、尊王攘夷の先駆者)は『蘭学にての大施主である』と呼んでいる。
    崋山自身は蘭学者ではないものの、時の蘭学者たちのリーダー的存在であるとみなしての敬称であった。

    しかし、幕府守旧派の目付・鳥居耀蔵等により、これらの活動が発覚し、幕府の施策に反するものとして糾弾され、幕政批判という名目で「蛮社の獄」(江戸幕府が洋学者を弾圧した事件)に連座しているとして有罪となり幽閉、国元に蟄居を命ぜられる。

    謹慎中の崋山の窮乏を助けるため、弟子たちが江戸で開いた画会が、蟄居中不謹慎と噂され、藩及び藩主に累(るい)が及ぶのを恐れた彼は、天保12(1841)年に自害している。 享年48歳であった。

    渡辺崋山は、画家、文人でありながら、政治活動家として国家のために殉じた一人であった。  
    自決したのは厚木をはじめ、「游相の旅」の10年後のことであった。

    次回、厚木・「戦国時代の大戦



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