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from: orimasaさん
2010年12月10日 10時38分11秒
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日本周遊紀行(53)大阪 「大阪城」
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日本周遊紀行(53)大阪 「大阪城」
「太閤はん」の天下の象徴は、何といっても「大阪城」、
道は谷町四丁目に至り、既に大阪城の一角で巨大な天主閣が見えてきている。
ところで、谷町四丁目を「谷四」、天神橋筋六丁目を「天六」というように、○町△丁目を「○△」と頭で略す独特の習慣が大阪にはある。
東京の人は、銀座四丁目を「銀四」と言ったり、新宿三丁目を「新三」と言ったりはしない。これらも、大阪人の「いらち」の特性なのであろうか、ともあれ大阪は地域に土着し、それらを愛称で呼んでいるのである。
早速、近くの大手門前の広場にヒョイと車を置いて、カメラ片手に出かけた。
大手門は大阪城の正門で、良く整備された広い上り坂の頂にどっしりと構えている、別名で追手門ともいう。 続いての多門櫓も迫力あり、城郭に近ずくにしたがって、巨大な造り、文字通り天を突くような天守閣の威容が迫る。
城郭は、概ね白を基調としたもので、各層の壁に切妻風の屋根型を嵌め込んで、独特の偉容と豪壮感を形造っている。 破風部分(日本建築で屋根の切妻についている合掌形の装飾板)の飾りもいいが、切妻の壁の上部と左右部に金色で施した装飾が光輝いて、華美を誇っている。
大阪城は、大阪の象徴であり、誇りである。
築城者は、大阪で最も親しまれている、あの「太閤はん」である。
歴史は遡る、
大阪城は室町時代の僧・本願寺第八世の蓮如(れんにょ)に始まるのである。
他宗派に押されていた浄土真宗は、本願寺(京・西本願寺)を中興し、現在の礎を石山の上町台地の北端にある小高い丘に本願寺別院として「石山本願寺」を造営した。現在の大阪城の地である。
寺院とともに町屋も出来、周辺を寺内町と称した。
ここが台地にそった坂の上にあることから「小坂」と言っていたが、後に「大坂」と呼ばれるようになったという。
これが大阪城の起こりであり、地名も大阪に成っていった。
要塞化した門徒集団の本願寺と風雲の「大阪城」、
戦国期には、城郭に匹敵する堅固な石垣をめぐらして要塞化した。
織田信長との石山合戦は良く知られているが、この時は、主に篭城戦で戦ったが、長引く戦闘の後、信長の攻勢に顕如は敗北する。
信長が、本能寺で逝った後、石山本願寺とその寺内町であった地に、豊臣秀吉が築城を開始し大阪城とした。
完成に1年半を要したが、本丸は石山本願寺跡の台地端を造成し、石垣を積んで築かれたもので、巧妙な防衛機能が施され、城のすぐ北部には大淀川が流れ、堀溝を築いて水を引き入れ、天然の濠としている。
しかし、当の秀吉は京都の聚楽第や伏見城に住んでいて、大阪城を居城とはしなかった。
秀吉死後は、遺児の豊臣秀頼が母(淀君)とともに大坂城に移り、徳川幕府の成立後も秀頼は大坂城に留まり摂津(大阪)を支配していた。
1614年の「大坂冬の陣」、翌1615年の「大坂夏の陣」で徳川家康の率いる大軍に、さしもの大坂城も落城し、豊臣氏の滅亡とともに大阪城は落城し灰燼に帰した。
江戸期は幕府直轄領(天領)として、徳川秀忠によって再建が始められる。
大坂城をより豪壮な城郭として、豊臣時代の城を圧殺するかごとく全く新しく築くことで、豊臣氏の記憶を封じ込め、かつての豊臣氏の勢威を凌駕する徳川氏の威信を全国に示したと言える。
現在の天守閣は概ね、この時代のものである。
幕末、鳥羽・伏見の戦いで、城内の建造物はほとんど焼失し、昭和の太平洋戦争では、1トン爆弾が多数投下され、猛烈に破壊された。
そして、昭和期、平成期、天守閣の大規模な改修工事が行われ現在の城郭・天守閣が完成する。
歴史の大波にもまれにもまれた五層の大天主・大阪城も、今は平和日本の象徴として浪速の空に聳え、大阪の民の安穏を祈り見下ろしている。
現存、最長記録の大阪城、
因みに、豊臣時代・徳川時代の天守がいずれも30数年で焼失したのに比べ、昭和の天守は建設後70年を超え、最も長命の天守になっていて、国の登録文化財でもある。
登録文化財 (登録有形文化財)とは、文化財登録制度(文化庁'96〜)により、文化財登録原簿に登録(リスティング)された建造物などを指し、名古屋城、熊本城と共に日本三大名城の一つといわれる。
現在の大阪城天守閣は、内部が豊臣秀吉や大阪城にかかわる豊富な文化財を収蔵する歴史博物館となっており、シアタールームやジオラマなどを使ってわかりやすく歴史を解説している。
地上50mの展望台からは、大阪の街を一望でき、天守閣を含む周辺一帯は大阪城公園として整備され、桜の名所としても有名。
又、櫓、門の各種建物の見所も多く、各施設、神社、お城に関する七不思議等、多数の名所がある。
普請大名自慢の大阪城石垣、
しかし、何といっても大阪城の特徴的な見所の一つに、お城を取り囲む「石垣」であろう、この石垣は主に江戸初期のものであるという。
天下の徳川幕府は、主に西国等の大名に命じて大阪城の大修築を行わせた。
この時の石垣はなるべく良質で大きな立派なものが喜ばれ、工事を請け負った大名達は、自分の「紋」をその石に刻み込んだ。その石のことを「定紋石」と呼んでいる。
長州の毛利家、日向・薩摩の島津家、岡山の池田家、松江の堀尾家など諸大名の家紋が刻まれているという。
徳川・「大阪城」の石垣用石材は約百万個と推定される。
これらの採石場所は加茂(京都府)のほか、六甲(兵庫県)や小豆島(香川県)など、瀬戸内一円から切り出されたことが知られている。
巨石のビック5は、一に桜門の蛸石(59.43m2・備前犬島・岡山池田家)、二に京橋門の肥後石(54.17m2・讃岐小豆島・岡山池田家)、三に桜門の振袖石(53.85m2・備前犬島・岡山池田家)、四に大手門の見付石(47.98m2・讃岐小豆島・熊本加藤家)、五に大手門の二番石(37.90m2・讃岐小豆島・熊本加藤家)等などである。
小生は、大手門よりの入退出であったため大手・見付石(4位)と大手二番石(5位)を拝見、その圧倒的な大きさに驚愕しながらカメラに収めた。
因みに両石は、巨石と巨石の隙間に、笑い積みというユニークな石積みが施されているという。 石の隙間が、笑った口の格好に、なんとなく見えることから笑積みという。
徳川大阪城建設の際の、担当大名 加藤忠広(秀吉子飼いの重臣・加藤清正の次男)の遊び心が冴える石垣であるという。
忠広の父・加藤清正は、名城・「熊本城」の築城者で知られる。
次回は、悲劇の「尼崎」
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