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  • from: orimasaさん

    2011年02月12日 10時11分42秒

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    日本周遊紀行(78)松山 「日露戦争と秋山兄弟」

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     日本周遊紀行(78)松山 「日露戦争と秋山兄弟」  ,







    秋山好古(兄)と秋山真之(弟)


    明治期、日露戦争を勝利に導いた「秋山兄弟」

    小生が数年前、病床において(大腸ガン)読破した司馬遼太郎の大著に「坂の上の雲」がある。
    明治期の日露戦争の名将・名参謀である秋山兄弟と歌人・正岡子規を軸に、四国・松山出身の三人の男達の友情と国家存亡の一大叙事詩である。 
    日露戦争のおいてロシアの名高いコサック騎兵を破った秋山好古(あきやま・よしふる)、日本海海戦の参謀・秋山真之(あきやま・さねゆき)兄弟と文学の世界に巨大な足跡を遺した正岡子規を中心に、明治の群像を描いている。

    この陸海軍に分かれた二人の兄弟が、まだ当時東洋の一小国であった日本を、亡国の悲運から救ったと言っても過言ではない。
    弟の真之と子規とは、東京の下宿の一室で起居を共にした程の親交であった。


    秋山兄弟は、松山藩士の子として松山市歩行町2丁目に生まれている。
    兄・好古は日露戦争の「黒溝台の戦い」では30kmにも及ぶ最左翼を守備し、僅か八千の兵で十万の敵の攻撃を耐え抜き、日本陸軍を壊滅から救った。 
    コサック騎馬隊は単銃なのに対し、好古の申し出によって日本陸軍で初めて機関砲(騎兵砲)が配備され、この戦いで大活躍をした。 

    好古は、身だしなみには全く無頓着で、下着もろくに着替えず、天気の良い日にはよくシラミ退治をしていたという。
    しかし、時計の様な几帳面な面もあり、晩年、中学校の校長時代には毎日、馬で登校し、一日も欠勤や遅刻をせず、きっかり二十分前には出勤するので、沿道の人はその姿を見て時計の針を正した程であったという。 後の陸軍大将、勲一等章


    弟・真之は正岡子規とは幼少時代よりの友人であり、上京した後も共立学校の同級生として交遊し、俳句や和歌なども学び、文学的才能にも秀でていたという。 
    日本海海戦出撃の際の報告電報の一節に、『 本日天気晴朗ナレドモ浪高シ 』や、Z旗(国際信号旗の一つ)の信号文の『 皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ 』は参謀・真之の有名な一節であり、子規より得た文学的才能が開花した名文として歴史に残った。 

    兄同様、身なりなどを気にしない性格であったが、日本海海戦に勝利した連合艦隊の解散式における東郷平八郎の訓示(連合艦隊解散の訓示)の草稿を秋山が作成したもの。 この文章に感動した、時の米大統領ルーズベルトは、全文英訳させて米国海軍に頒布したともいわれる。
    東郷平八郎は、真之を「智謀如湧」(ちぼうわくがごとし)と評価した。 海軍中将。


    日本海海戦の大勝利と講和発行の日露戦争終結から、今年(2005年)は100周年に当たる、奇しくも五月であった。
    日本海軍の旗艦であり、司令長官・東郷平八郎、参謀・秋山真之が乗った戦艦「三笠」が神奈川県・横須賀港の三笠公園に停泊している。(横須賀の項で記述あり)

    松山市は、「日露戦争100周年」、「21世紀の新しい町造り」として、司馬遼太郎が描いた「坂の上の雲」をモチーフした「坂の上の雲・まちづくりチーム」を発足させたという。
    正岡子規と秋山兄弟の三人の生き方を通して訴えている「夢」や「理想」や「目標」を持って、前向きに行動していく素晴らしさを市民みんなで共有し、「松山らしさ」を演出し、その情報を全国に発信にすることにしている。 
    内容は、「坂の上の雲・記念館」(建築構想)を中核施設として、松山全域を一つのフィールドミュージアムとし、主人公にまつわる事物を探索・発見・収集・再現しようととするものという。

    又、NHKは平成19年度(2007年度)以降の放送に向け、司馬遼太郎の長編小説「坂の上の雲」を原作として、21世紀スペシャル大河「坂の上の雲」の制作を開始している。 
    放送は、平成21年度 (2009年度)に、総合テレビやハイビジョンなどで1回・75分の枠で、20回程度を予定するらしい。
     

    道後を辞して、一旦、松山市内へ向かう。
    市街の中心に緑豊かなお椀を伏せたような小高い丘がある、丘といっても標高130m程度であるから小山といったほうがよい、山の名前は「勝山」というらしい。 その山頂に、華麗な天守閣が見えている、松山城である。 松山という地名は、秀吉の頃(戦国期)、賤ヶ岳の合戦で有名な七本槍の一人・加藤嘉明が拝領し、お城と城下町を築いたときに周辺地域の赤松の見事さに感嘆し、城下周辺一帯を「松山」と名付けたという。
    正岡子規や夏目漱石が居た頃は、町並みと松並とが調和して美しかったに違いないが、今の街にその面影は無い、緑の松山は、勝山だけになってしまった感もある。 
    子規がこの故郷の町に帰ったとき城山に登って・・、

    『 春や昔 十五万石の 城下かな 』 

    と、のびやかに詠っている。

    この山上、中腹、麓からなる城構えを平山城と呼び、姫路城、和歌山城とともに松山城は日本三大連立式平山城と称され、我が国最後の完全な城郭建築といわれる。 創設者は、豊臣秀吉の重臣、賤ヶ岳の七本槍の1人でもある加藤嘉明である。 
    初め伊予・松前六万石の城主であったが、「文禄・慶長の役」(豊臣秀吉が2度にわたって朝鮮を侵略した戦争)等の活躍により10万石に加増された。 

    1600年の「関が原の戦い」の戦功により伊予半国20万石に加増された嘉明は、初めて「松山」と雅称し、松山城の築城にかかる。 
    堅固にして壮麗な連立式五層天守の松山城がほぼ完成したのは、26年を過ぎた後のことであった。 ところが嘉明はその完成を喜ぶ暇もなく、同年、奥羽の要の会津若松(福島県)40万石に転封されている。 
    永い歳月を費やした一大牙城を、いくら倍の会津40万石への栄転にしても、完成直前(9割以上)の城を後にしなければならなかった加藤嘉明・主従の心境はいかばかりであったろうか・・ ?。 入れ替わりに名将・蒲生氏郷の孫・忠知が入城している。 
    蒲生氏は、奥州藤原氏の系統に属する鎌倉時代からの名門であり、奇しくも戦国期の雄・蒲生氏郷自身は以前、30数年間会津藩主であった、これも因縁であろうか・・?。

    次回は「菊間




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