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from: orimasaさん
2011年02月17日 14時29分45秒
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日本周遊紀行(82)西条 「石鎚神社」
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日本周遊紀行(82)西条 「石鎚神社」 、
国道に面して堂々と立つ「石鎚神社・神門」
「日本100名山」の石鎚山は、日本三大山岳修行・修験の山でもある、
国道11号のすぐ左横を予讃線が並行している。その伊予氷見駅からすぐに「石鎚山駅」が在る。
さすがに石鎚神社駅とは言わない、石鎚山は関西一の高峰、四国一の名峰であり霊場でもあり、その名を尊崇の念をもって称したのであろう。
国道を挟んだ反対側に、大きな鳥居と銘柱があった。車を正面に進めるとすぐに、狛犬を従えた巨大な二層の神門が構える。
その奥まったところの高台に華麗な石鎚神社の本殿がお目見えする。
付近には豪奢な神社会館や神社を総括する社務所、神社森の神苑が控えている。
特に、本殿までの両脇には四国、九州、近畿と多方面から寄せられた石柱が目を引く。
本日は晴れていて下方の町並みや瀬戸内海が見渡せるが、山域の方は濃い霞がかかっていて石
鎚山はおろか前衛の山々も姿は無い。本来なら石鎚の山並みが見て取れ、特に本社から見る頂は荘厳さを感じるという。
石鎚山は神が鎮まる山として山全体が御神体とされ、ここJR石鎚山駅近くに本社(里宮)と石鎚山北の中腹に在る「中宮・成就社」、山頂に頂上社(奥宮)、東南の山稜に在る土小屋遥拝殿、この4社をあわせて「石鎚神社」と称しているようである。祭神は、イザナギとイザナミの第二子とされる石鎚毘古命 (イシヅチヒコノミコト)を祀る。
石鎚山は、1300年余り前、役小角(えんのおづぬ)によって開かれ、弘法大師も石鎚山で修行したといわれる霊山で、皇族や武将の信仰も厚く、桓武天皇、文徳天皇、武将として源頼朝、河野家一族、豊臣家一族の篤い信仰があった。
特筆されるのは慶長15年、豊臣秀頼が福島正則を普請奉行として中の宮・成就社が御造営されたという。
『 わすれては 不二かとぞ思う これやこの
伊予の高嶺の ゆきの曙 』 西行法師
石鎚山は標高1981m、四国のみならず西日本最高峰の名山岳で、深田久弥氏撰する「日本100名山」の一つでもある。
わが国で最も古くから讃えられた名山の一つであり、太古から信仰の山としても知られ、釈迦岳(奈良県)、大峰山、大山(だいせん)、白山、富士山とともに日本七霊山の一つにも数えられている。
神変大菩薩(諡号・しごう、生前の行いを尊び死後に贈られる称号)・役小角(奈良時代の山岳修行者。修験道の祖。多分に伝説的な人物で、大和国葛城山に住んで修行、吉野の金峰山・大峰などを開いたという)が初めて山に登り、開創したと伝えられる。
山岳信仰の時代は4ヶ所の鉄鎖を手で繰り、頂上に登ることを許される者は水垢離(みずごり、神仏に祈願するため、冷水を浴び身体のけがれを去って清浄にすること)と禁欲など厳しい戒律をクリアした敬虔な信者だけであったという。
現代の今日でも毎年、7月1日のお山開きには白装束の信者達がご神体とともに山頂を目指すという。
石鎚山頂に登るには、2つのコースがある。 一つは、面河渓の関門から土小屋まで石鎚スカイライン(12月〜3月は閉鎖)を利用して車で行き、そこから徒歩で登る(約2時間)方法。もう一つは、西条市側から石鎚ロープウェイとリフトで成就社まで行き、徒歩で登る(約3時間)方法である。
山頂付近の絶壁には三カ所に太い鎖が架かり、下から一の鎖(33m)・二の鎖(65m)・三の鎖(68m)と呼ばれ、この鎖を伝って攀じ登る。(迂回路有り)
主峰天狗岳山頂からの眺めは雄大で、遠くは中国・九州そして四国の山並みが一望できるという。
「石鎚山」とは、その山系を指し、山頂は特徴的な天を指す鋭鋒で「天狗岳」と称している。関西在住の登山愛好者の人気No1はこの「石鎚山」といわれ、全国の山愛好者による「あなたが選ぶ100名山」(私的・ネット投票)では第9番の人気を博している。
国道11が、「西城」の北を流れる「加茂川」の加茂川大橋を渡るとき、大きく広がる河原には水流が無く、干からびて殺風景なのに気がついた。
加茂川は、西条市を育んでいる「母なる川」とも云われアユ、アマゴ、ニジマスが泳ぎ、その上をカワセミが飛び交うという清流であるはずだが。西日本最高峰である石鎚山を源流とし、名水百選「うちぬき」の水源にもなっている。 それが、水面が無くなっているのである。
四国は、今年(2005年5月)に入ってしばらく雨が降らず、渇水状態であることはニュースで聞いていたが、四国最大の吉野川水系である早朝浦(さめうら)ダムの水位が0に近いとも知らされていた。
加茂川の中流部には黒瀬ダムがあるようだが、ここも干上がっているのだろうか・・?これ以上渇水がすすむと、いよいよ(伊予伊予・・?)霊山・石鎚に雨乞いの儀式、神事でもせねばなるまい・・!。
平安中期、伊予の国司・藤原範国が四国地方の大旱魃にあたって、「能因」をして雨乞いの歌を詠ませ、一宮である大山祗神社(オオヤマズミ・大三島)へ上奏させたという。
このとき能因法師(平安期の歌人、100人一首、三十六歌仙の一人)は・・、
『 天の川 苗代水に せきくだせ
天降ります神 ならば神 』
の歌を残しており、この祈願により伊予の国中に、三日三晩にわたって雨が降り続いたという。
「祈り・・、四国に雨を乞う・・!!」
新居浜市の北側山系は別子(べっし)といって、小生にとって懐かしい名称である。
若い頃、窯業関係(金属精錬のための炉の設計)の仕事に従事していて、この住友別子鉱山や瀬戸内・直島の住友鉱山に関連した銅精錬の溶解・精製炉の設計作業をしていた。
ここ別子は、太古の昔から、とてつもなく巨大な鉱脈が眠っていた。
人跡未踏の赤石山系の、その名も銅山峰(1291m)・南斜面(現、別子山村=新居浜市)で、1690年(元禄3)、銅鉱露頭が発見されたという。(現、遺跡の「歓喜坑」が第一発見地といわれる)
大坂の豪商・泉屋、住友吉左衛門友芳により巨額な資本を投下して、この地域を「別子銅山」として開発し、備中(岡山県)の吉岡銅山、出羽(山形県)の幸生銅山(日本三大銅鉱山)に続いて、わが国では三番目の開鉱であった。
開抗からわずか8年の元禄11年には、年間産銅量1500トン以上を記録するなど、当時世界最高の産銅量を誇る銅山であった。
その後、明治26年には日本初の山岳鉄道(現在、松山で記念に走っている・坊ちゃん列車と同形といわれる)を導入、産銅量は一挙に5000トンに達し、別子の山中には12000人もの鉱山関係者が住んだと言われている。 坑道の総延長約700km、採鉱場所は海面下1000mにも達したという。
明治以降は、西洋の近代的採鉱技術その他を導入して採掘を累増させ、外国貿易の重要な輸出品としてわが国の経済を支え、産業の近代化、事業の多角化に貢献した。
この銅の生産量は、栃木県の足尾銅山に次いで日本で2番目に多いという。「別子銅山」は、住友巨大財閥の原点・源流とも言われ、わが国唯一の民間鉱山としても、その役割を果たした功績は大きいという。
昭和48年、多種要因にて別子銅山は閉鎖するに至り、栄光の歴史に幕を閉じた。
新居浜市から別子山村に至る、標高1000m大山岳地に残る広大な銅山の多くの遺跡は、今ゆっくりと自然に還りつつある。
煉瓦造りの巨大な貯鉱庫や建築物、索道基地跡などの遺構景観は、別子銅山を「住友のインカ帝国」とか「四国のマチュピチュ」(マチュピチュ:ペルー南部にあるインカ帝国の都市遺跡。海抜2400メートルの高原に位置し、石造の神殿・宮殿・水路などが残されている、古代の空中都市とも言われる。世界遺産)と形容し、紹介もされている。
新居浜のすぐ北側、別子銅山跡地に、「マイントピア別子」という鉱山の歴史や当時の生活風景を紹介する歴史資料館や鉱山鉄道、貯鉱庫跡などの鉱山遺跡がある。
次回は、伊予三島市・「川之江」
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