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from: orimasaさん
2011年02月24日 11時19分55秒
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日本周遊紀行(86)琴平 「金毘羅宮・本宮」
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日本周遊紀行(86)琴平 「金毘羅宮・本宮」 、
金毘羅さん参道鳥居・・「しあわせさん・こんぴらさん」
参道鳥居と金毘羅さん・本殿
本宮地元では、「しあわせさん・こんぴらさん」として親しまれている・・!、
さてさて、本社、琴平町の金刀比羅宮である。
代表的な門前町・琴平の中心に金刀比羅宮の石畳参道がすぐ目に付いた。
主要道路の角の大きな駐車場へ車を寄せて、「お参りの帰りに2千円ほど買い物すれば無料でいいよ」と年配の係員が曰く。
見れば、奥のほうに立派な店構えの土産屋があった。
先ずは、カメラと賽銭を持って早速出かける。 幅の広い石畳参道の両側にはギッシリト土産やが並ぶ。
やがて名物の石段の始まりである。
名物「讃岐うどん」の老舗らしいのが二軒ならんでいる、「とらや」という最初の石段のすぐ脇にある店が、実に歴史的な深さを感じる。
石段横に、「本宮まで785段、奥宮まで1368段、海抜421m」とあった。
石段を登り始める、両側には、これまた立派な石燈籠や玉垣などが無数に建ちならび、額に汗して上り下りする参拝客に無言の激励をおくっている。
参拝客が長年行き来した石段は、表面がすり減って磨かれたようになっている。
それでも最近になって手直しをしたのだろうか、部分的に石の表面を削って滑らないようにしてある、参拝客への心遣いだろう。
石段の両脇には、軒を接するように土産物屋が並んでいる。
時折、乗合籠が目に付く、年配者や身障者には有難いだろう。
ここを抜けると、やがて大門が見えてくる、威風堂々たる構えの山門である。
1650年、初代高松藩主の松平頼重侯の寄贈によるものといい、楼上に掲げられた「琴平山」の名札は有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう・明治新政府の成立に至るまで朝廷における反幕府・尊王攘夷派の急先鋒であった)の筆によるという。
山門のそばには、「五人百姓」の名前を持つ、鼈甲飴(べっこうあめ)を売る店がシンボルらしく、大きな番傘を広げ、古風な姿でお客さんを待っている。
本来は境内では商売禁止だが、昔からの神事への功労により特別に境内で営業を許された五店の商家が「五人百姓」といわれるそうである。
所々に「しあわせさん・こんぴらさん」の大きな暖簾が気持ちをほぐしてくれる。無限かと思えるほどの石段を登り越して、ようように山頂境内に立った。
本殿境内には、「書院」や「旭社」といった由緒ある建物が並ぶ。特に左手に在る「旭社」は絢爛豪華な社殿で、屋根裏、柱、扉など至る所に彫刻が施され、完成まで約40年の歳月を要したといわれている、あたかも日光陽明門をみるようである。
本殿の南に建つ、南北2つの「絵馬堂」も吹き抜けの堂々たる造りである。 海難除けのお礼や祈願成就の絵馬をはじめ、大小様々、色とりどりの絵馬が掲げられている。
さて、本殿である、中央拝殿に額ずき、神妙に参拝する「旅の無事安全と一家身内親戚一同、無事安泰、交通事故の無いよう、宜しく見守って下さい」・・と。
本殿は象頭山(ぞずさん)の中腹に鎮座する大社関棟造(たいしゃかんとうつくり)と言われる荘厳な社殿で、大物主大神と崇徳天皇を祀り、海上安全をはじめ、国の繁栄や農漁業、医療など、さまざまな願いを叶えてくれるといわれる。
「讃岐の金毘羅さん」と昔から親しまれ、江戸時代には「お伊勢参り」と並ぶ程の人気であったという。
金刀比羅宮は、古くから海、航海の守り神として信仰されていることは衆知である。
瀬戸内海は、古来より海上交通の要衝であり、しかも海流が激しい海難の地域であった。
讃岐の琴平山はこの瀬戸内海を見下ろし、見守る絶好の地であったため自然発生的に海の祭神が祀られるようになったと思われる。
金刀比羅宮は大物主神(オオモノヌシノミコト・蛇神であり水神または雷神としての性格を持つ、稲作豊穣、疫病除け、酒造り醸造、国の守護神)を祀り、古時は琴平神社と称した。
現在の琴平町名はこの社名から起こったとされる。
又、後に保元の乱(1156)で都を追われ讃岐に流され、この地でで生涯を終えた崇徳上皇を合祀相殿するようになったという。
因みに、金刀比羅宮の主祭神は「大物主神」で「和魂」とされ、元々は大国主神のことであった。
和魂とは「ニギミタマ」と称され、 柔和、精熟などの徳を備えた神霊または霊魂のことであり、その反対語に荒魂がある。 一般に神霊には両方の性格が有するとされる。(人間もいっしょだね・・!)
不安定な日本の国を安定させるために大国主神が中心となり、粗野であった大地の国造りを行われて来たので、このような状態を大国主の「荒魂」ともいわれた。
平定した国をよりよく治めるために大物主神の和魂をもって五穀豊穣や平安を祈る力とした。
はじめ荒ぶる魂であったが後に、和やかな魂になったとされ、二つの精神を持った一つの神のことで、日本の国は大国主神の国造りを終えられたところで、大物主神の力に委ねられることになる。
大国主神と大物主神は同一神とされ、記紀(古事記、日本書紀)などの表記によっては幾つかの神名を持つ。
さて、琴平山(象頭山)には、はじめ松尾寺(本尊・釈迦如来、薬師如来)が建立されていた。
その御本尊の守護神として金毘羅が祀られて、これが金毘羅大権現(※)になったという。
この金比羅さんというのは、元々は薬師如来の守神である十二神将の筆頭・宮比羅(インドではクンピーラ)のことで、クンピーラはガンジス川に棲む鰐の神格化されたもので海神や竜神といわれる。
因みに、薬師如来は、西方極楽浄土の阿弥陀如来に対して、東方浄土(浄瑠璃界ともいう)の教主で、その 名の通り医薬を司る仏で、医王という別名もあり、衆生の病気を治し、安楽を 与える仏とされる。
薬師如来は大陸には存在せず、所謂、東方の日本に主に存在し、飛鳥の時代より信仰されているといわれる。
脇侍(きょうじ)には御存知の左に日光菩薩、右に月光(がっこう)菩薩で、十二神将に取り囲まれている。
この十二神将は言い伝えによれば、時を表す十二支に対応していて、一日を約2時間ずつ交替で守護しているのだといわれる。この十二神将の筆頭の宮毘羅大将が、日本では金毘羅(コンピラ)に訳され海上安全の神となり、大衆には「金比羅(こんぴら)さん」の名前で親しまれるようになったとされる。
(※)序でに権現(ごんげん)とは、仏が化身して日本の神として現れることで、日本の神の神号の一つでお馴染みである。日本の神々は仏教の仏が形を変えて姿を現したものであるという本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ・平安期に起こった神仏思想)の考え方に基づいた神号である。 「権」という文字は「権大納言」などと同じく「臨時の」、「仮の」という意味で、仏が「仮に」神の形を取って「現れた」ことを文字で示している。
又、琴平山が象頭山と言われるのは、お釈迦様が修行した地に似ていたのと、琴平山が象の頭に似ていたので、その名が付けられたとも言われる。
「象頭山金比羅大権現」は、神仏習合によって金毘羅自体に神名が与えられたことを意味する。
ところが明治の初期、国家神道を成立させるべく、明治政府が神仏分離を発令され、後に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく・神仏分離令が出されたのをきっかけに、神道家などを中心に各地で寺院・仏像の破壊や僧侶の還俗強制などがおきた)と呼ばれるものが実施された。
その為松尾寺は、寺自体を廃絶させた上で祭神を金刀比羅宮として生き残り、そして現在はこの祭神が踏襲されているという。
日本は海の国、海洋国家である。
海の神様である「金刀比羅宮」が全国各地に分社、分支され多くの国民に愛され祀られているのは当然の事と言えるかもしれない。
次回は、金比羅宮の「さざれ石」
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