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  • from: orimasaさん

    2011年03月21日 11時04分22秒

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    日本周遊紀行(100)岩国 「錦帯橋」

    『東日本大震災』に遭われた被災者の皆さんに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 微少微力ながら援助は惜しみませんので、一日も早い安らぎと回復をお祈りいたします。
    周辺の温泉地において、被災者に温かい温泉を提供してやって下さい。 所謂弱者・・?、高齢者所帯、乳幼児のいる所帯には短期間でもいいから極力空部屋(特に公共宿泊施設)を貸してやって下さい。 政府、官公庁、地方の公の機関はこれらを調整、斡旋、資金等のバックアップしてやって下さい。  
    東北の温泉愛好者、東北出身(いわき)の小生





    日本周遊紀行(100)岩国 「錦帯橋」   、  





    新装成った名橋・「錦帯橋」



    有名な「錦帯橋」は近年の平成年間、橋体部分の架け替え工事で新調された・・、

    窓の下、ガラス戸越に、ひっきりなしに車の騒音、特に大型トラックの騒音は地響きを発して部屋を揺らしながら通り過ぎる、まんじりとも出来ない。 
    ここは宮島口、桟橋から、ほんの僅か、「宮島Y・H」(ユースホステル)の宿舎である、天下の国道2号線が真下を通っていた。

    昨夜は「養老の滝」で一杯やりながら食事をしたが、些か飲み過ぎたせいと旅の疲れも手伝ってか、宿に戻ってからは直に就寝してしまった。 
    騒音で気がついたのは午前2時を回っていた頃で、それ以来騒音に悩まされた。おまけに、蚊のブーンという羽音が時折顔をかすめて、マンジリとも出来ずに眼が覚めてしまったようだ。 午前5時であった、車の騒音は益々激しくなり、遂に、我慢がならず起き上がって、目覚まし代わりに近くへ散歩に出かけた。

    昨日、世話になった宮島口の桟橋へ出かけてみた。
    宮島への一番船は6時頃であるから未だ閑散としている。 
    昨日は慌しくて気が付かなかったが、すぐ隣に広島電鉄宮島線の「宮島駅」が在った。
    その奥、海岸沿いには大きめの駐車場も在り、岸壁では早釣り人が糸を垂れている。

    少しスッキリしたところで宿へ戻り、身支度をし裏口よりソッと出達した、むろん宿賃は昨日の内、清算済みである。 
    やはり国道2号線は、阪神地方、広島方面へのトラックが多く目立つ。
    これから向かう逆方向の下関方面はさほどでもなく助かる。大竹市内の街道へ来たとき「吉野屋」が目に付いたので、早速、朝食にあり付いた。小生お馴染みで好物の「朝定」である。
    ご飯に味噌汁、納豆、卵、海苔、漬物に薬味と合わせて370円は有り難く、大満足で吉野家様々であった。


    大竹の市街を抜け小瀬川を渡ると、ここは既に本州最西端の長州・山口県である。
    本州の果てだというのに江戸幕府を転覆させ、近代明治以降、初代の伊藤博文以来7人の総理大臣を輩出している。
    更に遡れば、中世(戦国期)には毛利元就を輩出し、そして、この山口県を形造ったといってもよいだろう。

    この毛利家の大元は、小生の住む相模の国「厚木・毛利の庄」から転封・移住していった事は余り知られていない。 
    又、小生の故郷、出身県の福島(会津)とは大変な因縁で、いまだに確執が続いているという。
    このことは後に記すとして、いずれにしても「山口」とは只ならぬ県であることは事実のようである。


    先ず、その歴史と名勝の「岩国」へ向かう。 

    岩国の埠頭を左に見ながら国道2号線は市の郊外を行くと間もなく自然豊かな錦川の袂へ出る、川岸を少し戻るとあの「錦帯橋」であった。 
    川向こうには、新緑に包まれた急峻な「横山」が居座って、山頂に岩国城(要害山・横山城)の華麗な姿が白く光る。
    この要害山・横山をグルッと巻くように錦川の清流が勢いよくキラメキ流れてる。 
    この要害山城内の大手門筋と錦川を挟んでの城下町とを結んで掛かる橋が、日本三名橋・三奇橋と言われる「錦帯橋」である。

    山頂に遠く鮮明に光る要害山・岩国城は、1601年(慶長6年・江戸開府時)より7年がかりで吉川広家(きっかわひろいえ)が築いたお城である。 
    岩国藩主・広家は、毛利元就・「三本の矢」で知られる長男隆元、次男吉川元春、三男小早川隆景の内の元春の三男で、元就の孫に当る。 
    広家は、勇将で知られた父や兄と違って知将であり、秀吉もその手腕を高く評価していた。
    秀吉亡き後の関ケ原の戦いの時、広家は豊臣方に勝ち目がないと見て、密かに手をまわし取引をした。
    戦わない(西軍には付かない)ことを条件に毛利氏の中国八ヵ国の領土安泰を保証するという約束を家康にしたのである。

    結果は、広家は戦わず西軍が勝利を収めたが、毛利氏の当主であった毛利輝元が西軍の総大将に担ぎ出されていたため家康の怒りをかい、本領安堵を反故(ほご)にし改易を命じた。 
    広家はこれを不服とし抗議、直訴し、どうにかこれが認められて領国・岩国三万石の所領が安堵された。 

    しかし、毛利家中では裏切り者扱いをされ、その扱いは幕末まで解消されることはなく、岩国藩も藩ではなく、あくまでも吉川家は長州藩主・毛利家の陪臣として扱われた。 
    この直訴によって三万石の所領を持ちながら、広家は諸侯として扱われず、これに対して不平不満を一切言わず、父・元春や毛利家のために忠節を尽くす。 

    二代広正、三代広嘉のときから本藩復帰を切望し、強く本家の萩藩に「昇格」を願い出たが聞き届けられず、それが実現したのは幕府が倒れた後の明治元年(1868年)であったという。
    錦帯橋」は、こんなお家の事情の最中に二代目広正、三代目広嘉によって建造が始まるのである。 


    江戸期、長州(周防・長門、毛利氏の藩領)にかけられた主な橋は本藩・萩の橋本大橋、松本橋、そして岩国の錦帯橋だという。 
    この三つをくらべると、橋本橋、松本橋の長さがいずれも80メートル前後であるのに対し、錦帯橋は当時200メートルという桁はずれに長い橋であった。

    岩国川(錦川)に最初に橋をかけたのは吉川家二代の広正である。
    数次、数回にもおよぶ架橋であったが、その都度大水によって流されてしまい、三代の広嘉によって何とかして流れない橋をと自から工夫して遂に成功させたという。
    これには甲州(山梨県)大月にある「猿橋」(日本三奇橋)と中国の西湖にかかる橋(その名も錦帯橋)を参考にしたと言われ、石組みをした橋脚にゆるやかな五連のアーチを描く名橋・錦帯橋が誕生した。 
    全長 200m、幅 5m、橋台の高さは 6.6m 、一本の釘も使われず、巻金とカスガイで組み上げられている。 

    二半世紀にわたる吉川家の大名昇格運動の情熱が、そのままこの橋の建造架橋にも注がれ、天下に誇る名橋と同時に、吉川家の名声を世に示したものと言える。美しい五つの弧を描く錦帯橋は「大名への夢の橋」、「 虹の架け橋」だったのかもしれない。



    現、平成期、五連の中央アーチ部分が、50年に一度の「平成の架け替え」の大工事がおこなわれた。
    平成13年11月に着手、総事業費は、架け替え工事が見学できる迂回路の仮設道路の設置費を含め、約26億円の費用が嵩んだという。
    渇水期の冬季11月〜3月に現地での作業が行われ、中央部、横山側部、岩国側部を経て平成16年3月に新しい「錦帯橋」が誕生している。 
    真新しい木肌が光る錦帯橋は、周りの景色に溶け込んで調和と優雅な姿を余すことなく表している。
    因みに、材料、使用箇所、産地は次のようである。
    マツは橋桁、梁で新潟、山形、福島産。 
    ヒノキは敷板、段板、高欄で長野(木曽)産。 ケヤキは橋桁、敷梁で岐阜、島根、山口産。 ヒバは橋杭、貫で青森(下北)産。 クリは桁、梁の雨覆いで新潟、山口産。
    カシは太柄で山口産。


    橋の端に「名勝 錦帯橋 内務省」と石碑が在った。
    橋の袂に近づいて見るとさすがに、デカイ・・!、大波の様なアップダウンがあるから、向こう側から来る人は橋板の上にまず頭から見えてきて、「谷」に入ると下半身から見えなくなって、やがて全身が消えてしまうほどである。 
    静かに歩を進め、弧の天辺に立つと、これまた絶景で、川面を眺めると静かな水面でカモが羽をつくろっていた。


    色々と説はあるが・・、
    『日本三名橋』:お江戸・「日本橋」、岩国・「錦帯橋」、長崎・「めがね橋」
    『日本三奇矯』:岩国・「錦帯橋」、甲斐大月・「猿橋」、四国・祖谷地方の「かずら橋」とも言われる。


    名橋・「錦帯橋」を堪能して次の行程へと進行しよう。
    国道188の海岸線を行く、しかし、この通路は間違いであった。
    丁度、今時分は通勤、通学の時間帯であり、周辺に側要路が無いことから上下線とも大渋滞であった。
    ノロノロ進みながら、岩国市の南端に当る山陽本線「通津駅」辺りから内陸へ向かった、県道149号線から大原のR437を横切って更に県68号を行く。 
    今までの渋滞が嘘のように、立派な舗装道路を快適に飛ばす。 緑濃い田舎の道で、「目に青葉・・・」を満喫しながら、やがて山陽道を真近に見ながら徳山の郊外に達したようである。

    尤も徳山といっても、今は地域名で、行政名は「周南市」と称しているようである。一昨年、2003年(平成15年)徳山市、新南陽市、熊毛町及び鹿野町が合併して誕生している。

    戦国期の元就の時代、中国地方全域に覇権をほこった毛利氏も、関が原以降の江戸期になると周防・長門の2つの国に封じられている。 今のの山口県である。 
    この県の東南部地域を指すとき「周防の国の南」、一般に周南地域、「周南」と呼ばれていたようである。 昨今の合併で、平仮名文字や意味不明の地域名が新しく誕生している中、新市名で「周南市」としたのは、さすがに歴史を重んじる地柄であると納得であった。


    戦前は、旧徳山市沿岸地区には海軍燃料廠があり、その縁で石油精製関係の産業の呼び水になった。 
    戦後、周南地域では徳山曹達、出光興産をはじめとする、石油化学コンビナートが発達し、関西地区でも有数の一大工業地帯となった。

    又、ふぐの水揚げ量は、全国の80%が下関であるが、ふぐの延縄(はえなわ)漁法発祥地は旧徳山市の粭島(すくもじま)であると言うわれる。
    島という地名ながら、大華山(362m)のある半島(大島半島・・?)であった。
    大島の先端につながったその最南端部は、笠戸島を含む大小の島々の域で、この周南海域は隠れた「ふぐ」の本場としても知られる。 河豚は、ここでも「福」につながるようにと濁音を使わず、「ふく」と発音しているのは周知である。

    次回は、昔の首都・「防府





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