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from: orimasaさん
2011年03月23日 11時25分29秒
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日本周遊紀行(102)山口 「防長の政庁」
『東日本大震災』に遭われた被災者の皆さんに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 微少微力ながら援助は惜しみませんので、一日も早い安らぎと回復をお祈りいたします。
周辺の温泉地において、被災者に温かい温泉を提供してやって下さい。 所謂弱者・・?、高齢者所帯、乳幼児のいる所帯には短期間でもいいから極力空部屋(特に公共宿泊施設)を貸してやって下さい。 政府、官公庁、地方の公の機関はこれらを調整、斡旋、資金等のバックアップしてやって下さい。
東北の温泉愛好者、東北出身(いわき)の小生
日本周遊紀行(102)山口 「防長の政庁」 、
「防長」とは、周防(すおう)国と長門(ながと)国のことで、現在の山口県に相当する。
その山口は、政庁のあるローカル都市であった、それは・・?
山陽道・山口南I・Cを下りて再び、国道2号線を行く。
小郡駅前付近を通るはずであるが小郡駅という表示は無く、「新山口駅」と成っている。 2003年10月1日付で小郡駅から改称していたという。
無論、新の付かない山口駅は、すぐ北部・内陸地の県庁の在る「山口市」で、山口線の駅である。
この小郡町は、西日本旅客鉄道の山陽新幹線 、山陽本線 、山口線、宇部線と4車線が集合する地方都市としては珍しい鉄道の拠点であり、又、中国自動車道、国道2号線が南北に挟み地方道も集散している道路網の集合拠点でもある。 所謂、恵まれ交通の要衝なのである。
そして、一昔前は旧山陽道に面し、町の東側を南北に大きな椹野川(ふしのかわ)が流れ、昔は藩米をこの川の倉庫に集結して大阪、神戸に運んだのである、町名に船倉町というのも在る。
このような地域が、行政上では「町」という1ランク下の公共地なっているのは珍しいという。
こんな「小郡」であるが、この町は以外に歴史的意味合いでは痕跡が少なく、歴史的建造物が皆無だという。
これは旧都、「防府」を西に控え、現都、「山口」を北に配されていて、忘れ去られた町ではなかったのかとも言われるし・・?、呼称も「小さな郡」としたのも頷ける。
近年、新幹線が開通するに及んで、やっと街の息吹きが感じられ、2005年10月1日には 近隣の小郡町、秋穂町、阿知須町、徳地町と中央市庁・山口市の1市4町と合併するに伴い、新生「山口市」として新しい街造りが約束されているという。
小郡地区は県庁、市庁の山口の出先機関、産業政庁として大胆な都市計画、複合的商業施設、テーマパークなど可能性が膨らんでいるとも言われる。
さて、政庁「山口」である・・、
山口は室町期(南北朝時代)、中国地方を支配した大内氏の本拠であり、町造りの基礎は大内氏によって行われたと言っていい。
応仁の乱(おうにんのらん・1467年 - 1477年、室町時代の八代将軍足利義政のときに起こった内乱で、幕府管領の細川勝元と山名持豊〈出家して山名宗全〉らの有力守護大名の争い)以後、乱を逃れてきた文化人を歓迎したことで「西の京」として栄え、戦国時代には大内義興、大内義隆が市街を整備し栄華を極めたという。
1551年、大内義隆(義興の子)が、家臣の陶隆房(すえ たかふさ)の謀反によって殺される。
しかし、隆房もまた安芸・厳島で「毛利元就」と戦い、謀略をもって敗れている。 大内氏滅亡後は、「毛利氏」の支配下に置かれ、山口奉行が置かれたことから防長(周防・長門=山口県)の政治の中心となった。
毛利元就といえば「三本の矢」(戦国の世、子息三人が結束すれば破れることはない)の故事が有名であるが、毛利家は鎌倉期創生の頃の頼朝の事務方重臣・大江広元が家祖である。
中国地方に「毛利」の名が起こったのは、その子「季光(すえみつ)」か軍功にり安芸国・吉田荘の地頭職を賜ったことから始まる。
毛利という名字は、広元が頼朝より与えられた相模国・毛利荘という荘名に由来する。 つまり、分割相続で毛利荘を与えられた四男・季光が、同所に居住し、その荘名をとってそのまま苗字としたわけである。
毛利氏の苗字の地である毛利荘は小生の在住地、神奈川県厚木市の北部から愛甲郡愛川町の南西部にかけてのあたりとされ、現在も毛利地区、毛利団地、南毛利といった地名が残っている。
「山口」である・・、
関ヶ原の戦いで敗れた毛利輝元(三代目・元就の孫)が、萩に築城し政治の中心を移したため、山口は萩と三田尻(防府の港、古くは塩田として栄えた)を結ぶ交通の要衝として栄えた。(萩については後述)
幕末には、再び藩庁が萩より山口政治堂に移され、討幕運動の拠点になる。
明治になると県庁が藩庁敷地内に設けられている。
山口市は、市街地は県のほぼ中央に位置していて、南端は瀬戸内海(山口湾)に面する。
昔から道路網が良く整備されていることから、県内のほぼ全域から1時間30分以内で到達することが出来るという。
市域の中央を南北に椹野川が貫き、その両岸に盆地・平野が広がる。
だが、室町時代には「西の京」と呼ばれた山口であるが、近年まではローカル線の「山口線」しか走っておらず、市の中心部には山陽本線が乗り入れてない。
言わば政庁のあるローカル都市であった。
これは、山陽本線建設時、銭湯小路(山口駅北部に市街地名)の宿主が「宿場町が寂れるから」と鉄道敷設に反対した為であるともいう。(明治の人々が鉄道建設による悪影響とする不安をもち、鉄道や駅を町から遠ざけたという鉄道忌避説がある)このことは他府県の県庁所在地に比して、山口の町が大きく発展しなかった一因とも考えられている。
現在でも人口規模では下関市に次ぐ存在であり、全国の県庁所在地で、最も人口や人口密度、そして平均地価が低いことでも知られる。
しかし、新山口市となって南部の小郡地区が県内でも屈指の交通の要衝となっていることから、特に小郡地区を中心として商業、流通業の発展が見込まれ、在京・在阪の多くの企業が小郡に支店や営業所を構える様相でもあるという。
次回は、厚狭地区
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