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  • from: orimasaさん

    2011年04月06日 10時42分03秒

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    日本周遊紀行(110)唐津 「虹ノ松原・唐津城」

    『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真関係)
    九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
    九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/




     日本周遊紀行(110)唐津 「虹ノ松原・唐津城」  .







    虹ノ松原と名城・「唐津城」





    「虹ノ松原一揆」の円満解決は、唐津藩主・水野氏の英断によるもの・・、

    昨日というか、昨夜というか・・、
    癒しの温泉、上質の食事に美酒、素敵な和室の泊まりで、尚且つ前の晩の寝不足も手伝って行動記録を執筆中に寝込んでしまったようだ。
    従って今朝は、たっぷり睡眠を取ったせいで気持ちよく、スッキリと目覚めた。
    時計の針は間もなく6時を指そうとしている。本日も連日と同様、好天気のようなので先ずは朝の散策ウオークと決める。


    それにしても「虹ノ松原」は圧倒的な松林であり、殆どが黒松のようである。
    太い幹は地面スレスレに変形、曲がりくねったものも有るし、それがかえって奇妙な雅趣と風情を演出している。

    冬季に起きる強烈な海風の影響で樹枝は屈曲を成しているという。
    樹齢数百年を越える老木から幼木にいたるまで約100万本を数え,松原内を通る国道202号は、さながら緑のトンネルの様相を呈し、特異な雰囲気をだしている。


    この景勝の地は、1771年に「虹ノ松原一揆」の舞台ともなった所であり、松原のほぼ中央「海濱館」の片隅に平原村の大庄屋・冨田才治の顕彰碑が昨年(2004年)、子孫たちや関係者によって建てられたという。

    事件は三河の岡崎から唐津藩へ転封してきた「水野氏」が発端となった。 
    水野氏は財政改革として、税の増収対策を講じた。

    しかし、領民は明和年間の凶作も重なって不満が一挙に高じ、一揆へと発展するのである。 虹ノ松原に2万5千人の農・漁民を集結させ、指導者・冨田才治数名が城内で直談判すること数回、農漁民と藩との静かな睨み合いが続いた。
    一揆は府内への進軍はなく、虹ノ松原に座して動かず、抑制の効いた無抵抗運動であり、遂に唐津藩は税制改正の全面撤回という譲歩を行なったという。

    通常の一揆は大方、流血の騒動になるのだが、一滴の血も流すことなく成功に導いたのは極めて稀有であり、又、農漁民の動員規模においても唐津一揆は、江戸期における最大規模の農漁民一揆の一つという。
    しかし、一揆の首謀者が死罪になるという、幕藩体制下での掟は唐津藩でも例外ではなく、富田才治を指導者とする数名が自首し処刑せれたのであった。


    虹の松原は、「三保」、「天橋立」と並んで日本三大松原の一つ、日本の特別指定名勝になっている。幅500m、長さ5Kmに及ぶ松林で、NHKが21世紀に残したい「日本の風景」で全国第5位にも選ばれている。



    のんびり朝食を摂って、宿を出たのが7時半を回っていた。
    虹ノ松原の尽きる所の西端部は、一級河川の「松浦川」の河口になっている。
    尤も、河口から奥まった所まで、松原砂州の西南地域は広大な水域をなしている。 
    唐津城の築城主の寺沢氏が慶長7年から13年にかけ、松浦川の大改修など土地の改良に努め、現在の姿になったという。 

    河口の先端に水に写して「唐津城」が立つ。 
    松浦川河口に架けられた舞鶴橋、洒落た造りの欄干の端に石灯篭風の石柱に、平仮名で「まいずるばし」と刻してある。 
    この橋を手前に配して、緑の小山(舞鶴公園)の頂きに唐津城天守閣が毅然と立ち上がっている。実にすばらしく、一服の絵をみるようである。 

    この城は、東に虹ノ松原と西側に西の松原が広がり、左右両翼に広がる松原があたかも「鶴が翼」を広げた姿に似ていることから、「舞鶴城」とも別名で呼ばれている。
    城域の下部へ到って、海抜43mの高度がある石段を息せきって登る。 
    入城門まで達したが、やはり時間外で城内入城は出来なかった、写真で我慢しよう。 
    見上げると、そそり立つ石垣の上に白亜の天主が朝日に輝いていた。




    唐津の北方松浦半島の先端に、「文禄・慶長の役」に際し築かれた豊臣秀吉築城の「名護屋城跡」が在ったが、時過ぎて江戸・徳川期には無用の長物となって廃城になっていた。 

    この城を石垣までの取り壊し、その解体資材を用いて慶長13年(1608)に築城されたのがここ「唐津城」だったいう。 
    代官を任せられたのが克っての秀吉の側近の一人、唐津藩初代藩主・寺沢広高であった。
    唐津湾に面した小高い満島山に配置され、松浦川の流れを引き寄せて南側には堀割を造り、東側には河口を開き防御と舟運の便を図った。
    これら唐津城の築城技術は特筆すべきもので、広高によって7年の歳月を掛け築城された。


    戦と無縁の現代においては、その景観の素晴しさが最大の魅力である。 
    城をシンボルとして唐津の風光明媚な町並の基礎を築いた初代藩主・寺沢広高の功績は多大なものがあると言える。
    初代寺沢家の後、大久保家、 松平家、 土井家、水野家、 小笠原家と徳川譜代の大名衆が引継ぐが、水野家の初代忠任(ただとう)の時に「虹ノ松原一揆」が起こったことは先に述べた。

    唐津藩主・水野家第4代藩主忠邦(ただくに)は、藩政の傍ら幕閣入りの活動も積極的に行い、希望が叶って徳川家のお膝元・浜松へ転封した後、大坂城代・京都所司代などを経て江戸出府、幕府・老中と出世している。 忠邦が行った「天保の改革」は有名であり、天保10年(1839年)に老中首座となっている。

    唐津城は、時代が流れて明治の廃藩置県によって廃城となったが、昭和41年(1966)に現在のものとして復元されている。

    次回は、「松浦半島



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