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  • from: orimasaさん

    2011年04月18日 10時25分11秒

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    日本周遊紀行(119)長崎 「出島」

    .


    『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真関係)
    九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
    九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/




     日本周遊紀行(119)長崎 「出島」   .




    出島の概要図(資料)



    鎖国時代の江戸期、長崎・出島は日本で唯一の貿易の拠点だった・・、

    長崎市街の中心部、深く入り組んだ長崎港の最奥部に中島川が流れ込む。
    その湾口部の中島川に沿って再建中で新装成りつつある「出島」があった。  
    この一角だけフェンスに囲まれて一種異様な雰囲気を出している。出入り口は2箇所あって小生は海側から入門することにした。
    車の駐車に難儀したが電車道の向こうにローソンが在ったので、こっそり置いてもらいことにした。
    洒落た石畳が施された通路の両側の建物群は古いようで新しく、奇妙な感じでもある。

    出島資料館、一番蔵、二番蔵、一番船船頭部屋建物群などは殆どが復元、再現されていて当時の西欧人(オランダ人)たちの生活が少しでも垣間見ることが出来る。
    一番の注目は、やはり出島の長として君臨したオランダ商館長の「カピタンの屋敷」であろう、日本の大名や役人を接待した部屋など、さすがに最大規模を誇る。 

    順次見て回った左奥に日本人好みの庭園が設えてあった。
    その一角に「ミニ出島」といって縮尺15分の1で当時の出島の様子を再現した模型であった。 
    復元された表門は、出島への出入りがいかに厳しいものであったかを窺わせる立派な構えである。


    出島の規模、広さは資料によると幅・約70メートル、長さ190メートル、周囲約563メートルの扇形で、総面積は約15,000平方メートルで東京ドームの3分の1、日本武道館とほぼ同じ大きさだという。
    意外と小さく狭い区域であった、この狭い地に半ば拘束されながら住んでいた欧人達に、同情の念をも感じてしまうが・・?。



    周知のごとく江戸期は鎖国の時代であり、日本は他の外国との外交、通商は一切行っていなかった。しかし、長崎だけは例外であった。 
    日本は秀吉の安土桃山時代にはポルトガルとの間の南蛮貿易(ポルトガル、スペイン)が行われ、引き続き江戸時代に入り鎖国が成立した後もポルトガル、オランダなどとは貿易が行われていた。
    貿易拠点は平戸と長崎の「出島」であった。 


    出島はオランダ商館と幕府の共同の貿易拠点であり、貿易に従事するオランダ商館員の居住空間でもあった。
    寛永13年(1636)、幕府はポルトガル人によるキリスト教の布教を禁止するために、長崎の有力町人に命じて人工の島を築き、そこにポルトガル人を住まわせた、この島が「出島」である。

    幕府の出島築造の目的は、キリシタンの取り締まりを行うと同時に、貿易が掌握できるという二つの利点もあった。
    一方、出島の完成の翌年に、キリシタンによる「島原の乱」(後に記載・・、)が勃発する。
    その為、キリシタンに苦慮した幕府は鎖国を強固に進め、そして、商売と宗教が一致して政策を進めようとするポルトガルとは縁を切り、商教分離した策をとるオランダに乗り換えたのである。
    この間、出島は一旦、無人の島になったが、その後、平戸のオランダ商館が出島に移転してきたのであった。

    出島は鎖国時代にあって唯一、日本が様々な海外文化や技術を取り入れるカルチャーセンターとしての機能を持っていた。
    それはオランダにとっても同様であり、ここを窓口に日本の文物・情報を集め、広く西欧に伝えた。
    出島はまさに日本と西欧の国際交流の場として大きな役割を担っていたのである。

    因みに、オランダ商館長は大名の参勤交代と同様、江戸の将軍に出向いて正式に挨拶を交わす習わしがあった、貿易が許されていることのお礼と珍品の献上をするためであった。
    道中は出島を出発し、小倉から船で瀬戸内海を渡り、大阪を経て京都、江戸へ向かったという。
    オランダ人や通訳、長崎奉行所の役人など数百人を超える行列であった。

    芭蕉の句に・・、

    『 かぴたんも  つくばいにけり  江戸の春 』 とある。


    だが、明治の半ば、長崎の出島は忽然とその姿を消してしまった。
    長崎港の港湾工事によって出島はその原型を無くしてしまったのである。

    出島は元々、長崎湾に突き出た扇形の出っ張った人工の島であった。
    その扇の形は貿易の発展を願う末広がりの意味をもち、その坪数は3,924坪で、これも三千世界二十四節季九星人(気学に基づく:人間一生の運気の学問)として、人の世の運勢、世の吉凶を占ったものという。
    出入り口には検問所も設けられオランダ人との交渉や監視を行い、又、原則、日本人も公用以外の出入りが禁止され、オランダ人も例外(医師・学者としての信頼が厚かったシーボルトなど)を除いて狭い出島に押し込められた。 
    それが、近代になって出島周辺は完全に埋め立てられ、その姿も埋没してしまった。

    今では、かつての出島の範囲を示すため、道路上に出島の縁を示す鋲が打たれているという。
    そして今、その歴史的価値が見直され、一世紀の時を超えて出島の姿が長崎市によって復元され出現しつつあり、見学も可能になっている。

    現在、出島資料館(本館、分館)、出島シアターに一番蔵(輸入品倉庫)、二番蔵(貿易館)、一番船船頭部屋(オランダ商船船長や商館員の部屋)、へトル部屋(商館長次席の部屋)、料理部屋などが完成したという。
    そして2010年までに中央、東部分の計15棟を復元した後、周囲に堀を巡らして扇形の輪郭を復元する予定だという。

    次回は、長崎名物「チャンポン




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