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  • from: orimasaさん

    2011年07月06日 09時53分11秒

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    日本周遊紀行(146)鹿児島  「西郷南州遺訓」

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     日本周遊紀行(146)鹿児島  「西郷南州遺訓」  .



    『南洲翁遺訓』は、旧庄内藩・藩士が作ったものであった。それは何故か・・? 、

    『 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。 』


    『 人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし人を咎(とが)めず、我が誠の足らざるを尋(たず)ぬべし。 』


    南洲翁遺訓」の中の一節である。
    この小冊子は鹿児島とは程遠い、山形・庄内藩士が出稿したものである。


    それは何故か・・? 。

    庄内藩(今でいう山形県米沢)は、鳥羽・伏見の戦いの契機となった江戸薩摩藩邸焼き討ち事件や戊辰戦争では薩長・新政府軍に執拗に抵抗した藩で有名である。 
    そのため、戦後、藩内では厳重な処罰が下るものと覚悟していた。 

    しかし、実際は温情ある極めて寛大もので、これには陰で「西郷隆盛」が指示したもの言われている。
    西郷の考えは、敗戦者といえども新しい時代の同胞である・・と。 

    そのことを知った旧庄内藩の人々は西郷の考え方に甚く(いたく)感激、感謝し、後日、人知れず筋道をたてて西郷を訪ね、教えを請うようになったという。 

    旧藩士76人を引き連れ、明治3年(1870年)に、鹿児島の西郷を訪ね教えを請い、薩摩の人材教育を学んだ。 
    後年、西郷から学んだ様々な教えを一冊の本にしたのが、明治23年発刊された「南洲翁遺訓」である。


    尤も、西郷の寛大な処分については、もう一つの理由も有ったとされている。 
    それは豊富な財力で庄内藩を支えた酒田の豪商・本間家の存在を指摘している。 
    本間家でも学才のあった本間郡兵衛は幕末薩摩を訪れて勉学を重ねながら、一方では経済面においては藩の御用向き等を株式組織にするよう提案している。 
    西郷は郡兵衛を通じて本間家を知り、その財力に目を付けたのではないか・・、とも言われている。



    城山の北東約1キロメートルの所、鹿児島駅裏手の錦江湾と桜島を望む丘に、西郷隆盛をはじめ桐野利秋、村田新八など西南戦争で戦死した2023名が葬られている。

    南洲」とは勿論西郷の号名で、墓地中央にある彼の墓は一際大きい。 
    その整然と居並ぶ墓石群は異様な迫力に満ちているといい、それは東京へ向って今まさに進軍しようとする薩摩隼人の隊列を思わせるという。 
    この中には熊本、宮崎、大分といった九州出身者が多いが、中でも目を引くのが東北の山形・庄内藩出身の二名の墓誌が設えてあるという。 

    西郷が私学校を開くと伴兼之(20歳)、榊原政治(18歳)の2人が遠路庄内から鹿児島に学び、西南戦争が勃発するとそのまま従軍を願い出て、壮絶な戦死をしているのである。 

    墓地の両側には西郷隆盛を祭る南洲神社、西郷南洲顕彰館などがある。
    そして、山形県酒田市の飯森山にも「南洲神社」が鎮座している。 

    戊辰戦争降伏により、厳しい処分を覚悟した庄内藩であったが、意に反して極めて寛大な処置を指導した西郷南洲公を心から敬慕することとなり、昭和51年、かの地、鹿児島の南洲神社から霊を分祀し祀っているという。



    西郷を観るとき、多くの歴史家の間で倒幕までの西郷は評価するが、維新後の彼は保守反動的で旧武士階級、つまり薩摩士族の既得権益を守ろうとする守旧派だったと切り捨てる向きもある。 
    政治家として死に場所を求め、故に戦争を想定して朝鮮への使節を自ら望んだと。 


    西郷を記した「翔ぶが如く」の司馬氏も「西郷には維新後の国家設計の青写真はなかった」と述べている。

    しかし、西郷は藩政において一時期、税徴収など積極的に藩の仕事をこなし、農民達の苦渋の有様を見聞して回っている。 
    又、藩主・島津斉彬に見出され、欧米列強から守るため近代技術を導入しようとした藩主の手助けをしているのであり、この西郷が将来の国家像を描いてない訳はないのともいう。 

    明治の思想家、内村鑑三は「西郷は常に“私捨公人”の人で、彼ほど人生に欲得の無い人物を知らない」と感嘆している。


    西郷隆盛はどんな人物であったのか・・? 
    なぜ多くの人が西郷を慕い、戦いに従い、庶民がその死を悼み、肖像画や銅像を造られたのか・・?。 

    権力のトップに上り詰めても人間のあり方、モラルや道義を重視し、政治や外交の場でもその人間性を貫こうとした。

    児孫に美田を残さず」の如く、地位や金銭、名誉には淡々として、権力には驚くほど執着が薄く淡白であった。 

    維新が達成されて明治以降西洋的な近代的、合理主義が導入される中、日本人らしく大儀に重んじ、「道義の巨人」ともいうべき人物が西郷の人格そのものであったのである。


    次回は、「鹿児島市内」




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