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from: orimasaさん
2011年10月07日 14時12分11秒
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日本周遊紀行(176) 萩 「萩城下」
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日本周遊紀行(176) 萩 「萩城下」 、
高杉晋作旧邸
「動けば雷電の如く 発すれば風雨の如し」と 、博文が晋作のことを詠んだ・・、
国道191が長門から三隅に至る頃は、山間の緑濃き道となる。
山中深く大きく弧を描くように「鎖峠」を越え、そのままゆったりと下ってゆくと、やがて「萩」の町並みが見えてくる。
山口県の北東部から長門峡(ちょうもんきょう)の渓谷を下った阿武川(あぶがわ)が、流域を広げて山陰線の下を流れる頃、二つの河川が東を流れる松本川と西の橋本川に別れる。
この両河川によって形成された三角州に在る町並みが、城下町・「萩」である。
三角州上の萩は、東西南北ともに3km程の規模であり、平均海抜高度はわずか2mの低地である。
三角州を中心に発達した都市で、典型的な江戸時代の城下町の風情があり、極筆すれば、町全体が文化遺産、博物館だとも言われている。
その、橋本川の玉江橋を渡る頃、対岸の濃い松の緑が風情を出している。
市中、間もなく球場公園の駐車場に車を止める。 既にすぐ横に「萩・武家屋敷群」が在り、異空間を造っている、正規には「萩城・城下町」と称している。
この地域全体が国の史跡に指定されており、町筋は概ね碁盤目状に画されている。
江戸期の中・下級武家屋敷や町屋が軒を連ねていて、今も町筋がそのまま残り、よく往時の面影をとどめているのである。
菊屋横丁、伊勢屋横丁、江戸屋横丁と呼ばれている小路があり、萩藩御用達の豪商菊屋家、また高杉晋作誕生地、木戸孝允旧宅、青木周弼旧宅や、なまこ壁の土蔵、門、土塀など往時を偲ぶ古色な建築物が並んでいる。
屋敷群の中ほど両側に石碑名の立つ屋根付き門構えの「高杉晋作」宅が在った。
幕末の風雲児と言われる彼は、萩藩士の子として生まれ、安政4年(1857)に松下村塾に通い始めた。
吉田松陰からは、「有識の士」として将来を嘱望されていた。
文久3年(1863)5月萩藩は下関海峡で、攘夷の火蓋を切ったが、四国連合艦隊の攻撃を受け敗戦、直後、晋作は新たに「奇兵隊」(混成軍部隊)を結成している。
奇兵隊は藩士と藩士以外の武士・庶民など、身分を問わず有志の集まりで、力量中心に編成された新しい軍隊であり、奇兵隊は、その後の倒幕戦争においても諸隊の中、として明治維新に大きな歴史的役割を果たすことになる。
その出発点が功山寺(下関市長府・国宝)であった。
『これから長州藩の肝っ玉をお目にかけます・・!!』
旗揚げした晋作は、藩内の俗論保守派を一掃、藩改革を実行した後、倒幕えと突き進む。
高杉は「今は一里行けば一里の忠、二里行けば二里の義を果たすとき。志士は一瞬でも立ち止まってはならぬ」と鼓舞した。
奇兵隊の中に後の初代総理大臣・伊藤博文もいて、後年、次のような漢詩を贈っている。
動如雷電(動けば雷電の如く)
発如風雨(発すれば風雨の如し)
衆目愕然(衆目は唖然として)
莫敢正視無(敢えて正視するものなし)
晋作生家の後側には、自作の句碑や産湯に使った井戸がある。
『 西へ行く 人をしたひて 東行く
心の底そ 神や知るらん 』 晋作
次に、屋根付き門構えで玄関横に井戸跡が残る「木戸孝允誕生地」としてある。
彼は藩医の子として生まれ、後、桂家の養子となり「桂小五郎」の名でも知られる。
既に17歳のときに吉田松陰の門下生となり、尊皇攘夷運動に参加した。
25歳で萩藩に登用され、藩命により京都で公卿、他藩との折衝に当たり、慶応2年(1866)には、坂本竜馬の仲介で薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通らと薩長同盟を結び、維新回天に尽力したことは良く知られる。
維新後、名を木戸孝允に改め、新政府の要職を歴任し、西郷隆盛、大久保利通とともに維新の三傑と呼ばれた。
イギリス公使となったアーネスト・サトウは、「非常な勇気と意志を底に潜めているが、その態度はすこぶるやさしく丁寧であった」という。
この旧宅は、孝允誕生の部屋や庭園などよく旧態を残し、当時の藩医の生活様式をも伺うことができ、国の史跡に指定されている。
次に白壁造りの長屋屋敷きは、萩藩の御用達を勤めた豪商・「菊屋家」の住宅である。
幕府の御用人宿として本陣にもあてられ、屋敷地には数多くの蔵や付属屋が建てられ、主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場の5棟が国の重要文化財に指定されている。
この住宅の主屋(おもや・母屋)は極めて古く、全国的にみても最古に属する大型の町家として、その価値は極めて高いという。菊屋家に伝わる500点余りの美術品、民具、古書籍等が常設展示されており、往時の御用商人の暮らしぶりが偲ばれる。
真近に在る「円政寺」は、凡そ750年前に創建された大内氏(室町期、中国、北九州を制覇した守護大名)代々の祈願所であり、慶長9年(1604)頃に山口から移転され、その後、毛利氏の祈願所となった。
伊藤博文が11歳の頃、住職・恵運に諭され、読み書きを習い、また高杉晋作も子供の頃にはよくこの寺で遊んだといわれる。
次に東光寺、吉田松陰史跡に向かってみる・・、
出発する間もなく、市街中心地に「明倫館跡」があった。
江戸時代には萩藩の藩校「明倫館」がこの地に置かれたもので、名称は、孟子の中の「皆人倫を明らかにする所以なり」から時の藩主が命名したという。
明倫館は規模の大きさで、鹿児島の造士館、水戸の弘道館とならぶ日本三大藩校の一つであり、(江戸・昌平黌、 会津・日新館、萩・明倫館ともいう)現在、明倫小学校の敷地内に水練池(すいれんいけ:プール)、壮大な有備館跡などが残されており、明倫館碑とともに国の史跡に指定されている。
次回、「吉田松陰」
祝い・・!! 平泉地方が世界文化遺産に決定。(2011年6月)
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