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  • from: orimasaさん

    2011年10月11日 14時23分23秒

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    日本周遊紀行(176) 萩 「吉田松陰」(4)

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     日本周遊紀行(176) 萩 「吉田松陰」(4)  .




    「雲外の鶴 籠の中の鶏」・・、

    松蔭は、下田沖でペリーの艦隊に潜入し、密航を図ったがペリーに良心的に拒否され、身柄を拘束された。 
    その後、下田獄から江戸・伝馬町の獄舎へ移され、更に、萩へ護送されて暫し父・杉百合乃助の元で謹慎処分になっていた。 
    萩では、藩命により武士専用の「野山獄」に収容された。


    この時、綴られた松蔭の詩に・・、

    逸気神州を隘(せま)しとし
    乃ち五州を窮(きわ)めんと欲す
    憐れむべき蹉跌の後
    一室に孤囚となる
     

    日本は狭い
    世界を知ってやろうと勇んでみたが
    哀れ失敗に終わり
    今は独房にいる
    (現代語訳)


    『 雲外の鶴 籠の中の鶏 』 
    (大海を夢見た松蔭は、今は野山獄の一個になってしまった)



    1859年(安政6年)、吉田松陰は萩より江戸に送還され、処刑されている。
    この間、萩で謹慎、蟄居中の頃、捕われれの身でありながら半分は自由の身であった。 
    松蔭は近隣の青少年の教育をはじめている。 
    これが世に言う松蔭の「松下村塾」であった。

    松下村塾(しょうかそんじゅく)は、松陰の叔父である玉木文之進が1842年(天保13年)に設立し、松陰も学んでいる。 
    後に、松陰は1855年(安政2年)に、実家である杉家に謹慎、蟄居するにおよんで、杉家の母屋を増築して塾を主宰した。 
    藩の許可を得るが、松陰が「安政の大獄」で粛清された為に、僅か3年で廃止におい込まれた。


    一方、藩校・明倫館でも塾頭を務めた松陰は、武士や町民など身分の隔てなく塾生を受け入れている。 

    松蔭の講義については、門人によると・・,

    『先生は、教え方はあまり流暢ではなかった。 正座し、膝の上に脇差を置いて常に両手で両端を押さえて、肩を張って話をしていた。 講義をされる際、忠臣や徳人が自分の身を犠牲にして義に殉ずるくだりになると、先生は大粒の涙を浮かべ、声を震わし、時にはその熱い涙が本の上に点々とこぼれていった。 このため講義を聴いている門弟たちは皆感動し、同じように涙を流したもんだ。 忠臣には涙をし、逆臣には目をカッと見開いて声を張り上げ、怒りをあらわにした』 と言う。
    誠に生き、義に殉じた松蔭ならではの人柄であり感情なのである。


    村塾は短期間しか存続しなかったが、尊皇攘夷を掲げて京都で活動した者や、明治維新で新政府に関わる人間を多く輩出した。 
    著名な門下生には久坂玄瑞(くさかげんずい)、高杉晋作、吉田稔麿(としまろ)、入江杉蔵、伊藤博文、山県有朋、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、小野述信らがいる。

    その内、久坂玄瑞(松蔭の義弟、蛤御門の変で討ち死に、享年25歳)、高杉晋作(奇兵隊を創設、第二次長征で幕府を討ち薩長同盟の立役者、肺結核のため死去、享年27歳)、吉田稔麿(奇兵隊員、新撰組・池田屋事件で討ち死、享年24歳)、入江杉蔵(奇兵隊の参謀、蛤御門の変で討ち死に、享年28歳)を塾生門人の「四天王」と呼ばれている。 
    門人達は「高杉は恐ろしかった、稔麿は賢かった、久坂には就いてゆきたかった」と証言している。
    彼等は幕末の変で眩いばかりの輝きを見せながら、維新を見ることなく夭折してしまったが、
    松下村塾は、明治維新の後に再び復活し、明治25年頃まで存続したという。(国指定史跡)


    雲外の鶴 籠の中の鶏』・・、の松蔭は獄中にいる。

    罪状から察すると終身刑でもおかしくなく、普通なら落胆するであろうし、絶望を感じてもおかしくはない。 
    ところが、松蔭という男の不思議さは、この牢獄という別世界を興味津々に眺めるだけでなく、同囚や看守を巻き込んで学問、教育の場に変えてゆくのである。 
    獄舎問答」、「江戸獄記」などの著作は、野山獄、伝馬町獄の体験が基本になっている。

    松蔭は、いかな同囚であろうととも、へりくだり、年長者を敬いながら、猛烈な勢いで読書に励み、その数ヶ月に50冊に及んだとも言い、月間の読書数が30冊に止まった時など、「この月、甚だ無精なり」と己を蔑(さげす)んでいる。 

    松蔭は、「獄中では学問を通じてお互い切磋琢磨し、勉強会に参加しなかったのは10人の内2〜3人である。僕がここで天寿をまっとうすることになるならば、十数年後には獄中から傑物の一人や二人は必ずでるであろう」とも洩らしている。

    現に、松蔭よりはるか年長者の富永有隣(とみなが ゆうりん;幕末の長州藩士・儒学者)は儒学と書に秀でて、幼少より松蔭に匹敵するほど神童の誉れ高き人物であった。 
    だが、「虚言癖があり、酒色におぼれやすく、群小を憎む尊大さ」があり、その性癖で周囲からは弾かれた存在でもあった。 
    彼は獄中、松蔭と会って改心し、後に松下村塾の講師に招かれている。 
    松蔭曰く「天下に人材が居ないわけではない、登用するに足る人物がいないだけである・・」


    次回、「松蔭・・、散る





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    祝い・・!!  平泉地方が世界文化遺産に決定。(2011年6月) 
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    「丹沢、山迷記(1970年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/sanmeiki.htm
    「奥秩父・金峰山(1972年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/kinpu-a.htm

    《山のエッセイ》
    【上高地雑感】 http://www.geocities.jp/orimasa2001/kamikoti.htm
    【上越国境・谷川岳】 http://www.geocities.jp/orimasa2001/kokkyou.htm
    【丹沢山塊】 http://www.geocities.jp/orimasa2001/tanzawa.htm
    【大菩薩峠】 http://www.geocities.jp/orimasa2001/daibosatu.htm




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