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  • from: orimasaさん

    2012年03月15日 11時26分27秒

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    日本周遊紀行(212)羽咋 「気多大社・由緒と現在」

    .


    「旅から戻ってくると、故郷の煙さえも甘く気持ちのよいものである。」
    (グリボエードフ;帝政ロシアの外交官・作家・作曲家) 

    日本周遊紀行(212)羽咋 「気多大社・由緒と現在」 .




    気多大社神宮寺の正覚寺


    気多大社が文献に初めて見えるのは「万葉集」である。 
    天平20年(748年)、万葉歌人でお馴染みの越中守・大伴家持(おおとものやかもち)が出挙のため能登を巡行したとき、まず本社に参詣して、


    『 之乎路から 直超え来れば 羽咋の海 
                 朝凪ぎしたり 船楫もがも
     』

    (はるばると羽咋の地に赴けば、羽咋の千里の海は朝凪ぎで素晴らしい景色である。ここに船や楫(かじ)が有れば、漕ぎ出してみたいものよのう・・)


    と早速詠んでいる。

    本社がいかに重んじられ、後に能登の一の宮となる神威を当時すでに有していたことがわかる。 
    北陸の一角にありながら朝廷の尊崇が厚く、このような国家の厚遇は、北越、東北経営、あるいは新羅や渤海を中心とした対外関係とも無縁ではないといわれる。 

    能登半島の要衝に鎮座する気多大社の神威は中央国家にまで及んでいたのである。
      


    普通、を「」と発音すべきか「け」と発音すべきかで、両方の読み方があろうが、この辺り、北陸地方では「」と読むのが慣わしらしい、敦賀に気比(けひ)神宮、こちらは気多(けた)大社である。


    「気」という字は、気になる字である・・!。 
    大げさに言えば全ての生き物には気が生じていて、これが生命の基本になっていることは確かである。 
    しかし、それよりも尚、自然の営み、自然現象そのものが、気の力で成り立ち、地球そのものが気なのである。 

    戻して、人間同士、気が気を呼ぶ、気多で、気が多いのは困るが、合縁気縁(奇縁・・?)女性の方は気麗になって気縁を結ぶ。 


    気多大社は、出雲大社と同一神であり、縁結びの神なのである。 
    気多大社は女性に関する催し物もあり、昨今では、うら若き女性に大変人気があるとか。 

    「超」と付くほどの由緒ある神社で、真剣に願を賭ければ気が多く受けられて、必ずや適う事請け合いである。


    本殿西隣に「正覚院」(しょうがくいん)という寺院がある。
    越前・平泉寺を開基した「泰澄大師」が伊勢内外宮を参拝しての帰り、夢枕の歌として


    『 恋しくば 尋ねても見よ 能く登る 
                一つの宮の 奥の社へ
     』
     
    のお告げを受け、かの地に神宮寺を創建したと言い伝えられる。 

    その一院が正覚院である。
    院は元々、千年以上にわたり気多大社神宮寺で別当寺(神宮寺)であった。 
    明治初頭の神仏分離により、主要な寺院の長福院・地蔵院・薬師院などが廃退したが、ただ一つ正覚院のみが残存し、現在に至っているという。 

    元神宮寺・正覚院の配置を見ると、建物はは気多大社の本殿に向かって建っているといわれる。 
    本院も、他の神宮寺に見られるように、神社を支配下に置き、仏事で社宮の祭り事を行われたことを伺わせる。
      


    ところで、二千年にも及ぶ歴史と伝承の聖地に、世知辛く、俗人による宮司の継承について醜い争いが生じている事を偶々(たまたま)知った。 

    羽咋市の気多大社の現宮司・三井氏が不都合を起こして、神社本庁(東京)より懲戒免職を言い渡された。 しかし氏は宮司の座を譲らず、恒例の神事である豊漁や海上安全などを祈願する伝統の「御贄祭(みにえさい)」が、新旧二人の「宮司」によってそれぞれ営まれたという異例の事態になった。 つまり、8月29日付で免職となった三井氏、そして翌30日、相手宮司との対面も致さず、事務引き継ぎも行われないまま執り行はれ、又、一方新しく任命された宮司・厚見氏も初めて気多大社の神事を執り行ったという。 
    三井氏は、御贄祭などの祝詞を読み上げて玉ぐしをささげた後、「滞りなく終わりました。今後ともよろしくお願いします」と十人余りの参拝者たちに挨拶したという。 一方、式典後、厚見氏は「拝殿を開けていないのが残念だ。三井前宮司には話し合いに応じてもらいたく、今後も氏子や地域住民が納得できる神社運営をしたい」と意欲を語った。 両者の相克は暫く続きそうで、古社のイメージダウンは避けられないという。
    気多大社は昨年(2005年)9月、神社本庁からの離脱を表明しその手続きをとったが、同本庁側が神社規則変更内容に不備があると指摘して却下した。 石川県、文科省を巻き込んでの騒動で、現在でも裁判沙汰は続いている模様であり、神社は神社本庁の包括下に置かれているという。 若い女性に「縁結び」で人気の気多神社の混乱は、しばらく尾を引きそうだ。
    尚、今年2006年に行われた「鵜祭」の鵜は、放たれた後数分後に台の上(案上)に乗ったという。 古老の見立てでは「来年は後半がよくなる」とのお告げらしい。 だが、これが裁判所の判断にどう結びつくかはどちらも予想できないと・・?。



    ところで追伸ながら、2007年3月25日午前、能登半島の沖の日本海でM6.9の地震が発生した、「平成19年(2007年)能登半島地震」という。 

    本震では、石川県の七尾市、輪島市、穴水町で震度6強を観測し、石川県・富山県を中心に死者1名、負傷者が279人も出している。 

    電気・ガス・水道などのライフラインの寸断し、能登空港も被害を受け、能登有料道路の徳田大津IC〜穴水IC間では、数ヶ所の道路崩落が生じた。 
    半島北部、羽咋市周辺でも家屋の被害が多数出している。 

    これは、或いは社霊を蔑ろにした、気多大社の御神霊による厄災ではなかったか・・、と思うのは考え過ぎ・・??。


    次回、「能登金剛





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