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  • from: orimasaさん

    2012年08月30日 11時50分49秒

    icon

    新・日本紀行(54) 「オホーツク海道」

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     新・日本紀行(54) 「オホーツク海道」 



    http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/5f/5b72038c35b8231556f8350d91432974.jpg
    浜頓別・クッチャロ湖




    流氷海道「オホーツク」を往く・・、



    ポロ沼と猿払川付近は既に浅黄色に変色した草紅葉(くさもみじ)が浮島のごとく偏在して、絵の様な美観が漂っている。 
    そして、間もなく「浜頓別」へ達したようである。




    http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/dc/5fa3bc4bee209720f60008315dfc3bcb.jpg
    浜頓別・クッチャロ湖の白鳥(資料)




    浜頓別・クッチャロ湖の白鳥公園、白鳥は未だ来ていないが、10月半ば以降シベリヤより飛来するという。
    正式名は「コハクチョウ」、その数一万数千羽、勿論日本最大の飛来地で「ラムサール条約」にも指定されている。 
    一部はここで越冬するが大部分は本州を南下し山形・新潟・宮城方面へ飛んでいってしまう、ここは中休みの地である。 三月の暖気、ここを中継してオホーツクをこえて、元のシベリヤへ帰って行き繁殖する。




    ラムサール条約」とは・・、

    イランの首都テヘランの北、カスピ海の近くに「ラムサール」という町がある。

    1971年に水鳥と湿地に関する国際会議が開かれ、「特に水鳥の生息地として国際的に大切な湿地に関する条約」が取り決められた。 この条約は、この町の名前をとって「ラムサール条約」と呼ばれる。


    湿地には泥炭地、湖沼、河川、海や入り江、干潟、マングローブ湿地や人工的なダムなどがあり、すなわち水の在るところはみんな湿地であると定義している。 
    ぴかぴかの靴が泥で汚れてしまうために立ち止待ってしまう所、そこから先こそが湿地である」、テッド・ホリス博士(イギリスの生態学者/ラムサール条約の発展に貢献)は言っている。 

    湿地には微生物をはじめ魚や貝、昆虫、鳥、獣、そのにいろいろな植物が育ち繁殖している、このように大切な湿地を世界の国々が守って、特に国を越えて飛んでい水鳥たちを中心にして、湿地の環境を守っていこうという国際条約である。


    1996年6月には93カ国837カ所が、2000年2月には、118カ国1016カ所、2001年2月には、123カ国1060カ所が登録湿地となっている。

    日本は1980年にラムサール条約に入り、釧路湿原が最初の登録湿地になり、次いで1985年に伊豆沼・内沼、1989年にクッチャロ湖、1991年にウトナイ湖などが登録湿地になった。



    今は、人っ子一人いない寂々とした湖岸に、木製の桟橋が沖中へ延びている。
    桟橋の中ほどで、屈んで(かがんで)水中を覗くと藻草が微かに揺れていて、手の平大のモズク蟹・・?が一匹這っていた。 
    水草の茎を差し出すと”両はさみ”で挟んだ。 ソーッと引き上げるとそのまま付いてくる、水面を出たところで片手でヒョイと摘んで桟橋へ載せた。 蟹は気が付いて慌てふためく。
    暫く(といっても、ホンの1分少々だよ、)遊んで離してやった。



    http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/83/a2e6e0568e186ba6d3e9845b81a559c1.jpg
     
    北の果て 我一人来て クッチャロの 

               しばしの休み 蟹とたわむる
    』  小生




    網走から美幌峠を越えた処に「屈斜路湖」がある。 
    韓字読みでクッシャロと呼んでいるが、アイヌ語源の意味ではこちらと同名の「クッチャロ」が元々らしい。
    どちらも同じ意味のアイヌ語から名前がつけられ、クッチャロ湖の語源は、「トー・クッ・チャロ」と言われ、日本語では「沼から水の流れ出る口」、「沼ののどもと」、「沼の出口」という意味になる。


     

    又、この辺り一帯は明治中期には一大金の産地として名を上げた。 
    頓別川の上流部、ウソタン川では今でも砂金探しの観光地になっていて、地図を見ると、砂金山、金ヶ丘、ウソタン砂金地、金山神社等、金にまつわる名称が多く残っている。
    明治33年に浜頓別を流れるウソタン川で発見された重さ768グラムの金塊が、日本最大のゴールドラッシュの始まりであったといわれる。


    ところで、採取高というのは常に極秘とされているために正確な生産高を把握することが難しいといわれているが、地元の『殖民広報』によると砂金採取量は、明治32年をピークに年々減少していると記しながらも、明治32年176貫(660キロ)、33年120貫(450キロ)、34年107貫(401.25キロ)、35年52貫(195キロ)、36年32貫(120キロ)と記録されている。 

    又、『浜頓別町史』は大正7年までの産出高累計550貫(2650キロ)と記している。

    現在のように機械力が駆使されていない時代に2トンあまりの採金は、驚異的な数字であり、ウソタン砂金地がいかに豊富な埋蔵量であったかを物語っている。

    現在でも、ウソタン川近郊には「砂金採掘公園」なるものも在り、 500円の入場を払って砂金掘り体験をすることができる。 
    一日にとれる砂金の量は微量ながら、埋もれている夢とロマンの大きさはゴールドラッシュ時代の昔と変わりないという。 


    毎年8月上旬には「ウソタン砂金フェスティバル」が開催され、又、周辺には砂金採掘全盛時代を忍ばせる石垣や金鉱跡などの遺跡も残っている。





    さて、「オホーツク文化」についてであるが・・、


    浜頓別のクッチャロ湖畔には、「オホーツク人・文化」の遺跡が多く出土しているという。

    更に、枝幸町(えさしちょう)、興部町(おこっぺちょう)界隈も遺跡が多く発掘されている。 
    尤も、当地域に限らずオオホーツク海の沿岸地域は古代遺構が数多く発掘されていて、この地は克って「オホーツク文化」が栄えた地なのである。 
    北海道特有の擦文文化(「手塩」の項で若干述べた)とアイヌ文化の中間に位置し、北海道の北部と東部辺りに7世紀から13世紀にかけてオホーツク海沿岸を中心に栄えた文化といわれる。
    年代は、奈良時代から鎌倉時代の始め頃にあたるとされ、オホーツク文化の担い手をオホーツク人とも呼んでいる。 


    そして、この文化は「アザラシ」と深い関係があるといわれる。 


    アザラシとオホーツク文化・・、

    当時の北方地域の人びとはアザラシの皮や腸を衣服にし、油を食料や明かりにして、肉を食料に骨を釣針やモリ先などにと無駄なく利用している。 
    オホーツク文化より後のアイヌの人びとも同様な暮らしをし、アザラシや魚の油を、ほたて貝に入れて明かりとしたりした。
    つまり、アザラシは当時の人々にとって最も生活に身近な動物だったのである。


    オホーツク人は、ロシアや中国の国境近くのアムール川(黒竜江)の海域をサハリンから南下したと考えられ、彼らは先ず北海道の北部で生活し、しだいに東へ南へと範囲を広げていった。
    その痕跡は東は国後島、南は奥尻島、北は樺太全域に及んでいるが、その後のオホーツク文化はアイヌ文化に取り入れられたともいわれる。


    人々は、アザラシ等の海獣狩猟や漁労を中心とする生活を送り、彼らの遺跡から出土した生活痕からは多くの釣針やモリ先、アザラシやトドや魚などの骨が出て来ている。
    これらの遺跡は海岸そばに限られ、内陸には存在しないという。 
    このことはオホーツク人の生活は海に依存して暮らしており、北海道北部と樺太では漁業に、北海道東部では海獣狩猟に重点があったともいわれる。 
    流氷の影響を受ける道東が冬の漁業に適していなかったためとも考えられている。 


    遺物に描かれた絵や模型から、オホーツク人が舟を操り、捕鯨を行っていたらしい。 
    又、海獣の他に既に豚と犬を飼い、どちらも食用にしていたらしい。 
    ただ、道東では豚飼育は低調だったが、熊(ヒグマ)をはじめとして様々な動物を狩ったとされる。 集落は海岸のそばに置かれ、住居は竪穴式で何十人も収容できる大型の住居や、一つの核家族で暮らしたと思われる小型の住居もあり、大規模住居は中心集落で見られるという。





    『古代人が生活し食べていくのに、オホーツク沿岸ほど良いところはない』 といわれる、おそらく世界一だろうと。


    流氷と共にやって来るアザラシやオットセイなどの海獣はシベリヤやサハリンと酷似していて、流氷は無味漂白のように思えるが、実際は「食の倉庫」であった。 
    オホーツク海の魚貝類をはじめサケ・マスなどの回遊魚は、食」のほうが川を上って向こうからやって来るのである


    又、気候・季節的にみても面白い・・??、

    オホーツク気団という「寒気団」がある、これが発達して東風(コチ)が吹くと稲作がダメージを受ける。 「やませ」である。 

    だが同時に、この北の地域は豊漁になる、大寒流がオホーツクから千島列島を抜けて太平洋に流れ込む、一部は日本海へ向かう。 此れが「親潮」である。

    それにしても「親潮」という名前がいい、北の漁業者が感謝をこめて付けた名だそうで、この海流は栄養に富みサケ・カニ・タラ・ホタテ・ホッキ等魚貝や海藻を育てる。 

    要するに、オホーツク海は稲作社会にとっては恐ろしい海だが、漁民にとっては「親のような海」なのである。


    この現象は、今も変わることはない。



    次回は、<strong>流氷の町・紋別の意外・</strong>・!





    事情で詳細は下記、「新・日本紀行」へ
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    【上高地雑感】 http://www.geocities.jp/orimasa2001/kamikoti.htm
    【上越国境・谷川岳】 http://www.geocities.jp/orimasa2001/kokkyou.htm
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    【大菩薩峠】 http://www.geocities.jp/orimasa2001/daibosatu.htm




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