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  • from: orimasa2007さん

    2010年09月30日 11時13分08秒

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    日本周遊紀行(11)戸田 「造船と日露友好」

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     日本周遊紀行(11)戸田 「造船と日露友好」 



    国道136号線は土肥からは中伊豆の湯ヶ島から伊豆中央道(下田街道)にも通じている。
    小生は、土肥からの海岸沿いの県道17号(沼津土肥線)で大瀬崎へ至ることになる。 
    この辺りは、本州にも近い伊豆半島の付根付近に在りながら、急峻な山岳地であるため近年まで陸の孤島的存在であった。 
    車道陸路が通じるのは近年の昭和に入ってからで、尚、暫らくしてからのことであった。


    この日は平日とあって道は交通量は少ないものの、九十九(つづら)折れが多く極端に狭い所もあり、対向車には充分注意しながら舟山の展望駐車帯に着く。
    本来、富士の展望が秀麗なところだが、今朝は薄雲がその姿を隠している。  
    七曲を繰り返しながら、戸田(へた)の小さな港へ着いた。 
    波止場に面した処に、程よくコンビニ(ヤマサキ)があって、戸田の美しい港を見ながらの朝食となった。
    御浜岬の先端部の真っ赤な鳥居が印象的である。




    戸田港の防波堤のように延びる「御浜岬」(戸田観光協会)



    小生個人的には、「戸田村」は西伊豆では最も好きな地域であった。 
    東名高速を使うと比較的短時間で行けるし、港や顎の形をした静かな御浜湾と御浜岬は、美景であり心が和む。 
    子供達が未だ幼少の頃、夏の時期に何度も訪れたことがあり、御浜の白い砂浜での海水浴は実に良かった。


    戸田村」は、最近までは伊豆半島そして静岡県として唯一つの村域だったが、平成の大合併で無理やり・・?、沼津市と吸収合併されたようである。


    ところで、今般の平成の合併劇で「」が、隣の町や市と吸収合併されて、どんどん姿を消しているという・・!!。
    しかし、中には行政上、何とか遣り繰りして村を存続させる。 或いは、「 多少の財政上の困難さを覚悟しても、おらがの村はそのまま残すんだ・・! 」という声も聞こえる。
    更に、地方の何処かの「村」は、”合併して本来は町か或るいは市に昇格せれるべきところを、わざと村(むら)として存続させた”という事例を聞いた事もある。

    その行政の長が曰く
    『 今、「村」は貴重な自然豊富な地域なのであり、素朴な人々が住む桃源郷のようなものである。 村は、風土的にも日本の原風景でもあり、貴重な自然遺産でもある。その貴重な「村」という名目が、行政上の損得勘定で無くなってしまうのは、いかにも残念である 』と、 合併相手の町長もしくは村長も、その意を汲んで「村」として新たに発足したという。  

    合併しても尚且つ、本来町以上の行政組織に成るところを敢えて「村」とした、その行政の長に改めて敬意を表したい。

    尚、「村」としての行政上の立場は、憲法に基づく地方自治法においては「村は地方公共団体の一つで、都道府県と対等の関係にあり市・町と並立する」としている。
    「村」の読み方を「そん」、「むら」のどちらになるのかは各自治体で規定しており、「そん」で統一されている県、「むら」で統一されている県、「そん」「むら」が混在する県があるという。

    因みに、行政単位の「」がない都道府県は西から長崎県、佐賀県、山口県、広島県、兵庫県、愛媛県、香川県、福井県、石川県、滋賀県、三重県、栃木県そして静岡県である(2008年4月現在、13県)。
    その静岡県は2005年4月、「戸田村」が沼津市と合併したことから村としての歴史に閉をじ、村の無い一県になったのである。



    この静かな戸田の村に江戸末期、意外な歴史が存在した・・!!。

    江戸末期、この戸田の港にロシア人が大挙して訪れ、その後、この港でこれらのロシア人を帰国させる為に、日本で初めての洋式船「戸田号」が完成し、無事ロシア人を祖国へ送り届けたという。 ロシア人・47人の命をである。


    1854年、ロシア使節・プチャーチンが、日露和親条約交渉締結のためディアナ号で下田に来航する。(この項は先般「下田」の項で述べた)だがこの年(安政元年)11月4日午前、マグニチュード8.4の巨大な地震が東海地方を襲う。 
    後に安政の東海地震と呼ばれたこの震災は、大きな津波を伴い下田の町も一瞬にして呑み込み、被害は町全体に及び、875戸中871戸が流失全半壊し、死者は122人と全滅に近い大惨事になった。

    津波によって生じた渦巻きにより停泊していたディアナ号も大破してしまい、その時に、亡くなった水兵の墓は今も下田・玉泉寺の敷地内に残っている。 
    損壊したディアナ号は、船底に穴が空きロシアに帰れる状態ではなくなり、取り敢えず修理をする為の港を捜していた。 
    そんな時に湾が入り江を成して、しかも三方が険しい山に囲まれ、情報が漏れにくい戸田湾を選定したという。 しかもこの戸田村を探し当てたはロシア人という。

    そして、ディアナ号が下田から自力で戸田に向けて出航したが、途中、駿河湾で座礁し、さらに曳航中、嵐に遭って現在の富士市の富士川河口付近の三四軒屋(現富士市三四軒屋)沖で遂に沈没してしまう。 
    この時、ロシア人達は三四軒屋から、収容施設の整った戸田村に徒歩で一泊二日の行程で整然と並んで戸田村にやって来たという。(ロシア人達は船は懲りたので、駿河湾岸を歩いたともいう)

    因みに、富士市五貫島の「三四軒屋緑道公園」の一角にディアナ号の錨が展示してある。 
    全長4メートルの大きな錨と並んでプチャーチンの提督像が立ち、この地がディアナ号ゆかりの地であることを今に伝えている。(昭和51年8月に三四軒屋沖の海中から引き揚げられたものであるとか)

    その後、ロシア人が帰国する為の船の建造が急がれた。
    戸田号はロシア人が帰国する為の船であり、津波の影響で結局、駿河湾へ沈んでしまった軍艦・ディアナ号の代替として造られた。 
    はじめは言葉の障害もあり、大変な難工事だったという。

    ロシア人は早く帰りたいと願い、日本の船大工も職人の誇りを掛けて外国へ安心して航海できる丈夫な船をとの思いが通じ、僅か、三ヶ月で出来あがったという。
    この時出来上がったのが戸田号で、日本で初の洋式船舶であったという。 


    「戸田号」は戸田村を出航した。 
    太平洋から津軽海峡を渡り、樺太のアムール川をさかのぼり、後は歩いてサンクトペテルブルグまでプチャーチン以下47人は無事に着いたという。

    この地の船大工による洋式造船技術を習得したことが、後の日露戦争、太平洋戦争、そして戦後まで続く造船大国の礎となったともいわれる。 

    第一号として洋式船・戸田号が完成して以来、その後何と同型艦が11隻も作られ、開国要求のために当時の鎖国体制を破って入港してくる諸外国の艦船に対する守りとした。 ただ、この時携わった技術士、職人、船大工達が、その後、全国に派遣されていったことは余り知られていないという。 
    そして、石川島、三井、三菱などの現在では世界に名を轟かせている造船会社も、発足当時は、この地の船大工、職人の獲得に凌ぎを削っていたという。


    戸田号を造船した所は「牛ヶ洞」と言うところで、県道の岬入口辺りに、この名前のバス停がある。
    そしてその地に、「戸田号造船地、日本洋式帆船発祥記念碑」の石碑が立っている。


    戸田号を建造した戸田の職人のうちの一人に「上田寅吉」がいる。

    洋式船舶の造船技術を会得した彼は、後に長崎の海軍伝習所の一期生に入り指導的立場で活躍した。 当時彼は平民ではあるが給金を貰い、後に苗字帯刀(江戸期の武士の身分の象徴)を許されたという。 
    同期生には勝海舟がいた。
    後に海舟は咸臨丸により、日本人だけで太平洋を横断していることは周知である。 
    二期生には榎本武楊がいて、後の開陽丸の建造に携わる。
    間もなく明治維新となり、上田寅吉は榎本と共に函館の五稜郭の戦いに敗れ捕虜になるが、明治三年釈放されて横須賀の海軍工廠の初代の工場長に成っている。 又、長崎の三菱造船所など日本の主な造船所を造製している。 後のロシアのバルチック艦隊をやぶった日本の艦船のほとんどを設計したという。   


    緒明菊三郎」(おあき きくさぶろう)は、戸田号造船時には13才だった。
    雑役をしながら洋式造船の技術を学び、後に江戸に出て船舶業て財を成し、東京のお台場で緒明造船所を造った。 
    日清戦争、日露戦争の頃は日本の造船、海運王にまで成ったが、お台場の土地を使用出来たのは同じ戸田村の出身の船大工、上田寅吉の縁で榎本武揚が世話をしといわれる。 その後、緒明家は静岡銀行の創業者して著名である。


    因みに、プチャーチンは明治14年明治天皇から外国人では始めて、日本で最初に最高の勲章・勲一等旭日章を授与している。 
    帰国した彼が和親条約の改定や通商条約の締結交渉で、その後、数度来日している。 その時に、航海中の和船が、時化でカラフトなど北方へ流され、漂流民となった日本人を親切に扱い度々帰国させたという。 その数は何十、何百人とも言われる。 
    人道上最大の貢献をしたということで、日本で最高の勲章を貰ったのである。


    岬の先端、赤い鳥居のある猪口神社の近くに造船郷土資料博物館がある。 
    安政元年(1854年)に戸田沖に沈没したロシア軍艦・ディアナ号艦長プチャーチンの遺品や代船(戸田号)建造の記録が保存展示されている。
    又当時、現地で三人のロシア人が死亡したとされ、それらの霊が宝泉寺に眠っている。

    戸田町の南外れに、その「宝泉寺」があり、ロシア使節のプチャーチン提督が泊まった寺として知られる。 
    船が完成までの約三カ月間、ロシア船員も滞在し、境内には滞在中に亡くなった乗組員の墓がある。


    ところで、今年(2005年)は日露修好150周年記念に当たる。 
    ロ日友好協会では、ロシア連邦サンクト・ペテルブルグ市、国内では下田市、戸田村、富士市の各地で祝典行事が行はれたという。 
    戸田村(現沼津市戸田)の海岸に建立されたモニュメントの除幕式を行い、又、下田市の海岸で開かれた政府主催の記念式典には外務省の招待で関係者、山口戸田村代表が出席した。 

    この式典には日本側から小泉首相、ロシア側からロシュコフ駐日ロシア連邦大使も出席し、日露両国の恒久的な友好関係の樹立を誓い合った。

    戸田」は日本造船界の礎であり、日露友好関係の原点でもあったのである。
      


    夕映えの丘」の高所から見る、戸田港と御浜岬の景色は抜群であった。
    井田の村落も美しいところである。
    額ほどの田んぼの向こうに、ひっそりと集落が並んでいる。井田地区は「美しい日本の村」景観コンテストで「全国農業協同組合中央会会長賞」を受賞したという。

    高い位置より大瀬崎を眺めながら駿河湾の内浦を行く。 
    今までの山腹道路と違って本来の海岸線を行く、やや入り江になっているため穏やかな海面である。


    次回は源氏の故里・「伊豆長岡



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  • from: orimasa2007さん

    2010年09月29日 10時05分33秒

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    日本周遊紀行(10)土肥 「温泉と金」

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     日本周遊紀行(10)土肥 「温泉と金」


    松崎を過ぎると程なくして「堂ヶ島」である。
    新緑の松林越しに深青な海の色が対比をなして実にいい。
    西伊豆には珍しくニュー銀水、堂ケ島温泉ホテル、小松ビューホテル、アクーユ三四郎といった巨大ホテルが自然にマッチして建ち並んでいる。

    堂ヶ島温泉は、化粧の湯(美人の湯)と言われるように良質の温泉がフンダンに湧出している。 
    又、「伊豆の松島」と称され、伊豆を代表する景勝地として知られるように断崖絶壁の奇岩・奇勝と相俟って富士の夕日は有名である。 
    堂ケ島で一際美景なのが三四朗島であろう。 干潮時になると幅30mの石の橋で陸地と結ばれ、歩いて渡ることができるという。 
    所謂、陸繋島(りくけいとう:砂州によって陸地とつながった島)の島で、この石の洲を土地の人は古くから瀬浜と呼び、海静かな春の干潮の時は磯遊びの好適地となっている。 
    洞窟の天井に穴の開いた「天窓洞」に入る遊覧船も人気らしい。
    この洞内には鎌倉洞と呼ばれる穴があり、伝説によれば、この洞は鎌倉まで続いていると言われているらしい・・?。


    昭和10年の早春、歌人・与謝野鉄幹・晶子夫妻堂ヶ島を訪れた際に詠んだ詩。

      『 島の洞 奥に窓あり 潮ゆれて 
             孔雀の色を 我が船に投ぐ
     』   鉄幹

      『 堂ヶ島 天窓洞の 天窓を 
             光りてくだる 春の雨かな
     』    晶子



    堂ヶ島からは国道136は山中へ入る。
    トンネルも多いが、道路は良質ですれ違う車も無く、快適である。 
    田子、安良里といった海岸へ通ずる道が時々交差する。 ミニ山岳ハイウェイといったところか。

    まもなく宇久須川の河口の小さな平野部に出た。 
    チョッとした家並みが並ぶ「宇久須」というところである。
    ひなびた漁港にある穴場的な場所で夏の海水浴客は人気、通常は海釣りのスポットでもある。国道沿いに日帰り入浴施設もあり、豊富な湯量が湧き出る。
    泉質はリュウマチや神経痛などに効能があると言われている硫酸塩泉で、民宿が主の宿泊施設が多いが、ホテルニュー岡部といった大ホテルも在った。
    港の両端は黄金崎や恋人岬といった景勝地もあり、その名の通り夕日を浴びて岩肌が黄金色に輝くという。


    又、港から内陸の山岳地へ向かう仁科峠に通ずる山道がある。 その先には標高700〜800mの場所に宇久須牧場広がる。 近くに宇久須キャンプ場も在り、晴れた日は宇久須の港と駿河湾が一望できる。
    伊豆といえば「」と頭の中でイメージする人も多いと思うが、”伊豆の山々・・・、”の歌の文句のように、伊豆は山地のイメージもつよい。

     

    宇久須の海岸から再び国道は、山地へ入り山際をグングン登る。
    明るく見通しの良い道で、常時、彼方の海岸線が見えてる。上りきった辺りにかなり大きく、立派な施設のある展望台へ来た、「恋人岬」とあった。 

    さすがに展望抜群で、大海原が眼前に開け、左方角に宇久須の港が見下ろせる。
    手形のモニュメントの横に、駅風の案内板があって・・、

    『 ここはこいびとみさき、といおんせんから、つぎはけっこんへ 』・・と掲示してあり、熟年で一人旅の小生にとっては、いささか苦笑気味であったが。 

    岬の本来の展望台はこの先500m位先にあるようだ。 途中に愛の鐘というのがあった。 
    若いカップルが、おて手つないで思いに耽り、ゆっくり散策しながら、愛の鐘を鳴らして下さい・・!!



    西伊豆・土肥

    何年か前だか定かでないが、「上さん」(妻)と土肥周辺を周遊観光した折、泊まった宿屋が「牧水荘・土肥館」であった。 
    港よりやや奥まった処の旅館(ホテル・・?)で、露天風呂の豪快さに驚いたもんだった。 
    天然掛け流しの豊富な温泉に、西伊豆随一を誇るといい、数種類の大露天風呂や洞窟風呂に我々はびっくり仰天し、一晩とはいえ大満足したのを覚えている。

    「牧水荘・・」の由来は大正期の悠遊歌人といわれた「若山牧水」が伊豆周巡の際、この土肥館をこよなく愛し、延百余日に亘って百数十の詩歌を詠み、晩年は常宿としていたことによるという。

      『 幾山河 こえさりゆかば 寂しさの 
             はてなむ国ぞ けふも旅ゆく
     』   牧水

    牧水の残した、遺作品や遺品が多数、館内に飾ってあったのを記憶している。

    四季温暖な気候に恵まれている土肥温泉では、明治以来多くの旅人が避暑、避寒に来遊しており、その中には著名な文人・墨客が宿泊逗留したという。 
    大正の頃には牧水のほかに、島木赤彦、与謝野鉄幹晶子夫妻をはじめ倉田百三、三好達治、川端康成、中島敦、井上靖、堀江史郎などが土肥を訪れ取材し、土肥を背景にした作品を作り出し、文学で見る近代土肥温泉の歴史でもあったという。





    史跡・土肥金山」に展示されている金塊; ;実物で、さすがに三菱財閥である
    (当時:2005年頃、1gいくら位であったか現在の金価格と比較して計算してみてください)



    もっとも、「土肥」が最も賑やかになったのは、「土肥金山」が発見され、採掘による事業振興があったからだ、ともいわれる。

    室町初期に発見された金山は、江戸時代に第一期黄金時代を、明治時代から昭和にかけて第二期黄金時代を迎え佐渡金山に次ぐ生産量を誇った伊豆最大の金山である。 
    推定産出量は、金40t、銀400tといわれ、 昭和40年に閉山している。 

    坑道の総延長は述べ100km、海底180mまで掘り起こしているという。
    一般に、金・1g採取するのに金鉱脈の岩石350kgを掘り出す必要があるといわれる。 金鉱岩石は掘られた後、微細に砕かれ、水洗いし、選別される。 これを何回も繰り返して金の粒子を取り出し、その後、高温の炉で精錬される。 純金(99.99%、一般にフォーナインと言っている)40t採掘するのに、どの位の金鉱岩石を掘り出したか計算して戴きたい。

    金鉱山の跡地は、今は観光用として利用され、江戸時代の採掘作業の風景を等身大の電動人形が再現をしている。 
    因みに現在まで世界各国で掘られた金の全採掘量は、概ね 25mプール一杯分とかと、どこかで聞いた・・? 

    我が家に1kg(三菱M製)の金のインゴット(純金塊)2個所有しているが(これは内緒・・?)、こちらの黄金館(資料館)には 250kg(三菱マテリアル製)の大金塊が展示してある。 
    現在の金相場を1g≒1500円として、・・??、世界最大の金塊としてギネスに登録されているとか。 
    尚、この資料施設を運営しているのは土肥マリン観光株式会社というが、実質、資本経営(親会社)は三菱M、つまり三菱マテリアル(株)という非鉄金属の製錬、金属加工の会社である。


    土肥」(とい)という地名は、その昔伊豆の先住人達が温泉が土中から沸き、金が産出される二毛作・・?に適した肥沃な土地であることから、「土が肥ゆる」で土肥の字があてられたともいわれる。


    土肥の山中に中村という在郷がある。 
    「湯河原」の項でも記したが、平安期、相模の国の湯河原は「土肥の郷」といわれ、郷主・土肥実平は頼朝時代には信頼厚い側近であった。 
    実平は桓武平氏の中村氏の中村宗平の次男とされている。
    つまり、その祖先は西伊豆の土肥の庄ではないか・・??と極一部いわれるが、史実には無いらしい。


    現在、土肥は行政上の呼称は土肥町とは呼ばない。
    政府指令の平成の大合併において、早々、2004年 4月1日- 静岡県田方郡修善寺町、天城湯ヶ島町、中伊豆町それに土肥町の4町が合併して、「伊豆市」として市制施行している。 
    因みに行政名は土肥支所になり、本庁市役所は修善寺(旧町役場)になっている。
     
    次回は「戸田の造船」



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    《 山歩の記録 》
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    「立山・剣岳(1971年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/turugi1.htm 
    「白馬連峰登頂記(2004)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/hakuba-1.htm 
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    《山のエッセイ》
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    2010年09月28日 09時57分04秒

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    日本周遊紀行(9)伊豆松崎 「松崎の町並み」

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     日本周遊紀行(9)伊豆松崎 「松崎の町並み」 




    道の駅の「花時計」




    引き続き西伊豆・「松崎」について・・、

    西日本周遊の第1日目で、しかもマイカー泊まりのためか、やや緊張気味で早朝4時半には目が覚めてしまった。 

    ここは、松崎より少々内陸へ入った大沢温泉の「道の駅」であり、正確な名称は「花の三聖苑伊豆松崎」という。
    明るくなった朝のしじま(静寂)中、公園に出て深呼吸を二つ、三つ、空は高曇りで雨の心配は全くなさそうだ。
    新緑の小山に囲まれた園内は、今は盛りと多種多彩な花々が咲き競い、訪れる人々慰めてくれる。
    その中でもパンジーやスミレ・・?で作られた巨大な花時計が目を引いた。


    大きな花時計に立って様子を覗う。
    白い長短の針の上を赤い極細の秒針が絶え間なく時を刻んでいる。 
    特に、文字盤には数字といったものは無く、それでも凡その時間は読み取れる。 まだ五時半前である。 

    眠気覚ましに道路へ出てゆったり散歩を楽しむ。
    木々の緑が美しく何でも、ここの道の駅周辺の大沢地区は既に時期は過ぎたが桜の名所でもあり、松崎町は桜葉(桜葉漬で作られた桜餅が代表)の生産が日本一だという。 


    園の前の道路から、時おりフルスピードで車が横切る。
    そろそろ頭のほうも冴えてきたようだ。 
    花いっぱいの公園としゃれた花時計をカメラに収めて、いざ出発とする。



    松崎の町はまだ眠りの中にあるようだ、しかし、漁業関係者であろう、例の軽トラックが行き来している。 
    西伊豆の松崎は温泉と観光と歴史の町だが、当然、漁業の町でもある。 
    岩地・石部・雲見を中心とした水産漁獲は、宿泊・観光施設との連携によるところが大きいようだ。

    特に駿河湾に生息するタカアシガニは西伊豆の特産品で、足をひろげると何と3メートルを超えるという世界最大のカニである。
    今では、かなりの高級品らしいが一度は食してみたいもんである。



    松崎には、一介の左官建築職人から絵心を加えた名人、名工となって名を残し、松崎の町並みを一新したという「入江長八」という人物がいる。

    入江長八は、江戸末期、松崎に生まれ、12才で左官建築の弟子となり19才で江戸を出て左官の修行をつむが、同時に3年間、狩野派の絵も学び、江戸から明治にかけて活躍し左官の名工と言われた人物である。

    左官とは、壁を塗る職人、壁塗りのことでその材料は「漆喰」といわれるものである。 
    日本の木造建築の独特の塗壁材料で、消石灰に布のり・苦汁(にがり)などを加え、これに糸屑・粘土などを配合して練ったもので接着効果・施工性、亀裂防止のため“つなぎ”を高めたものである。 
    現代風には、石膏・石灰・セメントなどをそのまま、または砂などをまぜて作ったモルタル漆喰をもいう。

    代表的な建築物である城郭や土蔵など、伝統的建物に塗られた漆喰壁が広く知られているが、色粉を加えた色漆喰や材料に糊を使わない土佐漆喰など、その種類は多々ある。
    漆喰は、勿論、鏝(コテ)で塗り上げるものであるが、「鏝絵」とは、左官職人が鏝を使い、漆喰をレリーフ状に盛り上げ、民家の戸袋や壁、母屋や土蔵の妻壁や持ち送りに絵柄を塗り出したもので鏝絵には家内安全、火災除け、不老長寿といった施主の願いを表現したものであるという。
    入江長八は漆喰塗物に、更に装飾的、絵画的な要素を取り込んで芸術性を意識し高めたものといわれる。




    松崎の町並みからチョッと南へ行った岩科地区にある「旧岩科学校」



    松崎の町並みは、「なまこ壁通り」と言って江戸末期頃の建物が並び、火災や保温・防湿・防虫などに役立つと言われ、格子模様が歴史的な古い町並みと調和し、独特の雰囲気を醸し出している。
    中でも代表的な建物で、「旧岩科学校」がある。 明治13年開校という洋風の建築物で、甲府の旧睦沢学校、信州松本の旧開智学校と並ぶ歴史をもち、国の重要文化財の指定されている。 特徴なのが社寺風建築と洋風建築を取り入れ、「なまこ壁」を十分に生かしたものである。

    なまこ壁とは、土蔵などの漆喰を風雨から保護するため、平たい瓦を竹釘で打ちつけて並べ、瓦と瓦の間の目地を漆喰でなまこのような形に盛り上げた壁のことをいう。

    江戸時代の初め、武家屋敷の長屋や長屋門の壁に使われたのが始まりだそうであり菱形、馬形、亀甲、七宝などの型がある。

    次回は、西伊豆・「土肥」



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    2010年09月27日 09時50分22秒

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    日本周遊紀行(9)伊豆松崎 「松崎と依田勉三」

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     日本周遊紀行(9)伊豆松崎 「松崎と依田勉三」 




    伊豆松崎・「道の駅・花の三聖苑」の花時計


    石廊崎を後にして再びR136へ出た。
    道は一層烈しく曲折登降を繰り返し、妻良、子浦から松崎を目指す。 
    子浦から伊浜辺りはマーガレットの産地で「マーガレットライン」の愛称がついている。
    子浦の町営マーガレット畑を中心に沿道を整備し、この辺りの海岸と合わせて眺望ポイントになっているとか。
    今は時期外れで見れないが花の見ごろの3月から4月にかけては一見、キク(マーガレットはキク科の花)の様な白い花を青い空と海をバックに美事に咲かせる。 

    途中、波勝崎への標識看板を目にしたが、波勝崎は東日本最大の野生のサルの生息地という、波勝崎苑を中心に生息している。
    所詮は人間が餌をやって育てているらしく、完全な野猿とは云い難いらしい。



    伊豆半島は、「山岳半島」とは前にも記したが・・、

    この辺り伊豆西南地域も海から山がそのまま始まる様に、急峻な崖がそそり立ち、絶壁を形造っている。 
    衝立や屏風のような断崖があるかとおもえば、海食された岩肌は複雑怪奇な岩の洞門や洞窟のような奇岩怪岩を造り上げている。 
    海金剛」といわれる波勝崎の奇岩が乱立する海域で、和歌山の紀伊大島の東端にも同名の名所が存在する。
    元々は朝鮮半島、海の南北境界38度線近くの北朝鮮の景勝地を海金剛と称していて、名峰金剛山から由来していると想像する。


    赤壁」とは・・、
    波勝崎の南、松崎町界近くに、衝立岩「赤壁」がある。

    文字通りの赤色の断崖絶壁で、これは、かの中国長江の「赤壁」を準えたものであろう、『三国志』の中の「赤壁の戦い」の古戦場として有名になった赤壁は、後漢末期の208年、曹操と孫権・劉備の連合軍が実際に闘った場所である。
    だが、当の赤壁自体はそんなに巨大なものではないようで、どちらかと言えば、その後背にある歴史的名所や陳列館が観光的に名を成しているともいう。

    小生若い頃、吉川英二の「三国志」を読んでいたが、全く記憶は薄れている。
    赤壁は島根県隠岐諸島の知夫里島の西海岸にも存し、高さ50メートルから200メートルにも及ぶ断崖絶壁が1キロにもわたって続いて雄大な眺望と自然の造形美を誇っている。又、姫路市 の海岸、八家地区に小赤壁が在る。播磨灘工業地域のド真ん中に、これだけの自然が残っていた。

    赤壁の近くに「蛇のぼり」、「うりもりさん」といった珍名な名所もある。
    又、雲見の海岸リエリアも見るべきものが多く、「千貫門」、「烏帽子岩」、「牛着岩」等、沿岸全体に言える。 

    これら何れも、陸上から望むより、海上船舶のから眺めた方が良さそうだ。
    その為か、この地域はシーカヤックやダイビングの一大スポットにもなっている。



    そして「松崎」である。

    ここ松崎と北海道との関係・・?、
    海、山、温泉と自然が豊かな「松崎」は歴史、文化の香りも高い。
    それだけに高貴な人物も輩出しているようで、芸術家・入江長八や国鉄総裁・石田礼助依田勉三・・等々を輩出している。

    その「依田勉三」について・・
    昨年「東日本一周」で北海道・十勝地方大樹町を周遊している時、晩成温泉や晩成キャンプ場といった名称に気が付いていた。 又、今年(205年)5月、縁あって、やはり大樹町、帯広を巡った折、十勝地方の開拓については依田勉三氏の「晩成社」によることを知った。

    一般に北海道の開拓といえば官主導の屯田兵や旧幕府家臣によるものが大勢である・・、 ところが帯広・十勝地方は一般民間人に拠るもので、静岡県の 「伊豆松崎」出身の依田勉三率いる晩成社(一種の会社組織)一行が明治16年に入植したのが開拓の始まりといわれる。

    「晩成」といえば帯広の製菓店・六花亭の銘菓「マルセイバターサンド」のマルセイは晩成から名付けたと言われ、実際に「晩成」という名のお菓子もあるらしい。
    また、大樹町の「晩成温泉」は、そのものの名前である。 



    依田家の歴史を遡ると・・、

    依田家のルーツは信濃源氏だといわれ、代々信濃国小県郡依田村(現在の長野県小県郡丸子町)の依田城に居をおく豪族であった。
    平家追討の兵をひきいる木曽義仲をこの城に迎え入れたという記録もある。

    戦国期依田氏は甲州武田氏に属し、武田勝頼のために駿河と遠江の城を守っていた。
    武田信玄病歿後、後を継いだ勝頼も、天目山(山梨県大和村)の戦いで織田信長の軍に敗れ、ついに武田氏は滅亡してしまう。

    こうして依田一族は伊豆の松崎へ隠遁し、やがて人里はなれた大沢の里に居を構えたという。
    その後、代々庄屋として山林の伐採、炭焼きで江戸との通商を行い、財を成すようになった。

    時は移り江戸末期、「勉三」は依田家の三男として生まれている。
    家歴、家業を知る勉三は幼少時分より開拓精神を植つけたらしい。
    少青年期とり勉学に励み、慶応義塾にて福沢諭吉の講義も受けたという。 

    やがて未知の北海道へあこがれ、明治初期ついに単身現地へ渡り、人跡未踏の十勝原野の踏査にとりかかった。
    そして帰郷後の翌15年、兄の佐二平(松崎町の名士)に十勝の将来性を力説して、農場建設のために兄を社長とする「晩成社」を設立した。
    社名は「大器晩成」にちなんだものという。


    晩成社開拓団27名は明治16年3月、北海道向け出発した。

    十勝地方は秋田県ほどの面積に匹敵し、十勝連峰や大雪山系をひかえ、そこから流れ出る簾のような大小河川が十勝平野の肥沃な大地を形造っている。

    そこの中心に在るのが帯広市である。
    帯広を含む十勝地方は農業が主産業で、その殆どが大型機械による大規模畑作営農が中心であり、周辺の農家1戸あたりの平均耕地面積は約30haで、北海道の平均17ha、全国の平均1.6haを大きく上回っているという。

    伊豆松崎町と帯広市は硬い契りの「友好姉妹都市」を結び、役所前には提携記念塔もある。
    平成14年、帯広市は開基120年に当たる。これらを記念して書籍「依田勉三の生涯」を出版(潮出版社)又、この本を元に映画「新しい風・若き日の依田勉三」が昨年大公開された。
    松竹映画配給:出演は北村一輝、富田靖子、風間トオル、岩崎ひろみ、曽根英樹、他・・、
    尚この映画は第38回ヒューストン国際映画祭でグランプリに輝いている。
     



    伊豆松崎・「道の駅・花の三聖苑」(奥の建物は「かじかの湯」)


    松崎町より内陸方向へ4kmほど那賀川沿いを行くと、「道の駅・花の三聖苑」がある。
    三聖とは、幕末から明治期にかけて活躍した松崎出身の三人の偉人たちのことで、幕末の漢学者である土屋三余、明治期の実業家として名を馳せた依田佐二平、その弟で北海道・十勝平野の開拓者である依田勉三をいう。


    1kmほど先に大沢温泉が在り、、大沢温泉ホテルを営む依田邸の母屋がある。
    約320年前、元禄年間初期の建築だろうという、江戸時代の重厚な庄屋建築の面影を残している。 
    道の駅の公園入口には、直径11mの巨大で且つユニークな花時計があり、時報ごとに違う曲が流れるという。
    さらに苑内には、日帰り温泉施設で、男女別の岩風呂と、清流の音を聴きながら入れる露天風呂を備えた温泉会館「かじかの湯」がある。
    今夜はこの温泉に浸かりながら。

    次回は、西伊豆へ・・、



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    2010年09月25日 09時27分09秒

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    日本周遊紀行(8)南伊豆 「石廊崎」

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     日本周遊紀行(8)南伊豆 「石廊崎」 




    石廊埼灯台(伊豆灯台)



    伊豆半島の東海岸を南下したR135はここ下田でR136となって西伊豆方面へ向かっている。
    小生もそれに従って進むことにする。 

    吉佐美から標識にしたがって石廊崎方面へ、河口の青野川の対岸は美しい海岸が広がっている、「弓ヶ浜」である。
    白砂の浜が弓なりに広がる美しい浜で、背後には松原の緑が迫る詩情豊かな景観である。

    伊豆西南海岸といわれる県道から、石廊崎の取り付部である石廊崎港の遊覧船乗り場へ来た。ここは湾というか入り江というか、外洋から凡そ1kmも細長く入りこんだ先端にあたり、小波一つない静かな港である。

    ここから石廊崎灯台へは15分程のやや急な登り道である。
    路の脇には数件の土産店が軒を並べているが日曜の午後とあって、いずこもお暇な様子である。
    一汗流してやっと灯台へ達した。 


    石廊埼灯台(いろうざきとうだい)は伊豆半島・南伊豆町の最南端の石廊崎に立つ、白亜の塔形をした中型灯台で、「日本の灯台50選」にも選ばれている。
    1871年(明治4)10月(旧暦では8月)に、設置・初点灯している。

    かの、「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントン(イギリスの工兵技監にして建築家、スコットランド人、明治政府の招聘により来日したお雇い外国人のひとり。
    数多くの灯台の設計・設置を手がけた)の設計による八角形の木造灯台として建設され、日本では、10番目に古い洋式灯台だそうである。
    昔から石廊崎沖は航海の難所でもあり、この沖の岩礁で座礁、難破する船も多くあったので、航行関係者からは是非にと、灯台が求められていたのであった。




    伊豆南端、先端部の「石廊埼」
     


    灯台周りには囲いがあって、見物できないのは残念である。
    灯台から更に進むと紺碧の大海原が広がっていて、高さ50m〜100mの断崖絶壁に黒潮が激しく波を打ちつけている。
    又、断崖にへばりつくように鉄柵の遊歩道があって、その先の大岩を刳りぬいた部所に石室(いろう)神社の社が鎮座している。
    その又突起の絶壁上に注連縄を張った小社が恐る恐る据わっている、実に迫力ある風景である。
    特に岩の上から見る朝日は絶景で、正月のご来光は人気のスポットであるとか。

    神社は奈良時代には開祖された様で「役の行者」にも因縁があり、中古以来、金剛山石室権現と尊崇されていたという。
    石の廊下をつたって石室に安置されていたもので、維新後の神仏分離で伊波例命(イハレヒコノミコト:海上交通の守り神)を奉斎し、石室神社とされたといわれる。

    石の廊下に石室で、社名も石室(いろう)神社と呼称しているようで、変じて一帯を石廊崎と称するようになったとか。 いずれも海上交通や縁結びにご利益があるという。

    水平線に地球の丸さを実感・・・?? しながら、石廊崎を後にした。

     
    西伊豆・「松崎」へ、



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    2010年09月24日 12時25分48秒

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    日本周遊紀行(7)下田 「露使節・プチャーチン」

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     日本周遊紀行(7)下田 「露使節・プチャーチン」 




    「ロシアと北方四島」

    ペリーが下田を去って間もない同年(1854年)、ロシア使節・プチャーチンが日露和親条約交渉締結のためディアナ号で下田に来航する。
    日米和親条約締結の話を聞きつけ、ロシアも日本と通商を求めるべく來日したもの。

    同年、幕府役人との数度による交渉の結果、長楽寺にて日露和親条約が締結される。 
    この日露和親条約が日米和親条約と大きく異なるのは、日露の国境が決められ、択捉島とウルップ島の間に国境線が記載されたことで、この日を以って北方領土の日(2月7日)として設定している。



    因みに、先の大戦以降、未だに北方領土はロシアに占有されたままである。
    長年に亘って日・ロとの返還交渉が成されてきたが、現代に到るまで解決されてない。
    その返還については日本の長年の悲願である。

    北方領土とは北海道東方、歯舞(ハボマイ)、色丹(シコタン)、国後(クナシリ)、択捉(エトロフ)の四島のことである。
    昨年(2005年)10月東日本一周の際、北海道東方沿岸で国後島を遠望し、納沙布岬では歯舞諸島を真近に望めた。
    これら地域、特に根室半島は北方領土返還の拠点になっていて、立て看板や石文が辛く、切なく、それらを物語っている。 


    「蛍の光と北方領土」

    ところで、「蛍の光」という唱歌があるのは周知だが、「北方領土」のことも歌詞にあるのは大方は判っておらず、まして、最近はあまり歌われていないようである・・?。

    この歌は、明治14年(1881年)に尋常小学校の唱歌として小学唱歌集初編に載せられている。 作詞は稲垣千頴(いながき ちかい)、作曲者は不詳であるが、元々はスコットランド民謡である。

    明治10年代初頭、日本で小学唱歌集を編纂するにあたって、稲垣千頴が作詞したものが採用され、「蛍の光」となったという。
    歌詞の舞台は異なるが、遠く離れた友を思う心根は、原曲であるスコットランドも日本も共通である。

    大日本帝国海軍では「告別行進曲」という題で、やはり各種学校の卒業式典曲として「仰げば尊し」と一緒に、最近まで使われ歌われた。

    現在は『蛍の光』は二番までしか歌われていないが、本来は四番まである曲であった。 三番と四番は、辺境の地であっても、それは日本の守りのためであり国のために尽くす、というような歌詞であり、この内容が敬遠されて戦後には歌われなくなったようである。


    以下の歌詞は、小学唱歌集初編(明治14年11月24日発刊)に掲載された時のものである。
    前述の通り、戦後・昭和24年以降はこの中の1番と2番のみしか歌われていない。


    蛍の光』詞:稲垣 千頴  スコットランド民謡
                        
    蛍の光  窓の雪               
    書(ふみ)読む月日 重ねつつ        
    いつしか年も すぎの戸を          
    開けてぞ今朝は 別れゆく          

    止まるも行くも 限りとて
    形見に思う 千万(ちよろず)の
    心の端を 一言(ひとこと)に
    さきくとばかり 歌(うと)うなり
                   
    筑紫(つくし)の極み  陸(みち)の奥     
    海山遠く 隔(へだ)つとも          
    その真心(まごころ)は 隔てなく       
    ひとつに尽くせ 国のため


    千島の奥も 沖縄も* 
    八島のうちの 守りなり
    到らん国に 勲(いさお)しく
    努めよ我が背 つつがなく


    ※ 歌詞の内容に問題があるとされ、現在音楽の教科書等では第三節以降が省略されている。

    この「蛍の光」は、悲しいまでに美しい旋律(メロディー)である。
    幼少の頃は歌詞を理解してなくとも、歌ったり、聞いたりしただけで胸にジーンときたものであった。
    しかも、1番から4番まで理解して歌う時、万感迫るものがある。 

    「蛍の光」の1、2番は同窓の友や師との告別の意味であるが、3,4番は、将来は国のために心を合わせて協力するという歌である。
    「蛍の光」を、この形、1から4番までしっかりと歌い続けていれば、北方領土の問題は日本人の意識にもっと深く存在し得たはずであろう。 
    戦後の風潮、教育でこれらの感慨を全て捨て去った現在、所々にそれらの付けが回ってきている。

    日本人の精神そのものが、今の北方四島を見ているようである。


    尚、「蛍の光」のメロディは、本国のスコットランドや日本だけでなく、その他の各国にも浸透している。 
    イギリスやアメリカ合衆国などでは新年(スコットランドでは大晦日から)を祝う歌であり、台湾やフィリピンでは新年と卒業式の両方で歌われ、かっては大韓民国(韓国)の国歌でもあったという。


    次いでながら、「蛍雪の功」という言葉がある。
    「蛍の光」の歌詞の冒頭「蛍の光 窓の雪」とは、「蛍雪の功」と言われる。 
    一途に学問に励む事を褒め称える中国における故事が由来となっている。

    東晋の時代(とうしん;3世紀、中国の西晋王朝に対して江南に建てられた王朝で、西晋に対し史書では東晋と呼んで区別している)の車胤(しゃ いん;東晋の官吏)は、家が貧乏で灯す油が買えなかったために蛍の光で勉強していた。 
    同様に、同じ頃の孫康(そんこう;東晋から劉宋にかけての人物・官吏)は、夜には窓の外に積もった雪の反射する光で勉強していた。
    そして、この二人はその重ねた学問により、長じて朝廷の高官に出世している。



    尚、プチャーチン提督が来日していたこの年(安政元年)、東海地方を巨大な地震が襲う、「安政の大地震」と言われるもので、この下田も津波によって全滅に近い甚大な被害を被っている。
    津波てロシア軍艦・ディアナ号も大破し、亡くなっ水兵は今もこの玉泉寺の敷地内に眠っている。 
    長楽寺は了仙寺の近くに在る。
    詳細については西伊豆・「戸田」(へた)の項で記載します。


    次回は伊豆南端:石廊崎まで行きます



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    2010年09月23日 10時35分52秒

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    日本周遊紀行(7)下田 「ハリスとお吉」

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     日本周遊紀行(7)下田 「ハリスとお吉」 






    幕末開国の歴史の中心舞台となり、ハリスがアメリカ総領事を置いた「玉泉寺・本堂」と隣接するハリス記念館




    総領事官・ハリス

    先刻、通ったR135より爪木崎方面へ向かう途中に「玉泉寺」があった。 
    先の了仙寺とは対照的に人っ子一人居ない静寂の寺院であり、門前に” 安政年間・日本最初・米国領事館 ”の石碑があり、石段を登った本堂右手に「ハリス記念館」があった。 


    ペリーが去って、1856年7月、日米和親条約の規定に基づき初代日本総領事「ハリス」が下田に着任し、この玉泉寺に日本最初の米総領事館が設置された。
    それから3年もの間オランダ人通訳・ヒュースケンと共に下田に滞在し通商条約締結に向けての幕府との交渉に臨む。
    そして、翌1857年に下田協約(日米通貨協定、領事裁判権等)を結ぶ。

    又、初め江戸入府を許可されなかったが、後に許されて陸路天城を越えて(前に記した天城峠越え)江戸城へと向かう。
    ハリスは外国人としては初めて将軍・家定に拝謁し、家定は「 遠方からの書簡、又、口上、満足である。幾久しく交友したいと大統領に申し上げてもらいたい 」と述べている。
    その後、幕府と根気強く条約交渉を進めた結果、1858年6月日「米修好通商条約」を横浜艦上で調印することに成功する。 


    ハリスは実は親日家であったという。
    ハリスの滞在日記『ハリス日本滞在記』の中で「 私は、日本人は喜望峰以東のいかなる民族より優秀であることを、繰り返し云う。日本の国民に、その器用さと勤勉さを行使することを許しさえするならば、日本は遠からずして偉大な、強力な国家となるであろう」と記している。 

    日本人を「特異で、半ば野蛮な国民」と称したペリーとは大違いである。



    唐人お吉

    下田一と評判の高い芸妓だった「お吉」が、17歳でハリスの世話人として上がる。
    病弱で動けなくなったハリスは、身の回りの世話をしてくれる女性を幕府に要求していた。
    幕府は交渉を優位に進めようと政略をもってお吉を送り込むが、そのことを知ったハリスは激怒し、3日で帰宅させてしまう。
    その後、ハリスの人柄も聞かされ、支度金として受け取った25両のこともあって、改めて彼女の家族側から領事館にお願いし、奉公することになった。

    ハリスに仕えた期間はほんの僅かだったが、その後のお吉は不運だった。
    唐人」とののしられ蔑まれて、その後三島や横浜と移流する。

    後には下田での商売はうまくいかず酒に溺れて、遂に明治24年豪雨の夜、下田・蓮台寺の稲生沢川の淵に身を投じ自らの命を絶っている。
    波瀾にみちた51年の生涯は、あまりにも哀しい終幕で、この事件は幕末開国に伴う一悲話として小説や芝居の題材にもなっている。
    お吉は身よりもなく「宝福寺」の住職に法名を戴き境内に厚く葬られた。

    先代の水谷八重子の舞台が評判になったのをきっかけに、芸能人達によって墓石も寄進され、法要祭は下田の女連によって今でも行われている。

    宝福寺は下田駅と了仙寺の中間、通称「まいまい通り」に在る。

    引続き「下田」である。




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    2010年09月22日 08時41分51秒

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    日本周遊紀行(7)下田 「黒船祭とペリー」

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     日本周遊紀行(7)下田 「黒船祭とペリー」 



    「下田黒船祭」

    今井浜温泉、河津浜温泉からR135は内陸の高所を行く。
    その後、再び白州の浜に出た、伊豆白浜という。
    白浜の地名は 他に安房の白浜、南紀の白浜を記憶している。

    スイセン(1月頃30万本の自然のスイセンが咲きほこる)と須崎御用邸(昭和46年に三井の静かな入江に御用邸がたてられ、天皇陛下や、皇室関係の方が、海洋生物の研究やお休みにお出でになる)で有名な爪木崎を左に見ながら、とりあえず伊豆急の下田駅に向かう。
    駅は鉄道・伊豆急の終着駅で東京から下田は凡そ2時間半で結んでいる。


    観光案内所で歴史的名所のガイドを伺いながら、パンフを戴く。
    聞くところによると5月20日〜22日つまり本日まで「下田黒船祭」の真っ最中で、各処々でイベントが行われているとか。

    ソウ云われれば、商店大通りでは賑やかに出店や露天商が並んでいて、着物のお嬢さんのソゾロ歩きや港街らしくセーラー服の若き水兵さんの姿も見かけた。
    黒船祭は、当時亡くなった米兵の供養祭から始まり、現在は日米両国の親善を深めるため、下田条約が締結された5月に、毎年行われてる。


    思えば今年は種々の記念の年に当たっている様だ。
    太平洋戦争の終戦60年、日露戦争の終結100年、そして江戸末期の開国から150年と。
    この下田こそが、江戸期の長い鎖国から世界への扉を開いた地である。

    先ずそれらの跡を訪ねて観よう。
    駅前から稲生沢川沿いを行くと、下田公園の手前に「ぺりー艦隊上陸の地」があった。 

    船体を真っ黒なタールで塗りつぶした4隻の艦船が「浦賀」に来航したのは、1853年6月であった。

    母国アメリカを出航した後、大西洋からアフリカ喜望峰を回りインド洋を抜け、香港・琉球(沖縄)を経由し226日にも及んだ長い航海の末、日本へとやっと到達した。
    ペリーは久里浜(浦賀)にて、開国開港を要求する国書を幕府に受け取らせると、翌年再び来日し返答を聞くことを約束して一旦日本を去った。 

    時を経て再び来日したのは翌年1854年、今度は9隻の艦船を率いて、無断で江戸湾(東京湾)の測量や乗組員を強引に横浜に上陸させ、条約草案を押し付ける等、威圧行為を行いながら、幕府との話し合いの場を設けることに成功する。

    強引な手段に出たのには、前任の東インド艦隊司令長官が浦賀奉行に呈よく追い帰されたという経緯があった。
    そのため万が一の場合には「武力行使も辞さない」といった断固たる決意で臨んだ為といわれる。
    腹を決めた幕府は江戸近隣での開港を嫌い、下田・函館両港の開港案を提示する。

    ペリーはさっそく下田周辺の海洋等の事前調査を行う、外洋と接し安全かつ容易に出入りが出来る下田湾を、当時ペリーは「 天然にしてこれほどの良港は望めない 」と絶賛したそである。
    遂に艦隊を集結させたペリーは乗組員と共に、この地に上陸する。




    ぺりー上陸地(下田黒船祭にあたり、胸像には花輪と花束が手向けてある)


    上陸地の園地にはペリーの胸像があった。

    ここから「了仙寺」までは300mもあろうか、石畳の道に風流な弥治川、ナマコ壁の屋敷前に架かる朱色の橋、小公園やガス灯など情緒あふれる散歩道、下田の町の風情を感じさせ、若者に人気のおしゃれストリートになっている。
    通称「ペリーロード」と呼んでいる。
    その先に了仙寺は在った。

    さすがに大きめの駐車場の横は土産店が並び、その前に紫色の花木鉢が並んでいる。
    聞くと「 アメリカジャスミンでこの寺の名所名物だよ、中庭は今が盛りだよ 」と言う。

    成る程、肩ぐらいはあろうかと思われる位のその名もアメリカジャスミンが庭一面に今が盛りと満開の花を咲かせていた。
    本堂も古式な由緒を感じさせる。 



    了仙寺と真盛りのアメリカジャスミンの庭園



    ペリーや艦船の乗組員たちは、このペリーロードを軍楽隊の演奏と共に派手に行進をしながら了仙寺へと入ったことだろう。

    ペリーは下田の町家を下見、見聞しながら幕府側代表と何度も交渉を進め、念願の全12ヶ条から成る日米和親条約(神奈川条約)を締結したという。 

    初め、街を歩く白い色や真っ黒い鬼のような形相の大男に恐れをなして家の中に閉じこもっていた下田の町民も、フレンドリーでユーモラスなアメリカ人とすぐに打ち解けることができ、敵対心を抱いて接していた幕府役人を尻目に、友好関係を築き上げていったという。

    又、ペリー一行が下田に上陸して最初受けた日本人の印象は、自分たちが考えていた一見した以上に、生活や教育水準の高さ、職人たちの手の器用さに驚き、尚且つ、日本の風習にも相当なカルチャーショックを受けたようである。

    引続き下田での「ハリスとお吉




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  • from: orimasa2007さん

    2010年09月21日 09時49分36秒

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    日本周遊紀行(6)伊東 「東伊豆」

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     日本周遊紀行(6)伊東 「東伊豆」 



    「伊東温泉」

    熱海のはずれにある網代温泉からは海岸近くでもかなり高所を走るようになる。
    屈曲した道をしばらく行き最高所から一気に下った処は宇佐美の海岸である。
    湾曲した砂浜の海辺は透明度も良く、夏は海水浴客で賑わう、民宿の町といってイイほど民宿が多く、我が家も子供が幼少の頃、毎年ここにはお世話になるところである。
    ここは、すでに伊東市であった。


    東海岸のR135沿いは大温泉タウンが並ぶ、湯河原、熱海、そして伊東温泉だ。
    温泉街は熱海にも劣らぬ程のホテルや旅館が並ぶ、温泉は源泉の数が780本、毎分の湧出量は34,000Lもあり熱海より多い。
    又、飲食店も多く昔の歓楽街的温泉の要素も多く現存する。



    ところで熟年の方なら存知よりも多いと思うが、あの古賀メロデーの元祖ともいえる「湯の町エレジー」はここ伊東を舞台に生まれたともいう。  
    あのギターの奏でる前奏、間奏のメロデーは、なんとも湯の街の哀愁にピッタリの曲で、小生、若かりし頃ギターをカジッタ時に最初に覚えた曲でもあった。 


    湯の町エレジー』 詞 野村俊夫 曲 古賀政男 唄 近江俊郎
    伊豆の山々 月あわく     淡い湯の香も 路地裏も
    灯りにむせぶ 湯のけむり   君住む故に なつかしや
    あああ 初恋の          あああ 忘られぬ
    君をたずねて 今宵また    夢を慕いて 散る泪
    ギターつまびく 旅の鳥    今宵ギターも 咽(むせ)びなく



    「東伊豆温泉郷」

    また伊東はもう一つの顔がある。
    南部は概ね丘陵地帯になっていて、大室山の麓にある伊豆高原や一碧湖周辺は四季を通じて一大レジャー基地になっている。
    城ヶ崎海岸は大室山の大噴火で溶岩が海に落ち込んだ際に形成されたリアス海岸で、断崖絶壁は見る者を圧倒する景観だ。
    特に門脇崎の吊橋から、絶壁に白く飛沫を上げる波濤を見下ろすときは冷や汗ものだ。

    伊豆高原から赤沢温泉、北川温泉を経て熱川温泉へ・・、
    この辺りは天城山系の最高峰、百名山でもある「天城山」(1406m)がいきなり海岸へ落ち込んでいるところで、そのためR135も細々と通っている。
    かなりの高所の国道沿いに標識があり、細い急な路地を下ると、まもなく海岸沿いに熱川の細長い温泉街があった。


    熱川温泉・「高磯の湯」

    処々のホテルには温泉の掘削井戸があって、そこからモウモウと噴気煙が上がっていて、源泉温度はほぼ100℃に達しているという高温泉である。
    温泉街の外れに目的の波打ち際の「高磯の湯」があった。季節的に水を抜かれた青いプールの脇を通って露天風呂へ、ライダー連が数人いて些か騒々しいが、やはり露天風呂はいい。
    湯は真透明でごくわずかに細かい白っぽい湯の花があるようだ。

    海岸なのでやや塩味がする。
    しかし周囲は野生味が感じられないのは残念、コンクリートの床で海際は鉄柵で囲ってあるので、湯に浸かると紺碧の海原は見えない。
    人工物が自然を邪魔しているのだ、早々に退散した。 
    ついでに熱川温泉は大田道潅が発見したといわれるが・・、



    「天城トンネル」  

    稲取温泉から河津浜へ・・、 
    ここは伊豆半島中央を貫く幹線路R136、R414、修善寺、湯ヶ島、湯ケ野の合流点になる、通称中伊豆とも称している。こちらも趣のある温泉地や自然が多い、なかでも何かと有名な天城峠は御存知だと思う・・が、川端康成の「伊豆の踊子」は天城峠つまり旧天城トンネルが舞台になている。

    明治38年に完成したトンネルは全長445メートル、アーチ・側面などすべて切り石で建造され、石造道路トンネルとしては日本に現存する最長のものであるとか。
    有形文化財に登録され、2001年には道路トンネルとしては初めて国の重要文化財に指定されている。 また、「日本の道百選」にも選ばれている。

    今は静寂を保つこのトンネルは歴史的にも、文学的にも観光の名所になっている。 
    トンネルの手前には旧峠道が延びている。
    トンネルができる前の往時の路は、急峻な地形や切り立った崖の上で、そのため天城越えで尊い命を落とした人もいたという。

    幕末アメリカ領事館の初代総領事ハリスが通商条約締結のため, 下田より江戸に上ったときに通ったのがこの峠である。
    そのときのハリス一行の日記には・・,

    『 路は狭く, 鋭角で馬の蹄を置く場所もなく、ようやく峠を越えて湯ヶ島に着く。 今日の路は道路ではなく通路とも言うべきものだ 』

    と記されていることから, 相当な難所であったことが判る。

    旧天城トンネル、更に新天城トンネルの完成で北伊豆と南伊豆の距離は一挙に短縮された。


    次回、伊豆南端の「下田」は、「黒船祭り」の真っ最中であった。




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  • from: orimasa2007さん

    2010年09月20日 14時36分16秒

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    日本周遊紀行(5)熱海 「熱海・湯の町」

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    日本周遊紀行(5)熱海 「熱海・湯の町」



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    写真 熱海海岸と寛一お宮の像



    「熱海温泉」・・、

    総じて云える事だが、伊豆半島は山岳半島であろう、多くの山々は海岸線まで迫り出している。 特に東海岸のすぐ後ろは箱根高地から伊豆箱根スカイラインが天城高原、天城山辺りまで天空を走っている。

    このスカイラインの下、伊豆半島の付根部分を丹那トンネル(たんなトンネル)が1934年に開通している。 
    東海道本線の熱海駅〜函南駅間にある複線規格のトンネルで総延長7804m、完成当時は清水トンネルに次ぐ日本第2位の長さで、鉄道用複線トンネルとしては日本最長であった。
    火山地帯特有の断層と温泉湧出という難工事で16年の長期間と事故による67名という犠牲者を出している。 

    それまでは箱根の連山をぐるっと北側を廻る、現在の御殿場線が東海道線であった。
    このトンネルの開通で日本の大幹線といわれる東名阪の交通事情は大きく進展したといわれる。 
    この丹那トンネルの東の入り口が「熱海」である、古くからの温泉地であり、地名は「海から熱い湯が湧き出ていた」ことからであろう。
    山地丘陵地の狭いエリアに大型ホテル・旅館が立ち並び、国鉄東海道本線開通以降、首都圏からの保養客が押し寄せ一大保養地になった。
    かつては新婚旅行や社員旅行の定番の行き先であったが、社員旅行自体の衰退と大型宿泊施設を敬遠するムードから斜陽傾向にある、2000年代に入り温泉を引いたマンションが増加しているという。 
    保養マンションが主であろうが新幹線を使用すれば首都圏へは通勤圏内でもある。


    熱海温泉は日本の三大温泉(熱海、別府、南紀白浜)の一つ。 また、日本の三大温泉場(別府、熱海、伊東)の一つとされ、源泉湧出数500本以上、古くは大半の源泉が硫酸塩泉であったが、近年ボーリングによる源泉開発を多数行った結果、海沿いの源泉は海水の混入量が増えているという。

    熱海のスポットと言えば海岸にある「お宮の松」と「寛一・お宮の像」であろう。 
    尾崎紅葉の「金色夜叉」から模じったもので、その前に砂浜のサンビーチが広がっている。 



    市街地より東方山地に「伊豆山神社」がある。
    頼朝が鎌倉に幕府を開くに及んで、幕府最高の崇敬社として箱根とともに二社を関八州鎮護とした。 
    元はといえば頼朝の恋人であった北条政子が、密かに逢瀬を楽しんだ神社といわれる。
    父に逆らって恋人の元に抜け出してゆく「政子」は、後に政権を握ることなど考えもしなかったに違いない。源氏旗揚をした後、この社にせっせと戦勝祈願をしたという。


    新金色夜叉』 曲・詞・宮島郁芳 
    熱海の海岸を散歩する     僕が学校おわるまで
    貫一お宮の二人連れ      何故(なぜ)に宮さん待たなんだ
    共に歩むも今日限り       夫に不足が出来たのか 
    共に語るも今日限り       さもなきゃお金が欲しいのか

     
    次回は、伊東温泉




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    【大菩薩峠】 http://www.geocities.jp/orimasa2001/daibosatu.htm

    《 スキーの記録 》
    【スキー履歴】 http://www.geocities.jp/orimasa2001/skirist1.htm



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