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  • from: orimasa2007さん

    2011年03月28日 10時57分57秒

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    日本周遊紀行(107)福岡 「黒田武士」

    .


    『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真関係)
    九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
    九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/



     日本周遊紀行(107)福岡 「黒田武士」   、



    酒は飲め飲め 飲むならば 日の本一の この槍を・・、

    「海の中道」に足跡を残して次に参ろう。香椎線に沿って先ず戻る。
    香椎は古社「香椎宮」(応神天皇:宇佐神宮祭神の両親である仲哀天皇、神功皇后を御祭神とする)でも有名である。福岡市内の渋滞を予想して、市内を縦断する高速1号線の香椎から乗ることにする。 
    福岡市と言っても「天神」などを抱える「博多」が中心で、博多という呼称が地元をはじめ世間一般そのようである。 市街地には近代的な超高層ビル群も首都圏並みに目立つ。


    福岡」といえば黒田節、黒田武士といえば「黒田官兵衛孝高」、嫡男・「黒田長政」であろう。
    黒田官兵衛孝高は晩年、福岡城の建設中、太宰府に移り住み、己を水に喩えて「如水」と号した。

    水五訓』 黒田如水
    一、自ら活動して他を動かしむるは水なり、
    一、常に己の進路を求めて止まざるは水なり、
    一、障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり、
    一、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり、
    一、洋々として大洋を充たし発しては、蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霰と化し、凝っては玲瓏たる鏡となりたえるも其性を失わざるは水なり。


    黒田如水は、豊臣秀吉の天下取りを支えた軍師である。もともとは播磨の豪族、小寺氏の家老であった。 
    この当時、播州の多くの豪族は毛利氏に加担していたが、官兵衛は地方豪族の一家老に過ぎない身ながら織田信長に近づいている。
    周囲を敵に回しながらも織田に気脈を通じたのは来るべき織田、毛利の合戦に織田の勝利を確信したもので、先見的慧眼があったともいわれる。この官兵衛の英知を、既に秀吉は見抜いていたのである。

    信長は本能寺の変に倒れ、ほぼ官兵衛の読みどうりに時代は推移した。 
    官兵衛の情報分析能力は群を抜いていたのである。 織田軍の中国方面軍司令官と言うべき人物が羽柴筑前守秀吉であった、後の豊臣秀吉である。
    官兵衛は秀吉の部下として仕え、中国攻略に活躍する。本能寺の変にて信長が光秀に討たれた頃、秀吉は備中高松城(毛利側)を水攻めの真っ最中であった。
    知らせが届くと秀吉は慟哭して悲しんだ、しかし、そんな秀吉へ官兵衛は言い放つ、「ご運の開かせ給う時なり」・・と。

    これは謀反人・光秀を討った者が天下を取る事を指し、同時に秀吉の本心をつく一言であった。
    山崎の合戦で秀吉は光秀を討ち天下を取るが、併せて、秀吉は如水の頭脳的先見性に油断ならないものを感じ取り、人物として警戒していた。 
    官兵衛の智謀才略を恐れたのである。 
    後に、「おれが死んだあと天下を取るのは黒田の“かん”じゃ・・」と秀吉に言わしめた。


    黒田官兵衛
    はこの時の功で、豊前中津藩12万石を有している。
    又、嫡子・長政は初陣では毛利攻めで、その後も賤ヶ岳、九州征伐でも功を立て父、孝高(如水)の家督を相続しといる。 
    秀吉死後、長政の活躍は父親ゆずりで主に関ヶ原における智謀、調略は有名である。


    秀吉亡き後の豊臣家は、武力派と文治派の対立が表面化する。
    その武力派の後押しをして豊臣家を分裂させるのが天下とりを画策した徳川家康であり、その家康の後押しをしたのが黒田長政であった。長政は加藤嘉明、福島正則ら武力派を家康のもとに結束させ、それが後の関ケ原の合戦の東軍の主力となるのである。 
    戦後は筑前、福岡52万石の太守となり、家康の養女を娶って外様でありながらも厚遇を受けている。 長政は父親・如水の智謀を受け、武力をも備えた名将であり、生涯30幾戦で負け知らずを誇ったともいう。



    博多湾に望む博多の近隣地である福崎(現、福岡市)の台地に縄張りを決め、1601年から6年の歳月をかけて完成したのが「福岡城」である。 
    現在は城跡になっていて、大濠公園のほうが有名であるが。 
    「福岡」と言えば福岡県、福岡市であるが、黒田氏発祥の地である備前福岡(岡山県瀬戸内市長船町にある地名で、かつては備前国で中世には吉井川の水運と山陽道の宿場町・市場町として栄えた。

    又、長船は、備前おさふね 刀剣の里でも有名)に因んで、長政の命で九州の地に出身地の「福岡」という地名を付したという。 
    福岡城は藩祖・黒田長政から城主がかわることなく明治維新を迎えている。これは、江戸期の改易、廃領が盛んな時期にあっては極めて珍しいことであると・・。


    酒はのめのめ のむならば、 日の本いちの この槍を・・、』 

    JR博多駅の前に、母里太兵衛(ぼり たへえ)の銅像がある。
    母里太兵衛と言えば、後藤又兵衛をはじめ「黒田八虎」と言われる内の一人に数えられ、勇将で槍術にすぐれた武将である。 
    黒田長政が秀吉に従って伏見城にいた頃、親友である戦国大名の福島正則のところに太兵衛を使いにやった。

    よく来た、さぁ一献つかわそう・・」と早速、酒を勧めてくる、正則も飲み、酔いにまかせ「さあもう一献、この杯の酒が呑めたら、お主の望む品をとらそう」と、五合ほどの酒がなみなみと注がれた大杯をさしだした。
    酒豪で知られる黒田氏の武士に正則が酒を勧め、これを見事飲み干したため、褒美に殿様自慢の槍を貰うという逸話である。

    この槍は日本号という名槍で、元は正親町(おうぎまち)天皇の所有されていたもので、信長、秀吉の手を経たのち正則が所有していた正則自慢の天下の名槍である。
    太兵衛はこの槍をかつぎ、黒田藩歌の「筑前今様」を吟じながらゆうゆうと帰っていったという。
    これが後に替え歌となり、現在謡われている「黒田節」に至るという。

    この槍は、一時期、後藤又兵衛などの手に渡ったが、その後黒田家へ戻り、現在は百地浜の福岡タワー近く、福岡市博物館の中の黒田記念室で常設展示されている。
    尚、前記の「漢委奴国王印」も国宝に指定され、同様に福岡市博物館所蔵(福岡藩主黒田家旧蔵)として常時展示されている。
    司馬遼太郎が「播磨灘物語」で、黒田如水の事を書いている。

    黒田節』 (福岡民謡)
    酒は飲め飲め 飲むならば
    日の本一の この槍を
    飲み取るほどに 飲むならば
    これぞまことの黒田武士

    峰の嵐か 松風か
    訪ぬる人の 琴の音か
    駒ひきとめて 聞くほどに
    爪音頻き(しるき) 想夫恋

    次回は大宰府の「大宰府



    .

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  • from: orimasa2007さん

    2011年03月27日 10時53分41秒

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    日本周遊紀行(106)福岡 「海の中道」

    『東日本大震災』に遭われた被災者の皆さんに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 微少微力ながら援助は惜しみませんので、一日も早い安らぎと回復をお祈りいたします。
    被災者避難の皆さん、原発避難の皆さんへ全国(北海道から沖縄)の公営住宅、又、全国(北海道から沖縄)の公共住宅,UR機構(昔の公団),都道県市公社、官舎など、その他の公共的空住宅を行政、省庁、自治体が中心となって提供してやって下さい。
    避難者近隣の銭湯、公共浴場、温泉施設など暖かい入浴を提供してやって下さい。
    東北出身(いわき)の小生





     日本周遊紀行(106)福岡 「海の中道」   、



     

    海の中道;遊びの宝庫ともいえるワンダーワールドと大観覧車



    海の中道で発見された「漢委奴国王印」とは・・・?、

    これから、その「大宰府」へ向かおう、 待てよ・・!、その前に「海の中道」に寄る事にしよう。
    九州道を、福岡市方面へ暫く走る。古賀I・Cから一旦国道3号線へ下りて、「海の中道」の標識に従って進むことになる。 
    「和白」という交差点を左折すると、中道半島へ進むはずであるが一向にそれらしい気配は無い、普通の住居地域なのである。 
    JR香椎線がすぐ横を走っていて、雁の巣という所を過ぎたあたりから漸く、それらしい雰囲気になってきたようだ。
    右手に大きく砂丘が広がり玄界灘の波頭が洗っていて、なかなかの風景である。左側は防砂林の松の青が目に心地よい。

    間もなく緑の絨毯が敷き詰めた様な巨大な公園が出現した、「海ノ中道海浜公園」である。 約200万平方mと言われる広い公園には、四季折々綺麗な花が楽しめるフラワー園やチョッとした動物園、観覧車、ジェットコースター、サイクリング等、なんでも有りのようである。
    マリンワールドやサンシャインプールは夏の時期は楽しみだろう。 

    また、大芝生広場をはじめ、園内には様々なスポーツを楽しめる場所も一杯である。
    家族で1日中遊んでも、まだまだ遊びきれないほどの広大で多種な施設が揃っている。
    近辺の人々が羨ましいほどである。ここは国営の公園であり、「海ノ中道海浜公園」は九州で唯一の多機能公園で、かって米軍が占領していた地域を解放して、その後、国営公園として整備したところであるらしい。



    この10kmにも及ぶ細い半島の先端は、「志賀島」という有人、生活のある島である。島までは砂州により本土とは陸続きになっている。 この現象を陸繋島(りくけいとう)といい全国的にも珍しい現況だという。 

    陸繋島とは、沿海流が砂を運んできて長い砂浜の岬ができた状態をいう。
    干潮時に海の中に陸を作ってしまうのを「砂嘴(さし)」ともいい、天橋立のように砂嘴が発達して、対岸まで到達したのを「砂州(さす)」という。 
    これら「砂州」や「砂嘴」が、元々島だった所にくっついてしまって陸続きに成ったのを「陸繋島」と言うわけである。 
    この砂州部分、つまり「海ノ中道」は「「陸繋砂州」と言いい大変珍しい地形で、志賀島のほかには和歌山の潮岬、秋田県の男鹿半島、北海道の函館山などがそうらしい。

    志賀島には三つの集落がある。 
    海の中道から志賀島に入る道のある南東部にあるのが「志賀地区」、西部にあるのが「弘地区」、北部にあるのが「勝馬地区」であり、志賀と弘には小さな漁港もある。


    この志賀島で江戸期、福岡藩領内の志賀の農民によって、「漢委奴国王印」という刻印のある金印(きんいん=実印)が発見され、極めて珍しいものとして藩庁に届けられたという。

    金印とは、金でつくられた印章のことで、発見された「金印」は日本の弥生期(西暦57年頃)に中国・後漢で製作されたものといわれる。 
    この印章、「漢委奴国王印」(かんのわのなのこくおうのいん:23mm×23mm×厚さ8mm 〔注〕23mmは後漢尺で1寸で、現在の約3.33cmに当たる)は「国主の印章」とも位置ずけられ、後漢の光武帝が、当時の日本にあった小国家の君主に与えたものと見られている。 
    かって私印説・偽造説もあったようだが、中国の他の地域からも同様の物が見つかったために、この説は覆されたという。

    当時の日本は未だ国家としての体制が無く、九州北部に「筑紫の国」、九州南部は「日向の国」、中国地方に「出雲の国」、「吉備の国」といった地域組織体であった。 

    九州地方では、圧倒的に日向の国が最大で、勢力も有ったといわれ、ここに、ある種の「王」とか「統治者」が存在していて、その王(君主)に授けたものと言われる説が有力ある。 「漢委奴国王」は、「漢ノ委ノ奴ノ国王(かんのわのなのこくおう)」と読むことができる。


    因みに、現在の日本の国璽(こくじ)、御璽(ぎょじ・天皇の印章:方3寸)は金印で、京都の印章職人によって作成されたという。 
    国璽とは、国家の印章として押す官印で、日本では1868年(明治元年)初めて使用されたという。 
    現行のものは、1974年に改刻された「方3寸」の金印で、「大日本国璽」の5字を刻す。 
    克っては国書・親書・勲記(叙勲者に勲章とともに与えられる証書)などに用い、御璽とともに内大臣が保管していたが、今は勲記にのみ用い、侍従職が保管しているという。
     
    次回は、「黒田武士




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    2011年03月26日 11時36分59秒

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    日本周遊紀行(105)北九州 「筑豊の小倉」

    『東日本大震災』に遭われた被災者の皆さんに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 微少微力ながら援助は惜しみませんので、一日も早い安らぎと回復をお祈りいたします。
    被災者避難の皆さん、原発避難の皆さんへ全国(北海道から沖縄)の公営住宅、又、全国(北海道から沖縄)の公共住宅,UR機構(昔の公団),都道県市公社、官舎など、その他の公共的空住宅を行政、省庁、自治体が中心となって提供してやって下さい。
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    東北出身(いわき)の小生




     日本周遊紀行(105)北九州 「筑豊の小倉」   、



    「小倉生まれで 玄海育ち・・」・・、

    北九州の小倉、人力車夫の「富島松五郎」が、思いを胸に祇園太鼓を打つのが小倉城下である。
    関門海峡に面した歴史の街・小倉は、陸・海の交通の要衝であり、その中心に小倉城がある。 

    お城は関ヶ原合戦の功労で入国した細川忠興(戦国武将、信長、秀吉に仕える。後に肥後熊本藩に移封ず、細川家の祖。妻は光秀の娘・ガラシャ夫人)によって、1602年に本格的に築城が始まり約7年の歳月を要して築城された。 
    忠興は、城下町繁栄策として、諸国の商人や職人を集めて商工を盛んにし、外国貿易も行い、同時に京風・祇園祭も誕生させている。 

    現在でも福岡の各地に特色を持った「祇園祭」が存在するが、中でも、博多の「祇園山笠」は代表的祭りであろう。
    小倉祇園祭は城下町としての繁栄のために城内に祇園社(八坂神社)を創設し、領内の総鎮守として豪華で華やかな祭りが始まったとされる。はじめ博多と同様の“山笠”の祭りだったが、明治期に現在に繋がる太鼓を打ち鳴らす祭りへと変化している。

    小説の富島松五郎伝が映画・無法松の一生として作品発表されると知名度が更に上がった。
    因みに、「無法松の一生」の歌詞では「玄界灘」が登場するものの、実際は小倉を始め北九州は響灘及び周防灘に面しており、玄界灘には面していない。



    現在の「北九州市」の中心が小倉であるが、北九州市は九州北部の隣り合った五つの都市・門司、八幡、若松、戸畑、小倉が合併して1963年2月に誕生している。
    北九州地区に最初の町ができたのが小倉で、その後は小倉城を中心に城下町として発展し、明治期以降は小倉は軍と商業の中心、門司は国際貿易港、八幡、若松、戸畑は所謂、筑豊の石炭産業と八幡製鉄所(日本初の製鉄所として明治30年に創業した、現在の新日本製鐵(株)の 前身)を中心として、重工業と化学工業が発展し、日本の四大工業地帯の一つ、「北九州工業地帯」として急速に発展する。


    筑豊」という呼び名が生まれたのは明治になってからで、この地域の筑前と豊前の頭文字をとって「筑豊」と呼ばれるようになった。 
    日本の近代化を支えてきた石炭産業の歴史は、そのまま日本の産業史であり、世界の中の日本であるために明治政府の工業立国の政策と需要の拡大や中央の三井・住友・三菱・ 古河などの大手も進出したことによって、良質で我国最大の炭田を抱える筑豊が時代を推進するのである。

    筑豊の地底には今も全体埋蔵量の70%の石炭が眠っているという。
    北九州市制誕生直後に、三大都市圏(東京、名古屋、大阪の各圏)外で最初に政令指定都市となった。

    五市合併の際、新市名を住民公募した結果、「北九州市」という名称は2位だったという。
    1位は「西京市」だったが、「西京」の異名を持つ山口市が反発したというエピソードがある。


    無法一代の一生』 歌 村田秀雄 作 吉野夫二郎 曲 古賀政男 
    小倉生まれで 玄海育ち
    口も荒いが 気も荒い
    無法一代 涙を捨てて
    度胸千両で 生きる身の
    男一代 無法松

    「度胸千両入り」
    空にひびいた あの音は
    たたく太鼓の 勇み駒
    山車の竹笹 提灯は
    赤い灯(あかし)に ゆれて行く
    今日は祇園の夏祭り
    揃いの浴衣の 若い衆は
    綱を引き出し 音頭とる
    玄海灘の 風うけて
    ばちがはげしく 右左
    小倉名代は 無法松
    度胸千両の あばれうち


    次回は、「海の中道



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    2011年03月25日 10時54分06秒

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    日本周遊紀行(104)九州 「九つの国」

    『東日本大震災』に遭われた被災者の皆さんに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 微少微力ながら援助は惜しみませんので、一日も早い安らぎと回復をお祈りいたします。
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    東北の温泉愛好者、東北出身(いわき)の小生





     日本周遊紀行(104)九州 「九つの国」   、




    九州はその昔、九ヶ国に分かれていた、それは・

    国道2号線で本来「下関」を目指し、周遊観光するつもりであったが時間的に余裕が有ったので一気に九州を目指すことにした。 下関は帰路に立ち寄ることにしよう。

    中国道の小月I・C から関門橋を渡るが、その前に関門橋の展望地らしい「塩の浦P・A」にて小休止してみた。 

    関門鉄橋のすぐ下に広い展望ゾーンが広がって、関門海峡、巨大な関門橋を一望出来る。 
    かなりの迫力と圧巻であるが、本州・四国の架橋を見つめてきたせいか意外と短小に感じたのは小生の偏見か・・!。

    橋は今から30年前(昭和48年)に開通した全長1068mの吊り橋である。海峡は、かの有名な「壇ノ浦」や「決闘・巌流島」更に、江戸末期の馬関戦争など歴史的にも特筆される地であるが、これらに関しては後日記載することにする。

    橋の右手に門司港が鮮明であり、それにしても関門海峡は、大小船舶の往来が盛んなようである。  

    さて、関門海峡を渡る・・、
    思えば小生六十有余年、物心就いて脚の行くまま、気のゆくまま各地を巡ってきたが、この地「九州」、九州七県は始めての地であった。 

    期待を込めて九州へ向かう。



    ところで、四国は「身一つにして面四つ」と言われたが、同じく数字の付く「九州」は、名の如く九つの国の成立によって九州の呼称が生まれた。 

    即ち筑前、筑後、肥前、肥後、豊前、豊後、日向、大隅、薩摩の九ヶ国に分かれていたことから。
    そして、日本列島で、いち早く国々が成立したのは「九州」であり、その後、国々の名が付けられたのは律令国家が成立した時期(7世紀後半から8世紀前半頃)と言われる。 
    その間の平安時代から明治初期になって廃藩置県が決行せれるまでの凡そ1000年の長期にわたって変更がなかった。


    律令制(奈良期後半に定められた政令)において、諸国をまず「五畿七道」(ごきひちどう)に分け、九州は「西海道」と称し、個々の国についての総称を九国、中国(大陸、当時は唐)の地方単位である「」になぞらえて九州と呼んだ。 
    これはあくまでも慣用表現であるという。

    因みに、「五畿七道」の「五畿」とは、大和、山城、河内、和泉、摂津のことで、都・大和を中心とした畿内(近畿地方)の五つの国の事である。 

    「七道」とは、東海、東山、北陸、山陰、山陽、南海(四国)そして西海(九州)の七つの官道と、これにつらなる国の領域を表している。 

    特に、都より山陽道、西海道を経て太宰府までつながる道を大路(主官道)と称し、他に東海道、東山道等を中路、その他の道として太宰府より九州各地へと向かう西海道を小路と呼んでいた。
    当時は道を軸として国名が付されていったのである。


    律令制(りつりょう)とは、大宝律令、その後の養老律令のことで、東アジア(中国の隋、唐の時代)でみられる法体系のことであり、「」は刑罰法令、「」は律以外の法令、主に行政法に相当するもので奈良末期の西暦701年に制定され、この時、合わせて倭国から「日本」へと国号も定めている。

    尚、古代、大和朝廷の時代には、九州は「筑紫(ちくし)の国」、「豊(とよ)の国」、「日向(ひゅうが)の国」と称していた。
    それが律令によって細分化されて、「筑紫の国」が「筑前:ちくぜん」「筑後:ちくご」に、「豊の国」が「豊前:ぶぜん」「豊後:ぶんご」に、「肥の国」が[肥前:ひぜん」「肥後:ひご」に、「日向の国」が「日向:ひゅうが」「薩摩:さつま」「大隅:おおすみ」の九つに分けられて、筑前にあった「太宰府」が九州全域を統括する場所として九州が完成している。

    大君の遠の朝廷」と讃えられた「大宰府」が、大和朝廷期に「筑紫大宰・筑紫の国」として置かれた。
    府の庁舎が置かれたところを大宰府政庁といい、「太宰」とは、オオミコトモチと称して最高長官を表す。

    当時、中国(唐)、朝鮮半島(百済、新羅、高句麗)との交易があり、当初は外交府としてあったが、白村江での敗戦(はくすきのえ:倭国=日本、百済の連合と唐、新羅連合との戦い)の後、外敵の上陸・南進を防ぐための対外防衛拠点としても存在した。 

    同時に大宰府は西海道(九州)諸国を統括する内政の府でもあり、八世紀頃には西国の政治・経済・文化・宗教の中心として都市的な繁栄を見るようになる。


    ところで、律令制により「筑紫(ちくし)の国」が分割されて、筑前、筑後の国になったが、この「筑紫」は「つくし」と読むのか「ちくし」と読むのか、という論点があるようだ。
    我々、外野の者、関東人は近くに「筑波(つくば)」もあり、筑紫は「つくし」と呼ぶのが一般的のようだが、地元では「ちくし」と呼ぶようである。近現代の福岡県の地名としての「筑紫」は、「ちくし」と読むのが普通であるし、公式の読み方としても多く採用されているようである。
    しかし古代、この地域を指していた“歴史的”な地名としての「筑紫」は、「つくし」と読む習慣もあるとか・・?。

    次回は、その「筑紫の国」へ向う



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    2011年03月24日 11時32分54秒

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    日本周遊紀行(103)厚狭 「厚狭地方」

    『東日本大震災』に遭われた被災者の皆さんに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 微少微力ながら援助は惜しみませんので、一日も早い安らぎと回復をお祈りいたします。
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    東北の温泉愛好者、東北出身(いわき)の小生






     日本周遊紀行(103)厚狭 「厚狭地方」   、



    「厚狭」という名称は、歴史的にも大変意味の有る地名であった・

    国道2号線を更に行く。 
    宇部市、小野田市の北部山地をかすめ、山陽町から下関方面へ向かっている。 
    宇部は「宇部興産」、小野田は「小野田セメント」といった有名企業名を思い起こす。 
    いずれも沿岸地区は、素材供給型化学工業を中心とした近代工業都市として発展し、瀬戸内海沿岸地域で有数の臨海工業地帯を形成している。 

    宇部は、明治期以降の石炭産業を通じて資源エネルギーの基地「石炭の町」として、小野田はセメントの発祥の地「セメントの町」として、その基盤が現在に受け継がれている。 
    今の社名は、太平洋セメントと称して、小野田セメントと秩父セメントが合併して秩父小野田セメンとになり、更に、日本セメント(旧浅野セメント)が合同して、その名が付いたようだ。


    幼少の頃より粉と水が一緒になると、どうして石になるの・・?、と常々思っていた。
    物心ついて、学生時代には化学も専攻したが、今でもその不思議さは変わらない。

    セメントの主原料は石灰石、けい石、粘土および鉄分が原料であり、地球上に無限に有る資源である。
    主要化学成分は酸化カルシウム (CaO) 、酸化けい素 (SiO2) 、酸化アルミニウム (Al2O3) および酸化鉄 (Fe2O3) で、これらを適切な化学組成となるよう調合し、粉砕・混合するのが原料工程である。 
    原料工程で調合した原料粉末を高温(1450℃以上)で焼成することにより原料どうしの化学反応を起こし、クリンカーと呼ばれる化合物を合成する。
    クリンカーと適量の石膏(硫酸カルシウム(CaSO4・2H2O))を混合・粉砕して粉末状の仕上げたのが「セメント」である。コンクリートとは、セメントに砂や砂利(骨材という)に水(水和反応=水が他の物質と結合する化学反応)などを加えて結合させたものを指し、建築資材として一般にセメントコンクリートと呼ばれる。

    小野田市には、明治16年(1883年)に建造した最初のセメント焼成用の竪窯が、わが国に唯一残っているという。
    近代窯業史上、西日本における建設事業の近代化を支えた中心的施設として高い価値があり、竪窯は国重要文化財に指定されている。

    尚、小野田は2005年3月22日付け、小野田市と山陽町が合併して「山陽小野田市」と、チョット長ったらしい行政名が誕生している。因みに、全て漢字5文字の市名は現在日本で唯一らしい。



    その山陽町の町並みに入って来て、「厚狭」の駅前に到った。 
    山陽本線、美弥線(みね:美祢市を通る)、向う側に新幹線駅舎とターミナル駅のようであるが人影は極少なく、町並みもコンビニが一つ有るか無いかの小さな街である。 
    厚狭と書いて“あつきょう”などと勝手に呼んで納得していたが、実は“あさ”と読むのである、薄学の至りであった。

    ところで、この地は山陽町である。 
    だが、所々の建物の看板を見ると何故か厚狭〇〇、〇〇厚狭・・とあって、山陽〇〇とは殆ど無いのである。 
    山陽町は1956年、厚狭町、埴生町が合併し誕生していて、たかが50年の歴史にすぎない。
    ただ、厚狭郡山陽町で、僅かに厚狭の地名が残ってはいたが、ところが、最近の合併で「山陽小野田市」になり、昨年(2004年)、同じく厚狭郡楠町が宇部市に編入されるに至って、「厚狭」という行政上の地域名は中国地方、日本から完全に消滅したのである。


    厚狭郡(あさぐん・あさごうり)は、嘗ては今の宇部市(岐波地区を除く)、山陽小野田市、下関市の東部(吉田、王喜地区)で構成されていた。 
    厚狭」という文字は何時頃から使われたかは定かでないが、既に毛利氏の時代には言われていたようである。 
    厚狭はアサと読み、古代アサとは王朝の事を指して呼ばれた名称であるともいう。


    山口には神話期の頃から飛鳥・奈良期創生の頃まで、王朝が布かれていたことは歴史に興味のある者は知っている。 
    大陽町厚狭の東北の位置に当たる今の「加茂神社」(賀茂神社・鴨神社)は、聖徳太子にも所縁があるといい、厚狭川を挟んで西南の地に位置する今の「洞玄寺」周辺は、物部守屋の縁者が一時王朝を敷いていたとも言われる。

    寺の裏山には4世紀後半、長門国の初代長官の墓と言われている前方後円墳が発掘されている。
    これは、「厚狭」が長門国最古の中心地であることを物語っており、更に、境内からは西暦600年前後の祭祀に使用された須恵器(古墳時代後期から奈良・平安時代に行われた大陸系技術による素焼の土器)が出土している(洞玄寺遺跡)。
    この時期が「厚狭」という地名の興りだろうといわれる。

    又、後年、毛利氏の時代には、毛利元就の五男・元秋が本家毛利氏の「」移封後、厚狭(厚狭郡山陽町)に知行地を与えられたことから厚狭・毛利家と呼称され、八千石余りを領している。 
    毛利本領の萩城・大手門の南100mの地に「厚狭毛利家萩屋敷長屋」が配され、面積約一万五千平方mにも及ぶ広大なもので、現在も萩に残っている武家屋敷の中では最も大きい建物となっている。(国の重要文化財に指定されている)

    厚狭には、厚狭毛利家の累代の墓所及び墓碑が在る。 墓所は洞玄寺裏山に概ね500平方mの敷地で、厚狭毛利家の菩提寺として二代元康以降、十三代に至る歴代当主及び一門四十三基の墓碑が建立されているという。 
    三代元宣が、元康の法号により洞玄寺と命名したとされる。(市指定文化財指定)

    当時の厚狭は山陽道の宿場として、又、厚狭の市と呼ばれる定期的に市も開かれ、大いに繁栄したという。
    かつての宿場街が、現在もそのまま商店街となっていて、年季の入った木造の金物屋、造り酒屋の土蔵を改造した酒舗、幾時代か前の商店街という雰囲気を味わうことができる。

    この様に「厚狭」という名称は、歴史的にも大変意味の有る地名であった。 素人考えだが、取って付けたような現・行政名より、「厚狭市」とした方が、余程、歴史的にも意義があるようだが・・?。
    今は厚狭の駅前は閑散として、時折、高架の新幹線がガーオーと往来しているのみである。

    次回からは別冊・西日本編・中編(主に九州地方)へ移ります。
    ご期待下さい。




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    東北の温泉愛好者、東北出身(いわき)の小生





    日本周遊紀行(102)山口 「防長の政庁」   、



    「防長」とは、周防(すおう)国と長門(ながと)国のことで、現在の山口県に相当する。
    その山口は、政庁のあるローカル都市であった、
    それは・・?

    山陽道・山口南I・Cを下りて再び、国道2号線を行く。
    小郡駅前付近を通るはずであるが小郡駅という表示は無く、「新山口駅」と成っている。 2003年10月1日付で小郡駅から改称していたという。 
    無論、新の付かない山口駅は、すぐ北部・内陸地の県庁の在る「山口市」で、山口線の駅である。 


    この小郡町は、西日本旅客鉄道の山陽新幹線 、山陽本線 、山口線、宇部線と4車線が集合する地方都市としては珍しい鉄道の拠点であり、又、中国自動車道、国道2号線が南北に挟み地方道も集散している道路網の集合拠点でもある。 所謂、恵まれ交通の要衝なのである。 

    そして、一昔前は旧山陽道に面し、町の東側を南北に大きな椹野川(ふしのかわ)が流れ、昔は藩米をこの川の倉庫に集結して大阪、神戸に運んだのである、町名に船倉町というのも在る。
    このような地域が、行政上では「町」という1ランク下の公共地なっているのは珍しいという。 
    こんな「小郡」であるが、この町は以外に歴史的意味合いでは痕跡が少なく、歴史的建造物が皆無だという。 
    これは旧都、「防府」を西に控え、現都、「山口」を北に配されていて、忘れ去られた町ではなかったのかとも言われるし・・?、呼称も「小さな郡」としたのも頷ける。 

    近年、新幹線が開通するに及んで、やっと街の息吹きが感じられ、2005年10月1日には 近隣の小郡町、秋穂町、阿知須町、徳地町と中央市庁・山口市の1市4町と合併するに伴い、新生「山口市」として新しい街造りが約束されているという。 
    小郡地区は県庁、市庁の山口の出先機関、産業政庁として大胆な都市計画、複合的商業施設、テーマパークなど可能性が膨らんでいるとも言われる。


    さて、政庁「山口」である・・、

    山口は室町期(南北朝時代)、中国地方を支配した大内氏の本拠であり、町造りの基礎は大内氏によって行われたと言っていい。
    応仁の乱(おうにんのらん・1467年 - 1477年、室町時代の八代将軍足利義政のときに起こった内乱で、幕府管領の細川勝元と山名持豊〈出家して山名宗全〉らの有力守護大名の争い)以後、乱を逃れてきた文化人を歓迎したことで「西の京」として栄え、戦国時代には大内義興、大内義隆が市街を整備し栄華を極めたという。

    1551年、大内義隆(義興の子)が、家臣の陶隆房(すえ たかふさ)の謀反によって殺される。
    しかし、隆房もまた安芸・厳島で「毛利元就」と戦い、謀略をもって敗れている。 大内氏滅亡後は、「毛利氏」の支配下に置かれ、山口奉行が置かれたことから防長(周防・長門=山口県)の政治の中心となった。 

    毛利元就といえば「三本の矢」(戦国の世、子息三人が結束すれば破れることはない)の故事が有名であるが、毛利家は鎌倉期創生の頃の頼朝の事務方重臣・大江広元が家祖である。
    中国地方に「毛利」の名が起こったのは、その子「季光(すえみつ)」か軍功にり安芸国・吉田荘の地頭職を賜ったことから始まる。 
    毛利という名字は、広元が頼朝より与えられた相模国・毛利荘という荘名に由来する。 つまり、分割相続で毛利荘を与えられた四男・季光が、同所に居住し、その荘名をとってそのまま苗字としたわけである。
    毛利氏の苗字の地である毛利荘は小生の在住地、神奈川県厚木市の北部から愛甲郡愛川町の南西部にかけてのあたりとされ、現在も毛利地区、毛利団地、南毛利といった地名が残っている。


    「山口」である・・、
    関ヶ原の戦いで敗れた毛利輝元(三代目・元就の孫)が、萩に築城し政治の中心を移したため、山口は萩と三田尻(防府の港、古くは塩田として栄えた)を結ぶ交通の要衝として栄えた。(萩については後述) 
    幕末には、再び藩庁が萩より山口政治堂に移され、討幕運動の拠点になる。
    明治になると県庁が藩庁敷地内に設けられている。

    山口市は、市街地は県のほぼ中央に位置していて、南端は瀬戸内海(山口湾)に面する。
    昔から道路網が良く整備されていることから、県内のほぼ全域から1時間30分以内で到達することが出来るという。
    市域の中央を南北に椹野川が貫き、その両岸に盆地・平野が広がる。
    だが、室町時代には「西の京」と呼ばれた山口であるが、近年まではローカル線の「山口線」しか走っておらず、市の中心部には山陽本線が乗り入れてない。
    言わば政庁のあるローカル都市であった。

    これは、山陽本線建設時、銭湯小路(山口駅北部に市街地名)の宿主が「宿場町が寂れるから」と鉄道敷設に反対した為であるともいう。(明治の人々が鉄道建設による悪影響とする不安をもち、鉄道や駅を町から遠ざけたという鉄道忌避説がある)このことは他府県の県庁所在地に比して、山口の町が大きく発展しなかった一因とも考えられている。

    現在でも人口規模では下関市に次ぐ存在であり、全国の県庁所在地で、最も人口や人口密度、そして平均地価が低いことでも知られる。
    しかし、新山口市となって南部の小郡地区が県内でも屈指の交通の要衝となっていることから、特に小郡地区を中心として商業、流通業の発展が見込まれ、在京・在阪の多くの企業が小郡に支店や営業所を構える様相でもあるという。

    次回は、厚狭地区




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    2011年03月22日 10時20分44秒

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    日本周遊紀行(101)防府 「周防国衙」

    『東日本大震災』に遭われた被災者の皆さんに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 微少微力ながら援助は惜しみませんので、一日も早い安らぎと回復をお祈りいたします。
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     日本周遊紀行(101)防府 「周防国衙」   、




    周防国分寺「山門」、奥が本堂



    防府は、古代・「周防国衙跡」を中心とした町の区割りが、今も残る・・、

    国道2号線のすぐ横を山陽道が走っていて、そこの徳山東I・Cから高速道へ乗っかる。 
    走り始まって間もなく昨夜の寝不足の影響が早速現れた。
    防府の北側を通っいる佐波川が見渡せるところ、佐波川S・Aにて朝の軽食を摂りながらチョッと仮眠をする。

    一級河川の佐波川に沿って高速道、主要国道が走っていて、その南側に防府の市街が広がっている。 
    佐波川(さばがわ)は、昔、河口で大漁に「」が獲れたことから佐波川という名前になったという。
    名残として佐波川の北、山口市との境峠に「鯖山峠」があり、やや上流地域の徳地町に「鯖河内」などという地名もある。
    一級河川佐波川は、下流に県内最大の扇状地・防府平野を形成し、防府の町の基礎・土台を形造っている。


    奈良時代になると律令国家としての機能が整備され、国境が決まり、一国一郡一里(郷)の行政区分が出来上がる。
    それにともなって、各国を治める行政機関として置かれたのが国府であり、この防府にも周防地方の中心として「周防国衙」が置かれてる。
    同時に都と地方を結ぶ道が整備され、山陽道が造られ、行政の中心となる国府(国衙・こくが、ともいう)が完成する。
    合わせて官寺・周防国分寺が建立されている。


    佐波川とJR防府駅との間には、各所で国衙の史跡(史跡公園)、周防・国分寺といった永い歴史の足跡が残る。 
    国分寺とは、奈良期、聖武天皇が国状不安を鎮撫するために各国に国分尼寺(こくぶんにじ、)とともに建立を命じた寺院である。
    各国には国分寺と国分尼寺が一つずつ国府のそばに置かれたとされ。
    多くの場合、国庁とともにその国の最大の建築物であった。
    その頂点にあったのが大和国の東大寺法華寺で総国分寺、総国分尼寺とされ、全国の国分寺、国分尼寺の総本山と位置づけられた。

    現在、多くの官寺としての国分寺は史跡として残っていても、往時の建造物として現存するのは少ないが、「周防国分寺」は創建当初の様子で境内には今も往時の伽藍を残すきわめて珍しい例として知られている。 
    山門(仁王門)をはじめ、二重構造の大屋根・本堂大伽藍は、総本山・奈良東大寺に類似すると言われる。


    現存する国分寺としては、創建当時の伽藍にかなり同一又は、類似した位置や建物に近いものとされている。
    仁王門は400年以上も経過したもので、1596(文禄5)年に毛利輝元が再建したものとされ、両脇には、室町時代の仁王像が安置されており、ともに県の文化財に指定されている。 
    本堂である金堂は、二層入母屋造りになっており、1779(安永8)年に毛利重就(しげたか:周防八代藩主、後の長州八代藩主)によって再建されたもので、これも国の重要文化財に指定されている。

    平成の大修理を終えた金堂には、重要文化財となる本尊薬師如来をはじめ、50余体の仏像が安置されていて、さながら「曼陀羅」の世界観を形作っているともいう。
    又、国分寺と周防総社(佐波神社)の南、東西を貫く古山陽道に接して建物こそ現存しないが国衙跡が残り、この地が古代の都の中心であったことが観えてくる。
    証拠に、防府の町並みが国府跡を中心に、碁盤の目のような条里制の区画であることも伺える。 
    他の国府跡が多くは不明となっている中で、ほぼ往時の姿で残っている理由としては、周防国は奈良・東大寺の知行国となったために、東大寺から役人(目代僧)が派遣され政治を執り、近世になっても東大寺領として治外法権的地位を維持できたからともいう。 

    今、平成9年から平成16年までの8年間に及んだ金堂の「平成大修理」を終え、周防国分寺の歴史が再び歩み始めたという。
    この近辺には、毛利庭園や防府天満宮といった歴史的名所が点在する。

    次は「山口」です




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    2011年03月21日 11時01分29秒

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    日本周遊紀行(100)岩国 「錦帯橋」

    『東日本大震災』に遭われた被災者の皆さんに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 微少微力ながら援助は惜しみませんので、一日も早い安らぎと回復をお祈りいたします。
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    日本周遊紀行(100)岩国 「錦帯橋」   、  





    新装成った名橋・「錦帯橋」



    有名な「錦帯橋」は近年の平成年間、橋体部分の架け替え工事で新調された・・、

    窓の下、ガラス戸越に、ひっきりなしに車の騒音、特に大型トラックの騒音は地響きを発して部屋を揺らしながら通り過ぎる、まんじりとも出来ない。 
    ここは宮島口、桟橋から、ほんの僅か、「宮島Y・H」(ユースホステル)の宿舎である、天下の国道2号線が真下を通っていた。

    昨夜は「養老の滝」で一杯やりながら食事をしたが、些か飲み過ぎたせいと旅の疲れも手伝ってか、宿に戻ってからは直に就寝してしまった。 
    騒音で気がついたのは午前2時を回っていた頃で、それ以来騒音に悩まされた。おまけに、蚊のブーンという羽音が時折顔をかすめて、マンジリとも出来ずに眼が覚めてしまったようだ。 午前5時であった、車の騒音は益々激しくなり、遂に、我慢がならず起き上がって、目覚まし代わりに近くへ散歩に出かけた。

    昨日、世話になった宮島口の桟橋へ出かけてみた。
    宮島への一番船は6時頃であるから未だ閑散としている。 
    昨日は慌しくて気が付かなかったが、すぐ隣に広島電鉄宮島線の「宮島駅」が在った。
    その奥、海岸沿いには大きめの駐車場も在り、岸壁では早釣り人が糸を垂れている。

    少しスッキリしたところで宿へ戻り、身支度をし裏口よりソッと出達した、むろん宿賃は昨日の内、清算済みである。 
    やはり国道2号線は、阪神地方、広島方面へのトラックが多く目立つ。
    これから向かう逆方向の下関方面はさほどでもなく助かる。大竹市内の街道へ来たとき「吉野屋」が目に付いたので、早速、朝食にあり付いた。小生お馴染みで好物の「朝定」である。
    ご飯に味噌汁、納豆、卵、海苔、漬物に薬味と合わせて370円は有り難く、大満足で吉野家様々であった。


    大竹の市街を抜け小瀬川を渡ると、ここは既に本州最西端の長州・山口県である。
    本州の果てだというのに江戸幕府を転覆させ、近代明治以降、初代の伊藤博文以来7人の総理大臣を輩出している。
    更に遡れば、中世(戦国期)には毛利元就を輩出し、そして、この山口県を形造ったといってもよいだろう。

    この毛利家の大元は、小生の住む相模の国「厚木・毛利の庄」から転封・移住していった事は余り知られていない。 
    又、小生の故郷、出身県の福島(会津)とは大変な因縁で、いまだに確執が続いているという。
    このことは後に記すとして、いずれにしても「山口」とは只ならぬ県であることは事実のようである。


    先ず、その歴史と名勝の「岩国」へ向かう。 

    岩国の埠頭を左に見ながら国道2号線は市の郊外を行くと間もなく自然豊かな錦川の袂へ出る、川岸を少し戻るとあの「錦帯橋」であった。 
    川向こうには、新緑に包まれた急峻な「横山」が居座って、山頂に岩国城(要害山・横山城)の華麗な姿が白く光る。
    この要害山・横山をグルッと巻くように錦川の清流が勢いよくキラメキ流れてる。 
    この要害山城内の大手門筋と錦川を挟んでの城下町とを結んで掛かる橋が、日本三名橋・三奇橋と言われる「錦帯橋」である。

    山頂に遠く鮮明に光る要害山・岩国城は、1601年(慶長6年・江戸開府時)より7年がかりで吉川広家(きっかわひろいえ)が築いたお城である。 
    岩国藩主・広家は、毛利元就・「三本の矢」で知られる長男隆元、次男吉川元春、三男小早川隆景の内の元春の三男で、元就の孫に当る。 
    広家は、勇将で知られた父や兄と違って知将であり、秀吉もその手腕を高く評価していた。
    秀吉亡き後の関ケ原の戦いの時、広家は豊臣方に勝ち目がないと見て、密かに手をまわし取引をした。
    戦わない(西軍には付かない)ことを条件に毛利氏の中国八ヵ国の領土安泰を保証するという約束を家康にしたのである。

    結果は、広家は戦わず西軍が勝利を収めたが、毛利氏の当主であった毛利輝元が西軍の総大将に担ぎ出されていたため家康の怒りをかい、本領安堵を反故(ほご)にし改易を命じた。 
    広家はこれを不服とし抗議、直訴し、どうにかこれが認められて領国・岩国三万石の所領が安堵された。 

    しかし、毛利家中では裏切り者扱いをされ、その扱いは幕末まで解消されることはなく、岩国藩も藩ではなく、あくまでも吉川家は長州藩主・毛利家の陪臣として扱われた。 
    この直訴によって三万石の所領を持ちながら、広家は諸侯として扱われず、これに対して不平不満を一切言わず、父・元春や毛利家のために忠節を尽くす。 

    二代広正、三代広嘉のときから本藩復帰を切望し、強く本家の萩藩に「昇格」を願い出たが聞き届けられず、それが実現したのは幕府が倒れた後の明治元年(1868年)であったという。
    錦帯橋」は、こんなお家の事情の最中に二代目広正、三代目広嘉によって建造が始まるのである。 


    江戸期、長州(周防・長門、毛利氏の藩領)にかけられた主な橋は本藩・萩の橋本大橋、松本橋、そして岩国の錦帯橋だという。 
    この三つをくらべると、橋本橋、松本橋の長さがいずれも80メートル前後であるのに対し、錦帯橋は当時200メートルという桁はずれに長い橋であった。

    岩国川(錦川)に最初に橋をかけたのは吉川家二代の広正である。
    数次、数回にもおよぶ架橋であったが、その都度大水によって流されてしまい、三代の広嘉によって何とかして流れない橋をと自から工夫して遂に成功させたという。
    これには甲州(山梨県)大月にある「猿橋」(日本三奇橋)と中国の西湖にかかる橋(その名も錦帯橋)を参考にしたと言われ、石組みをした橋脚にゆるやかな五連のアーチを描く名橋・錦帯橋が誕生した。 
    全長 200m、幅 5m、橋台の高さは 6.6m 、一本の釘も使われず、巻金とカスガイで組み上げられている。 

    二半世紀にわたる吉川家の大名昇格運動の情熱が、そのままこの橋の建造架橋にも注がれ、天下に誇る名橋と同時に、吉川家の名声を世に示したものと言える。美しい五つの弧を描く錦帯橋は「大名への夢の橋」、「 虹の架け橋」だったのかもしれない。



    現、平成期、五連の中央アーチ部分が、50年に一度の「平成の架け替え」の大工事がおこなわれた。
    平成13年11月に着手、総事業費は、架け替え工事が見学できる迂回路の仮設道路の設置費を含め、約26億円の費用が嵩んだという。
    渇水期の冬季11月〜3月に現地での作業が行われ、中央部、横山側部、岩国側部を経て平成16年3月に新しい「錦帯橋」が誕生している。 
    真新しい木肌が光る錦帯橋は、周りの景色に溶け込んで調和と優雅な姿を余すことなく表している。
    因みに、材料、使用箇所、産地は次のようである。
    マツは橋桁、梁で新潟、山形、福島産。 
    ヒノキは敷板、段板、高欄で長野(木曽)産。 ケヤキは橋桁、敷梁で岐阜、島根、山口産。 ヒバは橋杭、貫で青森(下北)産。 クリは桁、梁の雨覆いで新潟、山口産。
    カシは太柄で山口産。


    橋の端に「名勝 錦帯橋 内務省」と石碑が在った。
    橋の袂に近づいて見るとさすがに、デカイ・・!、大波の様なアップダウンがあるから、向こう側から来る人は橋板の上にまず頭から見えてきて、「谷」に入ると下半身から見えなくなって、やがて全身が消えてしまうほどである。 
    静かに歩を進め、弧の天辺に立つと、これまた絶景で、川面を眺めると静かな水面でカモが羽をつくろっていた。


    色々と説はあるが・・、
    『日本三名橋』:お江戸・「日本橋」、岩国・「錦帯橋」、長崎・「めがね橋」
    『日本三奇矯』:岩国・「錦帯橋」、甲斐大月・「猿橋」、四国・祖谷地方の「かずら橋」とも言われる。


    名橋・「錦帯橋」を堪能して次の行程へと進行しよう。
    国道188の海岸線を行く、しかし、この通路は間違いであった。
    丁度、今時分は通勤、通学の時間帯であり、周辺に側要路が無いことから上下線とも大渋滞であった。
    ノロノロ進みながら、岩国市の南端に当る山陽本線「通津駅」辺りから内陸へ向かった、県道149号線から大原のR437を横切って更に県68号を行く。 
    今までの渋滞が嘘のように、立派な舗装道路を快適に飛ばす。 緑濃い田舎の道で、「目に青葉・・・」を満喫しながら、やがて山陽道を真近に見ながら徳山の郊外に達したようである。

    尤も徳山といっても、今は地域名で、行政名は「周南市」と称しているようである。一昨年、2003年(平成15年)徳山市、新南陽市、熊毛町及び鹿野町が合併して誕生している。

    戦国期の元就の時代、中国地方全域に覇権をほこった毛利氏も、関が原以降の江戸期になると周防・長門の2つの国に封じられている。 今のの山口県である。 
    この県の東南部地域を指すとき「周防の国の南」、一般に周南地域、「周南」と呼ばれていたようである。 昨今の合併で、平仮名文字や意味不明の地域名が新しく誕生している中、新市名で「周南市」としたのは、さすがに歴史を重んじる地柄であると納得であった。


    戦前は、旧徳山市沿岸地区には海軍燃料廠があり、その縁で石油精製関係の産業の呼び水になった。 
    戦後、周南地域では徳山曹達、出光興産をはじめとする、石油化学コンビナートが発達し、関西地区でも有数の一大工業地帯となった。

    又、ふぐの水揚げ量は、全国の80%が下関であるが、ふぐの延縄(はえなわ)漁法発祥地は旧徳山市の粭島(すくもじま)であると言うわれる。
    島という地名ながら、大華山(362m)のある半島(大島半島・・?)であった。
    大島の先端につながったその最南端部は、笠戸島を含む大小の島々の域で、この周南海域は隠れた「ふぐ」の本場としても知られる。 河豚は、ここでも「福」につながるようにと濁音を使わず、「ふく」と発音しているのは周知である。

    次回は、昔の首都・「防府





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    2011年03月20日 09時49分46秒

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    日本周遊紀行(99)宮島 「世界遺産・厳島神社」

    『東日本大震災』に遭われた被災者の皆さんに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 微少微力ながら援助は惜しみませんので、一日も早い安らぎと回復をお祈りいたします。
    周辺の温泉地において、被災者に温かい温泉を提供してやって下さい。 所謂弱者・・?、高齢者所帯、乳幼児のいる所帯には短期間でもいいから極力空部屋(特に公共宿泊施設)を貸してやって下さい。 政府、官公庁、地方の公の機関はこれらを調整、斡旋、資金等のバックアップしてやって下さい。  
    東北の温泉愛好者、東北出身(いわき)の小生




     日本周遊紀行(99)宮島 「世界遺産・厳島神社」   、







    国宝・世界遺産「厳島神社」、裏の山脈は弥山(みせん・530m)




    日本三景の真価は、弥山頂上の眺めにあり・・!、

    日本三景の一つ「厳島」(宮島)は、厳島神社を中心とした島全体をいい、世界遺産にも登録されている。

    世界遺産について・・、
    日本三景は他に天橋立(京都府宮津市にある砂嘴)と松島(宮城県松島町を中心とした多島海)があるのは周知であるが、この二箇所いずれも世界遺産登録に動いたが、現時点では「厳島神社」以外は登録に至っていない。 

    厳島神社」が世界遺産に指定されたその基準として、厳島神社の歴史的社殿群が周囲の環境と一体となった景観を呈し、又、その後の日本人の美意識の一基準である精神文化の重要な資産となっていることが条件にもなっている。 
    建築物は、日本に現存する社殿建築の中でも、平安時代の古い形態の「寝殿造り」の様式を踏襲する重要な見本であり、又、厳島神社は、神道、仏教との所謂、神仏混交と分離の形態が良く現存していること等が理由としている。 

    そして、平成8年12月、「厳島神社」が、正式に世界文化遺産として登録された。 
    登録された区域は、社殿を中心とする厳島神社と、前面の海および背後の弥山原始林(天然記念物)の森林を含む区域で厳島全島の約14パーセントを占めるという。 
    登録された遺産のうち、厳島神社の本社本殿・弊殿・拝殿等の建築物、大鳥居・五重塔・多宝塔建造物群、それにバッファゾーン(緩衝地帯)と言われる「厳島全域」を指している。

    社宮の南側、弥山の山麓に厳島神社の別当寺としてそれまで祭祀を行っていた厳島の総本坊「大聖院」(真言宗御室派仁和寺)が在り、ここより「弥山」の頂上への登山道が開かれている。 
    斜面は、温暖帯の天然記念物の弥山原始林が広がる。弥山は古来より神聖な地域で、人間が自然の力に浸る修行の道場として考えられた。
    そのために、乱りに樹木を切ることをせず、天然の姿を今に残すことが出来たという。 

    弥山に登らずして、宮島を論ずる勿れ」と云われるらしい・・!、又、「日本三景の一の真価は、弥山頂上の眺めにあり」ともいわれている。

    「弥山」は、宮島最高峰の山で海抜530m、頂上の展望台からは瀬戸内海が絶佳一望できる。山頂には大小様々な奇岩怪石が散在し、これに応呼するように806年弘法大師(空海)が開基した真言密教の道場・「弥山本堂」や、その他の伽藍が並ぶ。 

    特に「霊火堂」(不消霊火堂)は開祖以来、凡そ1200年間途絶えることなく燃え続けている弘法大師の「消えずの火」が灯っているという。 
    この火を採って、かつては八幡製鉄所の種火や広島の平和公園の「平和の灯」が点じられたという。

    ところがである、本年(平成17年)5月5日、ゴールデンウイーク真っ最中の午後、失火で本堂が全焼してしまったそうだ。 しかし幸いなことに「消えずの火」は、いち早く僧侶が、ろうそくに移して無事だったという。


    因みに、最澄(さいちょう・空海と同時期に入唐した高僧、天台宗の始祖)が創建した延暦寺の総本堂である「根本中堂」の本尊、薬師如来像の前には「不滅の法灯」(消えずの火)が開山以来1200年にわたり灯され続けている。

    その弥山には登らなかったが、神社そのものの余りの美事さに感服しながら帰路に就いた。
    途中、宮島名物「紅葉饅頭」を自己土産に買った。

    次回は、岩国・「錦帯橋」 




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    2011年03月19日 14時30分10秒

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    日本周遊紀行(99)宮島 「厳島神社」

    『東日本大震災』に遭われた被災者の皆さんに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 微少微力ながら援助は惜しみませんので、一日も早い安らぎと回復をお祈りいたします。
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     日本周遊紀行(99)宮島 「厳島神社」   、




    海上に悠然と立つ「厳島神社」大鳥居





    厳島神社が海上に建つ訳は・・、(往時は神域のため島内に人は住まず、神官も対岸から島を拝していたという


    呉の港から、南下すること5〜6kmの南端に「音戸の瀬戸」がある。 
    ここに倉橋島への瀬戸大橋が架かり、更に、能美島への早瀬大橋から江田島へ到る。 つまり江田島へは実質的には車を使えば陸続きで行ける。 
    音戸の瀬戸は、呉市と音戸町の間にある全長1km、最小幅100m余りの水路で、ここは1日500隻以上の通過船がある重要行路でもある。 
    音戸かわいや 音戸の瀬戸で 一丈五尺の 櫓がしわる」と唄われたほど、潮の流れが速く、古来難所と言われた。 

    音戸大橋の下には、今もなお、小さな渡し舟が激しい潮の中を行き来しているという。 
    瀬戸は、大昔は干潮時になると陸地に成る浅瀬であったが、約800年も前の平安期、平清盛が厳島神社造営、参詣のために難工事で開削したと伝えられる。 
    音戸町役場の前の岩礁に「平清盛の塚」があるという。   

    音戸の舟歌』 広島県民謡

    (アードッコイドッコイ)
    ヤーレーノ船頭可愛いや
    音戸の瀬戸でヨー 

    (アードッコイドッコイ)
    一丈五尺の ヤーレノ
    艪がしわるヨー 

    (アードッコイドッコイ)
     ※以下 掛け声同様
    ヤーレーノ安芸の宮島 
    廻れば七里ヨー 
    浦は七浦ヤーレノ 
    七恵比寿ヨー




    その「安芸の宮島」は、江田島の西方に浮かぶ。
    平清盛が築いたといわれる安芸の宮島・厳島神社へ急ぐ。
    山陽本線の宮島口、国道2号線のすぐ前に連絡線(フェリー)の船着場がある。 
    JR連絡船、松大汽船の両船会社が旅客、フェリーとも頻繁に運行し、数分間隔で凡そ10分の短時間で宮島桟橋へ誘導してくれる、片道170円は安い・・?。 

    連絡船は、宮島のシンボルとも言える海上に浮かぶ朱色の鳥居の正面にて、ほんの一時ではあるが停泊してくれる。
    特にガイドはされないが、無言の案内をしてくれるのは有り難い。 
    紺碧の海面に新緑の宮島・弥山(みせん)をバックに、毅然と立つ大鳥居は華麗であり豪華である。 
    高さ16m、柱の周囲10mの大鳥居は拝殿から約200mの海上浮かんでいる。 
    鳥居は楠の自然木で、その重みで海中に立っているといい、今のは明治8年(1875)に建てられたものだという。


    本日は、気温が27度と暑い日和であるが、海の冷風に煽られて清々しい。
    海上約1kmに厳島があり、桟橋を下りると「歓迎、宮島町」と書かれた巨大な石灯篭と野生の「宮島鹿」が迎えてくれた。 
    参道は御土産屋が軒を連ねる商店街の表参道と海岸参道の両方が在るようだが、景色を眺めながらの海岸コースを行く。 
    日本三景碑を見ながら、松林に囲まれた鳥居をくぐると、素晴らしい景観が眼前に広がる。 島の華麗なる歴史的産物と天然自然のコントラストが実にいい・・!!。

    島は周囲28km、北東から南西に延びた長形で、島の中央に542mの最高峰の御山が聳えている、御山は弥山(みせん・・と呼ぶ)とも書く。 
    御笠浜という海岸歩道の先端まで来ると、右に海中の大鳥居、左に海に浮かぶ荘厳華麗な大社殿の厳島神社が見渡せた。 

    黒褐色の桧皮葺の切り妻屋根と深紅の造棟は、承知はしていたが実際、目の当たりにして、さすがにその威容さを知り感服し、圧倒された。 
    時は干潮時であろうか、付近は砂浜の海底をのぞかせ、鳥居の下部は黒模様の海跡が見られる。

    入拝所の朱色の柱には「国宝 厳島神社」と墨色で記されてあった。
    本殿、弊殿、拝殿、祓殿と、その前には舞楽を演奏する高舞台がある。
    そこを東西あわせて約300mの回廊が結んでいる。 
    昨年、平成16年9月7日の台風18号では国宝・左楽房の倒壊や桧皮葺の本殿屋根、社殿回廊の床の破損など大被害を受けた。
    それらは今も修繕工事中で、その爪痕は残っているが、着々と修復は進んでいるようである。 
    回廊を渡って本殿正面に出る、一段と大きい中央回廊が青銅の灯篭を挟んで海原へ延びている、ここは確かに「」の通り道に相応しい・・!。


    厳島神社の社殿は593年(推古天皇即位元年)に創建されたと伝えられる。 
    古来から神の降臨する「神の島」として島全体が人々の信仰の対象であり、清浄な場所として崇めれていた。 
    往年、島内に人は住まず、神官も対岸から島を拝していたという。

    社殿が、海水のさしひき(干満)する所に建てられているのもそのためであり、海上に浮かぶ大鳥居もそのためであった。
    宮島には中世以降人家が建てられたが耕作をしない、死者を埋葬しない風習は現在も守られているという。

    大神は古くは九州・宗像神社(筑前国宗像郡玄海町・宗像三女神、筑紫の海上交通の神)の流れを汲む伊都伎嶋(いつきしま)神社ともいい、また厳島大明神とも称した。市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)の女神三神を主祭神としている。


    厳島神社が、平氏崇敬を受けて平氏の氏神となった経緯には、当時の大神主の様々な働きかけがあったといわれる。 
    平家隆盛時、清盛によって造営された社殿は厳島にある本宮(内宮)・本殿以下37棟、対岸の地御前にある外宮が本殿以下19棟を数え、全て完成するまでに数年が費やされたといわれる。 
    社殿造営は寝殿造り(平安時代貴族の邸宅建築、現在の京都御所がその一例)の建築様式を巧みに取り入れ、美と調和を創造した日本に残された最も優秀美な建築物と言える。
    特に本殿は繊細かつ華麗な切妻両流造りで、平安の風格をよく再現している。

    厳島神社は、元々は日宋貿易航路の守護神でもあったという。 
    瀬戸内へ筑紫の国・太宰府から宋人を招聘する一方、平家一門や皇族・貴族の厳島参詣は年々頻繁になり、このための海上ルートがそのまま宋貿易へのルートとなっていったという。 
    神社へ貴人の参詣が頻繁になるにつれて、社内の拡大、整備が一段とされるに至ったという。

    次回は、世界遺産・「厳島神社




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