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  • from: orimasa2007さん

    2011年06月30日 10時06分09秒

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    日本周遊紀行(145)薩摩 「島津氏」

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     日本周遊紀行(145)薩摩 「島津氏」   ,



    以外だった、島津氏と堺商人の関係・・

    400年前天下分け目といわれた「関が原」に、東西合わせて17万余の大軍が対峙した。
    そして、慶長5年9月(西暦1600年10月)、遂に戦線の発端が開かれた。 

    諸端の開戦からしばらくは西軍有利の状態が続いたが、突然の小早川秀秋の東軍・徳川方への寝返りによって形勢が一気に逆転し東軍が優勢になった。 

    西軍は一斉に退却を始め、その西軍の中に薩摩軍の島津義弘がいた。 
    屈強で知られる島津軍であるが未だ一発の銃砲も打たなかった、それは国元が「中立」を決め込んで援軍をよこさなかったためともいわれる。 

    西軍総勢が退却する中、凡そ1000人の島津軍は突然、前へと突撃を始めた。 敵将・徳川家康の本陣を突くためにである。 
    東軍本陣がたじろぐスキに、島津軍はそのまま伊勢路から甲賀へと退却する。

    東軍も激しく追撃して殿軍(しんがりぐん)との戦いとなり、滋賀の信楽(しがらき)から奈良を抜け堺に辿り着いた時は、主従は80人に減っていたという。 

    堺衆は義弘を匿い、その間に船や食料を調達して島津軍はようやく薩摩へ脱出した。 

    帰国後、薩摩は軍備を強化し徳川方の来襲に備えたが、家康は攻めてこなかった。 
    それは薩摩の巧妙な外交もあったが、家康は島津軍を極度に恐れたからであるという。 
    退却の最中でも1000人が80人になるまで奮戦し、その強固な軍武魂は既に天下に知れ渡り、家康はそれを恐れたともいわれる。



    戦後の始末において・・、

    西軍の首謀者や各武将は捕縛されて斬首されたり、領地の召し上げや減封が行はれたが、島津氏は西軍の中で例外的に薩摩、大隈、日向の領地をほぼ現状維持で安堵されたという。 
    その後の薩摩は2百数十年に亘り藩を改革し、近代化し、国力を蓄えた。
    それが、明治維新の原動力となったことは言うまでもなく、維新という日本史上最大の改革の源流は関が原そして「」に有ったとも云われる。


    その堺と薩摩の繋がりは鎌倉期から有ったとされる。
    通説では源頼朝の御落胤とされる薩摩家初代の忠久は、大阪の住吉に生まれているという。 

    堺の商人はこの住吉大社に参詣して忠久とは浅からぬ因縁があり、忠久の二代目・忠時は住吉地域の地頭を勤めたことも記されているという。 
    又、室町期、堺の商人達は紀伊水道から土佐沖、南九州をして琉球にまで交易を発展させていた。 室町幕府は琉球貿易の管理を島津氏に任せたため、堺と薩摩は強く結びついていたとも言われる。 
    現在の堺衆も「明治維新は薩摩をして、堺からはじまったんどっせ・・」と言うそうである。
    そして、遂に江戸末期、文明開花の為に薩摩隼人は動くのである。


    その薩摩・鹿児島で最も尊敬されている人物といえば、やはり「西郷隆盛」であろう。 
    土佐の坂本竜馬もそうだが、特に、地元鹿児島では西郷隆盛の悪口を言うのはタブーとされ、西郷といえば質実剛健で骨太、頑固で気性の荒い豪傑で、理屈を言わず即実行に移す行動派というイメージがある。 

    薩摩隼人は薩摩人の気質であり西郷隆盛そのものでもあるといい、男は「薩摩隼人」、女は「薩摩おごじょ」と称される。

    古代より紛争が絶えなかった薩摩地方で、特にこの隼人、国分はその頃の城跡や隼人塚をはじめ、多くの古墳や遺跡が残っていると云われる。 
    そんな中、隼人町の「隼人塚」は隼人の多くの亡霊が人民に祟りをすると恐れられ、其の霊を慰める為に造られた供養の塚だという。

    今日(こんにち)の世代になっても薩摩隼人は、熊襲、隼人族の古代より脈々とした闘争的血脈が流れているといえる。 
    もっとも、実際の西郷隆盛は一般に伝えられているイメージのような人物ではなかったという説もあるし、「いまどき薩摩隼人なんて・・・」という声がないこともない。 
    しかし、特に男の場合(薩摩隼人・薩摩人)は、最近多くなった都会的な軟弱派とは一線を画しているのは事実であるという。


    薩摩・藩島津氏の旗印は、「丸に十の字」として有名であるが、この旗印や紋は、隼人「隼」の字から、上の「隹」を取って「十」を表したと言う説もある 。

    蛇足ながら、現在の「日の丸」の旗が正式に採用されたのは、薩摩藩主・島津斉彬(しまずなりあきら)によるものと言われる。 
    斉彬が船舶の建造申請を行ったときに日本船の総印として、白い帆に太陽を象徴した白地に朱色の日の丸の使用を求め、日の丸を日本全体の総印とするように進言し、これにより幕府もその必要性を認めて承認したという。 

    斉彬は我が郷土の日向(ひむか)の国、日出ずる国を想定して決めたものと思われる。


    次回は、「桜島




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    2011年06月29日 09時32分13秒

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    日本周遊紀行(144)隼人 「薩摩隼人」

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      日本周遊紀行(144)隼人 「薩摩隼人」  ,



    薩摩地方は、中央政府(権力者)との抗争が古代より近代に至るまで変わらない・・!

    西暦645年の「大化の改新」の後、中央政府は土地私有を禁じ、地方豪族の所有する土地や人を開放して中央政府の管理下に置くとした。 
    所謂、「公地公民制度・班田収授制度」というものを採用する。 

    班田収授法(田畑への租税)とは土地制度と税の仕組みのことで、日本の律令制の根幹制度の一つであり、概ね、租税として田から採れた稲の約3%を収めることとした。

    大和朝廷と隼人族との戦いは、蝦夷のアイヌの抗争と同様、西南端においての稲作奨励の戦いでもあり、制度を設けて稲作による米の収税を行うのが主目的であった。
    又、北方民族と南方系の人種との争いでもあった。

    結果的に、大和朝廷は隼人族を滅ぼすのに数十年の時間が掛かることになるが、降伏条件として、交代で一定人数が中央政府の雑役に服す義務を課せられ、大和朝廷の門衛や行列の供人、兵士といった役務に就いている。 

    又、土地制度による納税義務を果たせない農民たちは中央政府の衛士(兵隊)など、労働力で補うようになっていた。 
    こうして、隼人族は大和民族と次第に“同化”してゆくことになるのである。 

    この時期、朝廷等に仕えることになったのをきっかけに多数の隼人族(大隈隼人)が近畿地方に移住していたという。
    これらの隼人族を「畿内隼人」と称し、丹波、近江、大和の国に移住したといわれ、特に、大隈隼人の移住の地は山城国綴喜郡大住郷(京都府京田辺市大住)で、大隈隼人が移住し荘の名を付けて「大住」としている。


    然るに現在、北海道でアイヌ民族は存在するが、隼人民族は存在しないという。
    (元々、隼人族と大和族は同一民族という見方もあるが・・、)


    因みに、班田収授制度はやがて鹿児島県だけでなく九州全体に広がり、当時の名残の院や別府といった地名が多く見られるようになる。
    又、班田収授制度に拘束されない開墾田はやがて荘園の発達へと繋がっていくことになる。


    律令国家である朝廷を中心とする安定した平安期も、中期には東国では「平将門の乱」が起こり、将門謀反の報はただちに京都にもたらされる。
    また同時期に西国では「藤原純友の乱」の報告もあり、中央政府軍対地方反乱軍の武士団間の抗争が起こって朝廷側は驚愕する。 

    この頃より律令制度の崩壊が起こりはじめ、武士団が台頭するようになり、中でも平忠常の乱が起こって源頼信が平定するという、源平両氏の兵(つわもの)が歴史の表舞台に現れることになる。 

    その後、平安末期には保元や平治の乱が起こり、源氏(源義朝)や平家(平清盛)の武士団が台頭し、貴族中心の社会が目に見えて衰退してゆくことになる。


    九州・薩摩地方でも平安末期の源平の争いでは平氏側の薩摩は苦杯をなめ、新興・源頼朝の「鎌倉」の勢力下に入る。 
    この時、日向・薩摩地方は、鎌倉より派遣された「島津氏」によって支配されることになる。(詳細は後報) 


    島津氏は、室町期は中央の南北朝の動乱に巻き込まれ、戦国期は豊臣秀吉軍と地元で直接対峙するが、講和して領土は安堵されている。 
    しかし、関が原では西軍に組して徳川家康と対立し、敗戦の憂き目を見るが、その後、徳川家康と硬軟とりまぜての交渉で薩摩藩・本領(77万石)は辛うじて安堵される。 
    関が原での島津兵の剛強ぶりを知る家康は無理押しして内政が混乱することを恐れ、島津とは妥協したとされる。 

    比較して・・、毛利藩の10州から2州への減封に比べると島津の本領安堵は大成功であり、それにしても、凄まじい島津の戦いぶりに家康は驚くばかりであったという。 
    しかしこの為、江戸期においては勃興する江戸・徳川政権下、薩摩は忍従の時代を強いられるのである。 

    しかし「薩摩隼人」は、この忍従の時代を経て江戸末期には、遂に日本国の中枢に躍り出ることになる・・!!。 

    薩摩地方は、こうした中央政府(権力者)との抗争が古代より近代に至るまで変わることはなかったのである。

    薩摩地方、薩摩隼人そして島津氏については、この後、おいおいと述べます・・!。


    次回は、「薩摩・島津氏




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    2011年06月25日 11時04分48秒

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    日本周遊紀行(144)隼人 「熊襲と隼人」

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     日本周遊紀行(144)隼人 「熊襲と隼人」   .




    神話と歴史の主要地、大隈隼人の「隼人」とは・・、

    霧島神宮を後にして、国分、隼人方面に下る。
    この地方は名称からして、往時の薩摩地方の中枢部といえるのではないか・・? 
    西の川内から入来、姶良、牧園、霧島、そして、この地の隼人、国分、都城、西都、日南、その他の周辺地域も古代日本の歴史が表舞台に現われている地域でもある。


    古代の九州の南部地方は「日向の国」(ひむか、ひゅうが)と言われて「日向:ひゅうが」、「薩摩:さつま」、「大隅:おおすみ]の三つに分けられたは、律令国家が成立した奈良朝以降のことである。 

    この隼人、国分は薩摩(地域)半島と大隈(地域)半島との付け根、中間に位置しているが、どちらかと云えば大隅地域に属している。 


    この地に「大隅隼人」という人種が根拠を持っていて、これらの部族を「隼人族」とも称している。 

    古代の隼人族は北方系の民族であるとか、沖縄経由の南方ルートからやって来た(隼人・ハヤヒトのハヤはハエ・南風で東南アジア方面を指すとも、国分市上野原遺跡〉民族と関係があるとか伝説、史実入り混じり諸説あるようだ。 

    又、この辺り「熊襲」という名も目に付く。 
    熊襲(くまそ)とは、日本の記紀神話に登場する一族名で、南九州に本拠地を構え、ヤマト王権に抵抗した一族名であろうが、地域名をも意味するとされる語でもある。 
    日本書紀には「熊襲」と表記され、古事記には「熊曾」と表記されてるという。


    有史の初めのころは熊本の南部の広い地区を「球磨」と呼び、現在の宮崎県の日南海岸から鹿児島県大隅半島の志布志湾以北を「曽於」とよび、総称として球磨と曽からいつの時代からか熊襲と呼ぶようになったとされている。 
    その熊襲が、隼人のルーツであり対象ともされるともいわれる。


    熊襲というと、北海道・東北の蝦夷(エミシ)を連想する・・?。 
    蝦夷については、アイヌ民族とのかかわりで歴史上の様々なできごと、とりわけ何世紀にもわたるヤマト政権つまり天皇制国家との紛争を通してある程度のイメージを描くことできる。 

    これはアイヌ文化と伝来の弥生文化(稲作における)の抗争でもあるとされるが、しかし熊襲・隼人は、蝦夷にくらべて早いうちからその独自な人間集団としての存在を失い、まったく過去の存在となってしまっていた。 


    一般に、蝦夷地は日本古来のアイヌ民族の地であり、大和朝廷に属さない東北以北の原住民であったが、朝廷に服属した後は俘囚(朝廷の支配下に入り、一般農民の生活に同化した蝦夷・アイヌで、同化の程度の浅いものは夷俘・イフと呼んで区別)と呼ばれた。 

    熊襲は隼人族の地であり朝廷に属さない南九州の原住民であったが、朝廷に服属した後は熊襲とは言わず隼人と呼んだようである。 

    いずれにしても熊襲、蝦夷の共通するのは縄文期における日本の原住民であったことである。 


    西日本は大陸人(いわゆる弥生渡来人系)による開発が早くから進んだため「熊襲」は、ほぼ7世紀頃までに駆逐され、その頃の弥生人の武勇伝が古事記に盛んに記録されている。 
    しかし、東日本は8世紀はおろか10世紀頃になっても、まだまだ未開地(朝廷の統一国家以前)が多く、そのため縄文人の駆逐が遅れ、弥生人の進出が出来なかったことから古事記などの記録には東日本はあまり登場しない。 

    古事記に東日本があまり出てこないからといって、東日本に人が住んで無かったわけではなく、多数の縄文人の天国だったからである。 
    ただ、「蝦夷」というのは当時(14世紀以前)は東北に限定されていたのではなく、中部山岳を挟んで東日本全域が蝦夷だったとも言われる。 


    熊襲や隼人についての一般的な文献も、蝦夷に比べて目にすることが少ないと言われ、目下、調査、研究がなされているという。

    ただ、熊襲つまり隼人族は、現在の薩摩隼人に繋がっていることは確かで、熊襲につながる地名として、現在も肥後国球磨郡、大隅国贈於郡が残されている。 



    2005年7月には曽於郡の末吉町、財部町、大隅町が合併し「曽於市」(そおし)が誕生している。 
    この三町は、古代から熊襲(曽・くまそ)と呼ばれた人々が住む曽の国であって、「曽於」の名は昔から人々に親しまれているとし、この歴史ある地名を後世に残したい願いが込められて付されに違いない。



    古代大和朝廷の起源は不透明ながら、「 大和朝廷や天皇家の起源は百済人の子孫である 」と言うのはほぼ定説となっていて記・紀等にも記述がある。 つまり北方系の人種といえる。 

    渡来人である新進大和族は、鉄器文明や稲作文化を同時に北九州地域に上陸させている。

    やがて、中央(畿内)に拠点を得た大和朝廷は中央集権化を計るが、九州南部の地・熊襲・隼人族は大和の中央政府に対する抵抗を繰り返す。 

    記・紀の中では日本武尊(ヤマトタケル)が九州南部の熊襲を攻めた話は有名であるが、史実においても大和朝廷に刃向ったことは知られている。 

    この時、隼人は大隅・日向(当時は“ひむか”とも称した)に7ヶ所の城をかまえて抗戦し、国府などを襲撃したりするが、この時、万葉集で有名な歌人・大伴旅人が率いる大和朝廷の遠征軍に敗れている。 

    更に、大宰府の反乱(朝廷の中枢にいた藤原広嗣・ひろつぐが大宰府に格下げ左遷され、広嗣は大宰府の手勢や隼人などを加えて朝廷に対し反乱を起こす)のときも、中央政府軍に鎮圧されている。

    初め隼人のゲリラ戦法に手を焼き、激しい戦いが1年数ヶ月も繰り広げられたが、兵器と兵力に勝る政府軍によって敗れ去っている。
    この時の犠牲者は1000人以上の隼人たちが首を切られたり、多くの者が捕虜になったという記録も残っているという。

    奈良時代も半ばになり、大和朝廷による支配力が強まってくると隼人族の抵抗は弱まり、隼人の国も分裂し、隼人の族長の中には県主(あがたぬし・大和朝廷時代の県の支配者、当時の大県や小県)や国造(くにのみやつこ・「国の御奴」の意、古代一郡の地方長官)になる者もいて、こうして隼人の国は大和朝廷の支配、構造の中に取り込まれてゆくことになる。


    次回は、更に「薩摩隼人




    『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真関係)
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    2011年06月21日 13時26分53秒

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    日本周遊紀行(143)霧島 「高千穂」

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     日本周遊紀行(143)霧島 「高千穂」   、





    写真:霧島山系の「高千穂峰」(手前は御鉢)



    煌びやかに佇む「霧島神宮」



    高千穂峰への「天孫降臨」について・・、

    古事記も日本書紀も、葦原中国(アシハラノナカツクニ)が平定された後に、ニニギノミコトが三種の神器を授けられ、神々を率いて降臨したと書かれてている。 
    その場所においては、いずれもの記・紀にも「日向の高千穂の峰」と記されているが・・?。

    しかし、降臨の場所についての記述は、解釈によって一定ではないとも言われる。 
    ともあれ「神話」が語られていくとき、その時代設定や背景は明らかに稲作が展開する弥生時代を想定、意識して書かれているともいう。 


    高天原でのスサノオの乱暴な行動の中に、田の畦を踏み壊したり、田に水を引く溝を埋めたりすることが出てくる。 
    ニニギにつては先に記したが、その名はアマツヒコホノニニギノミコトという。アマツヒコは天津神の子の意味であるが、ホノニニギは稲穂が豊かに実ったことを意味しているとされ、高千穂に降臨する神話は、豊かに実っそた稲を高く積んだところに穀霊を象徴する神が降臨することを意味しているという。


    神話の中のニニギは、高千穂に降臨した後、不毛のやせた土地から平地を拓き、太陽の輝く土地にしたとされている。
    そして、大山祇(オオヤマズミ)の娘の木花咲耶(コノハナサクヤ)に出会い、その出会いの神話を伝えているのが木花神社(宮崎市)であり都萬神社(つまじんじゃ、西都市)であるという。 
    どちらの社宮も付近から高千穂峰を遠望することができ、神話は、自然の景観と一体になって語られているのである。



    その霧島山系一帯は古代から山岳信仰の対象となっており、中世においては修験道の霊山であった。
    10世紀中頃に性空(しょうくう・平安中期の天台宗の僧)が修行に訪れ、山中の様々な場所に分散していた自然、山岳信仰を天台修験の体系としてまとめ、霧島六社権現(宮崎県と鹿児島県の県境にある霧島山の周辺にある以下の六つの権現寺社の総称)として整備した。
    しかし、各寺院は明治の廃仏毀釈で霧島六社宮(筆頭が霧島神宮:当時の別当院は「華林寺」・・、等々)で統一され、いずれの社宮も日本神話に記される日向三代(ニニギの他、ホデミ、ウガヤフキアエズの三代、おいおい記載します)の神々が祀られている。



    神々の秀峰を見ずして帰還するのは無念であるが、自然の営みも神の成せる業で致し方なく戻りことにする。 
    丸尾の観光協会で適当な「立寄り湯」を案内して頂いた。
    小さな部屋の事務所に三十半ばの面長美人・・?が独特の香化の香りを漂わせながら、親切に語って呉れる。 

    「こちら、初めてですか・・?」、 
    「初めても、初めてで九州自体がお初ですよ・・、日本一周の途中で・・・」、 
    「わあ・・、いいなあ・・」

    案内図を見ながらお互い頭を寄せ合い、会話の中の笑顔の様子にも世俗的な色香を感じたのであった。 
    何か得した様な気分で事務者を出、角のファミリマートで若干の食料を調達して案内の「関原温泉」へ向かう。 
    温泉場は少し行った右手に、先ず鉱泉販売所とした在った。

    関平温泉は1832年、原田丑太郎という武士が霧島山南麓の国有林の渓谷内で発見し、以来こんこんと湧き続けているという。 
    ミネラルを多量に含んでいるので、浴用だけでなく飲用にも適しているといい、「健康の水」としても販売されているようである。 麓にある佐藤酒造という造り酒屋は、関平名水仕込で醸造しているとか。 
    霧島温泉郷に来て温泉に浸からない手は無い・・!。

    その裏手を100メートルほど行くと関平温泉の共同湯がある。 
    浴室は、大きな窓で明るく石張りの浴槽が2つあり、ここの温泉は別々の源泉2ヶ所からお湯をひいていて、関平温泉と「新床温泉」と称していて、二つの湯を楽しむことができる。 

    浴室の中に入ると、新床温泉の湯船の方が関平温泉の湯船より大きく、主客転倒といった感じもする。 
    どちらの湯船も石造りで、新床温泉の湯はちょっと黄みがかった透明であるが、関平温泉の湯は無色透明である。 
    どちらの湯も癖が無く、これといった特徴もなかったような気もするが泉質は単純泉、効能は胃腸病、皮膚病、等々に良いという。



    面長美人を想いながら国道223から霧島六社権現の一つ、「霧島神宮」へ向かった。
    国道より離れた専用道路らしき車道を進むと立派な駐車場があり、鬱蒼とした緑陰に囲まれた参道と石段を登ると壮大で壮麗な社殿が現れた。 

    広い敷地と樹齢何百年という巨木な杉に守られた緑豊な境内で、後には高千穂峰を従える。 霧島神宮は、多くの神社が一種古色蒼然とした「枯れた」印象を持つのに対して、唐様式の朱の色華が「西の日光」とも称せられており、絢爛たる朱塗の本殿、拝殿、登廊下、勅使殿等の配置も妙を得ている。
    華麗な美しさを醸し出しす、この神社の主祭神は既に述べている「ニニギノミコト」を祀っている。

    社務所の近く参道正面に「龍馬とお龍」と像がある。 
    龍馬夫妻は1866年(慶応2年3月)、高千穂登山をし、その日の宿泊地に「華林寺泊」と道中記に記載してある。
    先にも記したが、華林寺は当時霧島六社権現の一つであり、霧島神宮の神宮寺(別当寺)であったので同一と見なされていたのである。

    社宮は、奈良期・六世紀頃に造られたとされているが、霧島山の大噴火による火災などで数回焼失し、1715年、時の藩主・島津吉貴公の寄進によって建てられたのが現在の社殿といわれる。 創建当時は高千穂峰の西麓の「高千穂河原」付近にあったのが、焼失と再建を繰り返して今の場所に再建されているという。 
    煌びやかな霧島神宮は、平成元年5月19日、国の重要文化財に指定されている。


    霧島神宮の直ぐ東側から霧島道路が山麓づたいに周遊していて、その途中に高千穂河原があり、チョット賑やかな山麓登山基地でビジターセンターなどもある。
    この地が、かつての霧島神宮の所在地であり、今は古宮址として現存している。 
    ここから見上げると、赤褐色の登山路から火口御鉢(おはち)やその奥に三角錐の高千穂峰が雄大に聳え立っている。

    いかにも神話の伝説を秘めた天の逆鉾が立つ高千穂峰の霊峰にふさわしく屹立している。

    次回は、「隼人




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  • from: orimasa2007さん

    2011年06月20日 10時09分01秒

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    日本周遊紀行(143)霧島 「韓国岳」

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     日本周遊紀行(143)霧島 「韓国岳」   、



    渡来人の故郷の山・霧島山系・「韓国岳」(からくにだけ)とは・・ 、

    国道223号線は小鳥のさえずりが聞こえそうな森の中を走る一本道で、つい止まって大きく深呼吸をしたくなるような快適な道路である。 
    それもその筈で、この道は基本的には霧島山系の観光ルートであり、全体的に路面は走り易く良好なのは当然でもあった。 

    屈曲を繰り返しながら高度をかせぎ、「まほろばの里」や緑の中に「国民休暇村」などを見過ごして、丸尾地区という霧島温泉郷の中心・・?へ来た。 
    霧島探勝の好基地になっているようである。


    霧島国際ホテルの白亜の建物を左に見ながら、「えびの高原」への標識に従って、霧島山系の中枢部を目指してみた。 
    道路沿いには既に霧島温泉の源泉が噴出し出し、道端に「立入禁止」の表札もある。 
    そこは集湯施設であり、噴煙の合間に縦横に延びている配管施設でもあった。

    次には、硫黄谷温泉とあって、巨大なリゾートホテルの様な霧島ホテルがあった。
    ホテルの敷地内に20ヶ所以上の泉源があり、そこから湧き出る膨大な量の温泉はすべて自噴しているとのこと。

    案内によると霧島山系の中腹に位置する一軒宿の温泉ホテルで、このホテルのユニークさは自前で発電能力をもち、ホテルの電気を賄っているらしい。 
    自噴の温泉井、温泉熱を利用して設置された地熱発電所で、その時、蒸気分離器で分離された熱水は温泉としてそのまま利用しているという。

    その温泉は千人が一度に入浴できるという庭園大浴場や巨大な体育館のような施設の中には自噴泉の大浴槽を中心に10を超える大小様々な風呂があって、しかもこれらは混浴であるとか。 
    湯質は単純酸性硫黄泉・54度、明ばん泉・50度、鉄泉・62度、塩類泉・49度とあった。 入浴料は1000円とあり家族一同、行楽で一日中利用することが出来そうである。 
    ただ、一人身の旅の途中の“おっさん”には、どうも向いてないようである。

    更に霧島山を目指したが、既に、濛々たる霧のガスが吹き上げてきていて視界は全く効かない、つまりホワイトアウトである。
    仕方なしに戻ることにした、残念である。 



    ところで、九重山系に九重山という山は無い様に、こちら霧島山には霧島山という山はなく韓国岳、獅子戸岳、新燃岳、中岳、高千穂峰などの総称で、所謂、霧島山系である。

    標高1700mの韓国岳がその主峰であり、韓国岳は「からくにだけ」と読み、天気が良い日は頂上から韓国が見える・・?(実際は見えるわけない)ぐらい眺めが良いので名付けられたという。


    実際、この山の名前の由来については・?、
    古代、朝鮮半島からの渡来系(百済系統)の人々が豊前の国の宇佐に大量に入り込んできたとされる。 
    その後、8世紀始め頃、宇佐の稲積から現在の国分隼人(霧島市)を中心に移住してきた人達がいて、この地の郷名を稲積郷、豊国郷と名付けて住みついたといわれる。

    国分隼人から見える霧島連山の秀麗な山々の姿が、故国(朝鮮半島)の山々を連想させるものであったろうし、彼らは、この霧島連山最高峰の山に故国への追慕を寄せて、「韓の国」を起想しながら「韓国岳」と表記したのではないかと推測される。
    又、その氏神に現在の霧島市国分に「韓国宇豆峯神社」と名づけて鎮座させ総鎮守としたという。 

    宇豆峯神社の宇豆はウズと読み、これは明らかに「太秦・ウズマサ」のウズを意味しているといい、峯は韓国岳を現している。 
    太秦は朝鮮から渡来した秦氏(はだし・百済から帰化した中国系住民)の居住した地域をいい、有名な京都の映画村「太秦」がそうである。 
    その人たちの大半はそのまま大隅に住み着いたと言われ、そして示すように、この地域は日本で最初に「漢字」が使われた可能性もあるという。



    可憐でも、その広がりは天空の絨毯と称せられる「ミヤマキリシマ」は、今は濃霧にかき消されて一望だに出来ない。ミヤマキリシマは「深山霧島」のことで、この地からその名が付いたことは周知である。

    鹿児島・宮崎両県にまだかる霧島連山は、古代より信仰の対象として崇拝されてきた山々で、その秀麗な姿は全国でもまれに見る美しさといい、日本で最初に国立公園に指定されている。 
    1934年(昭和9年3月)、「霧島国立公園」として日本で最初の国立公園に指定されたが、その後、1964年(昭和39年)には錦江湾(桜島)と屋久島が「霧島屋久国立公園」として追加指定されている。


    霧の街・都城市から霧島連山を見ると霧に浮かぶ島々を連想させる。 
    霧島」の名前は霧に浮かぶ島から命名されたと言われている。
    霧島は当然活火山であり、新燃岳は昭和34年に噴火し、お鉢から今も噴煙が活発に上がってる。 

    尚、霧島屋久国立公園のうち「屋久島」は、九州最高峰の宮之浦岳(みやのうらだけ、1935m 九州最高峰、日本100名山:)や縄文杉をはじめとする熱帯植物相や希少な動物が見られ、自然環境の特異性、重要性から、平成5年12月に世界遺産条約に基づく「世界遺産」として登録されている。


    霧島山系の東南に位置する秀麗な山「高千穂峰」は標高1594mで、連山とされているが遠方から眺めると独立峰の山容にも見える。 
    中央に高く角錐の頂が見え、その左右に一段下がって肩を張ったように稜線が際立ち、やがて雄大な裾を引く秀麗な山で、お馴染み古事記、日本書紀にも出て来る「天孫降臨」の山地であり、この山は裾野から見てもその優美さは見飽きないという。

    高千穂峰は、二つの寄生火山といわれる二ツ石と御鉢(おはち)を従え天に立ち、山頂にはニニギノミコトが降臨した際、逆さに突きたてたという鉾「天の逆鉾(あまのさかほこ)」(鉄あるいは銅製、長さ138cm、周囲26cm霧島東神社の社宝)が立てられており、日本の創始の地である事を物語っているとされている。 

    ご当地出身の歴代の力士の四股名「逆鉾」は、“天の逆鉾”から名付けたものであり、最近では井筒部屋所属の元力士で、本名が福薗 好昭が井筒部屋の親方となって後進の指導に当たっている。実弟に「寺尾」がいて、年寄・錣山(しころやま)として部屋の指導にあたっているのは周知である。

    次回は、霧島・「高千穂




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    「北海道・知床」 http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/siretoko1.htm
    「白神山地」 http://orimasa2005.web.fc2.com/ss-1.htm
    「紀伊山地の霊場と参詣道」 http://orimasa2005.web.fc2.com/nk-1.htm
    「安芸の宮島・厳島神社」 http://orimasa2005.web.fc2.com/itukusima1.htm
    「石見銀山遺跡とその文化的景観」 http://orimasa2005.web.fc2.com/ig-1.htm

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    「北海道道北旅行」 http://outdoor.geocities.jp/orimasa2007/hakkaido1.htm 
    「北海道旅行2005」 http://outdoor.geocities.jp/orimasa2007/hokkaidou2005.htm 
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    《 山歩の記録 》
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    「立山・剣岳(1971年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/turugi1.htm 
    「白馬連峰登頂記(2004)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/hakuba-1.htm 
    「上高地・明神(2008年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/myuojin.htm
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    2011年06月19日 10時48分12秒

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    日本周遊紀行(142)牧園 「竜馬と清麻呂」

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     日本周遊紀行(142)牧園 「竜馬と清麻呂」   、



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    写真:塩浸温泉に立つ「龍馬夫婦の新婚像」




    「牧園」は、日本人で初めて「龍馬とお龍」の新婚旅行の地、そして「和気の湯」とは・・!  、

    街中の川内駅前を通って串木野方面へ。 
    串木野の町・「いちき串木野市」は、2005年10月11日に串木野市と市来町が新設合併して発足した新市名である。 
    尚、六文字の市名は国内最長であり、茨城県「かすみがうら市」、同県の「つくばみらい市」と並ぶといい、更に、漢字と平文字の組み合わさった地域名は珍しいのでは・・?。


    串木野町の南端から近年開通した南九州道へ乗る。 
    鹿児島で九州道とI・Cで直結しているものと思ったが、そうではなく一旦一般道・国道3号線へ出て、その後、九州道へ乗るようである、どうして直結しないのか不思議な気もした。 走行中、錦江湾に浮かぶ「桜島」を始めて見たが、特に途中の「桜島SA」からの眺めは圧巻であり、遂に鹿児島まで来たんだなーという実感が沸々と湧くのを覚える。 

    この後、一先ず高千穂でも有名な霧島山系・温泉郷へ向かいことにする。

    加治木JCTを北上して鹿児島空港I・Cで下り、広大な空港の北端から県道56号を右折して霧島方面へ向う。 
    空港北端の平地部より山間の低地を下ると清流・嘉例川(かれいがわ)の袂をローカル豊かな肥薩線が走っている。 
    肥薩線(鹿児島本線)は熊本県の「八代」を起点に、あの球磨川に沿って人吉まで走り、さらに山間をぬって鹿児島県の錦江湾に臨む「隼人」に至る全区間非電化のローカル線である。 

    車社会の到来とともにローカル線が次々と廃止されるなかで、どうにか生き延びてきた路線であろうか、直ぐ先に「嘉例川駅舎」があった。 
    木造瓦屋根の鄙びた駅舎は100年以上の歴史を刻み、スタルジックでどこかに温かみを残し、人々の静かな人気を集めているという。 
    天井が高く、漆喰壁の待合室には嘉例川駅で撮影された竹下景子や桃井かおりの出演のポスターが貼られ、又、黒木瞳が嘉例川駅を訪れるシーンがあった。

    トンネルを潜ると間もなく国道へ出た、「天降川」(あもりがわ)といかにも意味ありげな名称の清涼な河川が流れる、なんでも天降川の名称は、その水源が天孫降臨説話において天孫天降の地とされる霧島山にあることに由来するともいう。 

    左折して天降川の支流をゆっくり上ると、高原の町「牧園町」のいかにも牧歌的な町名に至った、町名からして「牧場の園」である。


    霧島山系の山麓に位置するが、町域は北東部の霧島温泉郷、霧島連山の韓国岳、大浪池、新燃岳、中岳、高千穂峰などの霧島火山群が含まれる大町域でもある。 
    歴史的にも太古の昔、縄文時代前期、中期の土器、石器が発掘されていて、これは今から7千年も前この地に人類が生存していたことを証するものよいう。 
    後には、この山野は勇猛果敢な熊襲族の活躍した舞台であったということが幾多の伝説からも知られている。 

    又、牧園町は、島津氏の領地下になる(1562年)まで幾多の変遷を経ながらも、近世の初めごろから明治の町村制実施までは「踊郷」という珍しい地域名称で呼ばれていたという。 
    踊(おどり)郷は踊馬といわれる良馬の産地であったともいい、やはり牧園町であった。



    合流した国道223号のところに塩浸温泉があり、「坂本龍馬新婚湯治の地」という看板が立つ。 
    ご存知竜馬は、慶応2年1月23日に京都の寺田屋に潜伏していたところを襲われ、辛くも一命を取り留めたが、その後、薩摩藩に庇護されつつ西郷隆盛に勧められ、3月10日に薩摩の地に入ったとされている。
    そして、この地の温泉に浸かり傷を癒していたと言われている。 

    龍馬とお龍」は秀麗な霧島山の登山や温泉を楽しみながら、暫しこの鄙びた温泉宿で幕末の動乱から離れ、二人だけの世界に遊んだのであった。 
    龍馬とお龍は、新婚旅行をした初めての日本人としても知られているが、その新婚旅行先がここ塩浸温泉だったのである。


    坂本龍馬の「寺田屋事件」は、慶応2年(1866)1月23日薩長同盟の締結した翌々日に、薩摩藩士を装い宿泊していた龍馬を、伏見奉行配下の捕り方が寺田屋を急襲する。 
    異変にいち早く気づいた婚約者のお龍は、入浴中にも関われず素っ裸に近い状態のままで裏階段より龍馬たちに急を知らせ、龍馬は所持したピストルを利用して多数の捕り方相手に大乱闘となり、手傷を負いながらも屋根伝いに逃げ川端の材木屋に隠れた。 
    その知らせを聞いた薩摩藩邸では濠川(ほりかわ)沿いに舟を出し、龍馬を援護すると共に救助して伏見薩摩藩邸に匿っている。

    それを聞き及んだ幕府の伏見奉行所側は再三にわたり、伏見薩摩藩邸に龍馬の引き渡しを要求したが、これを「知らぬ、存ぜぬ」で押し通し、龍馬たちの鹿児島への脱出の機会を窺わせた。


    その後、龍馬とお龍は西郷隆盛の援護を受けて、鹿児島へと旅に立つ。
    龍馬は襲撃で負った刀傷を霧島の温泉で治すなど、激動する時代やその後に起きる悲劇の狭間で、お龍と二人で水入らずの一時を鹿児島で過ごすことになる。

    尚、寺田屋はもう一つの事件(薩摩藩の内紛)があった。これは薩摩藩士の急進派とこれを鎮圧する体制派の薩摩藩主(島津久光)側との内紛であり、龍馬の事件と併せて歴史上の重要な二つの事件が発生している。 
    いずれも薩摩が絡んでいるのでチョット混同しやすい。



    牧園町の国道223号線沿い近くには、更に安楽温泉、妙見温泉と鄙びた温泉郷があり、その妙見温泉の一つに「和気の湯」という森と清流に囲まれた風流な露天風呂が在る。 

    こちらは貴人・和気清麻呂が浸かった湯とも言われ、その名が付いているらしい。
    日本でも一番古い露天風呂だそうで、坂本龍馬も新婚旅行の際、この湯に浸かったともいう。 
    こんなに歴史のある和気の湯であるが、このすぐ近くに一寸地味ではあるが「和気神社」と呼ばれている社もある。 因みに、この神社に沿う道を「龍馬ハネムーンロード」とも言う。


    和気清麻呂に関しては山陽・岡山和気町の項で述べたが、冤罪でこの地の大隈・牧園の地に流罪になっているのである。 
    清麻呂は岡山・和気町の出身で、奈良期から平安期の転換期、朝廷にて桓武天皇の信任厚く活躍した人物であり、この時期、「道鏡事件」という天皇継承問題という重大事件が発生する。

    道鏡事件とは称徳天皇(女性)の寵愛を受けていた僧・道鏡が、天皇を利用して政界に入り法王、更には最高権力の太政大臣にまで昇りつめ、最後には天皇の位を望むようになる。 

    奈良後期の769年、豊前国の宇佐八幡宮の宮司が朝廷に「道鏡を天皇の位につければ天下は太平となる」というお告げ(神託)をもたらしたと天皇に告げる。 
    しかし、このことは道鏡の偽装工作によるものであるが、それでも天皇は驚き、神意を確かめるために勅使として清麻呂が選ばれ、九州に下り宇佐八幡宮にこもって新たに御神託を得る。 
    それによると「 皇位は神武天皇以来からその皇孫(皇男子)が受け継ぐべきものであり、皇孫でないものが皇位を継ぐことはならない 」と切り捨てている。 
    道鏡のいう内容とは真っ向からに反対し、道鏡の野望を阻むという事件である。 

    和気清麻呂はこの神託事件で称徳天皇や道鏡の怒りをかい一時、大隅の牧園の地に配流の身となるのである。 
    称徳天皇が崩御し、次に桓武天皇が即位すると道鏡は失脚し、大隅国に遠島されていた清麻呂は京に戻されて復権する。 

    その後の清麻呂は側近として各種事業を行い、如いては平安京遷都にも尽力する。 
    清麻呂が「平安遷都」の立案者であったことは史上有名であり、京都・神護寺は平安京遷都を祝って清麻呂が建立したものという。


    明治期には「皇位を守った」として護王神社にまつられ、東京にある皇居の庭園には「銅像」が建てられている。 

    この万世一系の思想は(継承権は永遠に同一の系統がつづくこと、多くは皇統についていわれる)清麻呂が英断をもって発起したもので、皇室・天皇の継承問題を明確化したものであった。その意味で、「道鏡事件」は日本の皇室・天皇継承の歴史において大きな危機だった。

    事件を教訓に朝廷はその後、皇位継承について一段と正統たる「男系」の原則を守るようになり、女系どころか江戸時代初期の明正天皇まで、女性天皇は900年近く実現していないし、それは現代にまで受け継がれている。

    昭和憲法下でも皇位継承は世襲のものであって、皇室典範によって細かく定められている。
    皇室典範第1条では「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する」と記され、現代では清麻呂の思想以上に具体的であるといわれる。今、皇位継承で女性天皇が取沙汰されているが、如何なものかと新たな問題提起もある。

    尚、当時、秦氏系統・辛島氏の本拠がこの地に在ったとされる。 
    秦氏は中国・秦の始皇帝の末裔だとされ、辛島氏は豊前・宇佐神宮を本拠としていた。 
    和気清麻呂がこの地に配流されたとき、影で支えたのが辛島氏であり、清麻呂が豊前の宇佐に参り、さらに大隈のこの地に配流された背景は辛島氏との繋がりが有り、更に辛島氏の援護、協力で、この地の開拓、開発をしたともされている。

    牧園町は、和気清麻呂の出身地である岡山県和気町と姉妹都市提携をしている。

    次回は、「霧島




    『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真関係)
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  • from: orimasa2007さん

    2011年06月18日 14時05分55秒

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    日本周遊紀行(141)川内  「川内川」

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     日本周遊紀行(141)川内  「川内川」  .



    古代・薩摩の政事、文化の発祥は「川内川」から始まった・・!  。

    川内」はその昔、薩摩国府が置かれ、国分寺が建立された南九州の政治・経済・文化の中心として栄えた歴史的な街でもある。

    神代の御陵地から国道、肥後おれんじ鉄道と新幹線に挟まれた地域に川内市国分寺町が在る。
    実際の国分寺跡が整然と整備されて、「国分寺跡史跡公園」は国の史跡にされている。


    聖武天皇が741年に国状不安を鎮撫するために各国に国分尼寺とともに建立を命じた寺院の1つであり、国府のそばに置かれた。
    多くの場合、国庁とともにその国の最大の建築物であった。 

    薩摩国分寺の創建の時期を明らかにするものは残っていないが、奈良期(710〜784年)後期ごろと推定されている。
    当時の仏教文化のシンボルとなるもので薩摩の国では、国府の置かれたこの川内川に隣接して置かれていて、主要な伽藍は基壇・中門・回廊・築地・通路・水路など発掘調査結果に基づいて復元されているという。 
    尚、薩摩国分寺は平安時代に1回、鎌倉時代に1回再建されたことが発掘調査で確認されている。

    鎌倉時代以降次第に国府の勢力が減退するにつれて、国分寺も衰え、南北朝の時(1300年代)に衰減したと伝えられているが、薩摩国分寺は豊臣秀吉が九州に侵攻し、(天正14年:1586年)川内で島津と戦った際焼き払われたとあり、建立以来少なくとも800年の間は寺が存在したことになる。


    ところで日本中の何れの国府もそうであるが、薩摩の国府も国分寺に隣接していると想定されているが、まだ確とした遺構は発見されていないという。
    ただ、川内川を挟んだ地域に展開していたようで、墨書土器や戯画が描かれた土師器(古代、素焼きの土器)などが現在の「川内中央中学校」近辺から発見されているという。


    平安期の頃、各地の国府に地方長官として中央(都・京都府)から派遣・赴任させていたが、薩摩の国司は、天平8年(764)から薩摩守として万葉歌人として有名な「大伴家持」(おおとものやかもち)が赴任していた。
    そして、この役所(国府)で政務を執ったとされるが、薩摩守時代の歌人としての家持の歌は一首も伝えられていないという。



    鎌倉幕府成立にともない薩摩、大隅、日向三カ国を「島津忠久」と名乗る武人が勢力を蓄え守護に任命、赴任されてきている。 

    忠久は頼朝(庶子:正妻ではない女性の子)の子とされ、初代薩摩の領主(藩主)であった。
    一の宮・新田神社の総代・執印氏(しゅういん)と薩摩国分寺の留守職・国分氏、そして薩摩藩主・島津氏は同族であったとされ、中世の薩摩の政事や新田神社、国分寺の活動の様子が「薩摩の古文書」に、文書でのやりとりや行き来があったと伝承され残されているという。



    国道3号線沿い川内川手前に「泰平寺」がある。 
    創建は国分寺より古く、1300年も前の和銅元年( 708)に創建されたと歴史は刻み、薩摩屈指の古刹とされる。 
    薩摩国の中心都市、川内(千台)の地に、女帝・元明天皇の即位と共に出された勅願により「天下泰平・万民豊楽」を祈願して建立されたという。 

    又、この寺院は戦国期に豊臣秀吉の九州平定の本陣となり、ここで島津義久との和睦の会見が行なわれたことは有名である。

    豊臣秀吉は、天下統一のため九州平定を決意し出兵する。
    関白職に就任後の天正13年(1585年)10月2日、勅諚をもって薩摩の島津義久・島津義弘兄弟に豊後の大友氏との和平を勧告したが、しかし義久は応ぜず秀吉は翌14年10月、日向・肥後の両面より豊後に進撃する。 

    秀吉の動員総兵力は25万ともいわれ、30万人分の兵糧1年分、馬2万頭の飼料1年分を調達したという。 
    先陣の宇喜多秀家に続き、羽柴秀長以下の諸将も順次征途についき、秀吉自身は3月1日に大阪城を出発し、水俣から水路、薩摩の出水に上陸し、5月3日川内の泰平寺に本営を設けた。 
    秀長から義久の無条件降伏を知らされた秀吉は、この日に泰平寺にて義久と接見し、これを認めて義久に薩摩、義弘に大隅を安堵したという。 

    直後、秀吉は「小田原征伐」に続いて「奥州平定」を果たし、名実共に豊臣政権の日本全国完全平定が実現した。



    国道3号線を南へくだると、川内川に架かる太平橋を渡る。
    滔々(とうとう)として川幅いっぱいに流れる清流・川内川は九州の三大長流の一つで、熊本県南端、九州山地の白髪岳を水源にしてる。 
    川内市を中心とする川内平野を造り、平野は河口より10km以上の奥まで広がっている。 
    古代、南九州の文化の流入はこの川から齎されたとされる。


    新田神社から南へ真すぐ延びる参道は、川内川に突きあたる。
    つまり、交差する地点にあって古来より海、山、河、平地の生産物資の集散地として、川内川の水運が利用されていたことを物語っている。 

    北隣の南北に長い東郷町の中心部は川内川に面していて、国道267号沿いには舟倉地区という地名も在り、今でも「舟倉通り」を歩行者天国にして東郷特産の手づくり品の「市」が並ぶという。
    地名から察しても水運の中継拠点として発達したことが判る。  


    2004年10月12日 東郷町、樋脇町(ひわきちょう)、入来町、祁答院町(けどいんちょう)、甑島(こしきしま)4町村と合併、新市名「薩摩川内市」となっている。

    次回は、「牧園



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    2011年06月17日 10時39分29秒

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    日本周遊紀行(141)川内 「神代三代」

    .



     日本周遊紀行(141)川内 「神代三代」   、




    神武天皇の親代(祖代)である「神代三代」について・・、

    鹿児島県内には神代の国の神々を祭る三つの神代の皇帝(神代三代)の塚墓稜がある、これを「神代三山陵」という。
    一つは川内の「可愛山陵(えのさんりょう)」のことであった。


    二つ目は「高屋山陵」で火出見(ホデミ)尊の陵といい、高千穂の西、高屋の山の上に祀られている。
    現所在地は姶良郡溝辺町麓(2005年11月7日、国分市および姶良郡内5町と合併して霧島市となる)、九州自動車道の鹿児島I・Cの北方約2km、高速道と国道504号線の間に在る。

    尊は伝承に名高い「山幸彦」のことで、神代三代の二代目で人皇第一代神武天皇の祖父にあたるとされる。
    今でも陵の地名を神在りの丘、或いは神割の丘と呼び、地元民の崇拝を受けている。 

    徳川時代が終わりを告げ、王政復古が達成されると、明治2年より翌3年にかけて陵墓の確認調査、発掘が行われ、明治7年の太政官布告により宮内省の管理に移された。 

    明治5年、明治天皇が遙拝されたのをはじめ歴代天皇、皇族方の参拝が相次いでなされている。
    尊の皇霊は鹿児島神宮(霧島市:旧隼人町にある神社・大隅国一宮)に祀られている。


    三つ目は「吾平山上陵」(あいらさんりょう)といい、火出見尊(ホデミ・山幸彦)の子、即ち初代神武天皇の父にあたるとされる鵜草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)の霊稜である。 

    大隈半島の南部、吾平町の姶良川のたもとに抱かれ、静寂な池を配した森の中に鎮霊されている。
    吾平町は「あいらちょう」と呼び、近くを流れる姶良川は「あいらがわ」と称している。 

    高屋山陵の地は半島付け根の姶良郡(姶良町もある)にあり、地名が共通することから、やはり神々の奇縁があるのか・・?。 

    尚、神武天皇の妃(きさき・妻)は吾平津姫(アヒラツヒメ)と称している。 


    「ウガヤフキアエズ」の誕生地は、宮崎県日南海岸に位置する「鵜戸神宮」(後訪する予定)海辺の渚で生まれたという説があり、目立たないながらも皇祖神の系譜の正統に位置する神である。 

    吾平山上陵は全国でも珍しい岩屋の陵である。
    ウガヤフキアエズは父のホデミのあとを受けて高千穂宮に入り崩御の後、鵜戸山の「日向・姶良山稜」に祀られた。 これが即ち吾平山稜である。


    昭和10年11月昭和天皇が御親拝になり、昭和37年 5月には皇太子(今上天皇)、同妃殿下が御参拝されている。 

    歌碑に・・、

    『 みささぎの 御前に渡せる 丸木橋 
              踏み行くほどは 神代なりけり 


    と詠まれている。



    天皇家代々の歴代の中で、最初の代は神武天皇(歴史書に登場する最初の天皇であるが、神話、伝説上の天皇ともされる)であるが、その先代に属するのが、「神代三代」と言われる神々であるとされてる。 

    神代一代目は天津日高彦瓊瓊杵尊(アマツヒタカヒコニニギノミコト、通称・ニニギ)、神代二代目は天津日高彦火火出見尊(アマツヒタカヒコホホデミノミコト、通称・ホデミ・山幸彦)、神代三代目は天津日高彦波瀲武鵜草葦不合尊(アマツヒタカヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト、通称・ウガヤフキアエズ)のことである。 

    つまり、天孫降臨の初代がニニギ⇒ホデミ(山幸彦)⇒ウガヤフキアエズ⇒ヤマトイワレヒコ(神武天皇)で、神武天皇の祖先が「神代三山陵」として祀られているのである。  
    ニニギが皇室の祖先である「天照大神」の孫であることから、天照大神は神武天皇より五代前の大祖先にあたると神話は伝えている。 


    因みに、神武天皇が即位した年月日は、紀元前660年2月11日に当たるとされ、これによって「2月11日」は日本が建国された日として、1873年(明治6年)に祭日(紀元節)と定められた。 
    紀元節は1948年(昭和23年)に廃止されたものの、1967年(昭和42年)には「建国記念の日」として祝日とされているのは周知である。

    次回は、古代・「薩摩文化」




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  • from: orimasa2007さん

    2011年06月16日 11時21分54秒

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    日本周遊紀行(141)川内 「新田神社」

    .


     日本周遊紀行(141)川内 「新田神社」   、





    写真:薩摩一宮「新田神社」



    隣接する「可愛陵墓」




    新田神社の祭神・瓊瓊杵命(ニニギノミコト)とは・・?

    夕べは久しくマイカーでの泊まりとなった。 
    波の音を子守唄代わりに、「道の駅・阿久根」での休泊であった。

    駅は阿久根の国道3号線沿いにあり、周辺は阿久根県立自然公園、東シナ海を望めるすばらしい景観の場所である。 
    夜明け前の三時半頃小用で表へ出ると煌く星が輝いていて、今日も好天気を約束してくれる。何処へ向かうのであろうか、ざわつく渚の黒い彼方に仄かな(ほのかな)光が航行している。 
    時折、道端をガ-ッと音を発てて大型車が走り抜け、フッと現実に戻される。
    一寝入りして6時前には目が覚めてしまった、清々しい海の香を嗅ぎながら出発である。
    東シナ海の波濤と西方の砂浜の渚が対照的で良い、砂浜海岸から外れると今度は岩場の海岸連続する。
    この一角に「人形岩」という奇岩もあり、夕日が東シナ海に落ちていく時のシルエットは,絶景といわれている。海はあくまでも透明なエメラルド色で、実に綺麗であった。



    内陸に向かって間もなく川内である。 

    川内と書いてカワウチではなく“センダイ”と読むらしい。 
    ニニギノミコト」がこの地に皇居を定めるにあたり、千の台を作るように命じたという故事によるとされているとか。 

    古来は「仙台」、「千代」とも書かれたらしいが、現在の「川内」が定着したのは江戸時代中期以降であり、これは川内川と高城川の内側という意味でもあるという。



    その川内市街は未だ朝靄の中にあった。
    肥薩おれんじ鉄道の「上川内駅」の辺りは川内川と高城川が合流する扇状地に開けた地柄であり、ここに、こんもりと新緑に囲まれた亀山或いは亀神山という小山があり、こちらには「新田神社」という立派な社が鎮座していた。 

    通常、我々東国の人々は鎌倉時代末期、北条・鎌倉幕府を終焉に追い込んだ上野国(こうずけのくに:上州)の御家人・新田義貞(にった よしさだ)を思い起こすのであるが、特にこの新田氏とは関係はなさそうで、こちらは新田:しんでんの意味らしく、更に由緒と歴史が刻まれた神社であった。 


    新田神社は神亀山(高さ70m)の山頂にあって、「ニニギノミコト」を祀る神社であり、嘗て、薩摩国・一の宮として呼ばれた風格を今でも充分に残している。 
    そして隣接して「可愛山陵」(えのさんりょう)という「神代三山陵」の一つが祀られている。

    この山稜は明治7年7月にニニギノミコトの墳墓と指定され、宮内庁直轄で管理されているという。 
    普通、山稜というと山の稜線、山脈を表し、単に稜というと丘を表す。
    ここでの「」又は山稜は古くは「ミサザキ」(古代・平安期の頃まで)といって、天皇・皇后・皇太后・太皇太后などの墓所を意味する。 



    社殿に上る石段の途中には御神木のクスなど緑が茂り、緑陰をつくっている。
    新田神社は、今の平成・今上天皇と美智子妃殿下が結婚の報告と御参りのために訪れた神社でもあり、時の慶応大学学長であった今上天皇の皇太子時代の師父である小泉信三氏が日本の歴史を学び、訪問を勧めたという神社山稜でもある。 

    その御蔭と御利益で美智子妃殿下は2人の男子と1人の女子を授かったとされている。 
    今の皇太子と雅子妃殿下が二人で参拝されたら、もしかしたら後継の男子が授かり、幸せが起こるかも知れない・・?!。

    日本はそういう神道の歴史と伝統を内包している国なのである。
    新田神社や山稜は、日本の最初の神である「ニニギノミコト」を祭ってあり、お妃(キサキ)はコノハナサクヤ姫(富士山の霊神、浅間神社の主神)で、富士山の頂上に祭られている女神でもある。



    ところで、「ニニギノミコト」というのは、日本の古代史や神話伝説に興味のある方々は当然存知よりであろうが、我々、浅学の一般庶民にはチョット聞きなれない神ではなかろうか・・?、
    アマテラスやオオクニヌシ、山彦や海彦という名は神話でもお馴染みであるが。

    しかし、ニニギというのは日本国土へ最初に降りてこられた天下人(・・?神)であり、稲作を拓いた神でもあり、何より歴代天皇の古祖とされているのである。
    伊勢神宮に祀られているのがアマテラスで天皇の皇祖とされているが、アマテラスは神話上でも天上の神であり、実質、天下に降りてこられて日本の国を形造ったのはニニギなのである。

    尚且つ、天皇の古祖でもあるので、日本人には最も尊崇されて然るべき神なのである。

    古事記によると「ニニギノミコト」は皇室の祖先である天照大神・「アマテラスオオミカミ」の孫で、この国を豊かに治められるために地上に遣わされたとされている。 
    このニニギノミコトという神さまの本名がこれがまた長く、正式には「天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能瓊瓊杵命」(アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコト)という。 

    ニギシというのは豊かの意味で、天地の栄える様をあらわし、アマツヒコは日が空高く輝く意味、ヒコは神の子をあらわす名。ニニは丹にしてかつ赤し、は男子のことで、わかりやすく言えば“ 稲穂が豊かに実る国の壮健なる男子 ”というのが命名の由来という。 
    皇室の皇統としての男子誕生を祈願する理由がここにある。


    ニニギノミコトは、アマテラスオオミカミより高天原の稲を授かり葦原中国に住む人々、つまり日の本の人々の食べ物にするように命じた。
    つまり我々の祖先は稲作の起源を天孫降臨の神話によって語り継がれ、ここからも稲が日本人にとっていかに大切で神聖な食物であるかが伺えるのである。 
    新田神社の「新田」という名前には、ニニギノミコトが川内の地に川内川から水を引いて新し
    く田んぼをつくったという意味がこめられているといわれる。


    可愛山陵(えのさんりょう)はニニギの霊が眠る墓所である。 

    古事記の「天孫降臨」の項によれば『 ここに天津日子番能迩迩藝命に詔りたまひて、天の石位(いはくら)を離れ、天の八重たな雲を押し分けて、イツのチワキチワキて、天の浮橋にウキジマリタタシテて、竺紫の日向の高千穗のクジフルタケに天降り坐した 』、
    つまり、「御世、天照大神(女性)は瓊瓊杵(ニニギ)尊(孫)に地上世界を治めるように命じるとともに稲穂を与えた。
    瓊瓊杵尊は多くの部下を引き連れて高千穂峰に降りた。
    そして笠沙に宮を置いた」とある。そして、その後は尊は千個の岩(千台=川内)を使って可愛宮を造り死んだ後、この頂に祀られたのである。


    川内地方の言い伝えによれば、ニニギが高天原から高千穂に降臨したの後、千台(千個の城壁)を築いて皇居を造営された事から川内(せんだい)という地名が起こったとも言われている。 
    山稜はこの亀山の中央の一番高い所に方形墳の形で造営されている。 
    すなわちこの地が「可愛山陵」であり、御陵と壁一重の近くに尊(ミコト)の神霊を祀る新田神社がある。 

    更に尊の皇霊は、高千穂の麓の霧島神宮にも祀られている。


    一方、天孫降臨に関しては、日向(宮崎県)の人々から反論があるともいわれる。
    古事記によると、天孫(ニニギ)は高天ヶ原より「筑紫の日向の高千穂のくしふる峰」に降りてこられたと記され、日本書紀にはニニギノミコトが亡くなられたとき「筑紫の日向の可愛の山陵に葬りまつる」と記されていると言う。 

    初代・神武天皇の五代前の先祖というニニギノミコトは、日本が歴史を刻みはじめる前の神話の世界の神であり、御陵墓の存在は「伝説」の域を出ないものの、日向国臼杵郡長井村俵野門(現、北川町南部地域)に古墳があって、これがニニギノミコトお御陵に当るのは明らかであるというのである。 

    この地は以前は可愛村といい村の産土神(うぶすのかみ)である「可愛神社」(えのじんじゃ) には昔からニニギを祭っているというが・・?。 
    可愛村は今は俵野門と合併して北川町となり存在していない。 

    次回、皇祖・「神代三代





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  • from: orimasa2007さん

    2011年06月15日 08時51分07秒

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    日本周遊紀行(140)出水 「武家屋敷群」

    .



     日本周遊紀行(140)出水 「武家屋敷群」  ,





    写真:出水・石垣と緑に囲まれた「武家屋敷群」



    或る武家屋敷の屋敷門




    江戸時代にタイムスリップしたかの「出水麓武家屋敷群」
    ・・、

    薩摩街道(国道3号線)の熊本との国境を過ぎて間もなく、左折して内陸の出水地区へ向かう。
    「出水」(いずみ)の出水麓武家屋敷群を訪ねるためである。 

    市役所前を通って米ノ津川を渡ると間もなく武家屋敷群が現れ、出水小学校の前へでた。 

    門を見て驚いた。
    校舎は白の現代風コンクリ-トの建物であるが、校門は武家屋敷にある石垣の屋敷塀に堂々とした門構えなのである。 
    この学校の敷地は、克っては薩摩藩主・島津氏の宿泊所「御仮屋」がおかれ、その門は「御仮屋門」として今に残っているという。

    この一段高い位置の御仮屋の前面に、碁盤の目に区切られた「出水麓武家屋敷群」が広がっていて、生垣に米ノ津川の玉石を施した石垣、武家門、屋敷林の小路の風景が美事である。 
    其々の小路には名称が付き、御仮屋門(小学校)の前が最も広い通りで「仮屋馬場通り」といい、江戸の頃はここで乗馬の調練をしたという。 すぐ前に、武家屋敷として一般公開されている「竹添邸」がある。



    出水の武家屋敷群は、今から約400年前に30年程の歳月をかけて起伏の多い丘を整地し、道路を掘り、川石で石垣を築いて作られたという。
    武家屋敷群の街路は建設当時から改変されることがなく、屋敷群は今も住宅地として使われている。

    江戸時代、薩摩藩では鹿児島城を本城とし、地方行政組織として百余の外城(郷村)を各地に設け、外城の中心には(府元)を設けて地頭や家臣を住まわせ外城経営にあたらせたという。 
    出水麓は島津領の数ある外城のうち最古・最大の外城の中心地で、1600年頃から武家集団の移住を伴う大規模な整備が図られ、地頭が執務にあたった地頭館や島津氏の宿泊所であった御仮屋と一体となった武家屋敷群が出現した。

    道路に沿って石垣と生垣か連らなる優れた景観は、旧様態をよく伝えるものとして価値が高く、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。



    出水地方は、薩摩の中では国府が置かれた高城地方(現在の薩摩川内市)とともに最も早く拓けた地方といわれ、和名抄(平安中期に作られた辞書)にも薩摩国出水郡の地と記されている。

    江戸時代には薩摩藩に属し、特に出水郷の武士団は事実上の薩肥国境地帯の防衛・警備・関所の管理を任ぜされ、出水兵児(いずみへこ)とも呼ばれた。 

    当地区は、中世の戦国時代の山城であった「出水城」の麓の丘陵地帯を整地して作られた屋敷群で、出水郷に赴任してきた薩摩藩士の住宅兼陣地としての役目があった。 
    彼等、出水郷に住む武士団は薩摩武士には珍しく、粘り強く常に冷静実直な強兵であったと藩内でも高く評価されていた。
    特に、江戸期になってこの精神を請継ぎ、同地出身者は全国的に各方面で活躍する優秀な人材を多く輩出する事となる。

    武家屋敷とその街並みは、当時からの薩摩藩士の気風を今に伝えるかのように、古式整然として閑静な佇まいを感じさせる。
    国の保存地帯に選ばれているこの地区は面積約44ヘクタールの広さを有し、出水市指定文化財である出水仮屋門、武家門、石垣、生垣や竹添屋敷など4軒の建築物がある他、伝統的建造物として特定された建造物などがほぼ昔の姿で残っており、当時の面影を今に伝えている。



    さて、いよいよ夕刻も迫ってきた、今夜の宿も考えねばならない。 
    聞くところ、海岸沿いに阿久根という温泉が在るらしく、訪ねると「クアドーム阿久根」という温泉健康センターがあった。阿久根温泉は大丸・若松・常盤の三温泉の総称で、阿久根海岸をひかえた風光明媚な温泉郷であり、近くには戸柱公園や五色浜などの景勝地や阿久根大島などがあり入湯客も多いという。

    クアドーム阿久根は半島に突き出た長島町へ通じるT字路の先に在った。 
    比較的新しいモダンな建物で、玄関を入るとゆったり寛げるレストルームが結構広い。 浴室は明るく清潔感があり、半円形に配した浴槽に浸かる。お湯はアルカリ単純泉で、ややヌメリがある透明循環湯のようである。打たせ湯、サウナ、ラドン湯もあったが、何といっても露天風呂である、巨石を配した和風庭園にあって雰囲気も良い。

    次回は、川内・「新田神社




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    「西丹沢・檜洞丸(1970年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/hinokihora.htm
    「丹沢、山迷記(1970年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/sanmeiki.htm
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