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from: orimasa2007さん
2008年01月27日 12時25分42秒
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世界遺産と熊野地方(3) 南紀白浜・「千畳敷と三段壁」
三段壁と千畳敷(右)
世界遺産と熊野地方(3) 南紀白浜・「千畳敷と三段壁」
<font size="2" color="#0000FF">次に、白良浜とはうって変わったような真反対の風景が名物「千畳敷」や「三段壁」である。白浜半島・・?の最西端に位置していて、特異な岩盤海岸風景を呈している。
「千畳敷」は、その名のとおり広い岩畳を思わせる大岩盤で、瀬戸崎の先端から太平洋に向けて突きだしている。 スロープ状になった白く柔らかい岩は地球の古代層の砂岩からなる大岩盤で、打ち寄せる荒波に浸食され壮大な景観を造っている。
よくよく見ると、千畳敷は砂岩でできているため容易に削ることができるのである・・、硬貨ででも削ったのだろう、岩肌の面々はどこを見ても落書きだらけで、その内容は珍妙なものも有る。
地元の人は千畳敷をその程度のものとは考えてはいないだろうが、天から与えられた自然の景勝であり、もっと大切にしたいものである・・!!。
岩盤中央に、カメラマン用の専用台であろうか・・?、赤錆びた鉄製の架台が潮風に吹かれて置かれているのが妙に印象的であった。 我々もここで一枚パチリ・・!。
銀砂の白良浜から、波濤が岩盤を洗う千畳敷、そして今度は更に極端な「三段壁」といわれる断崖絶壁の海岸である。
御土産屋の大きな駐車場に車を置かせてもらって松林の間をくぐってゆくと、視界がパッと広がって大洋に面した大断崖の様相が目に飛び込んできた。
展望台に立つと 尚その圧倒的な迫力に息を呑む・・。 高さ50mもの断崖絶壁が約2㎞にわたって大平洋にせり出した奇観が続いている。
はじめは好奇にかられて延々続く絶壁の際を歩き回ったが、覗く度に肝が冷えるところである。 聞けばここは投身自殺の名所だとか・・、絶壁近くには立ち入り禁止の柵もあって、一角に「投身自殺者海難の碑」が有り、何方かによる供物が供えてある。
この断崖の下部、海面に近いところに「三段壁洞窟」なるものだある。
その地までは岩盤をくり抜いたエレベーターで行くことも出来るらしいが、波の荒い時は大平洋の波濤が壁面に叩き付け、大きな飛沫をあげながら吹き込んでくるときもあるとか・・。
この洞窟内は、往時は「熊野水軍」の船着場或いは船隠し場の跡とされた。 又、旧帝国海軍の特殊潜水艇「回天」の基地だったという噂もあるとか・・。
深い洞窟内には、南方熊楠が天皇に献上するための生物標本を採集をしたという地でもあるとか。
ところで昔でいう水軍とは警固衆、海賊衆、船手衆などと呼ばれていて、海上の武力を買われて船舶往来の護衛などに雇われていた集団の意味でもある。
中世期には彼らは熊野社を背景に次第に組織化され、軍事集団である「熊野水軍」の元となった。
平安末期の源平合戦たけなわの頃、熊野の別当・湛増は強大な戦力である熊野水軍を配下に収めていた。 源氏と平家の双方から加勢を頼まれた湛増は、戦況を冷静に見守りながら源氏への加勢を決めたといわれる。
「三段壁洞窟」の船倉から百隻の軍船を引き出し、田辺浦から出陣して壇ノ浦で源氏に加勢、平家軍を壊滅させて熊野水軍の武勇を天下に知らしめた。
一説によるとこの湛増は、武蔵坊弁慶の父であるといわれている。(平成17年、NHK大河ドラマ「義経」から・・)
戦国期は、九鬼 嘉隆(くき よしたか)が志摩国の国衆の一員として大名までに身を起こし、織田信長や豊臣秀吉のお抱え水軍として活躍して3万5千石の禄を得ている。
信長が嘉隆に命じて鉄甲船の製造を指示し、毛利の水軍を打破ったのは有名な話である。
これから先は紀伊半島の南端の海道を暫く走る。海道といっても紀伊山地が海岸まで迫り出し、決して平坦安楽の道ではないが・・。
勿論、太平洋の怒涛が直に押し寄せる地域でもあるが、今日、この陽気ではさすがに穏やかなようである・・。
又、この道は古来は「熊野古道・大辺路」といって、中世以降の熊野詣でへのメインルートであり、海に面した海岸縁を串本を経て那智に至るルートであった。
又、田辺から中辺路を通り本宮を経て熊野川沿いに新宮・那智まで下る山の道を「中辺路ルート」という。
熊野古道・大辺路は、田辺から串本までの枯木灘海岸(潮岬西部、周参見・すさみの海域)や串本から新宮までの熊野灘に面した海岸道であるが、海辺のわりに険しい山々が海岸まで迫り、通行に際しては数多くの難所が待ちかまえていた。
俗に四十八坂とも呼ばれ富田坂、馬転坂、長井坂といった険しい峠道が旅人を苦しめたといわれる。 ただ、あちこちに残る古道の峠道からは太平洋・熊野灘の眺望が今も変わらず旅人の心を癒してくれたともいう・・。
次回は、 串本・潮岬と・・、
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