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from: orimasa2007さん
2008年08月17日 10時27分11秒
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「旅について・・、」(夏季休題)
旅行、山旅情報新聞
http://www.kankokeizai.com/ 観光経済新聞
http://www.ryoko-net.co.jp/ 旅行新聞
http://www.maitabi.jp/ 毎日新聞旅行(山旅)
「旅について・・、」(夏季休題)
「旅」という文字を三つも重ねて書くと、「旅」という字・・!、こんな字が有ったかな・・?、と不思議に見えてくる。
更に、『旅』という字をバラバラにすると、「方」という字に「人」という文字が三つ入っているのが判る・・、 何とも意味ありげな文字である。
そう云えば、古典落語に三代目・三遊亭金馬師匠が演じた【三人旅】:(さんにんたび)というのが有ったっけ。 何でも十返舎一九の『東海道中膝栗毛』になぞらえて作ったと云われています。
無論、御承知の方も多いと思うが「東海道中膝栗毛」という内容は・・・、
江戸神田八丁堀に住む、栃面屋弥次郎兵衛(とちめんや やじろべえ、通称ヤジさん)と食客喜多八(しょっかく きたはち、通称キタさん)が、厄落としのためにお伊勢参りを思い立ち、東海道を江戸から伊勢神宮、京都、大坂へと上っていく様子を、狂言や小咄(こばなし)を交えながら描き出した滑稽話である。
各地の名物や失敗談がふんだんに織り込まれ、二人のコンビは、俗に「弥次喜多(やじきた)」と呼ばれている。
弥次、喜多が大坂よりさらに西に向かい、「讃岐の金刀比羅宮」、「安芸の宮島」、更には「信濃の善光寺」を経て江戸へ戻るまでが書かれている。
なお、「膝栗毛」とは膝を栗毛の馬の代用とするという意から、徒歩で旅行するという意味である。 よって、「東海道中膝栗毛」とは自分の足を栗毛の馬に見立て、東海道を歩いていくの意味である。
『人が旅をするのは到着するためではなく、旅をする為である。(ゲーテ)』
(仮に目的地に到達できなくても、そこに至る道のりには多くの発見がある。 到達という結果しか見ることが出来ない人は、そこに到達しても何も発見しないだろう。 発見する目を持たない人の人生には、何の花も咲かず、実を結ぶこともない。)
「旅」をしようとするにもそれなりの目的やキッカケはあろうが、心に決するのはやはり自分である。
それは積極的、能動的であるのが望ましいが、消極的、受動的であっても構わない、先ず行動を起こす事であるし、旅に限らず物事を起こそうとする時、とかく面倒くさい、億劫だ・・、と思ってしまったら人生の展開、発展性は望めないのである。
日常の矮小な循環社会で、中々時間がとれないという人もいるが、それは言い訳にすぎず、思考力、行動力に乏しいソレッキリの人生であろう。
「熟年」になった今日・・、
今、「団塊の時代」(昭和20年前半頃の第一次ベビーブーム時代に生まれた世代。他世代に比較して人数が多いところから云われている)と言われて久しい。 これらの人々が定年期を迎えて、少し真面目にセカンドライフの人生設計を考える必要もあろう・・。
少しの貯えも出来、趣味や余暇など自由に使える時間も増えるし、これからの長い時間に備えて「自分の生き方」など、可能性を模索してみるべきでしょう。
例えば「旅」のことである・・、
或いはヒョットすると、旅の中で第二の人生を発見出来るかもしれないのである。
「旅はカンフル剤」」といったのは著名な作家・五木寛之であるが、旅というのは日常空間から、日常住み慣れた地域から先ず飛び出す事から始まる。
「旅:たび」の語源は不定であるが、その意味上の共通性やアクセントの面から、「とぶ(飛)」との関係や、度数を表わす「たび(度)」が「たび(旅)」が転じたものともいう。
英語でいう「トラベル」とは旅行のことで普通にはツアー会社の旅行を想像するが、トラベルという英語の語源は「トラベイユ」(労苦、苦労の意味)、フランス語の語源「トラベラー」(拷問の意味)に近い状態であるという。
ラテン語の語源では何と「拷問、拷問のための責め具、拷問台」という意味もあるという。
それを受けて「つらいこと」や「苦しみ」という意に派生し、現在では「旅」という意味を持つに至っているという。
尤もで、一昔は「旅」というのは自分の脚で歩いて移動したものであって、そこには多大な苦労や苦痛があった筈である。
然るに、語源の「トラベイユ」というのは納得なのである。
又、「可愛い子には旅をさせよ」という諺の例にとってみても、旅というものに対する前途多難さや、若者もしくは学を志す者たちのとって、「旅」とは何らかの「苦行」から切り離せない意味合いが含まれている。
旅が、我々に楽しみや喜びだけを付与する存在であるとは言い切ることはできないのである。
近年よく耳にする「自分探しの旅」という言葉から連想されるように、異なる土地の住む人々の文化に触れるということは、自己を啓発し、自己の存在を再確認するためでもあるし、もしかしたら新たな自分の居場所を探し出す機会になるかもしれないのである。
「旅」は観光と同義語のように思われ、単なる好奇心や喜びをを満たすだけの手段とも解釈できそうであるが、本来は、同時に苦しみを伴うものでもあろう。
通常の、日常の生活の中では特別なエネルギーは必要としないが、日常から離脱しようとする時、何がしかの定量以外のエネルギーが必要であり、又、発揮されるだろう、その新鮮な活力、エネルギーが時には人間にとって必要なのである。
非日常体験は多岐にわたるが、その中でも代表的なのがやはり「旅や旅行」であろう。
何事にもそれを実行しようとする時、キッカケが必要であるが、キッカケは自ら心のうちに湧き上がるものであり、決意するものである。
さて、話を戻そう、(旅に関してであるが・・)
昔日は、今日のように一般庶民には移動の自由が公には認められていなかった時代である、人々は、今の観光とは異なって神社仏閣への参拝や宗教的な巡礼を理由に旅をする事が多かった。
日本では、お伊勢参り、善光寺参拝など、ヨーロッパではキリストの聖杯、聖遺物などの使徒の誰彼の遺物が安置されているといわれる大寺院、修道院への巡礼が盛んに行われた。
そもそも、「旅」という概念からして、今と昔では受け取る印象は大分様子が異なる。
特に、現代ではインフラの発達により土地を離れるということに対して、飛行機や新幹線など労力を要しなくなった。 その他にも選択肢は数多く存在する。
それに比べれば、徒歩という手段しか持ち得なかったころの昔の遠出は、即ち苦しいことに違いなかった・・と想像するしかない。
だが、旅の目的は「移動しながら、何をするか」ということにおいては、今も昔も変わることは無い・・。
只、文明は旅から物理的な苦しみの部分を取り除いたようにも思える。
その事を示す例として、日本の鉄道敷設の初期の目的は・・・、
関西では、伊勢への「近鉄」、高野山への「南海」・・、
そして関東では日光への「東武」、成田山への「京成」、高尾山への「京王」などというように多くが社寺参拝のために造られた事が挙げられるのである。
<font size="2" color="#0000FF">『 悟りは平気で死ぬことではなく、どんな場合でも平気で生きること、しかも楽しみを見出さなければ生きている価値がない 』
・・と正岡子規は云っている。
小生は、旅には三つの「楽しみ」が有ると思っている。
それは実に単純で「計画段階の楽しみ」、「旅本番の楽しみ(苦しみ・・?)」、そして帰ってきた後の思い出しながらアレコレ調べ確かめて観る楽しみがある。
吉田松蔭の言葉を借りれば「旅をして学識を広めるもの・・」と言うほど大袈裟なものではないが、旅先での事を確かめて知識を得るのも楽しみである。
いずれにしても、「旅行」とは一般に効率的に行うものであろうが、「旅」は非効率であり、それがまた良いのである・・。
実は、それらのことを考慮しながら、『日本一周の旅』の決行に繋がったのであるが・・、若年の頃より夢に描いていた事が、熟年になってやっと実現したのである・・・。
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