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from: orimasa2007さん
2008年09月11日 09時38分35秒
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ハワイの旅(23);「東海岸周遊へ・・、」
ハワイの旅(23);「東海岸周遊へ・・、」
「ヌアヌパリ展望所」
ワイマナロ地区から61号線のパリ・ハイウェイを山岳地へ向うと、間もなく「ヌアヌパリ」という公園展望地に着いた。
高度は310mで大した高さではないが、展望台からの眺めは素晴らしく、目の前にはゴルフ場、カイルアの町やマカプウ半島、ワイナマロ湾が視野180度にわたって広がっている。
ここはコウラウ山脈の切れ目に当たり、一年中強い風が吹いているらしく、時折、吹き飛ばされそうになるほどの猛烈な風が吹き抜ける・・。
特に、女性の方のスカートや帽子は要注意であろう・・、現に若い女性・・?が歩くのに、盛んにスカートに手を当てているチョット悩ましい姿も見受けられた。
ヌアヌパリ展望所からの大展望
<font size="2" color="#0000FF">「ヌアヌ・パリ」
パリハイウエイのカイルア方面の最高所は断崖上の突風が吹いている名物の展望台であるが、この地は克っての1795年、カメハメハ大王の軍とオアフ軍との戦いの場でもあった。
大砲など近代的な兵器の前に敗走したオアフ軍の兵士が、この丘に追い詰められ全員崖からつき落されたといい、些か残酷な説明パネルも展示してある。
展望台にある案内板(ヌアヌ・パリはカメハメハ大王の軍とオアフ軍との戦いの場でもあり、この丘に追い詰められ全員崖からつき落されたという)
カメハメハ大王はハワイ全島を統一しハワイ王朝を樹立した偉大な王と称えらているが、以外にも残酷なことをしているものだと思ったが・・。
この地には妙な言い伝えがあるらしく、車でここを通る時は、くれぐれも豚肉は積むなといわれる・・!?。 豚肉を持ってパリ越えをすると、「飢えたオアフ軍戦士の霊が、豚肉を求めて車を止める」と信じられているようである。
ところで、ハワイの最初の住民はポリネシアという民族で、人々は文字を持たなかったため、ハワイの昔の歴史を知ることは困難であるが、口頭伝承が多く残っており、また歴史家の研究により、ある程度のことは解ってきたいう。(このあたりアイヌ民族に共通する)ポリネシアンは、紀元前700年頃(縄文期)にハワイに彼らが住み着き、魚を主食とし、タロイモを栽培して食べていたとか・・。
18世紀、イギリスの大航海者・ジェームズ・クックが太平洋で三回の航海を行い、ヨーロッパ人として最初にオーストラリア東海岸に到達、その後、ハワイ諸島を発見している。
1779年にはジェームズ・クックがハワイ島を訪れ、カメハメハ王はクックに対面している。 王はこの時、西洋の武器の優秀さと貿易について学び、近代兵器をてにしてハワイ諸島を統一する。
因みに、クックはその後ハワイ島民との争いで住民に殺されたという。
カメハメハは、1790年にはマウイ島、モロカイ島、ラナイ島の支配者と戦って破り、これらの島を支配下に置いている。
オアフ島へは1795年に上陸し、ヌアヌ・パリの谷で決戦し勝利した。
このとき相手側の兵士凡そ400名は絶望して約300mのこの断崖から身を投げて死んだと伝えられている。
近年では、ここから飛び降り自殺を図った男が、飛び降りたのはよかったけど、下からの風に吹き戻されて、足の骨折だけで助かった、というマンガみたいな話もあったとか・・?。
次回は、ハワイのショッピング・・、
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