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  • from: orimasa2007さん

    2010年01月09日 11時04分46秒

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    日本周遊紀行(47)厚田 「新撰組と名力士」

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    日本周遊紀行(47)厚田 「新撰組と名力士」


    広大な「石狩川」を渡って、山間づたいの海岸を行くと間もなく「厚田村」(現、石狩市)入った。
    この変哲の無さそうな寒村に歴史小説の大作家がいたことに気が付いた。 

    子母沢寛」である。


    歴史物が好きな小生は、「勝海舟」や「新撰組始末記」は勿論読破しているが、「新撰組」は今現在、NHKの大河ドラマで放映中でもある・・!!(2004年度)。

    今迄、いろんな作家が新撰組またはこれに類する書物を出しているが、概ね子母沢寛の新撰組始末記が基礎になっているとも言われる。



    厚田村は、札幌から北へ約40キロ、日本海に面し、やはりニシン漁で栄えた漁村である。

    子母澤寛の祖父・「梅谷十次郎」は元々江戸の御家人で、江戸開城の後、彰義隊(1868年に旧幕府の征夷大将軍であった徳川慶喜の警護などを目的として結成された組織。幕府より江戸市中取締の任を受け江戸の治安維持を行ったが、上野戦争で新政府軍に敗れ解散している)に参加して戦っている。

    その後、榎本軍とともに箱館に渡り、五稜郭で敗れている。 
    降伏した十次郎は士籍を離れ、厚田村にわたり隠遁生活をする傍ら、旅館などを営んでいたという。


    十次郎は、夜にもなると孫の「松太郎」(子母沢寛の本名:梅谷松太郎)を膝の間に入れて、大きな湯呑茶碗で酒を飲みつつ、「江戸弁」で江戸の話や彰義隊のこと、五稜郭戦争の話などをよくしたという。 

    そして、『 彰義隊は誰一人あの戦で勝とうとなんて考えていたものはいないんだ。(中略)それを覚悟で、命を投げ出しているのは、そ奴らに、人間の恩というものがどういうものか、それを知らせるためなんだ。それが武士(さむらい)の道というものである・・解るだろう 』・・と。 

    子母澤寛は、祖父の言葉として「蝦夷物語」や「厚田日記」でこう語っている。

    遠く海鳴りを聞き、日本海に沈む夕日をながめながら、「サムライの魂」をもちながら厚田村に生きた祖父・十次郎、そして孫・松太郎である。 



    戊辰の戦いに敗れ、北の大地に根付いた者たちに、同様の物語があっただろうことは想像に難くない。
    北海道そのものが持つ無骨さの一片は、そのサムライの精神なのかもしれない。

    新選組の最期の物語を語り継ぐ場としての北海道は、それに相応しく土方歳三や旧幕軍、新政府軍の多くの将兵がこの地に倒れたことも、無為ではなかったのかも。

    燃えよ剣」で新選組・土方歳三の生涯を描いた「司馬遼太郎」は、ライフワークとなった『街道をゆく』の取材で北海道の厚田村を訪ねている。 


    、「新選組始末記」など一連の著作を世に送った作家・子母澤寛のふるさとは厚田村であるが、現住所の自宅は神奈川・藤沢市鵠沼に在り、作家生活はここ梅谷家で送り、墓地も近くの丘にあるという。




    次に、昭和の名横綱「吉葉山」もこの厚田の出身とか・・

    昭和の破天荒横綱と言われた第43代「吉葉山」(池田潤之輔)は、日本海に面した鄙びた村落、厚田郡厚田村生まれている。

    彼にはいろいろなエピソードが残っている。 

    学問を志して北海道から東京へ上京した池田少年(後の吉葉山)は、上野駅で高島部屋の力士に捕まり、訳も分からずに部屋へ連れていかれてしまう・・?。 

    実は、この力士は青森から上京するはずの新弟子を待っていたのだが、その新弟子が途中で逃げてしまい、たまたま同じ列車に乗っていた彼が新弟子と間違えられてしまったというのである。
    これがきっかけで池田少年は、相撲界に足を踏み入れることとなった。


    入門後、彼は悪性の盲腸で死にかけたが、運良く一命をとりとめた。 
    四股名の「吉葉山」は、この時に救ってくれた医師・吉葉庄作にちなんだものと言われている。

    その後は順調に実力をつけていったが、十両目前で太平洋戦争に召集されビルマへと赴いた。一時「戦死した」との噂も流れたが、足に銃弾を受け、痩せ細った体ながらも何とか生還したという。 

    部屋に戻った時には、あまりの変貌ぶりに幽霊と間違えられたという。
    相撲界に復帰後は、とにかく体を回復しようと食べまくり「胃袋」というあだ名がつけられ、1年で50キロ太ったとの説もある。 

    色白で均整の取れた体格と俳優の市川 右太衛門に似た美貌に加えて明るく磊落な性格で人気を集めた。


    昭和26年9月場所12日目の「東富士」との対戦では同体となり、取り直しの一番は水入りの大相撲となった。
    再開後の相撲が再び同体となると、高熱と疲労の東富士は立つことができず吉葉山の承諾もあって協会預かりとなった。  

    歴史に残るこの死闘は、現在も戦後唯一の「預かり勝負」(勝負なし)となっている。
    昭和29年 1月に全勝優勝して横綱昇進を決定ずけ、大雪の中での優勝行進は「雪の全勝行進」と言われた。

    従軍経験が有ったので元軍人達の人気が高かったが、当時は絶頂を極め、祝宴続きで体調を崩して新横綱の場所を全休してしまった。 
    以後も優勝はできず、結局、「贔屓の引き倒し」(贔屓することによって、かえってその人を不利に導くこと)のような格好になってしまった。

    同時期の横綱として羽黒山、東富士、照国、千代の山、栃錦、鏡里、若乃花等がいる。
    いずれも小生が少年の頃の懐かしい面々である。

    引退後は後進の指導に熱心で、現役中に総檜造りの「吉葉山道場」を設立し、後に「宮城野部屋」となって多くの弟子を育てながら理事を務めた。


    通算で 37場所、通算成績・304勝151敗1分85休、優勝1、殊勲3、金星2、従五位勲四等旭日小綬章が追贈された。


    次回、「小平」



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