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  • from: orimasa2007さん

    2010年04月15日 09時32分18秒

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    日本周遊紀行;温泉と観光編(16)「宗谷岬」

    .

    今回より北海道の日本周遊紀行;「温泉と観光」の後編として北端の「宗谷岬」から南部の「洞爺湖」周辺の全13編を投稿いたします。 お楽しみに・・!




    日本周遊紀行;温泉と観光編(16)「宗谷岬」 




    写真:本土最北の地・「宗谷岬」のシンボルマーク(小生が訪れた時刻を指している)




     日本周遊;温泉と観光(16) 「宗谷岬」 


    遂に、北の果てへ来た、そして稚内から宗谷岬に向かう。

    途中、小さな「声間岬」の南に「大沼」がある。
    北海道の南端、函館郊外にも「大沼」があるが、こちらは最北端の大沼である。

    周辺は湿原地帯、秋になると、越冬地への中継点として、また春になるとシベリアへと帰る休息地として約5,000羽の白鳥(コハクチョウ)が飛来する。 
    「白鳥おじさん」こと、吉田敬直氏による個人的な給餌活動によりコハクチョウが呼び寄せられ、日本でも有数の飛来地になったという。 
    さらにはハクチョウのほかマガン、アオサギ、オオワシなど通年100種類以上の野鳥が観察でき、時期になると大沼はどこを見ても白鳥だらけ、野鳥だらけとなり、周辺にはミズバショウの群落も見られるという。


    国道のすぐ横に「稚内空港」が広大に広がる。

    こちらも日本最北のジェット化空港として、利尻及び礼文の離島生活路線、あるいは道北と札幌を結ぶ路線の基地として地域にとって重要な役割を果たしている。

    丘陵高所には、お馴染みとなった風力発電の風車が並ぶ。 
    最北の地は、風が強い町なのである。 冬は雪が降りだすと即、吹雪なってしまい、夏も風のせいで暑く感じないと。
    調べてみると・・、この辺りは北海道の中で最も風の強い地方らしく、1年のうち毎秒10m以上の強い風が吹く日は何と130日にのぼるという。 

    宗谷の地は、低層山脈のなだらかな丘陵性の地形で、ほかには遮るものが何もないことから強風が直接吹いてくる。 
    その風を利用して稚内市はデンマーク製の風力発電を導入しているという。 

    1基当たり1億4000万もするらしく、現在、17機稼動中という、金額は・・??。 この風力発電が、今問題になっている環境問題の一つの解決策になればと思うのだが・・?。



    海面より少々高目を、「宗谷岬」を目指して進む・・、

    岬先端に、鋭三角のモニュメントが天を指していて、見字盤には「日本最北端に地」と記されている。
    三角錐のデザインは北国のシンボルである北極星の一稜をモチーフにしているという。

    駐車場横の売店の出入り口も三角屋根を模ってあり、その正面には「宗谷岬・時刻13時25分・日本最北端・気温21.0℃・北緯45度31分14秒・日付平成16年9月27日」と記してあった。

    岬には「間宮林蔵」の立像があり、そこから樺太(現実はサハリン)は微かに遠望できた。距離にして43kmは決して遠くない距離であるが、しかし今は遠い・・?。 




    その間宮林蔵が、樺太が大陸でなく島である事を発見するのは1800年初の事であった。

    江戸後期、ロシア軍艦が蝦夷北方にしばしば現れるようになり、合わせて事件を頻繁に起こすようになる。 その為幕府は、北方警備のため宗谷に守備要員を派遣し、その中に松田伝十郎がいた。 
    更に幕府は、伝十郎と間宮林蔵に樺太の調査を命じている。又、当時1800年前後にヨーロッパで「サハリンが島であるのか、半島であるのか」の論争が起こっていて、それらに決着を図るべく幕府天文方は松田と間宮をサハリンに派遣し、探検させたとも云われる。

    林蔵は幼少より数理にあかるく、日本地図の親・「伊能忠敬」の門人になる。 
    忠敬は上総(かずさ・千葉県)、間宮林蔵は下総(しもふさ・茨城県)の出身でいわばお隣同士であった。 

    忠敬は、林蔵のことを「非常の人」と世間に告げていた。 
    林蔵は、その後北方・千島等を測量するため、伝十郎とともに小船でサハリンの最南端シラヌシに上陸する。 

    両人は東西に分かれて、林蔵は東より北上し、海上あるいは陸上より調査を行なっている。 林蔵は一旦帰国するが、直ぐまた二度目の調査に出かけている。


    1808年、西海岸を探検した松田は、海峡最狭部に達し、ここが海峡であることを確認し、間宮も松田に合流して、同様に海峡を確認した。
    併せて翌1809年、間宮は、現地人の船で海峡を越えて大陸に渡り、この地域の詳細な調査を行いながら、そのまま大陸に渡り黒竜江を上って満州(中国東北部)にまで達している。 


    日本では、大陸と樺太の海峡を「間宮海峡」と呼んでいるが、一般には「タタール海峡」(韃靼海峡)と称しているようである。 
    又、海峡の最短部は距離で7km程度であり、そこを間宮海峡と呼ぶ場合もあるようだ。

    明治8年、条約により樺太全島はロソア領になり、千島全島は日本領になった。 
    その後、日露戦争で樺太南部は日本領に成ったが、太平洋戦争の敗戦で全てを失った恰好になっている。



    岬の右側に「宗谷岬」の歌碑が有り、そこから絶えず曲歌が流れていた。



    『宗谷岬』  歌:千葉紘子

    流氷融けて 春風吹いて
    ハマナス咲いて カモメも啼いて
    遥か沖ゆく 外国船の
    煙も嬉し 宗谷の岬
    流氷融けて 春風吹いて
    ハマナス揺れる 宗谷の岬


    幸せ求め 最果ての地に
    それぞれ人は 明日(アシタ)を祈る
    波もピリカの 子守のように
    想い出残る 宗谷の岬
    流氷融けて 春風吹いて
    ハマナス揺れる 宗谷の岬



    海道沿いに「最北・・」と謳った看板の商店や民宿が目立った。

    この旅の現時点までは、「北上」と名打ったが、これから先は「南下」である。 何故「北上」で、「南下」と称するのは定かでないが、きっと地球の緯度の関係かも知れない・・?。

    因みに、日本海側は夕陽・日の入り・日没なのに対して、コレからのオホーツク海・太平洋は旭日・日の出・日昇等となる。
    北海道は知らないが、一時期本州では裏日本、表日本などと称していた。 小生はこの呼名は余り好きではないが、最近では「裏日本」という呼称は差別的用語に当たるとかで、使われてないようだが・・?。


    「日本周遊紀行」の内、宗谷岬からはオホーツク海、太平洋岸を南下することのなる。
    次回からも御期待下さい。

    稚内の関連リンク
    <a href="http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-8-k.htm">稚内 「宗谷岬」</a>
    <a href="http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-8-2.htm">稚内 「野寒布岬」</a>
    <a href="http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-8-2.htm">稚内 「九人の乙女の碑」</a>
    <a href="http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-8-3.htm">稚内 「氷雪の門」</a>



    次回は、「紋別の流氷」



    【小生の旅のリンク集】

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    【日本一周・海道を往く】 http://park23.wakwak.com/~orimasa/  (こちらは別URLです)

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    「立山・剣岳(1971年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/turugi1.htm 
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    「西丹沢・大室山(1969年) http://www.geocities.jp/orimasa2001/oomurosan.htm
    「八ヶ岳越年登山(1969年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/yatuhuyu1.htm
    「西丹沢・檜洞丸(1970年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/hinokihora.htm
    「丹沢、山迷記(1970年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/sanmeiki.htm
    「上高地・明神(2008年)」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/myuojin.htm

    《山のエッセイ》
    【上高地雑感】 http://www.geocities.jp/orimasa2001/kamikoti.htm
    【上越国境・谷川岳】 http://www.geocities.jp/orimasa2001/kokkyou.htm
    【丹沢山塊】 http://www.geocities.jp/orimasa2001/tanzawa.htm
    【大菩薩峠】 http://www.geocities.jp/orimasa2001/daibosatu.htm

    《 スキーの記録 》
    【スキー履歴】 http://www.geocities.jp/orimasa2001/skirist1.htm



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