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from: orimasa2007さん
2010年06月13日 09時40分42秒
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日本周遊紀行(110)いわき湯本 「徳一と藤原氏」
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日本周遊紀行(110)いわき湯本 「徳一と藤原氏」
前回は奈良の三輪山、大和の国、そして大和朝廷の関わりを述べてきたが・・、
ここで、「藤原氏」が登場する。
これら大和朝廷及び天皇家を擁護し画策し、最終的な神統譜である紀記(古事記、日本書紀)を製作したのが「藤原氏」であるといわれる。
製作の目的は「天皇制」という新秩序のためであり、新しい律令的秩序であり、藤原氏自身のためのものであった。
「旧秩序」、「旧勢力」、「旧豪族」を打破し、同時に大和勢力、強いては「中臣=藤原氏」の勢力を拡張することでもあった。
常陸の国に「鹿島神宮」(茨城県鹿嶋市宮中:常陸国一の宮)が壮大に鎮座している。香取神宮と並ぶ東国の大社であり、霞ヶ浦を中心とする大水郷地帯の歴史的中心でもある。
藤原氏の祖・藤原鎌足(中臣・なかとみのかまたり)は、この鹿島の地で生まれたと伝えられ、やがて大和の都に「春日大社」を分社遷宮し創祀したといわれる。
この地鹿島は中臣(藤原)氏本流の地で、海人族であったとも言われる。
鹿島神宮は、「常陸国風土記」や「延喜式神名帳」などに多くの記載があり、武甕槌命(タケミカズチ)とその子神の天足別(アマタラシワケ)命を祭神としている。
武甕槌命は通常、記紀では迦具土神(カグツチノカミ)の血から生まれた神とされるが、藤原氏が奉斎する鹿島神宮の祭神・武甕槌命は、元より天孫降臨・天照大神の一族とされ、出雲の国の「国譲り」では、かの諏訪大社の大神・建御名方神(タケミナカタ)と相争い、これが日本における「大相撲」の起源ともされているのは有名な話である。
藤原鎌足は飛鳥時代の政治家で、藤原氏の始祖にあたる。
大化の改新以降に中大兄皇子(天智天皇)の腹心として活躍するのは歴史上でも有名であるが。
その子「藤原不比等」(ふじわらのふひと)が実質的な「藤原姓」を名乗り、藤原氏の祖と言っても良い。
その孫に藤原仲麻呂がいて、仲麻呂の第11子が「徳一」とされている。
つまり、徳一は偉大なる不比等の曾孫にあたるのである。
ここまで、だいぶ話が飛び飛びになったが・・、
徳一は「藤原徳一」であり、徳一自身は意識したか、しないかは別として、間違いなく大政治家の極く身近な直系の存在であった。
しかし、仏門に身を置き、陰ながら藤原一門として、旧来勢力の打破、律令国家の成立の一助として活躍したと思われる。
石城地方の隣の常陸の国は、奇しくも藤原家発祥の地でもある。
常陸国は以降の時代を観ても判るが、慌しく戦乱武将が発生し、駆け巡った地でもあった。 つまりは、早くから開けていたというより、大和朝廷の側面の発祥の地でもある。
ところが、古代、蝦夷地といわれた陸奥の国は、「勿来の関」あたりで常陸の勢力圏とは暫くは途絶えていたrasii
。
九州から畿内へ、更に中部、関東と大和朝廷の新勢力が広がって、いよいよ陸奥の国の開拓に差し掛かるのであるが。
この時、精神的革新を試み、自ずから蝦夷の地に乗り込んだのが「徳一」であり、道具は武器でなく、仏教と言う新しい文化を引っさげて乗り込んできたのである。
仏教の普及が、古代からの信仰である土着神と結びつくのはごく自然の流れでもあり、「神仏習合」という利便性と説得性のある手段で活躍したのは言うまでもない。
「藤原徳一」が先ず根拠にしたのが自家発祥の常陸の国・筑波山であるが、これより蝦夷への進出地と目されたのが、西の街道では陸奥の南端である会津地方であり、東の街道が「石城」であったのである。
徳一は筑波山に中禅寺を置いて根拠とし、会津の磐梯山に恵日寺を、そして「石城」には湯の岳山麓に長谷寺を置いて根本道場としたのである。
その時、藤原家の相当なる経済的政治的な側面援助があったことは言をまたない。
徳一は、藤原家の活躍地である大和の国・三輪山を念頭に、筑波山や磐梯山を開き、石城に湯の岳を開いたのである。
領民のために、大和の三輪山を紹介して「サハコ神社」(温泉神社)を造らせたのかもしれない。
因みに筑波山については、『筑波詣』という記録に「本尊観世音坂東の札所なり。大堂巍々雲を貫き、結構美々たる荘厳は、中々言語に絶したり」とある。 又、『筑波山縁起』によれば「近国他国より参詣の輩、袖を連ね裾をからげ、昼夜の堺も無く、山の繁昌時を得たる有様であった」と記されている。
何れも大繁盛として記録されている。 筑波山・中禅寺は、筑波神社との神仏習合の地であった。
そして、磐梯山・恵日寺(慧日寺)は会津地方最古の寺で、磐梯山の大噴火の翌年(807年)に開いたとされている。
磐梯恵日寺(えにちじ)は、現在の磐梯町の町域ほとんど全部をその境内とするほど広大な敷地を有し興隆をきわめたという。 無論、藤原一族の援助もこれあり、一時は寺僧300人、僧兵6000人、堂塔伽藍は100を超え、子院3800坊を数えたという。
時期としては磐梯山の恐ろしい天変地異の後なので、農民達はあっさり入信したといわれ、会津地方に仏教文化が大きく花が開いたとされる。
今でも厚い信仰と優れた仏教遺産が残っている。
広大な寺跡は昭和45年に国の史跡に指定され、将来に向けて復元整備が図られようとしている。 慧日寺は、磐梯神社との神仏習合の地でもある。
さて、地元・湯本のことであるが・・、
「宇治山・長谷寺」は、湯の岳をいただく裾野のいわき市は湯本にある。
正確には、いわき市上湯長谷堀の内地区で、湯本温泉地から歩いてもすぐのところである。
長谷寺の現状は、上記の二院ほどの華やかさは今のところは無い。
徳一が、蝦夷開発の基地とし、隣国の常陸にも近く、藤原家の後押しがされたと思しき長谷寺は、往時は壮大無比の大寺院を想定されるが、今のところ、そのような痕跡はまったく無いのか、或いは発見されてはいないのである。
だが、霊峰・湯の岳を仰ぎ、霊験あらたかな温泉神社を配し、道後温泉、有馬温泉とともに三大古湯といわれるサハコの湯の古湯に漬かれば良しとしよう。
これも徳一の思し召しかもしれないのである。
陸奥の国・「いわき湯本」が大きく拓けるのは平安中期以降の頃で、藤原家の御人々や源家の武人が、勿来の関で歌を詠み、サハコの湯に漬かって風雅に過ごしたとされる。
戦国大名の来湯も多くあり、江戸時代は浜街道唯一の温泉宿場町として 文人芸人の来遊が絶えなかったという。
次回は、 いわき湯本・「徳一と新興仏教」
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