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  • from: orimasa2007さん

    2010年07月21日 09時40分17秒

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    日本周遊紀行(120)一宮、御宿  「宮と文教の町」

    .


     日本周遊紀行(120)一宮、御宿  「宮と文教の町」 





    九十九里地方、上総の国の一宮:玉前神社本殿




    一宮の「宮」の訳は・・、



    海岸線の快適な・・とは言っても小雨の中であるが、九十九里道を更に南下する。
    なだらかに湾曲した九十九里浜は、やがて「一宮町」辺りで尽きる。 

    その一宮町であるが・・、
    全国に数字のつく一の宮、二の宮など宮の付く地域名が多い。
    小生の住む相模の国(神奈川)にも一の宮、二の宮、三の宮、四之宮とご丁寧に揃って存在する。
    何れも「宮」と付くからには神社に所縁(ゆかり)のある地名であることは確かである。 
    神社は昔から一郷一村の人達の心の拠り所であり、日本民族の魂のふるさとでもあった。 又、神社は古来、政事(まつりごと・政治)の中心的存在でもあった。

    平安期、その国(地域)の神社の格式や祭政一致に基ずいて、朝廷(天皇が政治を行っていた場所)がその神社の挌位(序列)を決めたのが、「延喜式(式内社)」といわれるもので、「一の宮」はその国の由緒ある信仰の篤い神社の第1位のものであるとされる。 
    国司(中央・朝廷から地方・諸国へ派遣された地方長官)が地方へ赴任したときは、一の宮、二の宮、三の宮と順に巡拝しなければならないとも規定されている。


    ここ「一宮町」は玉前神社が上総国の一宮だったため「一宮庄(荘)」の名前が広まり、現在まで「一宮」の名称が使われているのであろう。 
    その玉前神社は上総一宮駅の西側に鎮座している、主祭神は玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)、相神は鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズ)又は神武天皇としている。
     
    玉前神社の名前の由来は、古来から九十九里浜には寄石伝説というのがあり、古くは「玉の浦」と称していたことは前項でも述べた。 

    寄石伝説」というのは、「玉」の信仰が古代より信じられ、人々は海から寄せられた石に霊力を感じ、これを光り輝く神として祀っていた。 
    即ち、石玉には霊力を感じ、これを光り輝く神として奉っていたことに始まるとされる。

    玉は勾玉、八坂瓊曲玉(やさかのまがたま)に通じ、天皇の「三種の神器」の一つでもある。

    又、玉前神社の主祭神を日向三神に由緒ある玉依姫命(たまよりひめ)としていることだろう。
    即ち、玉依姫命、鵜茅葺不合命、神武天皇は日向地方における古代神(天津神)といわれる神々で、記紀(古事記、日本書紀)においては山幸彦(火火出見・ホホデミ:神代二代天皇)と豊玉姫の間に鵜茅葺不合(神代三代天皇)が生まれ、この子を育てたのが玉依姫であり、更に、鵜茅葺不合が神武天皇(歴代の初代天皇)を生んだとされている。

    いずれにしても九十九里地方は、気候温暖で、豊穣の地であり、縄文・弥生の頃から人々の営みがあったことは遺跡からも確認せれている。 
    寄石信仰、伝説は縄文人の心のよりどころでもあり、これが海からやってきたというのは、如何にも「九十九里」らしい。

    玉前神社の創建は不祥とされているのは、縄文・弥生の古代人の自然信仰が、現在の一宮に継承されていることは充分に想像できるのである。


    玉前神社には、「上総の裸まつり」、「十二社まつり」といった1200 年の歴史のある例祭があり、房総半島に多い浜降り神事の中でも最古の歴史と伝統を誇るとされている。
    壮大な儀礼をひと目見ようと近郷近在、関東一円から大勢の人々が集まるという。
    尚、「十二社まつり」では二つの神輿のうち、一基は大宮様(玉依姫命)、もう一基は神武天皇とされている。

    一宮町には、他にも古い歴史を抱く大小さまざまな神社・仏閣が数多く在り、町内ではそれぞれの地域で、今でも季節ごとに昔からのお祭が伝えられ、賑やかに行なわれているという。 

    一宮町は、やはり歴史と文化が漂う香り高い街であった・・!!



    御宿」は文教の町であった・・!、

    岬町は、広大な太平洋に突き出した太東岬にちなんで命名されたのだろう。
    美的に単調な九十九里浜はここ太東岬を境に一変する。 一般的にこらから先は「南房総」と称しているようである。 

    複雑に入組んだ海岸地形は独特の海岸美を形成していて、ここには観光施設やレジャー施設も多く、歴史や文化の色彩も濃く、首都圏の観光拠点にもなっている。 
    また黒潮流れる温暖な地は各種花々の栽培が盛んで、海岸道路を”フラワーライン”とも称している。 

    ようやく雨も小降りになってきて、明るさも増してきたようで、これから拙車はその南房である、国道128号・愛称である「外房黒潮ライン」を行く。

    清流・塩田川を渡り、左に大原の港を眺めながら、「御宿」へと差し掛かる。
    この御宿には心温まる逸話があった・・、


    明治35年、猛烈な台風で御宿小学校は全壊した。

    財政難の時代、時の校長・伊藤鬼一郎氏と村長は全村民に同意を得て、学校建設の為、毎日五厘(一銭の半分)の日掛貯金を実施した。 
    その後、毎戸2倍の一銭とし、実に9年間に亘り一戸の脱落者もなく達成したという。

    集まった金額3万円余(現在の価値で約1億8千万円)を以って独力で737坪の立派な新校舎を建てたという。
    五厘は、儒教の「五倫五常」の五倫に通ずるとして、新たに学校名を「五倫黌御宿小学校」と名付けたという。 

    五倫」とは、人として守るべき五つの道、君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信、「五常」とは人としての心得、仁・義・礼・智・信を言う。


    小学校のすぐ南に歴史民俗資料館がある。
    ここの一角に教科書を専門に収集した「五倫文庫」なるものが有り、当時の校長伊藤鬼一郎氏が、毎年使用される教科書を保存し比較研究したのがその始まりであると。 
    氏は、初等教育が次の時代を背負ってゆく少年少女に如何に重要であるかを早くから認識され、 特に世界が平和の中に共存してゆくには、未だ天使のような清い心の幼い時に、正しい教育をすることが不可欠なのだという信念のもとに実行された。

    収集した教科書は国内25000冊、国外50数ヶ国7000冊に及ぶ。


    昨今、中高歴史教科書の記載の仕方が問題視されるときがあるようで、当の執筆者、関係者は、御宿の教育関係者に問うてみては如何かな・・!!。

    御宿町は文教の街として、その名を千葉県のみならず全国的に知られているという。

     

    御宿海岸は大幅な砂浜に覆われており、同じ海岸線でも九十九里浜とはまったく異なる姿を見せている。 
    白い砂浜が波のようにうねり、海辺を見なければまるで砂漠のようである。

    大正期の作家の「加藤まさお」が、病気療養のために滞在していたのがこの浜で、この地で童謡「月の沙漠」が生まれたという。



    月の砂漠』 加藤まさを 佐々木すぐる(曲)

    月の沙漠を はるばると
    旅のらくだが 行きました
    金と銀との くらおいて
    二つならんで 行きました


    次回は、「合併の町



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