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  • from: orimasa2007さん

    2011年01月13日 10時31分35秒

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    日本周遊紀行(60)徳島 「阿波おどり」

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     日本周遊紀行(60)徳島 「阿波おどり」  .



    「踊るアホウに見るアホウ、同じアホなら踊らなソンソン」

    徳島市は、吉野川とその支流がつくり育てたデルタ(三角州)の上に発達した人口26万人余の県都である。 このデルタの中心、JR牟岐線とR11が接するあたり、その背後に徳島城址の城山が見えてる。 
    徳島城は阿波17万石・蜂須賀家の城であることは先に記したが(淡路の項)、この城は天然の吉野川と、ここより引き入れた掘割川を防衛堀とし、正面に大海を望み防衛と進攻を兼ねた。

    戦国後期、乱世も豊臣秀吉によって納まりかけた時期、1585年、後に秀吉に仕えて美濃・墨俣城の築城や中国遠征での対毛利戦で大活躍した蜂須賀小六正勝に阿波の国17万石を与えている。
    秀吉から阿波一国を与えられた正勝は、家臣ではあるが秀吉とは事実上義兄弟のような仲であった。 これを子の蜂須賀家政に譲って本人は辞退している、正勝自身は、恩賞などより秀吉の側近として仕えるほうに興味があったかららしい。
    家政が築城の際、老臣たちは山中・要害の地を勧めたが、彼は頑として、この地に固執したという。 理由は、これからは軍事よりも経済であると言うのであった。(実際は、なお戦乱は続くのであるが)家政はこの地に築城を勧め、突貫工事で完成させたという。 
    この工事を「それ急げ・・、やれ頑張れと・・!!」と励まし、応援したのは秀吉だったらしい。秀吉は正勝の子・家政を少年の頃から知っているから、彼に城を持たせた事が、よほど嬉しかったにちがいないと・・!!。

    築城にあたっては、小早川隆景(毛利元就の三男・3本の矢の1人智謀の武将)と長曽我部元親(土佐・高知の戦国武将)に援助を命じ、600日で出来上がったという。 
    戦国期、天守閣は権威の象徴だったが、家政は三層平城のごく貧弱なものにした。 かれは威を誇示するよりも、領民の繁栄の方を好んだといえる。

    伝承として、城普請完成の日が、お盆の7月15日だったということで、作業者や領民たちは、新しい城の完成と領主のために、盆供養も兼ねてお祭りを催し、多いに踊ったと言われている。 これが「阿波踊り」の発祥ではないか、という説もあるとか・・?。
    江戸時代を通して徳島藩・蜂須賀氏25万石の居城となり、明治維新を迎えるが、明治2年(1869年)版籍奉還により廃城となった。明治8年(1875年)には鷲之門を除く天守や櫓など全ての城内の建築物が撤去されている。明治以降の城地は苔むす石垣と堀、庭園、鷲之門が残るのみで蜂須賀氏の栄華は偲ぶべくもなかった。昭和16年(1941年)には表御殿の庭園が国の名勝に指定されている。


     エーラヤッチャ、エーラヤッチャ、ヨイヨイヨイヨイ、阿波の殿様 蜂須賀公が、今に残せし 阿波踊り 』
    尤も、「阿波踊り」は蜂須賀氏から始まったわけではない、その元祖として、平安期には京の街で風流(フリュウ)が流行している。風流とは仏事や祭礼の時など、庶民が華麗に仮装して唄い、群れ踊りをさしている。  
    室町期では、四国を地盤にした細川氏(★1)が京の管領となり、その後の三好氏は徳島を中心に四国・畿内を支配している。 
    従って、この頃に京の風流が徳島(当時は板野地方)に流入したのは極めて自然ともいえる。 戦国末期、畿内を征圧した三好政権(三好長慶・★2))を、軍事的に支えたのは阿波の国人衆であり、その国人衆の間にも流行し、阿波三好氏の本拠である板野郡の勝瑞城下にも伝播して町人衆の間で盂蘭盆行事(お盆・祖霊を死後の苦しみの世界から救済するための仏事)となって定着していたようである。

    ★1・・清和源氏の支流で、足利氏の支族。 四国を中心に8カ国の守護職を占め、室町時代には有力守護大名および管領家の1つとなり(三管領・斯波氏、畠山氏、細川氏)、畿内に勢力圏を有する。戦国期、傍流の細川藤孝(幽斎)は織田信長、豊臣秀吉に従い家運を回復する。 江戸期には、近世大名となり、肥後・熊本藩主家として明治維新まで存続。 明治以降、終戦まで侯爵の爵位にあった。 
    平成になり、子孫の細川護煕(もりひろ)は、旧熊本藩主細川家の第18代当主で、第79代内閣総理大臣となる。

    ★2・・現在の徳島県三好郡三野町出身。 戦国前期、長慶は細川氏の重臣であったが、後に政争で細川政権を倒し三好政権を誕生させる。
    自らは幕府の相伴衆となって幕政の実権を掌握し、畿内(都のある近畿に一大政権を築き上げる。


    阿波踊り」は、はじめ「ぞめき踊り」といわれ、「ぞめき」とは騒がしいなどの意味で、派手で賑やかな踊りにつけられた名称である。
    又、幕末には全国的に「ええじゃないか」の乱舞が流行し、徳島城下からも御蔭詣(おかげまいり・お伊勢参り)で参じた阿波衆が伊勢で、「踊るも阿呆なら見るのも阿呆じゃ、どうせ阿呆なら踊らんせ」と囃して踊り狂ったという。
    この踊りが面白いというので阿波一円に広がり大流行したという。このあたりが現在の阿波踊りの原型であろう。 「エーラヤッチャ、エーラヤッチャ、ヨイヨイヨイヨイ、踊るアホウに見るアホウ、同じアホなら踊らなソンソン」の唄で知られるようになった。

    手を上げて、足を運べば 阿波踊り」といわれるとおり、阿波踊りには決まった型はなく、ようは楽しく踊れればそれでいいという。
    だが、人が見て「きれいだ」と思う踊りを踊るには長くつらい鍛錬が必要だともいう。そして何より一番大切なことは、笑顔を忘れないことであると。

    阿波踊りでは、一つの踊りのグループの事を「(れん)」と言っている。県内には有名連と呼ばれる連が多数あり、その他、同好会的要素の「連」も数多い。毎年8月12日〜8月15日迄の4日間開催され、徳島駅前、市内の各所に演舞場が設置される。演舞場の種類には大きく分けて「有料演舞場」と「無料演舞場」があり、有料演舞場では全体的に有名連が踊り込んで来て、無料演舞場では同好会の大学連や企業連などが多い。

    近年は徳島以外でも夏のイベントとして催され、徳島の阿波踊り連が指導に当たっているという。
    小生の地元・神奈川県下では近くの大和市でも盛んであるが、有名なのは、徳島出身者が夏のイベント用にと提案して導入されたという高円寺(東京杉並区)の阿波踊りである。 因みに、徳島・高円寺・越谷(こしがや・埼玉県越谷市)が、日本三大阿波踊りと呼ばれているようである。
    眉山に見守られながら、阿波徳島を後にした。

    次回は、小松島と義経


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