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  • from: orimasa2007さん

    2011年03月17日 10時46分15秒

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    日本周遊紀行(98)呉 「戦艦・長門と大和」

    『東日本大震災』に遭われた被災者の皆さんに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 微力ながら援助は惜しみませんので、一日も早い安らぎと回復をお祈りいたします。




     日本周遊紀行(98)呉 「戦艦・長門と大和」   、




    戦艦・「長門」は無残だった。しかし、その船体は強靭であった・・!! 、

    呉市は広島の南方、約20kmの海岸に位置し、江田島、能美島、倉橋島等に囲まれた風光明媚で天然の良港である。 
    明治30年頃、呉海軍造船廠ができて最初の軍艦「宮古」(通報艦)が完成し、大正8年には超怒級・戦艦「長門」が竣工している。

    「長門」は太平洋戦争には日本海軍の旗艦として、ミッドウェー海戦、トラック島、マリアナ沖海戦、そして世界最大の海戦といわれるレイテ沖海戦に参戦し、その後、横須賀で終戦を迎えている。 
    他の軍艦は米軍に殆ど撃沈され、長門は横須賀に係留されたまま爆撃に曝される事になるが、終戦の間際まで浮かんでいられた唯一の日本の主力戦艦であった。

    だが、終戦で米軍に接収された「長門」には、最後の試練、悲劇が待ち受けていた。
    連合艦隊の旗艦として、帝国海軍最後の戦艦として挑む相手、それは「原子爆弾」であった。
    昭和21年7月1日、太平洋のビキニ岩礁・・、その日、長門は爆破地点より千メートルの地点に標的艦・被爆物として配置され、広島型原爆相当の原子爆弾が空中投下、爆発実験が実施された。 

    長門と同地点にあった標的艦・軽巡洋艦「酒匂」をはじめ多くの標的艦がなぎ倒され、瞬く間に沈んだという。 
    しかし、戦艦・長門は沈むことなく衝撃波と高熱に耐え抜き、実験終了後も洋上にそののまま姿を留めていたという。 2回目は、水中での爆破実験が行われた。
    この時の水中で発生した巨大なエネルギーは、長門と同位置にあった米海軍の戦艦アーカンソー、ネヴァタを飲み込み一瞬で轟沈した。
    空母サラトガは大きく傾き、爆発の七時間後に沈没した。 

    しかし、「長門」は未だ海上にその姿を留めていたという。
    それは母国を敗北に追い込んだ原爆に対する、かつての連合艦隊旗艦としての最後の意地、面子、そして戦艦としてまともな作戦に参加出来なかった事への無言の抗議であったのかもしれない。
    はたまた国を守れなかった事に対する海軍代表としての贖罪だったのか・・?。 

    長門」は、それから五日後になって、忽然と海面から姿が消えていったという。 恐らく深夜にひっそりと沈んだものと思われる。 
    日本海軍最後の軍艦として、名誉と誇りを守りながら海の底へと沈んで逝ったのである。

    当時、この実験に立ち会った米軍当局者は、この頑強な不沈戦艦・長門の様子を観て、この戦艦を建造した日本の高度な技術に、改めて肝を冷したと言われている。



    昭和16年12月、呉海軍工廠において、あの「戦艦大和」が竣工している。
    当時の造船技術の粋を注ぎ込み、4年余りの歳月をかけ、極秘裏に建造が進められてきた。 

    “不沈戦艦”と言われた「大和」は世界最大級の46cm主大砲九門を備え、全長263m、満載重量72,800t、と他に類を見ない巨艦だった。 

    46cm主砲弾の飛距離は実に42km・・!、 
    フルマラソンのコースと同じで東京都心から我が在住の神奈川県中央部(厚木・・?)位の距離に匹敵するのである。 
    因みに、46cm砲を加工した旋盤(工作機械の一種、工作物を主軸とともに回転させ、刃物を左右前後に動かして切削し、表面切削・ねじ切り・孔あけなどを行う。主に円形物の加工)は機関車並みの大きさで、68年を経た今日でも兵庫県播磨町の一企業で活躍中だという。 

    現在の造船界は大型タンカー20万トン、30万トンクラスのものはざらで、スクリュウの軸だけで100トンを超えるものも有る。超大型旋盤はこれら大型部品をはじめ水力、原子力発電の諸施設など、平和利用に役立っているとか。

    大和」は、太平洋におけるミッドウエー海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦と出撃したが、日本海軍は連戦連敗を喫し、大した戦果も無いまま帰還した。 
    この時期において日本海軍は事実上壊滅していたのである。  
    明治の世から既に時は移り近代戦における戦略的作戦面において、実は大艦巨砲主義から情報・航空空中戦に移っていたのであり、日本軍部はその認識を誤っていたのである。

    昭和20年4月5日、「天1号作戦」(菊水作戦:きくすいさくせん、太平洋戦争末期、沖縄戦に投入された日本海軍の特攻作戦)が発令される。 
    一億総玉砕」の旗印の下、最初で最後の水上特攻作戦(九州各地の航空基地からの特攻攻撃に呼応して、水上部隊の沖縄突入)を行った。 
    目的地は沖縄、作戦は片道分の燃料を積んで自ら浅瀬に乗り上げ、動かぬ砲台となって敵の陸上部隊を砲撃するもので、アメリカ軍に占領、上陸された沖縄の防衛及び奪還の支援が主目的であった。

    4月6日「大和」は、呉軍港、山口・徳山沖から護衛艦、駆逐艦を引き連れて沖縄に向け出撃する。 豊後水道から鹿児島県・坊ノ岬沖90海里(1海里は1,852m)の地点に達した時、米軍航空隊386機(戦闘機180機・爆撃機75機・雷撃機131機)の猛攻を受ける。 
    11本の魚雷と7発以上の直撃弾を受け、大火災をおこした大和は、最後の魚雷が命中した3分後、傾斜が20度になり総員退艦命令が出された。 更に、3分後大傾斜後横転(のちに転覆?)し海中で弾薬庫が大爆発、船体は折れて海に沈んだ。

    「大和」艦隊には護衛機がない、制空権が奪われた裸の艦隊だった。 
    そのときに発した火柱は遙か鹿児島でも確認できたという。 
    戦死者は伊藤整一第二艦隊司令長官、有賀幸作艦長以下2,498名、生存276名。 現在の大和は、長崎県男女群島女島南方176キロ、水深345mの地点に於いて、それぞれ半分泥に埋まった状態で沈んでいるという(NHK特集『海底の大和、巨大戦艦40年目の鎮魂』にて放送)。 


    本年末、映画「男たちの大和/YAMATO」が上映される。佐藤純彌監督、反町隆史、中村獅童、仲代達矢他が出演。 
    又、撮影に使われた原寸大セット「戦艦大和」が、尾道市向島町の日立造船西工場跡に展示公開されている。 
    全長約190m、幅約40m、高さ約15m、46cm主砲、高角砲など制作費約6億円、映画撮影時のすさまじさをその目で確かめる事が出来る。


    広島市、呉市は海事関連物資、軍事用品、兵器、軍艦などの「物造り」、所謂、ハード面の拠点だった。 
    合わせて「人造り」、つまりソフト面の優秀な人材の育成が必須であった、それが「江田島」である。 

    広島市からは海上約7.5km、呉市からは海上約6kmの位置にある。 
    呉市とは、「音戸の瀬戸」といわれる音戸大橋・早瀬大橋の両架橋により結ばれ、実質的には陸続きとなっている。 
    江田島には、アメリカのアナポリス、イギリスのダートマスとともに世界の三大兵学校として、その名を世界にはせた旧海軍兵学校がある。 
    島内には、旧海軍兵学校の校舎が戦時下でも残され、現在でもその敷地、建物は海上自衛隊第一術科学校及び幹部候補生学校として使用されている。

    次回は、江田島・海軍兵学校



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