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from: orimasa2007さん
2011年03月18日 11時29分38秒
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日本周遊紀行(98)呉 「江田島・海軍兵学校」
『東日本大震災』に遭われた被災者の皆さんに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 微少微力ながら援助は惜しみませんので、一日も早い安らぎと回復をお祈りいたします。
周辺の温泉地において、被災者に温かい温泉を提供してやって下さい。 所謂弱者・・?、高齢者所帯、乳幼児のいる所帯には短期間でもいいから極力空部屋(特に公共宿泊施設)を貸してやって下さい。 政府、官公庁、地方の公の機関はこれらをバックアップしてやって下さい。
東北出身(いわき)の小生
日本周遊紀行(98)呉 「江田島・海軍兵学校」 、
明治天皇が陸海軍軍人に対して下した訓誡・「軍人勅諭」は今も生きている・・、
明治初期、広島には広島鎮台、呉には海軍鎮守府が設立せれるに及んで、1883年(明治21年)江田島に、海軍士官養成を目的とした学校「海軍兵学校」が開設された。
呉港の、ほぼ正面に位置する江田島の東の玄関口に小用港があり、そこから約1.5kmの地点にその学校は在る。
呉に鎮守府を置くことに決定した流れの中で、瀬戸内海でも数少ない内湾で水深も有り、鏡のような波静かな江田島湾、純朴な島民気質、寒村であるが故に教育に最適の地として、当時の関係者に「ここしかない」と決断させたという。
海軍兵学校(海兵)とは、海軍士官を養成する機関であり、帝国大学(旧制第一高等学校・現東京大学教養学部)や陸軍士官学校と同じレベルの試験で選抜され、入校と同時に英国式の術科重視の教育が行われる。
江田島で三年間の高等教育を受けると、卒業後は少尉候補生として練習艦隊に配属され、遠洋航海など実地訓練や術科講習を経て任官する。
ヒラの水兵から、少尉に昇進するのは大変なことであったことから、彼らが、いかにエリート集団であったことが分る。
広大な敷地には、歴史を感じさせる古い建物が今も数多く残っている。
緑の芝生に覆われた赤レンガの「生徒館」(校舎)は、明治26年イギリスから直輸入されたものという。
この赤レンガは、イギリスで焼かれた最高級のものを一枚一枚輸入したもので、赤レンガ一枚の値段(20銭)は当時の大工さんの日当の2倍だったとか、1世紀を経た今も、その華麗な美しさは変わらない。
そのほか、2千人も収容できる「大講堂」、ローマのパレテノン神殿を思わせる円柱が特徴の「教育参考館」など貴重なものが残されている。「大講堂」は入・卒業式、各種式典、講演が行われる。
「生徒館」の自習室(教室)正面には、「五省」という訓戒額や広瀬中佐、東郷元帥の肖像画が掲げられているという。
海軍兵学校の生徒達は、夜の自習止め五分前のラッパ「G一声」(敬礼、答礼ラッパ)が静寂な生徒館に流れると、当番の一号生徒が「軍人勅諭」五箇条に続いて、「五省」を各項目一つ一つをゆっくり拝誦し、他の生徒はこれに合わせて黙誦し、その日一日の自らの行動や言動を反省自戒し、自ら人格の陶冶に努めていたという。
『軍人勅諭』
(明治15年、明治天皇が陸海軍軍人に対して下した訓誡)
一.軍人は忠節を尽すを本分とすへし
一.軍人は礼儀を正しくすへし
一.軍人は武勇を尚(とうと)ふへし
一.軍人は信義を重んすへし
一.軍人は質素を旨とすへし
『五省』
一、至誠に悖(もと)るなかりしか (誠意に欠けた事はないか)
一、言行に恥づるなかりしか (恥ずかしい言動はなかったか)
一、気力に缺くるなかりしか (意気込みは充分だったか)
一、努力に憾(うら)みなかりしか (最善を尽くしたか)
一、不精に亘るなかりしか (怠けなかったか―を己に問え)
「学生館」(学生寮)では、毎朝六時(冬季は六時半)に「総員起こし」の放送で飛び起き、「お早うございます」と同室の者に挨拶し、ベッドメイクをして、服を着、靴下&靴を履き、カーテンを開け、窓を開け、電気を付け、四階の部屋からグランドへ駆け下りてくるのに約2〜3分、4分もかかろうものなら「遅い・・!」と叱られる。
「教育参考館」は、昭和11年に入って建てられた鉄筋コンクリート造りの建物であり、海軍の栄光と先人の偉業をしのぶ歴史的な資料を収蔵しているいわば海軍の聖堂である。東郷平八郎、ホレーショ・ネルソン(イギリス海軍提督)、山本五十六の遺髪、海軍将校の書、特攻隊員の遺書など、旧海軍関係資料1万6千点が展示、保存されている。 今の展示館、資料館に相当するものであろう。
「生徒をして帝国海軍の淵源甚だ遼遠なるを知らしめ、且つ先人苦心の跡を味得せしむると共に、身を以て国に殉じたる幾多先輩偉人の忠烈に私淑せしめ、光輝ある帝国海軍の伝統を、永遠に警鐘発揮せしめんがためなり」の主旨が現在にまで生き続けている。
又、当時の若い特攻隊員達の遺書も見事な達筆で残されている。
「国難にあたり一命を投じて日本国の盾となります」と記され、遺書の多くは、「父上様、母上様、私に会いに靖国神社に来てくださいね。」と結ばれているという。
終戦後、米軍に接収されていた江田島・旧海軍兵学校は、1955年(昭和30年)に占領軍から日本政府に返還され、それに伴って海上自衛隊第1術科学校と海上自衛隊幹部候補生学校として使われることになり、現在に至っている。
陸・海・空の中で海上自衛隊は、際立って旧海軍との繋がりを意識する組織で軍艦旗もセーラー服も、そして校舎も昔の面影を残しているという。
「赤レンガ学舎」北方後方に、江田島のシンボル、標高392メートルの古鷹山が聳え立つ。
日露戦争時の定刻海軍作戦参謀・秋山真之が、暇を見つけては毎日のように登ったとか、巡洋艦「古鷹」がその名を付けていた。山頂途中には、東郷元帥直筆といわれる「五省」が、道標を兼ねて立てられている。
この山は、兵学校生徒の運動強化、体力向上を目的とした登山訓練の場でもあり、通常、一般の人は麓から凡そ1時間のところ、20分位で頂上到達するという。
現在も自衛隊員がこの山で訓練を続けている。
『同期の桜』 海軍愛唱歌
貴様と俺とは同期の桜
同じ兵学校の庭に咲く
咲いた花なら散るのは覚悟
見事散りましょ国のため
貴様と俺とは同期の桜
離れ離れに散ろうとも
花の都の靖国神社
春の梢に咲いて会おう
『江田島健児の歌』 海軍兵学校校歌
澎湃(ほうはい)寄する海原の
大波砕け散るところ
常磐の松のみどり濃き
秀麗(しゅうれい)の国秋津州
有史悠々数千載(すうせんざい)
皇謨(こうぼ)仰げば弥(いや)高し
ああ江田島の健男児
時到りなば雲喚(よ)びて
天翔(てんか)け行かん蛟龍の
地に潜むにも似たるかな
斃(たお)れて後に止まんとは
我が真心の呼(さけ)びなれ
次回は、安芸の宮島・「厳島神社」
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