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from: orimasa2007さん
2011年06月10日 10時33分54秒
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日本周遊紀行(139)水俣 「水俣病」(1)
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日本周遊紀行(139)水俣 「水俣病」(1) 、
水俣病の最高責任者は、皇室の縁者であった・・? 、
右手に津奈木太郎峠を越えの旧鹿児島街道がくねりながら見え隠れしているが、間もなくその津奈木の町内に入った。
JRの津奈木駅付近では頭上を新幹線の直線の架道が横切っている。これより一走りで新装なった新幹線の停車駅である「新水俣」駅へ出た。
二階ホーム駅舎のパネルが異様に光っている。
九州新幹線は現在、新八代〜鹿児島中央間を結ぶ部分が2004年(平成16年)3月、一足先に開業しており営業運転を行っている。
そして博多〜新八代間もすでに建設着工されており、2010年度末の開業が予定されているらしい。
鹿児島ルートが全線開業すれば博多から東海道・山陽新幹線と線路が繋がり、東京〜鹿児島中央間・つまり日本の3分の2の地域が新幹線で結ばれることになる。
現在、JR九州とJR東海そしてJR西日本との間で交渉中らしいが、現時点では新大阪駅-鹿児島中央駅間の直通運転が検討され、有力視されている。
ただ、JR東海である東海道新幹線の東京駅からの直通乗り入れは所要時間及び料金面で航空便と対抗する事が困難な事から、鹿児島中央までの直通列車乗り入れの実現性は極めて低いとの見方が強いという。
尚、在来線の鹿児島本線は本来は門司港〜鹿児島間の路線であったが、2004年に九州新幹線の新八代〜鹿児島中央間が開業したのに伴い、八代駅-⇔川内駅( 117km区間)は「肥薩おれんじ鉄道」と改名され、第三セクター会社に経営が移管されているという。
新水俣の新装駅前を過ぎると直に水俣市街に達し、今度は“第三セクター”の水俣駅である。駅を通過すると間もなく右手に周りは用水路で囲まれ、塀の高さは2.5mくらいあろうかコンクリートの壁と樹木が植えられていて、隠すように会社・工場が延々と延びている。
中を覗うことは出来ないが、何やら辺りには妙な匂いが漂っている。
この先に広い公園が在って「水俣広域公園」と標識にあった。
散歩中と思われるオバサンに「こちらの焦げ茶色の建物(プラントらしい・・?)はチッソですか・・?」と、かって知ってた名前を出してみた。
「ハイ、そうですけん・・、あちらもそうたい・・、」と今通ってきた黒塀の方を指差した。「ああ、ヤッパそうですか・・どうも・・」、怪訝そうに小生の車やナンバーを確認していた。
「水俣病」の名は世界にも知られているというのに、それを起こした当の会社が駅前の一等地にケッコウ大きな顔をして居座っていて威圧感すらある。
未だ「チッソ」の水俣市における権威と存在感をリアルに感じるのである。
小生がまだ高校生の少年の頃、小さな白黒テレビで「猫が身体を揺すりながら、突然、ひっくり返って痙攣しながら絶命していく・・」、「人がベットの上で、目を一点に見つめ、手足を痙攣させながら反復運動を繰り返している・・」、こんな姿に嫌悪と恐怖を感じながら見ていたのを覚えている。
後に九州、熊本県・水俣地方においての「奇病」であることを知った。
いささか飛躍するかも知れないが・・!、
昨今の皇室典範有識者会議の最終報告で「女性天皇」ないし「女系天皇」を容認する方向がはっきり打ち出され、行政府もこの方向で論議がすすんでいた。 ところが、平成18年初、秋篠宮妃殿下御懐妊の吉報がニュースを賑わした時、まさに男子出生の望みが出てきたことで早急に結論付ける問題ではない、ということで「女性天皇」問題は一応棚上げ、沈静化されていった。
もし、紀子妃に姫子の誕生となると皇太子・雅子妃の愛嬢・「愛子様」が、歴史的見ても、近年初の「女性天皇」になる可能性があるといわれる。
すると、愛子天皇の祖祖父(雅子皇后の祖父)は江頭氏であり、水俣病事件発生当時の社長であった。
もしこの事が実現すれば天皇家、皇室にとっては一つの汚点を残すことになるのではと、一部識者に懸念されていたが・・?。
【追記】
2006年(平成18年)9月6日 、秋篠宮文仁親王と文仁親王妃紀子の第三子として、長男「悠仁親王(ひさひとしんのう)が御生まれになった、皇位継承は第三位となる。 秋篠宮家にとっては佳子内親王以来12年ぶりの子女の誕生、そして皇室にとっては父である秋篠宮文仁親王以来、実に41年ぶりの男子誕生となった。
さて江頭 豊(えがしら ゆたか)という人物について・・、
江頭家は藩政時代、佐賀藩主・鍋島家の家臣だったとされる。 彼は金融界より「チッソ株式会社」の社長(1964年〜1971年)として就任、当時の水俣病問題の対応にあたっていた。 豊氏の娘が外務省勤務の小和田恒に嫁ぎ、小和田恒の長女である雅子氏は1993年、皇太子徳仁と結婚し皇太子妃となった。
つまり江頭氏は日本国・皇太子妃雅子(将来の皇后陛下)の母方の祖父にあたる。
水俣病発覚当初、原因は種々取り沙汰されたが原因追跡の研究の結果、有毒排水の蓄積が主な原因とされ、それを受けて江頭社長は患者家庭を詫びて回ったという。
しかし、その後の水俣病一次訴訟による裁判では、チッソの責任を全面否定している。
雅子妃の祖父・江頭氏が社長に就任したのは昭和39年、退任は昭和46年であり期間は7年間であった。
当時のチッソの社長の仕事は会社経営もさることながら、水俣事件の軽減、隠蔽を図り、官僚の各方面に働きかけ、国や県に責任の一端をなすり付ける頑張りは物凄く、その人が反省どころか、もみ消しを家族ぐるみでやっていたとも一部囁かれていたという。
「水俣病」の原因が、チッソ工場の排水が水俣湾の汚染によりもの判ったのは、昭和31年頃であった。
水俣公害事件は、いまだに全面解決に至っていないともいわれるが。
原因当事責任者が間接的にも皇室と縁が出来てしまったが、彼の氏のやり方、生き方は日本国皇室のあり方とは正反対にあったと言っていいのかもしれない。
生まれ育った頃に雅子氏が見たのは、会社のために頑張っている祖父の姿だったかも知れないのだ。
引き続き「水俣病」
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