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from: orimasa2007さん
2011年07月23日 10時16分41秒
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日本周遊紀行(156)日南 「油津と堀川運河」
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日本周遊紀行(156)日南 「油津と堀川運河」 ,
写真:堀川運河と堀川橋(向こうに吾平津神社の鳥居)
吾平津神社(乙姫大明神)
「油津」は神代の浦であり、自然が織りなす天然の良港であったが・・、
南郷の目井津港の正面に瓢箪の様な形の島が見えている。 「大島」といい人口僅か10数人と言われる優雅な島である。
島は奇岩なども多く亜熱帯性の植物が繁り、季節には、あちこちでハイビスカスの花が咲き、なかなかの景勝地である。
ダイビングやキャンプに訪れる人も年々増えて、釣り客や島を散策に来る人のための民宿もあるとか。
気が付けば、既にここは日向の国・宮崎県である。
日向灘の紺碧の大海を望みながら、日南フェニックスロードと呼ばれる国道を北上する。
日南市に入って先ず「油津」という所へ来た。
対岸に細長く突出した大節の岬に囲まれた天然の良港で、今はヒッソリとした港町のようである。
油津は古くは「吾平津」(あいらつ)と呼んでいて後に「アイラ、油」と、訛ったという説が一般的である。
神武天皇のお妃、「吾平津妃」がお立ちになったとされる故事に由来し、堀川端に鎮座する「吾平津神社」の縁起にもなっている。
その御陵が「吾平山陵」であるこのことは先に記した。
日南市の油津港から砂州の広がる広渡川の河口から凡そ1.5kmで結ぶ「堀川運河」が、江戸初期に拓かれている。
運河は、地元特産の飫肥杉(おびすぎ)を運搬する目的で、飫肥藩が水路として開設したものである。
この運河は日向・飫肥藩主・伊東祐実(五代藩主)によって開削されたもので、主に広渡川を流して運ばれた木材を油津港へ送り込むことを目的としたものだった。
運河が開削されるまでは、北郷あたりの山地から産出した木材は広渡川を下って一旦、海へと出ることになる。
その後に梅ヶ浜の沖から尾伏のハナ(現在の大節鼻)を廻って油津の港へと曳かなくてはならなかった。
かなりの遠回りで、時には潮流や強風などによって損失する木材も少なくはなく、また危険も大きくて効率の悪いものだった。
1683年(天和3年)の12月に始まった堀川開削の工事は、1686年(貞享3年)の春まで、およそ2年4ヶ月の期間を要したという。
運河の開削は当時の技術では決して楽なものではなく、特に吾平津神社下あたりの岩盤の掘削はかなりの難工事であったという。
言い伝えによれば当時、生贄(いけにえ)として「人柱」が立てられたという噂もある。
その後の油津は、最盛期には周辺一帯、一面に材木の山が積まれていたという。
その河口よりやや遡った所に堀川橋がある。
明治36年(1903)、飫肥の名石工・石井文吉によって完成させたという由緒ある石橋で、油津を横断する堀川に堂々たる姿を、現在でも残している。
俗称、優雅に「乙姫橋」とも呼ばれ、この界隈を今でも乙姫町としている。
映画「男はつらいよ」-寅次郎の青春編-(シリーズ作)に登場した町のシンボルでもある。
油津にかつて訪れた野口雨情が
『 水と筏を 堀川橋の 石の手すりは 見て暮らす 』
と詠んでいる。
そして1921年、野口雨情は本居長世の作曲で童謡「乙姫さん」を残している。
その橋の袂に吾平津神社があるが、この神社は「乙姫大明神」ともいい、近隣の人々は今も親しみを込めて「乙姫さん」と呼んでいるという。
『乙姫さん』 詞 野口雨情 曲 本居長世
龍宮の龍宮の 乙姫さんは
トントンカラリン トンカラリン
トンカラリン トンカラリン と
はたを織りました
浦島太郎も トントンカラリン
黄金のたすきでトンカラリン
トンカラリン トンカラリン と
はたを織りました
「吾平津神社」は海の民・油津の人たちの氏神でもあるが、古代神話に彩られる鵜戸の岩屋(現、鵜戸神宮)同様、油津も神代の浦であり、古代から自然が織りなす天然の良港であったという。
江戸期には油津港を基地として、飫肥杉使用する造船場が多い播磨地方に千石船 (俗称・弁財船、)で運ばれ、木材積出し港として最盛期を迎える。 堀川運河と広渡川の連結部には当時の「石堰堤」が今も残る。
この石堤の上流は妻手川、酒谷川、広渡川、益安川などの四つの河川が合流し大きな砂州、河川敷を形造っている。
この酒谷川の上流域で凡そ5kmのところが飫肥地区である。
飫肥(おび)は、戦国期(1588年)から明治初期までの280年間飫肥藩・伊東氏の5万1千石の城下町として栄えたところで、町の中央部に清らかな酒谷川が流れ、深い山々に囲まれた景観と静かな佇(たたず)まいを漂わせている。
復元された飫肥城大手門、本丸御殿をはじめ、藩校や武家屋敷通、町並みと合わせて「九州の小京都」とも言われている。
また、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。
藩主・伊東氏は周辺山々の植林に力を入れ、飫肥杉という銘木を造り上げた。
その後、合わせて製紙業も盛んになり藩は大いに潤ったという。
飫肥杉は南九州の豊富な降水で育った山間部の杉であり、山間部の厳しい気候で育った飫肥杉は腐りにくく、強靭な杉として造船材などに多く使用されている。
次回は、「飫肥藩・伊東氏」
『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真関係)
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