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  • from: Knob Turnerさん

    2010年03月16日 23時44分03秒

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    ニュース

    こんばんは。
    不定期の特殊部隊ニュースでございます(^^;

    ◎アフガンにおける米軍特殊作戦の指揮系統が変わる?
    ISAF(国際治安支援部隊)司令官である米軍のStanley A. McChrystal陸軍大将は、自爆テロによる民間人犠牲者や連合軍将兵の戦死者など未だ混迷の治まる気配がないアフガン情勢を鑑み、今後、米軍特殊部隊を従来の指揮系統ではなく自身の直接指揮下とすることに言及しました。
    現在、米軍特殊部隊は従来どおりU.S.SOCOM(米特殊作戦コマンド)が統括し、戦域軍であるU.S.CENTCOM(米中央コマンド。中東〜中央アジアを担当)の特殊作戦部門SOCCENT(中央特殊作戦コマンド)が実際の指揮運用権を有しており、ISAFではなく、あくまで米軍の指揮下で活動していますが、今後の状況如何によってはそれが変化する可能性も大いにありそうです。
    ただ、デルタやDEVGRUといったいわゆる"SMU"と、それらと併せて一緒に運用される英SASやSBSといった部隊は、相変わらずJSOC(統合特殊作戦コマンド)の指揮下なんでしょうね。

    McChrystal大将は第82空挺師団、グリンベレー、第75レンジャー連隊などでの勤務経験を持ち、JSOC司令官として2003〜08年までの5年間という極めて異例の長期間、アフガンやイラクでの秘密対テロ作戦を指揮してきました。そのため、現在のJSOC司令官を務めるWilliam H. McRaven海軍中将(SEALチーム6出身)と並んで、近年最も特殊部隊サイドおよび正規軍サイドの双方から期待が寄せられている有能な将官として名が通っています。


    ◎ボルネオ紛争中にMIAとなっていたSASR隊員の遺体発見
    この度、ボルネオ島の西カリマンタン地域で、1960年代に勃発したボルネオ紛争中にMIA(戦闘中行方不明)となっていた2名のSASR(豪軍SAS連隊)将兵(Ken Hudson中尉とBob Moncrieff一等兵)の遺体が発見されたそうです。彼等は当時、SASRの第2戦闘中隊E小隊に所属しており、隠密越境パトロール任務における渡河中にMIA(おそらく溺死)になったとされていました。
    遺体を捜す作業は2008年からSASRとKOPASSUS(インドネシア陸軍特殊部隊)の共同で始められており、今回の発見はボルネオ島に住む原住民の証言が基になったといいます。
    彼等の身体は実に44年ぶりに祖国に戻ったそうです。合掌…(-人-)

    似たような件では、2003年に遺体発見で死亡が確認されたLarry Thorne大尉のケースがありますね。
    Larry Thorne大尉といえば、グリンベレーの伝説的人物の一人です。第2次世界大戦中、フィンランド軍の長距離偵察隊長やナチスドイツ武装SS隊員としてソ連軍と戦い、祖国フィンランドからは“国民的英雄”としてアメリカの名誉勲章に匹敵する勲章を、ドイツからは鉄十字章を授与されています。大戦後はナチ協力者への迫害から逃れるために渡米し、米陸軍大尉として創成期の第10特殊部隊グループに入隊。その後、第5特殊部隊グループへ転属してヴェトナム戦争に従軍し、MACV-SOGに参加。1965年、ラオスでの秘密任務からの帰還中にヘリが撃墜され、後日、他の搭乗員の遺体は確認されたものの彼の遺体だけは発見されなかったため、長い間MIAに指定されていました。
    当時のグリンベレーの同僚の中には、彼がまだジャングルの中で生きていて、ある日突然ひょっこり帰ってくるんじゃないかと信じる者が多数いたそうです。

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  • from: 予備役士長 - 2さん

    2010年03月04日 00時03分03秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:アフリカの部隊史」

    > ローデシアSASとレクスコマンドーの間にそんな関係があったとは!

    こういった交友関係から、ローデシアSAS,セロース解隊は隊員たちが南アにわたり、第5Recceに参加したりしています。その名残か、第5レキの部隊章にはセロースのパラウィングがプリントされています。

    >
    > > Bob MacKenzie
    > 確か後にシエラレオネで傭兵部隊を率いて、亡くなった方ですよね? 現地の反政府ゲリラに待ち伏せを受けた挙句、見せしめのために遺体の一部を食べられたとか…

    グルカ・セキュリティー・サービス(GSS)を率いて参戦しましたが、おっしゃる通りに非業の最期を迎えています。ただ、見せしめとも言われていますが、この地方は倒した敵の心臓や内臓を食べると強くなれるという新人があったとも言われています。このGSSはこの後にはパプアニューギニア政府の要請で同国に入る予定でしたが、国際社会から「自国の反政府勢力を抑えるのに傭兵を使う気か!」(実際は会社でしたが、実態を傭兵集団とみなしていた)として追い返された経緯があったりします。


    > その後、1962〜65年まで第22SAS連隊長としてボルネオ紛争におけるSASの作戦を指揮し、中佐で退役。あのCharles Beckwith大尉がSASに派遣されたのが1962〜63年なので、ちょうどその時の連隊長だったはずです。

    ベックウィズ本人の著書「対テロ特殊部隊を作った男」の中で、交換プログラムの経緯について記してあって、ウッドハウス中佐の事も出ていましたね。年代はばっちり会うのですが、なぜかベックウィズの著書にはこの時の部隊司令は「ウィルソン大佐」になってましたね(^^

    > 退役後、3年ほど英外務連邦省の安全保障コンサルタントを務め、1976〜84年にかけてSAS協会長も務めています。

    ちなみにこのSAS協会、「Mars&Minerva」という機関紙を出していまして、創設時からのSASの事や、部隊に関わった人たちの投稿、SAS関係部隊や英連邦SASの人たちの投書などでできていて興味深い冊子です。ちなみに自分が持っている67年の号(コピー)にはLt Col P.G.Fleming(第21SAS・Bspuadron)が「SASの偉大な友人」としてアメリカへ訓練に行った際のベックウィズの事が書かれています。

    画像は南アフリカの今の特殊部隊連隊の元祖、レックスコマンドゥの訓練写真です。

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