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from: H-2さん
2008年03月20日 16時58分24秒
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「寸又峡(すまたきょう)事件」について
久しぶりに、長めの書き込みをします(^_^)。
また、警察ネタで恐縮なのですが(^_^;)、事件から今年で、ちょうど40年になるので、記載したいと思います。
「寸又峡(すまたきょう)事件」は、日本警察に狙撃手(スナイパー)と、狙撃ライフルが導入されるきっかけとなった事件です。
犯人の名から「金嬉老(きんきろう)事件」とも呼ばれています。
1968年2月20日、手形トラブルから、暴力団員に借金返済を求められていた犯人は、借金返済を約束して、静岡県清水市(現在の静岡市清水区)のクラブで、暴力団員と面会しました。
このクラブで、犯人は、暴力団員のうち2名を、事前に準備していたライフルで射殺し、翌日、静岡県榛原郡本川根町(現在の榛原郡川根本町寸又峡温泉)の旅館に、経営者・宿泊客ら13名を人質として立て篭もりました。
犯人は立て篭もった際、ライフルと、ダイナマイトを所持していました。
犯人の使用していたライフルは、豊和工業製のセミオートライフル「M300」に、4倍のスコープと、M1カービンの弾倉(30発弾倉)を取り付けた物でした。
銃刀法や政令では、5発以上弾が入る弾倉は所持を禁止していますが、犯人はどこからか手に入れてきたようです。
これに対し警察は、人質救出のため、犯人に対する狙撃を検討しましたが、当時の警察には拳銃しか装備されておらず、近距離まで接近することは非常に困難でした。
そのため急遽、銃砲店からライフルを借りて、狙撃班を編成しています。
狙撃班のメンバーには、拳銃射撃の腕が立つ者が選ばれましたが、実際に、ライフルを扱った経験のある者は、ほとんどいなかったようです。
それでも、警察は最後の手段として、狙撃班を現場に配置しました。
この篭城は、実に88時間に渡りました。
最終的には、新聞記者に変装した捜査員達が、人質の一部が開放された瞬間に、犯人を取り押さえ、逮捕しました。
この事件の後、日本の警察は、狙撃手とライフルの必要性を痛感し、全国の都道府県警察に狙撃班を創設しました。
名称は「特殊銃隊」と呼ばれ、警視庁では「特殊警備部隊」と呼ばれていたようです。
その後1970年に、「瀬戸内シージャック事件」が発生した際、大阪府警察の特殊銃隊が出動しました。
この事件では、狙撃手がライフルで犯人を射殺し、人質を救出しています。
近年、この狙撃班は再編成され、名称を「銃器対策部隊」と改め、現在に至っています。
事件から40年が経過し、現在では、全国の都道府県警察にライフル、狙撃手、防弾装甲車が必ず配備されています。
また特殊部隊(SAT)や、特殊犯捜査係(SIT、MAATなど)も創設されています。
このように見ると、40年前と比べて、明らかに警察の装備や体制は充実しました。
しかし、この事件の捜査指揮が比較的、上出来であったために、捜査責任者の質の向上は図られてこなかった、という印象を受けます。
その結果、福岡の立て篭もり事件で、人質を死なせてしまったり、愛知県の事件でSATの隊員が死亡する事態になったと思うのです。
ですから、今後は、現場の警察官だけが、立てこもり対策の訓練を行うのではなく、道府県警本部長や警視総監がもっと積極的に訓練に参加し、指揮官としての「質」を向上させるべきであると思います。
どなたか、御意見、御指摘など頂けたら、嬉しいです。-
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