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from: H-2さん
2010年12月21日 15時32分23秒
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総アクセス件数が15万件を超えました
こんばんは(^_^)。
現在、knob turnerさんと予備役士長さんが、とても興味深い話題を掲載している途中ですが、12月現在で特殊部隊同好会の総アクセス件数が15万件を超えました。
このサークルは勿論、営利目的で行っているものではありませんが、相当なアクセス件数です。
これも、御参加頂いているメンバーの皆様方のおかげだと思っています。
御礼申し上げます<(_ _)>。
また、最近メンバーになられた方もいます。
掲示板での話題は、必ずしも特殊部隊の分野だけに限定している訳ではありません。
社会情勢や映画の話題など、何でも結構ですので、どうか気軽に掲示板に書き込んで下さい(^_^)。-
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コメント: 全2件
from: 予備役士長 - 2さん
2010年12月23日 00時04分31秒
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「Re:総アクセス件数が15万件を超えました」
>H-2さん
おお!15万アクセスおめでとうございます♪
それだけこのサイトが注目されているって事、そして特殊部隊に結構関心が高いという事なんでしょうかね(^^
>Knob Turnerさん
はい、おっしゃる通り欧州分遣隊(Det-E)とベルリン旅団のDet-Aは別組織でした。
Knob Turnerさんの書き込みのとおり、Det-Eは当時ドイツに展開していた第10特殊作戦群第1大隊の指揮・統制・支援がメインという事で特殊部隊記念本に出ておりました。なお、初代指揮官は
A.J."BO"Baker大佐だそうです。
で、DET-Aのほうですが、こちらの前身はDEt-Eができる以前の1956年から活動をしており、当初は第6歩兵連隊本部隷下の7761ARMY UNITに組み入れられていました。
その後同連隊本部の保安小隊の中に編入されたとされています。
そして、1962年にUSAREUR(欧州陸軍)に新編されたのベルリン旅団内にDET-Aとして置かれるようになりました。
興味深いのは、この時のベレーフラッシュは第10の緑に西ドイツ国旗のカラーがラインで入った有名な物を双方が使用していたこと。
そして、現在DET-Kが39thSFOD(第39特殊部隊分遣隊)を名乗っていますが、元はこのDET-Aがこの部隊名を使っていました。
当時のベルリン旅団は対東の諜報活動及び作戦部隊で、以前書いたように東側への直接行動などが入っていたりして、なかなか機密性の高い存在で、ナント、特殊部隊記念本の部隊歴解説にも出てきません!唯一はイーグルクロウ作戦で活動した記事だけが出ています。
当時の東西の諜報合戦は熾烈を極めたようで、DET-Aではないですが、軍事情報部隊のLRSU(長距離監視部隊)などは国境沿い、または越境して偵察活動を行っていたそうです。
また、当時特殊部隊を持っていなかった西ドイツは自国海軍のKSK(戦闘泳者中隊)の隊員が東側の港の偵察などを実施していたそうです。
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from: Knob Turnerさん
2010年12月23日 14時44分58秒
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「Re:Re:総アクセス件数が15万件を超えました」
こんにちは〜
15万アクセスおめでとうございます^^
>SF Det-E
やはりそうだったんですね。ありがとうございますm(_ _)m
"Bo" Bakerの名前はBeckwith大佐の回顧録にも出てきますね。確か、ヴェトナムでProject DELTAを率いていた時の作戦将校だったと思います。そして、現役の特殊部隊大佐として謎の死を遂げた人物でもあります…
Baker大佐は1950年に下士官兵として空軍に入隊するものの、陸軍へ転属して56年に少尉任官。第9歩兵師団、第4歩兵師団、第7歩兵師団、第82空挺師団などで小隊長や中隊長を務めた後、特殊部隊訓練を経て第6特殊部隊グループに入隊。その後、ヴェトナムのMACV Recondo School校長とB-52 Project DELTAの作戦将校、JFK軍事援助センターの教官、在パナマのジャングル戦訓練センター長、第2レンジャー大隊の初代大隊長、第10特殊部隊グループ第2大隊長、在欧米陸軍の連絡将校などを経て、特殊部隊欧州分遣隊長を務めていた1980年に急逝。
一説には、当時CIAが欧州で行っていた秘密工作に絡む不正を内部告発しようとして目をつけられていた、という話もありますが今なお真実は分かっていません。
>ベルリン旅団A分遣隊
なんと、特殊部隊の50周年記念本にもほとんど記述がないんですか(汗)
判明しているのは部隊の沿革ぐらいで、その他は本当に謎が多いですね。
創設当初は第10特殊部隊グループから抽出した6個作戦分遣隊から成っており、全体の指揮を執ったのは少佐で、大尉がそれを補佐。各分遣隊は曹長を隊長とし、その下に5名の軍曹が配属されていたそうです。他のスタッフ等を入れても、総勢50人に満たなかったということになりますね。
ちなみに、1984年にベルリン旅団A分遣隊(第39特殊部隊作戦分遣隊)が解散した後も冷戦終結まで、PSSE-B(在ベルリン物理的保安支援班)なる部隊が置かれていたそうです。PSSE-Bメンバーの大部分は元ベルリン旅団A分遣隊の隊員達で、合衆国政府および陸軍の施設をテロ攻撃から保護するために保安設備等の脆弱性の調査分析活動を行っていたとか。ヨーロッパを中心に近辺の中東やアフリカにも出掛けて、現地の米大使館・政府宿舎・米軍施設において100以上もの調査を行ったそうです。
西ドイツやLRSUの話も非常に興味深いです^^
そもそもLRSUの起源となったLRRPのコンセプトが、『NATOの正面(=東欧)で予想される戦争において、敵戦線後方150kmまでの深部偵察を専門とする小規模部隊の運用計画』だったはずなので、そういう隠密越境偵察を行っていても何ら不思議はありませんよね。
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