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from: ueyonabaruさん

2008年04月26日 20時45分41秒

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ソクラテス

時間・空間論などのテ-マで話し合っておりますが、ここで私自身はこの件についてしばし休み、私が読んだばかりのプラトンの「ソクラテスの弁明」について簡単に

時間・空間論などのテ-マで話し合っておりますが、ここで私自身はこの件についてしばし休み、私が読んだばかりのプラトンの「ソクラテスの弁明」について簡単にまとめてみたいとおもいます。

 ソクラテスは私がまだ学生だったころからいつも頭の中に残っていて、プラトンの書いた「ソクラテスの弁明」はいずれ読みたいと思っていたのですが、これまで真面目に読んだことはなかったものです。だいぶの本だとの印象がありましたが、実際は、ホントに小さなもので、実際に読んでみて拍子抜けしてしまいました。
内容はソクラテスを囲んでの会話の形式でつくられており、また平易な文章で書きつらねられており、かなりとっつきやすいものです。
 スト-リ-は、ソクラテスの友人のカイレオポンがデルポイの神殿(アポロンを祭る)に赴き、ソクラテスより智慧のあるものがギリシャにいるのかと巫女を通じ問うところから始まります。巫女はソクラテスより智慧のあるものはいないとの神の言葉を伝えます。それを聞いたソクラテスは、自分自身を智慧あるものとは思っていなかったので、この託宣の意味するところは何かと疑います。それには、世に智慧あるものといわれている者に当たり、この者が自分より智慧のあることを確かめ、デルポイの託宣が間違っていることを証明しようとするのです。多くの智慧者に当たるのですが、全てが自分より智慧があるものとは思われない、すなわち「この人間より、わたしは智慧がある。なぜなら、この男もわたしも、おそらく善美のことがらは、何も知らないらしいけれども、この男は、知らないのに、何か知っているように思っているが、わたしは、知らないから、そのとおりに、また知らないと思っている。だから、つまりこのちょっとしたことで、わたしのほうが智慧のあることになるらしい。・・・・」と結論し、さらに続け、このような調子で当時の身分あるものやその道の専門家たちのプライドを潰してゆくことになるのです。また、当時の青年たちがソクラテスに影響を受け彼の真似をしたこともあり、ついには、ソクラテスの責任を問う社会的な問題にまで発展していきます。これが後の死刑判決につながるわけです。本文では、死刑判決後にソクラテスの回想のかたちで語られます。

 なにがソクラテスをそのような行動に駆り立てたのでしょうか。単なる変人だったのでしょうか。そう、頭の良い、理屈のある変わり者なのでしょうか。
 この本を読んでとれるソクラテスの姿は、私が見る限り、そのような者ではありません。信仰者なのです。デルポイの神の託宣をホントなのかと受け取る人間なのです。託宣が間違っていたら、それに反駁もしかねない心意気さえあるのです。次は、本文からの引用です。

「〜なぜなら、わたしは神を信じているのです。アテナイ人諸君、わたしを訴えている人の誰も、くらべものにはならないくらいに、信じているのです。そしてどうすれば、わたしのためにも、諸君のためにも一番よいことになるかということを、わたしについて判決することは、諸君に一任するとともに、これを神に委ねているのです。」

 ソクラテスは精神的価値を一番に置きます。次のようにものべています。

「諸君のうちの若い人にも年寄りの人にも、誰にでも、精神ができるだけすぐれたものになるように、ずいぶん気をつかわなければならないのであって、それよりも先、もしくは同程度にでも、身体や金銭のことを気にしてはならないと説くわけなのです。そしてそれは、金銭をいくらつんでも、そこからすぐれた精神が生まれてくるわけではなく、金銭その他のものが、人間のために善いものとなるのは、公私いずれにおいても、すべては精神のすぐれていることによるのだからと言うわけです。〜」

                                                       (続く)




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from: tamaさん

2008年04月28日 23時40分27秒

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「Re:Re:Re:Re:ソクラテス」
リアリストさん。いつも真っ直ぐに真摯にお答え頂き有難うございます。
私にとって学びになると思いますので、拙い私の信仰との違いを明確にしたいと思います。

> おそらく、私の考えは様々な教えの影響を受けつつも独自の考えであると
> 思います。現実の宇宙とその中に存在する万物を、天として信仰の対象として
> おります。

私の信仰の場合は、対象は漠然としたものですが、宇宙・大自然・万物そのものは神の「体」であり、それらの存在の根源にあるもの(=愛のエネルギー=愛の法則=愛の意識)を根源神と認識しています(漠然としていますが)。
崇拝はしませんが、私の魂の親の様な存在です。
こんな私をも深く愛して下さっているようです。

>具体的には毎朝その象徴である太陽に感謝の念を捧げる程度です。

私の場合は、定期的に感謝の念を捧げる事はしませんが、今、私が生きている事、生かされている事自体が、神の恵みによるものと気づいています。

> そして、自身の身の回りに起こる事は、すべて天の計らいと捉えております。

素晴らしい境地ですね。
私はそこまでは感じられません。
自身の身の回りに起こる事は、自分の過去(過去世も含め)の想念・行動の因果による結果が殆どだと感じています。
悪い結果が現れた時には自分に原因が無いか、まずチェックし、正してゆく事が第一だと思います。
そして、これらは自分の修行のステージだと思っています。
しかし、私は天の計らいを見落として来たかも知れませんね。
本当にそうです。
少し謙虚に考えてみたいと思います。

> また、すべての人間の心の中に等しく仏性が宿ると考えておりますので、
> 仏教的な思想も展開しております。

全くその通りだと強く感じます。
まず、こんな私の心の中にも神の子としての素晴らしい神性・仏性が宿っており、同じ様に全ての人に等しく神性が宿っている、と強く感じています。
この事に気づく事で、私は周りの人を、より正しく観れるようになり、より愛する事が出来るようになったし、私自身、本当に救われた思いです。

キリスト教に関しては、生きている時の
> イエスの考えには共感を覚えますが、天に帰ってからの彼を神と拝む事は
> ありません。

私は天上界のイエスキリストには偉大な魂として最大限の尊敬の念を抱いています。しかし崇拝はしません。

信仰は確固としておりますが、特定の宗教に属しておりませんので、
> 無宗教者です。他力ではなく、自力になると思います。

私も全く同じです。

>他人が自分を幸せにするとは
> 考えません。幸せを幾つ見つけられるか、幸せを発見し感じる事ができるか。
> 神は答えを自身で掴む事を良しとしているのではないか。答えは決して教えて下さら
> ないが答えを見出せる環境は与えて下さる。

これらのご認識は私も強く共感します。
小さな事に神の恵みを感じ(気づき)幸せを発見する事が私たちが幸せになる近道であり、神は私たちがそれを見出し幸せに近づいて行く事を忍耐強く見守ってくださっているのかも知れませんね。
リアリストさん。
ご教示どうも有難う御座いました。

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