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from: ueyonabaruさん
2009年01月23日 18時38分44秒
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幸福の科学の霊界 ③
幸福の科学の霊界をまとめる作業をしておりましたが、暗礁に乗り上げております。理想として、フランチェツオの霊界をまとめたように、こちらの方もまとめられた
幸福の科学の霊界をまとめる作業をしておりましたが、暗礁に乗り上げております。理想として、フランチェツオの霊界をまとめたように、こちらの方もまとめられたらと思っていたのですが、こちらの方は、多くの事柄があり、まとめやすくありません。私のこの方面における判断力も確かなものがないので、推量による理解も不可能でした。
しかしながら、このままの状態では今後の進展は見込めないので、とりあえず、これら4冊の本を読んで、現在私の頭に残っているものを書いてみます。多くは端折っております。
(死んだことを認めない人たち)
① 死んであの世に行っている人でも、意識がそのまま生前のとおりにあるので、自分の死んだことを認めない者が多い。周りには花も木もあるので、死んだことを認めがたい。
(三途の川を渡る)
② 死んで後、自身の死を認めさせる意味で、三途の川を渡ることが儀式的なものとしてある。三途の川を渡るのは、地上的には(霊的)霊子線が切れるときである。多くの人の場合は、その前に、トンネルのようなものをくぐりぬけて光り輝く世界に出る体験をするが、これは地上的には、死体から魂が抜ける状態に附合する。三途の川を渡ってしまえばもう戻れないが、渡る前に戻る例もまれにある。
(この世の延長線上の霊界)
③ 三途の川を渡ると、天国、地獄と分かつ前のこの世の霊界の延長線上の霊界であるここに来る。ここで、生前のその人の清算が行われる。照魔境のようなもの、ヴィデオのようなもの、その他導きの霊の指導による等々、種々の手段により生前の反省をさせられることになる。反省の結果、4次元精霊界の修行の世界に行くもの、地獄への坂を下って行くものとに分かれる。
大体は、上のまとめのとおりですが、個人によって違う場合が多いとのことです。ある程度悟っているものはこれらの手続きがない場合もあり、逆に凶悪なものは、反省という過程を経ず、死後、直接に地獄へ堕ちる者もいるそうです。地獄への坂道をテクテクと歩んで行く者は、浅い地獄で多分フランチェッツオがいう煉獄の世界へ行くものと思われます。
また、霊界は広大無辺であり、いろいろな話が無限にあるそうです。
面白いのは、地獄の坂道を下る途上で、逆に地獄から天国の方角へ上の方へと歩んでくる者たちとすれ違うことがあり、この者から「住めば都で、済んでしまえば、すべてが良いことでした」と言われ励まされる場面もあるそうです。
あの世には、地獄界の学校と天上界の学校があり、前者は、地獄の浅いところにあって、シッカリ教育をすれば天上界に上がれるという程度の者たちに対しては、天使予備軍の者たちが教育に当たるそうです。
以上のとおりのまとめしかできませんでしたが、この際この分野での勉強をするため、大川先生が参照文献としてあげておられた、本、J.S.M.ワ-ド著、浅野和三郎訳「死後の世界」及びG.カミンズ著、浅野和三郎訳「永遠の大道」潮文社があるようですので、入手したいと思っております。
from: hiraokaさん
2009年01月26日 01時31分57秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:幸福の科学の霊界 ③」
ueyonabaruさん、こんばんは。
> 執着をもっているものとは、四次元の精霊界以下にいるもの、すなわち、地縛霊、浮遊霊、地獄霊と考えますが、いかがでしょうか。
だいたいにおいてそうなのでしょうが、はたしてこの世にまったく執着を持たない人など滅多にいないでしょうし、程度の問題なのではないでしょうか。
その程度の問題と云うのが、ものすごい幅があるわけなんですが・・・。
ある意味、エドガー・ケイシー達の霊団やシルバー・バーチ達やフランチェッツォもこの世に執着が無いわけではないと云うことになりますよね。
だから、大聖人は滅多に出てこないとも云えそうですね。(*^_^*)
>霊言者が真実を語っていると判断する基準のようなものは何でしょうか。ご意見をお聞かせください。
明文化すると法律の文言みたいなもので、かならず抜け穴があるもののようなんですが・・・。
結局のところ、霊言者の人格がうらおもて無く、慈愛にみちていて、この世の常識をきちんとわきまえているのなら、だいたい信用する根拠にしてもいいと思うのですが、そういう人であっても霊言をまちがうことは必ずあるようですよ。
>> ですが、深入りしないほうがいいと思います。 あんがい、危ない道です。
> 怖いですが、興味はありますね
たいていの霊言者はふつう自意識(自分を自分と感じている現在意識を)を小さくするようです。
大川さんも「これ、わかります」と云っていますね。
たとえば、ものすごい恐怖体験などをすると、自分で自分の肉体の運転者であることを放棄して、その現実から逃れようとしたりします。
そのまま元へ戻れなくなると気が狂った状態になるわけです。
サニワは安全かと云うと、そういう人に日常的に接しているうちにだんだん現実と非現実の境があいまいになったり、妄信したりして日常を壊し始めるんですね。
エドガー・ケイシーは、自分の霊言能力を異端ではないかととても悩んでいました。
かれがこの能力を獲得した原因は、自分自身の過去生リーディングで次のように知らされています。
「この実体は、過去生で従軍医師として砂漠を撤退行進していたときの経験による。
行進中に怪我をして砂漠に一人置き去りにされた苦しみの中で、自分の苦しみを忘れるために自分自身を無くする心の方法を覚えたのである」
↑(正確には思い出せませんが、ほぼこういうことだったと記憶しています。)
>・・・。「内観」という、反省の作業による精神的向上を目指す修法の団体があります。・・・
これには、一種の瞑想の状態に入ることもあると思われるのですが、心の窓を不用意に霊界に対して開くこともないのかという懸念です。
「内観」の修法の詳しいことまでは、ほとんど知らないんです。
しかし、瞑想も良き師匠のもとで行ったほうが安全なようですよ。
「何事にも、先達はあらまほしきことなり」ですね。
>心の窓を不用意に霊界に対して開くこともないのかという懸念です。
そういうこともあると思います。良き師匠であっても、なかなか人の心は見れませんのでなおさら注意が必要ですね。ですが、高橋信次さんの残してくれた「反省」くらいなら、あまり自虐的にならなければ有効ではないでしょうか。
「パウロの改心」も、云わば反省ですね。
瞑想法って、ずいぶんたくさんの方法があるんです。
いわゆる座ってやる瞑想法と云うのは、よっぽどのひまじんでないとなかなかできませんよね。
道元だったかも「行中坐臥」と云う言葉を残しているように、いつでもと云うと誤解されそうですが、車の運転中にでも知らず知らずにやっている人は多いと思います。
肉体操作は自動運転してくれるので、肉体のぬしはまったく別の世界へ飛んでいる事ってよくあるんですよ。
ueyonabaruさんも、単純作業のときなどそういう経験がありませんか。
けっこう、楽しいものなんですよね。(*^_^*)
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