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from: にしき鯉さん
2009年07月29日 20時15分24秒
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「永遠の生命の世界」を読んで
ueyonabaruさん、理解ある言葉ありがとう、感謝します「永遠の生命の世界」を読み終わりました・・・その中の「臓器移植」についての質問です大川さん
ueyonabaru さん、理解ある言葉ありがとう、感謝します
「永遠の生命の世界」を読み終わりました
・・・
その中の「臓器移植」についての質問です
大川さんは「脳死」は魂がはなれてないから「痛み」がある
魂の一部が欠損して霊界にいくと書いてます、魂に関しては納得できる部分があるのですが「痛み」というのはよくわかりません
たとえば、胃の手術でもメスは入れます、感覚器官があるから麻酔をします、同じように臓器移植のドナーにも必ず全身麻酔をします
これは感覚器官(意識も)を眠らせるためにするんでしょう
大川さんは基本的に臓器移植は反対みたいなのですが違いますか?
・・・
今年、臓器移植法案が可決されました
いろいろな意見があると思いますが反対意見としては
①脳死は復活する可能性がある
②植物人間だって生きてる(髪も伸びる、体型も変わってくる)
③臓器移植を強制されるのではないか?
④臓器の売買が闇で流通される
などですが「臓器移植ネットワーク」では明快に答えています
「脳死」とは脳の根幹部分の死であり一部が動かなくなった植物状態とは全く別です、又、自力で呼吸ができる場合には脳死と判定されません、脳が死に機械で無理に心臓を動かしている状態が「脳死」です、ですから長くは続きません
・・・
私は人間にはドナーになる権利もドナーを断る権利も公平にあると思います
自分の臓器を他人にやるという行為は生理的に嫌な人もおおいと思います、今は保健所でも病院でも「ノン・ドナーカード」が置いてあります、これは登録ではなく名前を記入するだけで有効です
家族の同意があってもこのカードがあった場合医者も進める事はできません
・・・
話がそれましたが仏教的に見れば臓器移植は「布施」です
布施の基本は「喜捨」喜んで捨てる、、です
実際ドナー(又は家族)が移植先を知ることはできません
だから現実での見返りはほとんどありません
・・・
しかし、臓器が欠損した状態で霊界にいっても魂が傷ついて霊障が起きやすくても「自分の臓器が他の人の一部となって5年、10年と生命をつなぐ」と考えれば十分心に見返りがあると思うんですが
どうでしょうか?
そしてそれがあれば不自由な霊体であっても納得できるような気がするんですが、、、
それとも、他に「落とし穴」のような危険があるのでしょうか?
ueyonabaru さんの意見が聞ければ幸いです
from: ueyonabaruさん
2009年07月29日 21時48分51秒
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「Re:「永遠の生命の世界」を読んで」
> その中の「臓器移植」についての質問です
> 大川さんは「脳死」は魂がはなれてないから「痛み」がある
> 魂の一部が欠損して霊界にいくと書いてます、魂に関しては納得できる部分があるのですが「痛み」というのはよくわかりません
> たとえば、胃の手術でもメスは入れます、感覚器官があるから麻酔をします、同じように臓器移植のドナーにも必ず全身麻酔をします
> これは感覚器官(意識も)を眠らせるためにするんでしょう
> 大川さんは基本的に臓器移植は反対みたいなのですが違いますか?
大川さんは基本的に臓器移植に明快に反対されております。ただし、心底から愛の行為として慈悲の行為として行いたいという強い意志の者がそうすることには反対しておりません。というより反対できないということでしょうか。一般人が他人に奉仕するというぐらいの慈善の気持ちでやることは危険だというのです。肉体にはそれに重なるようにして幽体があり、これが移植手術の際に痛みを感じて七転八倒するというのです。提供者の肉体は痛みを感じないのですが、幽体が痛みを感じるというのは怖いことですが、信じない人には通じない理屈です。その他「永遠の生命の世界」に書いてあるとおりと思います。
> 今年、臓器移植法案が可決されました
> いろいろな意見があると思いますが反対意見としては
> ①脳死は復活する可能性がある
> ②植物人間だって生きてる(髪も伸びる、体型も変わってくる)
> ③臓器移植を強制されるのではないか?
> ④臓器の売買が闇で流通される
> などですが「臓器移植ネットワーク」では明快に答えています
> 「脳死」とは脳の根幹部分の死であり一部が動かなくなった植物状態とは全く別です、又、自力で呼吸ができる場合には脳死と判定されません、脳が死に機械で無理に心臓を動かしている状態が「脳死」です、ですから長くは続きません
> ・・・
> 私は人間にはドナーになる権利もドナーを断る権利も公平にあると思います
> 自分の臓器を他人にやるという行為は生理的に嫌な人もおおいと思います、今は保健所でも病院でも「ノン・ドナーカード」が置いてあります、これは登録ではなく名前を記入するだけで有効です
> 家族の同意があってもこのカードがあった場合医者も進める事はできません
> ・・・
> 話がそれましたが仏教的に見れば臓器移植は「布施」です
> 布施の基本は「喜捨」喜んで捨てる、、です
> 実際ドナー(又は家族)が移植先を知ることはできません
> だから現実での見返りはほとんどありません
> ・・・
> しかし、臓器が欠損した状態で霊界にいっても魂が傷ついて霊障が起きやすくても「自分の臓器が他の人の一部となって5年、10年と生命をつなぐ」と考えれば十分心に見返りがあると思うんですが
> どうでしょうか?
> そしてそれがあれば不自由な霊体であっても納得できるような気がするんですが、、、
> それとも、他に「落とし穴」のような危険があるのでしょうか?
> ueyonabaru さんの意見が聞ければ幸いです
「永遠の生命の世界」に書かれている程度での支障があると見ていいと思いますが、私には危険をおかしてまで、このような臓器移植という形で他人への愛の実践をすることはできません。この世だけが全てというのであれば、移植へ全力投球するぐらいの気持ちも必要かと思いますが、そうではなくあの世での生命の活動がチャントあるのですから、考え方もそのようにあるべきでしょう。無理はしないということです。死ぬべきときには従容と死ぬことも執着を脱した仏教的悟りの境地と思います。よそ様の心臓を頂くなんて恐れ多くてできないよという考えがむしろ好きです。にしき鯉さんは移植をなさりたいように思えますが・・・。
あと、私もよく理解できておりませんが、魂って何ですか、心とは、幽体、肉体、などの定義です。肉体は定義の必要はありませんね。幽体は先ほど書きましたように、肉体に重なり、形も肉体同様で死後はこの幽体で霊界生活送るということなんです。心とは何か、これの本質的な意味では人間そのものを指すということです。揺れ動く心という場合の心ではなくその奥に存する、ものを思う主体としての心を指します。魂とは肉体的な属性を残した心のある部分なのか、幽体の中心部分がそうであるのか大川先生はどのようにおっしゃっていたか・・・。
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