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from: Liberaさん

2011年02月25日 22時25分30秒

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迷走する至高神

私は、一応エルカンターレ信仰を持つ信者ですが、さすがに、今度ばかりはついていけない感じがしています。きょう子の過去世は文殊やアフロディーテではなく、裏

私は、一応エルカンターレ信仰を持つ信者ですが、さすがに、今度ばかりはついていけない感じがしています。
きょう子の過去世は文殊やアフロディーテではなく、裏切りのユダだった?

ちょっと待ってほしい。
では、あのアフロディーテやら文殊やらナイチンゲールやらの霊言はいったい何だったのですか?
そもそも、かつては文殊=アフロディーテだったはずの元妻の過去世が、今になって裏切りのユダだったとは、どういうことですか?
仏陀であり救世主である総裁の観自在力をもってすれば、どうして自分の妻の過去世を間違えることがあり得ましょうか。

先の霊言において、文殊は外道であり、ナイチンゲールは自我欲の強い女であり、結局、きょう子のルーツはレプタリアンであると、信者に説明されていたのではないですか。

それをひっくり返して、いまさら裏切りのユダが過去世だったと言われても、「はあ、そうですか」とはなかなか言えないのではないでしょうか。

週刊誌攻撃の第2弾後篇は、今日書店で立ち読みしてきました。
きょう子の言い分がおかしいことは、誰の目にも明らかだと思います。
これが、かつてのあの総裁補佐のなれの果てかと思うと、本当に残念で悲しい思いです。

しかし、きょう子の証言が全面的に虚偽とも言い切れない面があることも、残念ながら認めざるを得ないのではないか。それが、私の率直な思いです。

それはどこかと言うと、選挙に打って出る前の段階で、総裁は教団の実態を本当は把握していなかったのではないかということです。
おそらく総裁は、教団の信者数が10万人を超える程度しかないことを知らなかったのではないでしょうか。
どうも教団公称の1000万人を、本気で信じていた節があります。
(もっとも、現在は海外の信者が相当に増えているので、かなりその数字に近づいているのではないかとは思いますが)
少なくとも、会員数は100万人を下らず、10万人規模の実働会員が票を集めて、公明党並みの当選者は出せるはずだと踏んでいたのではないでしょうか。

もし、そうだとするならば、きょう子の証言は一定の真実を反映しているとも言えます。

とにかく、きょう子問題をめぐるあまりの迷走ぶりに、信者といえども動揺は隠せません。
これを以て、これまでの法が全部偽物だとか霊言はインチキだとか、断じるつもりはまったくありませんが、
それにしてもここまで迷走してしまうと、信仰心は揺らがざるを得ないというのが、多くの会員の偽らざる心境ではないでしょうか。

「裏切りのユダ」という過去世認定は、現段階では受け入れることはできない。
それが、一信者としての見解です。

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from: hikaru0827さん

2011年02月28日 08時07分01秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:迷走する至高神」
ユダと言えば「裏切り」の代名詞みたいになっていますが、
事件が起こるまでは、イエスの弟子の中でも優秀で、イエスも彼を愛していました。(確か裏切られる事を承知していたんですよね)
少しイメージ先行かもしれません。
ユダは必要以上に嫌われ過ぎてる印象です。


さて、今回信仰破壊された信者さんには大きなショックであったと思います。
その方達にしっかりとした説明が必要だと感じていました。
それはきょう子さんの妻具合や母具合ではなく、
信者さんが、「きょう子さんに捧げた信仰と、その時間の意味や意義」についてです。

やりきれない思いに配慮した説明が欲しいです。


「人につかず、組織につかず、法につけ」

これは高橋信次氏の言葉ですが、私の好きな言葉です。

きょう子さんが当時語った「法」は充分信仰に値するものであったと考えられないでしょうか。
頑張っていた時期もあるとの事ですし。

「人」に執われるのではなく、「法」を中心に考えれば、どうでしょう。

信仰対象が、説かれた「法」であれば、その法に間違いが無いかぎり、その信仰は間違いではなかったと言えますし、過ごした時間も有意だったと言えます。

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