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from: kanataさん

2012年05月27日 21時31分11秒

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悪魔

こんばんは。大宇宙の根本仏は悪魔もお造りになられたのでしょうか?そうではないのなら、悪魔は被造物ではないのでしょうか?もし被造物でないのなら心の持ち得

こんばんは。
大宇宙の根本仏は悪魔もお造りになられたのでしょうか?
そうではないのなら、悪魔は被造物ではないのでしょうか?
もし被造物でないのなら心の持ち得る性質のひとつであり、実体はないのでしょうか?
実体があるとしたら、純粋に悪のみの存在が実在するのでしょうか?
以上、質問4つでした。よろしくお願いします。

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from: kanataさん

2012年05月31日 21時10分13秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:悪魔」
>>[885] にしき鯉 さん

>私は幸福の科学会員ではないので、kanata さんの理解した八正道がどういう内容なのかがわかりませんが、因果律には反しないですよ

「仏説・八正道」には「縁起の理法」が説かれています。
「原因必ず結果あり 因・縁・生・起が縁起なり」
意識は神でも悪魔でもなく、今この時私自身が感じる世界ないし宇宙は私の意識の広がりです。
宇宙があるから見えるとか、見えるからそこに宇宙があるとか、そういう私と私以外の物の関係のような因果ではなくて、私自身にある意識と呼ばれるものと、この世界や宇宙と呼ばれるものは不可分で一体なので原因も結果もそこにはないのです。

>意識を高い世界に合わせていくことが、「聖なる道」低い世界に合わせていくことが「悪魔への道」と言えるのではないでしょうか

心や魂といわれるものが意識が織り成す綾だとするならば、自由意志や心の持ち方によって意識の綾を紡いでいくことはできますでしょうか。
おそらく作為的には不可能ではないかと思っています。
意識は意識しようとせずとも既に意識なので、作為によって影響を及ぼせるはずがありません。その作為は既に意識の綾であるからです。
意識というものには高い低いという区別が通用しないと考えます。
なので、にしき鯉さんの仰る意識は、自分という実在感を伴う意識、という意味で捉えたいと思います。つまり心や魂といわれるものです。




>>[890] もん吉さん

>意識の発生に因果の理法がない????

まず意識についての言葉の意味から述べます。
ここでいう意識とは、目覚めている時の見える様子や聞こえる様子のことを指します。
自分という実在感があって、自分が何かを見ているといったような主客分離を伴う主観的な態度のことではありません。

意識を脳と絡めて考えた場合ですが、そうした場合の意識であっても因果の理法は働いていません。
脳内現象としての意識は脳内組織との相関関係はありますが、因果関係はありません。
私たちは「自分」ないし「自分の身体」の外部に、「物」や「他人」が存在すると認識しますが、それは人間あるいは生物が進化の途上で獲得した生きるための機能でありまして、「自分」の外部に「物」を認めても、その「物」は既に私たちの意識になっています。
私たちの意識は私たちとは別の外部にある「何某か」とは別ではなく、その「何某か」と不可分だということです。
チャーマーズが提唱した「意識のハードプロブレム」は存在しないということですね。

>意識がないと宇宙が存在しない???

自分が目覚めている意識がない時に、自分はどのようにして宇宙を確認できるでしょうか。
しかしそれは単に寝ている時は確認できないという事であって、存在するかしないかという問題はまた別の記録の話です。
自分が寝ている様子をビデオで録画してそれを後で見れば済むことですが、ビデオに映っているのは、自分が寝ていた時の過去の記録であって現在のことではありません。

またこれは[889]のueyonabaruさんへの回答と共通する部分もありますが、意識というものをこのようにして「自分の意識」と考えた場合、生物として生きるための機能が前面に現れるのですから、生物としての機能の一つである睡眠を例にして寝ていて目覚めた意識がない時でも宇宙は存在する、あるいは死後に遺族はまだ宇宙が存在していることを確認できるといった話と混同できない面があると思います。
前段で述べた通り、自分の意識は、「生物としての自分」の意識としてだけでなく、主客分離としての客体ないし対象物が、「自分自身ではない意識」と分離できない不可分のものだということを踏まえた時に、生物的な死の後に「自分自身ではない意識」がどのようになるかは興味深いと思っています。
総じて意識が単なる脳内現象で、脳内神経細胞の電気ないしイオンの変化に伴うただの現象で実体がない、ということであれば、死後の世界は無く、死んだら永遠に闇の中という見方もできるかもしれませんが、そうではないかもしれません。
意識は宇宙であるなら、万物は意識であるとしてもよい思いますし、そうであれば死後に肉体は灰になり土に還ったとしても、肉体があった頃の意識と万物における意識とが等価で不可分であれば、「自分自身の存在感があるところの意識」はなくなるかもしれませんが、「自分自身ではない意識」はどうなるかわかりません。
そしてこうして生きている時でも、その意識に「自分自身ではない意識」というものがあるのも確かです。

>そうでなくて、意識が宇宙と独立して存在しているっていうのは創造神と意識が等価ってことになるけど。

意識は宇宙と独立していないと思います。
意識はこの宇宙です。としか言いようがないと思います。



>>[889] ueyonabaruさん

>仏陀再誕の内容を変更するということでしょうか。考えられないことです。

そのDVDでは「仏陀再誕」については言及していませんでしたが、世界を目指す宗教としてその教義も変化していくという意味合いの事を述べていました。
大宇宙の根本仏についてもそのお話の中で解説がありました。私も一度だけしか見ていないので、後日に再確認してその時にまた回答します。
今年に入ってから幸福の科学は世界を意識し始めているようですね。先日も「世界のリーダーをめざして」という御法話がありました。

>これを分かりやすく表現できませんでしょうか?

もん吉さんへのレスと重なる部分もありましたので、そちらをもって回答に代えさせてください。

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