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幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい

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公開 メンバー数:152人

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  • from: ueyonabaruさん

    2008年11月30日 13時44分53秒

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    「Re:Re:エマ-ソンの日記から ⑤」
     霊界のことを、勉強するのは、ひとつ目的があるのです。テレビの霊番組をみているときに、霊能力者が御祓いをして成仏させるという場面があります。このときの成仏とはいったいなんだろうかという疑問があるわけです。おじいさんやおばあさんなどが、あなたのことをを守っているのですよと言う場面もよく出てくることですが、これは守護霊なのか、憑依霊なのかよくわかりません。

     ここ沖縄のあるユタ(霊能者)の判断によると、私の家の近くの小高い丘には昔のノロ(部落のまつりごとを司る女性の霊能者)の墓があって、ちょうど私の屋敷あたりが、このノロの霊とさらにほかの霊(神)の通り道になっており、このため屋敷の相はよくないというのです。

     ホントに身近な霊現象があり、これが庶民の経験するものでしょう。これらの霊現象をどう理解し、どう対処するかについてある結論を得たいというひとつの目的があるわけです。大川先生のご本を読んでも、そのことは解決できませんので、悩んでおります。幸福の科学の聖職者に尋ねても答えは得られません。

     このことは自分で解決しなければいけないのでは、と思っております。スウェ-デンボルグなどを学ぶのもこれと関係があるのです。いろいろと教えてください。

    > 夢を思い出すときとまったく同じようなんです。
    > 霊界日記の特徴は、ガイド無しで言葉も分からずに外国へ行った時のようなものなんです。
    >
    > 「睡眠は小さな死である」と云う説明がありますよね、たしかに睡眠中にその日の出来事を追体験しているようですので、「小さな死」と云えるんじゃないかなと思うんです。
    >
    > 「照魔の鏡」だとか「閻魔さまの裁判」だとか言われているものは、死後に人生の追体験をすることのようなんです。
    > ただし、生きてる時の反省と違うのは・・・、
    > 自分が相手にしたことと思ったこと、そのとき相手が思っていた事が同時に分かるようなんです。
    >
    > 霊界日記に書いてある描写は、いつもスウェーデンボルグが見て感じたことと、見た対象が同時に書かれてありませんか?


     これはまったく自分の感覚の問題なのでしょうね。今エマ-ソンのことを読んでいると、ホントに生長の家的だなと思うのですが、ソクラテスと光明思想となると、どうもシックリしないですよね。
     大川先生は、エマ-ソンなどの思想家を霊指導していたのは、天御中主という日本の神様であったということを言っておられます。これを逆輸入するようにしたというのです。面白いと思いました。
    でも、これでもって、ソクラテスはエマ--ソンであるというつもりはありません。ほかにも根拠を見つけなければいけないですね。

    > う〜〜ん、ソクラテスの生まれ変わりなのかなぁ?
    >
    > 生まれ変わりは、ほんとに難しい命題です。
    > たしかに在るようなんですが・・・。
    > 「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と云うのも生まれ代わりですしねぇ。
    > 今のところ、ぼくの感想ではソクラテスとエマーソンは、別個の個性の魂のように思えるんですが・・・。
    >
    > >大川先生は、ソクラテスはプラトンに比べ頭が悪かったという風に書いているようですが、・・・
    >
    > あっははは。(*^_^*)
    > プラトンは頭が良すぎたんだと云うべきなんじゃないかなぁ。
    > 以前にも書いたんですが、高橋圭子さんの本(平井さんの代筆?)に「ソクラテスはたいしたことないと思います」と云うのがあって、大川さんもそのように言ってるんです。
    > たしかに、ソクラテスは純朴な人ですが。
    > ぼくは偉大な人だと思うなあ・・・・。
    > ヘーゲルは「哲学史上、もっとも重要な人物だ」と云ってるそうですよ。


     プロティノスは読んでないのでよく分からないので、hiraokaさんの書かれることを読むだけの状況にしかありませんが・・・・・

    > プロティノスはひとつの解釈として、完全無欠なものからあふれ出てくるのだと解釈したようです。


     この考え、分かるような気がします。高橋信二は霊言において、人間の成長するのを喜ぶために人間を創造したという風に言っていたように記憶していますが、これも分かりやすいです。

    > ぜんぜん別の考えとして、神はひとつで完結しているはずだが、そのままでは神が自分自身を神と知ることはできない。だから、まず自分自身を二つに分け、互いが互いを見ることによって元を知ろうとした。
    > と云う考えがあるんです。
    > ぼくは、こちらがより正しそうに思えるんです。
    > 論理の矛盾が、包含されているように見えるからなんです。



     何か創造しなければなりませんね。

    > これこそ、ぼくらやueyonabaruさんがやらなければならないことと思えるんです。
    > ただし、ueyonabaruさんのような「信仰心」を忘れずになんですけど・・・。 >彼らは、自分自身で神学を創造するような面をがあるようです。



     不同意も多いのですか。後で、教えてくださいね。

    > >「 [337] エマ-ソンの日記から ④ 」
    > は、つっこみどころが多すぎてとてもこの場では収まりそうにありません。同意、不同意が多すぎるんです。
    > はなしが飛びすぎそうなので、ちょっとパスさせていただきます。
    > あまりに「その通り!」と云うのと「違うだろ!」が混在してるんです。


     エックハルトという神秘思想家、スウェ-デンボルグのことなど、異端になるのでしょうね。カトリックから見ると、プロテスタントなども本音では異端としたいのではないでしょうか。エマ-ソンも異端でしょう。

    > ぼくは以前から思っていたんですが、なぜ「神は自らの内に在る」と云う思想が広まっていったのだろうと考えていました。
    > ほんらいならば(中世の暗黒時代と云われている頃には)、この思想は異端審問にかけられていたはずです。
    > ましてや、ホーキングが紹介した「人間原理」など、中世なら絶対にガリレオと同じ運命になるはずです。


     全財産というところ、hiraokaさん莫大な財産をお持ちでしょうね。うれしい限りです。

    > ueyonabaruさんの探求されている、「霊界の計画とこの世の歴史が一致するか否か」は、ぼくは一致するほうに全財産を賭けます。
    >
    > エマーソンも、そのような神の計画の一人であったと思います。

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  • from: リアリストさん

    2008年11月30日 02時30分54秒

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    「Re:Re:エマ-ソンの日記から ⑤」
    > >hiraokaさんにはどうも「脳」という事に一つのテーマがあるように感じております。
    >
    > あっははは、違います違います。(^.^)
    > ぼくは脳にぜんぜんこだわってませんよ。リアリストさんに合わせたつもりなんですが、別方面からの話でもかまいません。

    いえいえ、これは、hiraokaさんの現在の環境を申し上げているのですよ。脳が原因で御苦労
    されているのでしょう?

    > ホーキング博士すごいですね。大川さんは彼も菩薩のひとりだとか言ってましたね。
    > あっ、リアリストさんは、いったん全否定でしたね。(*^_^*)

    魂が菩薩界出身、という事でしたら、空想論、すなわち全否定ですが、現在只今博士が菩薩の心境を
    していると言うのでしたら、大川さんが感じている事ですので、どうぞ御自由にとなります。

    > 彼が車椅子生活になった後、彼は人から嫌われる性格を自ら変えて人への感謝を知る性格に変わったであろうことを期待するんです。

    その通りでしょう、人間社会は各人が支えあって成り立っております。博士は博士で宇宙物理学
    の発展に貢献しておりますね。「志を同じくする仲間達」と博士は人間として同等というのが
    私の認識です。理論や予測が当たっていようが、外れていようが、全く関係在りません

    > 「やはり、彼は大川さんの言うように菩薩だ」と思ってもいいのではないかと思います。
    > こんなことも、リアリストさんが、kkを全否定するのはむずかしい道のりではないかなあと思うんです。
    > ↑ぼくのこう云う書き込みを、老婆心って云うのかも知れませんね。 (^.^)

    はい、全くの老婆心です。人間に「菩薩」というレッテルを貼って差別や偏見を助長する
    考えだと思っております。

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  • from: hiraokaさん

    2008年11月30日 01時53分58秒

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    「Re:エマ-ソンの日記から ⑤」

    リアリストさま

    >hiraokaさんにはどうも「脳」という事に一つのテーマがあるように感じております。

    あっははは、違います違います。(^.^)
    ぼくは脳にぜんぜんこだわってませんよ。リアリストさんに合わせたつもりなんですが、別方面からの話でもかまいません。
    こう書くからと云って、ぼくがリアリストさんより多く知っていると云う意味とは取らないでくださいね。
    ぼくは、どんな方面からも神の一面を知る事ができるはずだと思っているんです。
    大脳生理学を追求していっても、神の一面に触れることはできる、と思っているんです。
    現代の脳科学者は皆、脳のどこに「記憶」と「自分」が在るのだろうと探っているのですが・・・、

    ぼくはエドガー・ケイシーや高橋信次さんやヒンドゥー教や神智学の云うように、「想念帯」だとか「アカシック・レコード」と云われる物が在ると仮定したほうがよりよく現象を説明しているように思えるんです。

    ぼくは、ほんとうに自分が病気かなにかで死んでも、ぼくは生きてるときとあんまり変わらないだろうなぁと思うんです。体が生きてるときとそのまま連続のように想像してるんです。

    >ちょうど、昨晩ホーキング博士のことがテレビで放映されていました。・・・・

    ホーキング博士すごいですね。大川さんは彼も菩薩のひとりだとか言ってましたね。
    あっ、リアリストさんは、いったん全否定でしたね。(*^_^*)
    ↑(hiraoka流の冗談と受け取ってくださいよね。ぼくはぜったいに皮肉なんか云いません!)(^.^)

    この人、メガネをかけたミック・ジャガーに似てませんか?
    ALSの発病を知る以前の彼を知る同級生達によると、ほんとうにミック・ジャガーみたいに意地悪で皮肉屋で嫌な性格だったんだそうです。

    で・・・、ぼくらは普通次のように期待するんです。
    彼が車椅子生活になった後、彼は人から嫌われる性格を自ら変えて人への感謝を知る性格に変わったであろうことを期待するんです。

    車椅子に取り付けられたコンピュータは、志を同じくする仲間達がボランティアで作ってくれた特別製ですね。
    彼の予測はほとんど外れていますね。
    でも、そんな事はほんとうにどうでもいいことなんですよね。

    かれはインタビューで「ご自分の難病が無ければいいのにと思うことはありませんか?」と問われて、
    「そんなことは、考えるだけ時間の無駄だ。」と云ったそうです。

    「やはり、彼は大川さんの言うように菩薩だ」と思ってもいいのではないかと思います。
    こんなことも、リアリストさんが、kkを全否定するのはむずかしい道のりではないかなあと思うんです。
    ↑ぼくのこう云う書き込みを、老婆心って云うのかも知れませんね。 (^.^)

    >表在意識や記憶はすべて捨て去って、統一された存在と渾然一体となるのか、これは各人の信ずるところでよろしいかと存じます。

    う〜〜ん、ここなんですよねぇ。ほんとに、それで気がすむんでしょうかねぇ・・・?
    ぼくには、そんなことないように思えるんですが・・・・。
    ぼくの力ではいまだに説明できませねぇ・・・。
    これは、事実だと云いたいんですが、リアリストさんの云うとおりのこともあるようなんです。

    -----------------------------------------------------------------------
    ueyonabaruさま

    >スウェ-デンボルグの説く霊界は、やはり誰かの解説などが必要ですね。その都度教えていただければありがたく思います。

    夢を思い出すときとまったく同じようなんです。
    霊界日記の特徴は、ガイド無しで言葉も分からずに外国へ行った時のようなものなんです。

    「睡眠は小さな死である」と云う説明がありますよね、たしかに睡眠中にその日の出来事を追体験しているようですので、「小さな死」と云えるんじゃないかなと思うんです。

    「照魔の鏡」だとか「閻魔さまの裁判」だとか言われているものは、死後に人生の追体験をすることのようなんです。
    ただし、生きてる時の反省と違うのは・・・、
    自分が相手にしたことと思ったこと、そのとき相手が思っていた事が同時に分かるようなんです。

    霊界日記に書いてある描写は、いつもスウェーデンボルグが見て感じたことと、見た対象が同時に書かれてありませんか?

    >ソクラテスはエマ-ソンという魂で生まれ変わったことが本当なのだろうか、というのが一つのテ-マなのですが、現在は、そうかも知れないなという感じが少しあります。

    エマーソンと云う人は「光明思想の祖」と云われている人ですよね。
    う〜〜ん、ソクラテスの生まれ変わりなのかなぁ?

    生まれ変わりは、ほんとに難しい命題です。
    たしかに在るようなんですが・・・。
    「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と云うのも生まれ代わりですしねぇ。
    今のところ、ぼくの感想ではソクラテスとエマーソンは、別個の個性の魂のように思えるんですが・・・。

    >大川先生は、ソクラテスはプラトンに比べ頭が悪かったという風に書いているようですが、・・・

    あっははは。(*^_^*)
    プラトンは頭が良すぎたんだと云うべきなんじゃないかなぁ。
    以前にも書いたんですが、高橋圭子さんの本(平井さんの代筆?)に「ソクラテスはたいしたことないと思います」と云うのがあって、大川さんもそのように言ってるんです。
    たしかに、ソクラテスは純朴な人ですが。
    ぼくは偉大な人だと思うなあ・・・・。
    ヘーゲルは「哲学史上、もっとも重要な人物だ」と云ってるそうですよ。

    >この辺のところ、いつもhiraokaさんリアリストさんたちの議論を興味深く見て、参考にしております。

    神はひとつのものにして完全無欠であったとすれば、それだけで自己完結していても不思議ではない筈なんです。それなのになぜ神は僕たちのような不完全なものを現出させたのだろうか? と云う疑問は必ず出てくるようなんです。
    プロティノスはひとつの解釈として、完全無欠なものからあふれ出てくるのだと解釈したようです。

    ぜんぜん別の考えとして、神はひとつで完結しているはずだが、そのままでは神が自分自身を神と知ることはできない。だから、まず自分自身を二つに分け、互いが互いを見ることによって元を知ろうとした。
    と云う考えがあるんです。
    ぼくは、こちらがより正しそうに思えるんです。
    論理の矛盾が、包含されているように見えるからなんです。

    >インドのガンジ-はソ-ロ-に大きく影響を受けたということです。ソ-ロ-は税金を拠出することを拒否したことでも有名ですが、社会にも目を向けていたのでしょうね。

    へぇ〜! そうなんですか、知りませんでした。

    >彼らは、自分自身で神学を創造するような面をがあるようです。
    これこそ、ぼくらやueyonabaruさんがやらなければならないことと思えるんです。
    ただし、ueyonabaruさんのような「信仰心」を忘れずになんですけど・・・。

    >「 [337] エマ-ソンの日記から ④ 」
    は、つっこみどころが多すぎてとてもこの場では収まりそうにありません。同意、不同意が多すぎるんです。
    はなしが飛びすぎそうなので、ちょっとパスさせていただきます。
    あまりに「その通り!」と云うのと「違うだろ!」が混在してるんです。

    ひとつだけ・・・、
    >こっけいなものによって表される真理も多いのだ。(1931.3.4)
    これは、エマーソンが話のわかる好人物であったことを示していますね。

    > [338] エマ-ソンの日記から ⑤
    詩のような表現ですね。 

    ぼくは以前から思っていたんですが、なぜ「神は自らの内に在る」と云う思想が広まっていったのだろうと考えていました。
    ほんらいならば(中世の暗黒時代と云われている頃には)、この思想は異端審問にかけられていたはずです。
    ましてや、ホーキングが紹介した「人間原理」など、中世なら絶対にガリレオと同じ運命になるはずです。

    ueyonabaruさんの探求されている、「霊界の計画とこの世の歴史が一致するか否か」は、ぼくは一致するほうに全財産を賭けます。

    エマーソンも、そのような神の計画の一人であったと思います。

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  • from: ueyonabaruさん

    2008年11月30日 00時00分37秒

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    「Re:Re:エマ-ソンの日記から ③」

    > ぼくは、ueyonabaruさんにおじゃまでしたら別の場所でリアリストさんとお話を続けようと思っていましたが,
    > それは僕の勘違いであった事がわかりましたので、リアリストさんの仕事に差し支えない程度にこの場をお借りしてお話を続けようではありませんか。
    > 「楽しき一大事」を楽しみませんか? 第二ステージに進みましょうよ。
    >  ueyonabaruさん、いいですよね? (^.^)

     お答えするのを忘れておりました。当然でしょう。二人だけで議論するのは止して下さい。私も参加させて下さい。

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  • from: ueyonabaruさん

    2008年11月29日 14時56分12秒

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    エマ-ソンの日記から ⑤

    神は君の内部に住んでいるということだ。
    これは比喩でもなければたとえ話でもない、
    多くの人びとも君も、この事実を知らない、
    だが神は存在するのだ。

    神は君の世界のなかにいるのだが、 
    世界は神を知らない。
    神とは、生命の多様な鼓動が別れてゆく
    巨大な「心臓」だ。
    覆いかくされているにせよ、
    「無限なる者が」人間の胸奥に座している。
    しかも君は君の客人をしらない、
    君が何者を内に包んでいるかを知らない、
    君の内部で彼の生命を覆っている雲は、
    幾重にも張りめぐらされた君の罪悪の網の目だ。
    彼の栄光はその網の目を通りぬけようともがきつつ
    お前の悪の色に黒ずんでしまう。
    だから、おお人間よ、
    君の客人、君の魂の内なる魂の規模に合わせて振舞うがいい。
    行くところどこででも堂々と振舞う
    この使節にふさわしく
    偉大であれ

    君の魂に君をゆだねよ---
    その支配に従え---
    君に言うが、君の魂こそ神自身なのだ、
    君という人間を通して、押しころした声で語り、
    君という人間を通して、その光を奪われて外部を見ているが、
    彼こそ「すべて」を支配するあの存在なのだ。
    だが、もし君が彼の声に従い
    その高貴な思想に従うならば、
    彼の声は君の耳にいよいよ澄んで聞こえるようになり、
    その光は君の目にいよいよ燦然と輝くようになるだろう。
    いま彼を覆いかくしている雲は裂けて
    君は主を見るようになるだろう。

    だから偉大であれ、
    高慢であってはならない--高慢であることを蔑むほど偉大であれ
    君の目をきょろきょろさせるな、
    片隅をのぞき込むな。
    天真爛漫な神にふさわしく、
    君の目の前をまっすぐに見よ。
    君の私室にあっても威厳を失わず、
    光にみちあふれて、そこを歩むがいい。
    そして、王者が自分の国を裏切ろうとはしないように、
    君も君の国を裏切ってはならない。

    いまはじめて啓示されたことが
    君にもよく理解できる
    理由はこうだ、
    全てのもののなかに住む「霊」が
    君のなかに住んでいるからだ。
    君が自然の法則を学び得るのは、
    その法則をつくった者が君の胸のなかにひそんでいるからだ

    だから、おお若者よ、
    君がこの真理を知って愛するなら、君は幸福だ。
    君は君自身にとって一つの法則なのだ、
    万物の魂は君のなかにあるのだから
    君は自分以外の何ものをも必要としない。
    法則、福音、摂理、
    天国、地獄、最後の審判、
    真理と善の測り知れぬ倉庫、
    こんなもののすべてを、君は
    君のただ一つの心のなかに見いださねばならぬ、
    他のどこにも見いだせないからだ。

    君が法則なのだ。
    君の心の奥まった部屋からの応答がなければ、
    福音も、
    平和や希望を啓示してはくれない---
    他のものはすべて藁くずにすぎない。
    それは未知の真理を啓示することなどできない。
    摂理を実施するのは、
    ほかならぬ君自身だ、
    君の勤労には富を、君の怠惰には欠乏を、
    善には栄光を、怠慢には蛾をさずける。
    君は風を蒔けば、やがて旋風を刈り取る、
    いつの時代にも君は、君自身の勤労の
    賃金を支払うのだ。
    内なる全能の精力(ちから)
    徳を完成させ、罪悪をののしる。
    徳はみずからの光でものを見る。
    最悪はみずからのつくりだした夜の闇ののなかでつまずく。

    君が正しいことをするのを是認するのはだれか。
    君のなかにいる神だ。
    君が不正にはたらくのを非難するのはだれか。
    君のなかにいる神だ。
    君のよこしまな行いを罰するのはだれか。
    君のなかにいる神だ。

    神のほかには何ものも存在しない。
    どこを見ても
    すべてのものが神にいそぎ帰ってゆく、
    光も神のかすかな影ににほかならない。(1831.7.6)

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  • from: ueyonabaruさん

    2008年11月29日 12時37分51秒

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    エマ-ソンの日記から ④

     祈りとは何だろう?それは、人間の願望を神に向かって表現したものである。では神とは何だろう?それは、人間精神の中に形成し得るもっとも高い人格概念である。完全の域に達した、個人自身の魂である。なぜなら、個人は、これ以外の神を考え得ないからだ。私が有限であるように、神は無限なのだ。私が罪深い存在であるように、神は罪なき存在なのだ。私が無知であるように、神は全知なのだ。・・・・・  (1830.2.28)

     太陽は私たちを照らし暖め、光をあたえてくれるが、私たちはなぜそうなのか知りたいという好奇心はもたない。ところが私たちは、あらゆる悪や苦痛や飢や蚊や馬鹿な連中に接すると、なぜだろうと考えるのである。(1830.8.18)

     人間が堕落して道を誤るのは、自分自身でなくて他人に耳を傾けるときだ。世界の偉人たち、人類の教師、徳高きもの---ソクラテス、ベ-コン、ニュ-トン、バトラ-、その他の人は、他人の意見を鵜呑みにせず自分で探求した人びとである。そして、それこそ倫理学や宗教を発見する道だったのだ。(1830.9.27)

     神はすべての魂の基底を形づくっている。共感というものの謎をときあかしてくれるのは、この事実ではあるまいか。虫や肉体にたいして恐怖や共感をおぼえるのは、私たちの内部の虫や肉体であり、宇宙の神を礼拝するのは、私たちの内部の神にほかならない。(1930.12.10)

     神を礼拝する者は徹頭徹尾きまじめでなければならないとする人は、自然というものの大きな部分を看過しているのだ。きまじめ一方の人間は、ふざけてばかりいる人間と同じく、完全な性格ではない。こっけいなものによって表される真理も多いのだ。(1931.3.4)

     私は神の子供であり、キリストの弟子である。あるいは神の目から見れば、私とキリストは相弟子なのだ。(1831.6.20)

     「服従」こそ宇宙の法則を読む目である。君が君の願いを便宜の前に屈しめず、君の願いのレベルより低い利益のなかに安んずることがなかったら、君はよろこぶがいい。・・・・・天上的な感情の欲するままに、いや高く浮揚せよ。感覚や因襲と取引することなく、王者のみを相手とせよ---元首は元首を相手とする。(1831.6.30)

     


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  • from: ueyonabaruさん

    2008年11月29日 11時30分42秒

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    「Re:Re:エマ-ソンの日記から ③」
     スウェ-デンボルグの説く霊界は、やはり誰かの解説などが必要ですね。その都度教えていただければありがたく思います。

    > これ、読んだことあります。
    > 明確には思い出せませんが・・・、 霊界ではこの世ではありえない事が普通に現出するようなんです。
    > たとえば、粘土細工で人形をこさえて、それに息を吹き込んだら人形が勝手に動き出すとか・・・、
    > さらにその人形に教育をほどこせば、人形がしだいに知性を持ち出すとか・・・。
    > まあ、この世で芸術家達が同じ事をやっているわけなんですが。
    >
    > >人間の記憶が、類似しているものに触発されて霊たちに表象されるとき、彼らは自分たちがその人間そのものだと考えるからである。
    > 文の前後は分かりませんが、物まねする霊のことではないでしょうか? 
    > たとえばオウムのような霊がいるとします。
    > 彼らは物まねをしはじめるのですが、そのとき見ている人(スウェーデンボルグ)には、彼らがスウェーデンボルグ自身になりきって物まねしているかのように見える体験ではないでしょうか?
    > キリスト教教義とは、たしかに関係なさそうですね。

     ソクラテスはエマ-ソンという魂で生まれ変わったことが本当なのだろうか、というのが一つのテ-マなのですが、現在は、そうかも知れないなという感じが少しあります。ソクラテスの妻は悪妻でありましたが、エマ-ソンの結婚はこれと異なり、ホントに彼が愛する妻たちでした(最初の妻エレンを亡くしている)。大川先生は、ソクラテスはプラトンに比べ頭が悪かったという風に書いているようですが、エマ-ソンは自分自身で自分は鈍重であると悩んでいます。成績もハ-バ-ド大学では、50人ぐらいの30番ぐらいだったそうです。彼の場合、知能より魂の力の方が大きかったのだろうと思うんです。 ハイデッガ-の方は現在のところ全く理解できておりません。

    > >大川先生がアウグスティヌスはハイデガ-として生まれ変わったとおっしゃったので、それを吟味しながら学ぼうというものです。私の指針は全て大川先生にありますね。
    > ああ、そうだったんですか! なんで、ハイデッガーなのかなあ?って思ってました。(^.^)

     この辺のところ、いつもhiraokaさんリアリストさんたちの議論を興味深く見て、参考にしております。

    > > 対比の原理というのは何ですか。・・・
    > いえ、対比の原理とは云えないかもしれませんが・・・
    > ライプニッツは二進数を開発したんですが、・・・。
    > これは中国の古代からの思想の根源である陰陽の思想と同じだと確信して、中国の皇帝をキリスト教に改宗させるための理論的裏づけを当時の法王に提言しているんです。
    > 天才の直感と云うものはすごいものです。
    > ライプニッツは自然界(神)のことを、最初ひとつだったものがそのままでは自分を認識できないから自分自身を二つに分けて互いに見ることによって自分自身を認識していった結果だとも考えられると思ったようなんです。

     おそらく自然の事象のことでしょう。ほかもあるかも知れませんが。「自然」というのは、彼ら超絶主義者たちの大きなテ-マです。「自然」から学ぶというのが彼らの主旨でした。彼の弟子のソ-ロ-は、湖(Walden)の近くの森に住み、世捨て人のようにして生活し「自然」を観察していき、その体験は有名な「森の生活」にまとめられており、自然主義者の古典的な本となっているようです。 さてその「自然」ですが、物質的な自然であり、神の意志を宿す自然としてとらえていきます。汎神論ともことなり、自然を科学者の目で見るとともに、詩人の目でとらえてゆくのです。インドのガンジ-はソ-ロ-に大きく影響を受けたということです。ソ-ロ-は税金を拠出することを拒否したことでも有名ですが、社会にも目を向けていたのでしょうね。

    > >エマ-ソンが愛した弟のチャ-ルズを偲んで日記に書いてある箇所がありますので見てみます。
    > エマーソンは、弟さんを早くに亡くしたのですね?
    >
    > >指摘されたあとでは、私はいつまでも見飽きないのだった。・・・
    > これは、聖書のことですか、絵のことでしょうか?

     聖書を読み、イザヤやダビデの言葉、行為などから受ける共感というほどの意味です。すると、聖書に登場する人物でも受け入れがたい神様(人物)もいたかもしれません。彼らは、自分自身で神学を創造するような面をがあるようです。自分自身に神が宿っているとする思想ですから、ときおりキリスト教ドグマから逸脱してしまうことがあります。
     叔母がこの間、エマ-ソンを貸してくれというので、日記を読んでもらいました。はたしてどんな気持ちだったのか・・・・・。

    > >聖書の読み方ですが、個別の人物の評価が見受けられますね。
    > ↑すみません、このことがよく分かりませんでした。

     無神論者もちゃ-んと認める面はあります。もともと、菩薩界の人間だったという具合にです。エマ-ソンが尊敬する無神論者というあたり、わかるような気はします。

    > 幸福の科学も、無心論者をも包含するような考えを示してくれれば世界的宗教になれるでしょうにねぇ。
    > 無心論者が信じるのは自分と自分に縁ある人たちだけなんですが、じつは、自分と縁ある人たち自身に共通しているものを信じているんですよ。
    > それが、神なんですけどね。(*^_^*)

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  • from: リアリストさん

    2008年11月29日 04時48分38秒

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    「Re:Re:エマ-ソンの日記から ③」
    hiraokaさん、お褒めのお言葉ありがとうございます。また、日々の介護お疲れ様です。
    今までやり取りしていまして、hiraokaさんにはどうも「脳」という事に一つのテーマが
    あるように感じております。ちょうど、昨晩ホーキング博士のことがテレビで放映されて
    いました。難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)です。現在はかなり進行している御様子で
    それでも全身のほんのわずかだけ動かせる筋肉を使って、コンピュータで文字を選び発言する
    姿勢に大変感動致しました。

    > と云いますのも、ぼくは認知症の母を介護しているわけですが、母の精神と呼べるようなものはもうムチャクチャになってるんです。
    > 母に取っての「かくあるべし」と云う精神のように見えるものは、精神ではなくて母の個性そのものに思えるんです。記憶とは違うものに見えるんです。
    > だとすると、母にとっての「事実であること」と「信じていること」はどのようなことになるのだろうか?と考えるんです。
    > 母にとっては、この二つは分けられないようなんです。

    おっしゃる通りだと存知ます。認知症の方ですと、進行の程度により差があるかとは存じますが
    「家からフラッと出ていってしまう」徘徊から、「糞便を粘土のように塗ったくってしまう」、
    「ヘルパーさんにお金を取られた」、「薬を飲んだか覚えていない」などがあるかと存じます。
    介護される方を何かと手を焼かせるかと存じますが、一人の人間としての尊厳は変わらないと
    思います。進行しますと、生まれたままの状態に徐々に戻っていくとも言われておりますが、
    「母」という統一された個性あるいは理念のようなものは「在る」と私も感じております。
    肉体の死によって、魂に若い頃の記憶が在り、若い頃の元気な状態を取り戻すのか、それとも
    表在意識や記憶はすべて捨て去って、統一された存在と渾然一体となるのか、これは各人の
    信ずるところでよろしいかと存じます。

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  • from: hiraokaさん

    2008年11月29日 01時51分58秒

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    「Re:エマ-ソンの日記から ③」

    リアリストさま

    僕は何人かの若い人たちと付き合っているのですが、いつも思うのは「彼らは、ぼくらの世代より優れている」と云うことです。
    僕が彼らと同じ年のときに自分はどうであったかと思い起こすと、やはり次の世代の人たちのほうが一歩進んでいると思えるんです。
    リアリストさんを、僕は尊敬しています、ものすごくたのもしい人だと思っています。

    ぼくは、ueyonabaruさんにおじゃまでしたら別の場所でリアリストさんとお話を続けようと思っていましたが,
    それは僕の勘違いであった事がわかりましたので、リアリストさんの仕事に差し支えない程度にこの場をお借りしてお話を続けようではありませんか。
    「楽しき一大事」を楽しみませんか? 第二ステージに進みましょうよ。
     ueyonabaruさん、いいですよね? (^.^)

    >hiraokaさんとの、やりとりで未来の事象は、当然「信じている事」過去の事実は、記憶等の問題があり既に変容している。現在只今の自身の体験が、巨視的には最も「事実である事」と言えそうですが、微視的には正確には決められない。

    いえ、これとちょっと違うことなんです。

    >私は、自身の体験が最も信憑性が高いと思うのですよ。・・・ですから、信じる根拠を「自身の体験」に置く姿勢は私にとっては合理的だと思っております。

    ええ、その通りだと思います。
    ぼくは昔、神智学の本を読んでいるとき、「精神さえ、ほんとうの自分ではない」と云うくだりを読んでびっくりしたことがあるんです。
    ずっとこの事が心に引っかかっていたのですが、たしかに神智学の主張は本当のことのようなんです。
    精神と云うのは、「心の姿勢」とでも云えるかと思うのですが、これは体験を通して(たとえば、親からこう教わったと云う様なもの)得たもののようなんです。
    すると、これは「記憶」に基づいて作られたもののように思えるんです。
    さらに、「精神」の奥にあるものが、ほんとうの自分の姿のようなんです。

    と云いますのも、ぼくは認知症の母を介護しているわけですが、母の精神と呼べるようなものはもうムチャクチャになってるんです。
    母に取っての「かくあるべし」と云う精神のように見えるものは、精神ではなくて母の個性そのものに思えるんです。記憶とは違うものに見えるんです。
    だとすると、母にとっての「事実であること」と「信じていること」はどのようなことになるのだろうか?と考えるんです。
    母にとっては、この二つは分けられないようなんです。

    ぼくは、この二つを明確に分けるものが理性だと思うんです。
    たしかに、この能力は脳によるものが主だと思えます。
    だから、多くの人たちは脳が考えると思っているのですが・・・、
    脳がやっていることは、「これかね? それともあれかね? じゃあ、これかな?」と自分の本体に信号を送る装置のようなものに思えるんです。
    そういうわけで、「記憶」も「認識」も「断定」も、事実とも言えるし、信じていることとも言えるのじゃないかと思うのです。

    >私はこの大宇宙、森羅万象を「天」(=神)として信仰しております。
    ほんとうに、ぼくもそう思います。
    このことについて物理学者たちの考えや、「りょうさい志異」の例を引いて、ぼくの考えをいつかお伝えしたいです。
    また、リアリストさんの考える「森羅万象を「天」(=神)として信仰しております。」と云うことを詳しく教えて欲しいと思ってます。

    -----------------------------------------------------------------------
    ueyonabaruさま

    こんばんは〜。
    > そうですね。早速注文します。
    読んだら、また腹立てるかもしれませんよ〜。(*^_^*)

    >私のもっている本は、霊界日記(高橋和夫訳、たま出版)です。
    これ、読んだことあります。
    明確には思い出せませんが・・・、 霊界ではこの世ではありえない事が普通に現出するようなんです。
    たとえば、粘土細工で人形をこさえて、それに息を吹き込んだら人形が勝手に動き出すとか・・・、
    さらにその人形に教育をほどこせば、人形がしだいに知性を持ち出すとか・・・。
    まあ、この世で芸術家達が同じ事をやっているわけなんですが。

    >人間の記憶が、類似しているものに触発されて霊たちに表象されるとき、彼らは自分たちがその人間そのものだと考えるからである。
    文の前後は分かりませんが、物まねする霊のことではないでしょうか? 
    たとえばオウムのような霊がいるとします。
    彼らは物まねをしはじめるのですが、そのとき見ている人(スウェーデンボルグ)には、彼らがスウェーデンボルグ自身になりきって物まねしているかのように見える体験ではないでしょうか?
    キリスト教教義とは、たしかに関係なさそうですね。

    >西洋文化における定義主義、規則主義、契約主義、聖書主義など、日本人とは異なる文化ですね。
    ほんとにそうですね。このため、西洋の中世時代は暗黒時代と歴史家は称していたんですが、最近は「そうでもなさそうだ」と云う風潮になってきたようですね。

    >エマ-ソンは、キリスト教の形式主義に疑問を感じ牧師の職を辞するのですが、・・・
    へえ〜、そうなんですか。牧師を辞めた人と役人を辞めた人は、すごい人かだめな人かどっちかなんですよね。(^.^)

    >しかし、この伝統の形式主義というのは永遠に無くはならないのではないでしょうか。
    無くならないだろうなあ〜、って思います。でも、すこしづつ変化していくんですよね。
    ほんとにじれったいほどなんですが・・・。
    それを動かしていくのが若者達なんですよねえ。ぼくらも少しは動かしたはずなんですが・・。(*^_^*)

    >大川先生がアウグスティヌスはハイデガ-として生まれ変わったとおっしゃったので、それを吟味しながら学ぼうというものです。私の指針は全て大川先生にありますね。
    ああ、そうだったんですか! なんで、ハイデッガーなのかなあ?って思ってました。(^.^)

    > 岩波は昔から、別の面から抵抗感がありますが、・・・
    あっははは・・・、そうなんですかぁ〜。(^.^) 
    ぼくは、そこらへんの事情をぜんぜん知らないんですが、ある人がそのことを書いてて、さらに池田さんがそれを批評していたのを思い出します。

    > 対比の原理というのは何ですか。・・・
    いえ、対比の原理とは云えないかもしれませんが・・・
    ライプニッツは二進数を開発したんですが、・・・。
    これは中国の古代からの思想の根源である陰陽の思想と同じだと確信して、中国の皇帝をキリスト教に改宗させるための理論的裏づけを当時の法王に提言しているんです。
    天才の直感と云うものはすごいものです。
    ライプニッツは自然界(神)のことを、最初ひとつだったものがそのままでは自分を認識できないから自分自身を二つに分けて互いに見ることによって自分自身を認識していった結果だとも考えられると思ったようなんです。

    >度外れた大川信仰ですね。この知性こそ私の希望です。でも、疑問が生じたりするのです。
    ぼくは前から思うんですが、ueyonabaruさんはもう知識などそれほど要らない心境に達している人に見えるんです。ueyonabaruさんにとっては、知識はそのつど必要になったときに自動的に入ってくるように思えるんですよ。

    >エマ-ソンが愛した弟のチャ-ルズを偲んで日記に書いてある箇所がありますので見てみます。
    エマーソンは、弟さんを早くに亡くしたのですね?

    >指摘されたあとでは、私はいつまでも見飽きないのだった。・・・
    これは、聖書のことですか、絵のことでしょうか?

    >聖書の読み方ですが、個別の人物の評価が見受けられますね。
    ↑すみません、このことがよく分かりませんでした。

    ↓以下は332番の感想です。
    >永い期間をおいてときどき現れる小数の人間が、同じ人間仲間に奉仕するために全力を傾けることによって、この世界で(そしておそらくあの世でも)永く記憶に残る者となるのだ。
    これは、イエスの教えそのものだと思いますね。

    ↓以下は332番の感想です。
    > 著作においても行動においても、最初にあまりに高いものをもとめることを避けよ、というのは、すぐれた助言である。

    あ、ここここ。リアリストさん見てる?
    KKを、全否定しないほうが能率的だと思うよ.(*^_^*)

    >しかもその男は、ぼくの気のせいかと思ったほどなのだが、首尾一貫した無神論者であって、魂の存在や、それから、もちろんのことだが、霊魂の不滅などまるで信じていない。

    幸福の科学も、無心論者をも包含するような考えを示してくれれば世界的宗教になれるでしょうにねぇ。
    無心論者が信じるのは自分と自分に縁ある人たちだけなんですが、じつは、自分と縁ある人たち自身に共通しているものを信じているんですよ。
    それが、神なんですけどね。(*^_^*)

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  • from: ueyonabaruさん

    2008年11月28日 14時35分50秒

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    エマ-ソンの日記から ③

     20歳あとからの分をご紹介していきます。

     著作においても行動においても、最初にあまりに高いものをもとめることを避けよ、というのは、すぐれた助言である。・・・・・天候とか時刻とかに興味を示すことを侮蔑してはならぬ。談話が次第に思う壺へはまったあとではじめて、所を得た知識や時宜を得た熱情が正しく報いられるであろう。 (1824.1.25)

     ぼくは自分自身を二度も三度も検察した結果、自分が罪人であり、聖者であることを知った。・・・・・善とか悪とかいわれる心の状態が、いかに外的な環境とは無縁であるかをこの目でたしかめたのだ。(1825.1.4)

     神が存在することは不確かだが、神が存在しないということは有り得ざる、驚くべき妄想ではないかと思う。                           (1826,1.8)

     人間が自分の思想を綿密に調べてみるなら、自分がどんなに未来というもののなかに生きているかを知って驚くだろう。彼の幸福は常に前方にある。こんな生物だからおそらく不死なのだ。
                        (1827.2.6)

     あまりに多くのものを信ずるのは危険だ。それは何ものも信じないことに近いからだ。汎神論は無神論に通ずる。                  (1827.3.11.) 

     ぼくは自分をひとりの男に友情の絆で結びつけた。その男は、ぼくの真理への愛情に劣らぬくらい熱烈に真理を愛し、その多様な探求の点でぼくを凌駕する知力をもち、・・・・・。しかもその男は、ぼくの気のせいかと思ったほどなのだが、首尾一貫した無神論者であって、魂の存在や、それから、もちろんのことだが、霊魂の不滅などまるで信じていない。こんな問題に対するぼくの信仰は強固であって、ぼくが生きているかぎり崩れ去ることはないとぼくは信じている。それでいながらぼくは、この不敵な懐疑家を愛し尊敬する。彼の魂は気高く、彼の徳は、サドカイの徒の徳がいつもそうであるように、崇高なのである。   (1827.4.6)

     この世の栄えは好きな所へ行くがいい。心には独自の栄光があるのだ。心がなすところのものはいつまでも朽ちることがない。どんな人間でも多くの主人に兼ねしたがえることはできない。・・・・・。ぼくの行く手に、不思議な思想が突然姿をあらわして、ぼくを前方へさしまねく。ぼくは、自分が「神」に通ずる大道を歩いていることを疑わない。   (1827.4.7)

     だれでも自惚れをもてば、必ず自惚れのために苦しむ。自惚れを捨てて柔和になれば、必ず自分という人間が変化した幸福のよろこびを感ぜずにはおられないのである。 (1827.5.5)

     ひとりの男の話---その男は臨終の床に自分の放蕩息子を呼びよせて、大きな遺産をあたえ、ただひとつ、毎日一時間だけ孤独な時間をすごすという約束をさせた。息子は父との約束を守り、賢い立派な人間になったという。     (1827.8.24) 

     

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