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幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい

幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい>掲示板

公開 メンバー数:152人

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  • from: hiraokaさん

    2009年03月31日 00時35分51秒

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    「Re:信仰するってどんなこと ②」
    ueyonabaruさん、こんばんは。

    何か大変な事態が起こったようですね。

    参考になるかどうかわかりませんが・・・書いてみます。

    > 昨晩は、苦しいことがあり、心の中で神様に語りかけました。若いときにはそのようなことはありませんでした。

    ぼくの場合はまったく逆でした。
    若い頃はいつも祈っていました。特に父親が亡くなるころは真剣に祈っていました。
    そのころは、ぼくにとっても人生上の最大危機でした。

    そして、ぼくにとっての人生上の二番目の最大の危機のときは、まったく祈りませんでした。
    と云うか、祈っている暇も無いようなまさにサバイバルのような状況で、とにかく目の前の問題をひとつひとつ潰していくしかなかったんです。

    ようやく、少し落ち着いて振り返ると「自分はあんがい強い人間であった」と認識しました。

    祈りは必ず聞かれているそうです。そうだろうと思います。
    「此のようにしよう!」と選び、そのようにすることがすなわち祈りなのだと思えます。

    心は実体です。どのように感じ、どのように行動しようとしているのか・・・、
    そのこと自体を経験している自分が実体なのですから・・・・

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  • from: ueyonabaruさん

    2009年03月29日 18時15分28秒

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    信仰するってどんなこと ②

     信仰することは、例えて言えば、在日朝鮮人が二重国籍であることをやめ、日本に正式に帰化するという決定をすることにも似ているように思います(逆でも可)。一種の賭けでもあり、個人の決心ではないでしょうか。

     目に見えない神様の存在証明は不可能ですが、このよく分からない現象の世界において、目に見えない存在をあると信じる、あるいはあると信じることを決心することは重要なことなのです。

     そして、何ゆえ、エル・カンタ-レ信仰なのかというと、大川先生が時折、次の言葉のように、私の魂にショックを与えることがたまたまあるからなのです。次に引くのは、「幸福の科学」誌最新号に載った先生のご文章からの、断片です。


      心なんか目に見えないから、
      動かせない、と言う人は、
      残念ながら、
      宗教の入り口にも、まだ立っていない。
      心を実体だと思わなければ、
      修行による悟りなどありえないのだ。

     私は、心を揺さぶられたのです。心を実体と考えなさいとのご指摘です。

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  • from: ueyonabaruさん

    2009年03月28日 17時12分01秒

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    信仰するってどんなこと

     信仰するって何でしょうか。私は、エル・カンタ-レを信仰します、私はイエス様を信じます、私は阿弥陀様を信じます等々色々の信仰があります。人が信仰しますと言うときの心理はどのようなものでしょうか。

     私が、エル・カンタ-レを信じますというときの心理について語ってみます。私は、長い期間にわたり、三帰誓願をしないまま「幸福の科学」の書籍だけを読んでまいりました。興味本位の読者でしかなかったわけです。あることがキッカケで三帰誓願をすることになりましたが、それでもしばらくは熱心な信徒ではありませんでした。しかし、現在ではエル・カンタ-レを信じますと言えるのです。そのように言う時の私の心理はどのようなものかなんですが、それは一種賭けにも似たようなものがあります。多くの大川先生のご本を読んできて、これを全て理解できたわけではありませんが、ある時点で、今後は読書や理性的判断のみでなく、さらに一歩進まねばどうしようもないと思われたのです。それは、実際にやってみるということでした。そこで、信仰するという決意がでてきたわけです。現在では、信仰すると決意してからしか理解できないものがあるように思っております。

     昨晩は、苦しいことがあり、心の中で神様に語りかけました。若いときにはそのようなことはありませんでした。やはり、どこか理性的に考える部分が必ずありました。昨晩は、ただただ祈るばかりでした。そんなときは、エル・カンタ-レでも良し、イエス様でも良し阿弥陀様でも良しの心境なのですね。祈る対象の神々の違いは小さくなっておりました。このことを考えると、クリスチャンの祈りも私の祈りも心理的にはさしたる違いはないように思えるし、対象の神々の違いも重要ではないのではないかと思われたのです。

     信仰心というのは、それ自身がある価値を持っているように思えます。他宗の方でも、その方に信仰心が見受けられるとき、ある親しみと敬意を感じるものです。もちろんおかしな宗教でないことは言うまでもありません。私には、生長の家の信仰深い方々にも敬意を表したい思いはありますね。

     

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  • from: hiraokaさん

    2009年03月19日 00時40分50秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:偶然はない」
    ueyonabaruさん、こんばんは。

    > そうですか。でも、また書き込みをお願いします。我々の論争は、欠点を修正しながら継続してゆきたいものです。
    ええ、まったくその通りです。

    >幸福の科学に三帰誓願をしておりますので、エルカンタ-レを信じるということにしなければなりません。
    ueyonabaruさんの気持ちはよく分かりますし、そうあるのが道理だと思いますよ。
    もともと、ぼくはueyonabaruさんを変えようなどと云う気持ちはないんです。
    かといって、「好きにすれば。どうぞご自由に。あんたの勝手でしょ。」と云う現代的風潮も「いやだなあ・・」と思う性格なんです。

    >「新しい宗教を創造した」のではというのは、興味深いですね。
    このことなんですけどね。
    どうも霊界と云うのは「何でも在り」の世界のようなんでどんな宗教でも作り出せるようなんですが、
    結局のところできるだけ大勢の人が真の満足を得られれば、そのときそれがもっとも良き宗教と云うことになるようですよ。

    >先生の著書と講演にやはり惹かれます。もし、これが無くなったら、私は改宗することになるでしょう。無宗教者にはならないでしょうね。私のエルカンタ-レ信仰とクリスチャンの信仰とに、心の問題として見た場合、これに大きな隔たりがあるとも思えないのです。信仰をすると決めたときから、よその宗教の価値が認められるようになりました。特にキリスト教はそうです。クリスチャンが持つ信仰心について、自分自身が同じ形態の信仰を持つことにより、これが理解ができるようになりました。

    大川さんは、人をしてなるほどと納得させてくれる説明をよくしてくれますよね。ぼくもおおいに納得しました。
    ueyonabaruさんも、大川さんのおいしいところだけ頂いておけばいいんだと思いますよ。
    おいしいところを頂いたから、もっとお返しをしなければと思う性格の人達がえてして狂信的になりやすいようです。
    一時期、月刊誌で貰い得だけの人を「法盗人」と称していました。
    これは、「善きものを知ったのに他に伝えない人」の意でしょうが、決して幸福の科学の信者を増やそうとしない人のことであって欲しくないです。

    >私のエルカンタ-レ信仰とクリスチャンの信仰とに、心の問題として見た場合、これに大きな隔たりがあるとも思えないのです。

    「愛」を説くからだと思うんですよ。
    でも、ぼくは大川さんが「愛深き人」に見えないんです。
    夏目漱石の云うように、「情に竿させば流される」は本当でして、イエスもそれがために殺されましたね。
    大川さんも初期の頃、このことを言っていました。
    ですが、それにしては大川さんは下々の苦しみを知っているはずなのに・・・、と僕は思うんです。


    いったん、お休みするのは決別宣言などではありません。どうぞ、ご心配なく。
    僕にとっても、ueyonabaruさんは話しの通じる貴重な人なんですよ。(*^_^*)

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  • from: ueyonabaruさん

    2009年03月18日 19時24分03秒

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    「Re:Re:Re:Re:偶然はない」

    > 突然ですが、しばらくお休みさせていただこうかと思います。書き込みを止めるわけではありませんよ。

     そうですか。でも、また書き込みをお願いします。我々の論争は、欠点を修正しながら継続してゆきたいものです。

     幸福の科学に三帰誓願をしておりますので、エルカンタ-レを信じるということにしなければなりません。「新しい宗教を創造した」のではというのは、興味深いですね。

     当方、実際のところ、信仰を維持するのも大変です。疑問も生じます。今日も沖縄正心館から祈願の案内が届いております。こんなに祈願をたびたび募るのは少しおかしいのではないかと思うのですよ。しかし、我慢です。私は、待ちます。若干距離は置かざるを得ませんが。

     先生の著書と講演にやはり惹かれます。もし、これが無くなったら、私は改宗することになるでしょう。無宗教者にはならないでしょうね。私のエルカンタ-レ信仰とクリスチャンの信仰とに、心の問題として見た場合、これに大きな隔たりがあるとも思えないのです。信仰をすると決めたときから、よその宗教の価値が認められるようになりました。特にキリスト教はそうです。クリスチャンが持つ信仰心について、自分自身が同じ形態の信仰を持つことにより、これが理解ができるようになりました。
     
     下関にhiraokaさんというお友だちがいるので、もしかすると機縁が熟してお会いできるということもあるでしょうか。そうであって欲しいですね。
     今度の土曜日には、高校の友人7名ぐらいで久高島に一泊旅行です。 余裕があれば、桜を見ながら温泉行きが良いのですが、余裕できるまでは、なんとか工夫して楽しくやっていくしかありませんね。では、また。

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  • from: hiraokaさん

    2009年03月15日 01時45分36秒

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    「Re:Re:Re:偶然はない」
    ueyonabaruさん、こんばんは。

    >大川さんの初期の頃と現在やっていることの違いとは何でしょうか。

    「愛と知と反省発展」をスローガンにしながら、身近な人への愛と反省が抜けているように見えます。

    > 私は天邪鬼の面があるので、そうは考えません。イエス様やお釈迦様などでも人情に外れた言動は相当にあったのだろうと思うんです。もっとも、通常人の感覚での人情に対してです。また、彼らとて、弟子達が全て思うように師を理解し、従ったものだけでもなかったのだろうと思うんです。離脱、裏切りさえもあったはずです。そして、社会は必ずと言ってよいほど、これら偉大な救世主たちを攻撃したのではなかったのではないでしょうか。

    いえ、天邪鬼でないぼくもそう思っていますよ。(*^_^*)
    いやいや、天邪鬼でなくとも彼らを欠点の無い聖人と見るのは大いなる勘違いです。

    >社会は必ずと言ってよいほど、これら偉大な救世主たちを攻撃したのではなかったのではないでしょうか。」
    ↑しかし、ぼくはこのような意味で批判しているわけではないことを分かっていただけないのは残念です。

    > 前にもお書きしましたように、気の良いソクラテスのイメ-ジは私にはありません。気難しくはなかったかも知れませんが、時流に抗して理念に生きた、信念の人という強いソクラテス像です。彼とエマ-ソンを魂の兄弟だと思うのは私の思い込みかもしれません。しかし、そのように思えます。

    「時流」・・・、いつだってそういう時流なんです。
    ぼくはそういうことは問題にしていませんよ。
    いつだって分からない人は居るんですから。それにソクラテスは時流を変える気概で行動したわけではなく、たんに「これって、おかしいだろ?」と言っていただけのように見えますよ。
    こうしなければならないと云う気概と云うか、あるいは大いなるものの願いに奉仕するようなものは見えません。

    >すみませんが、またご説明ください。「宗教運動にはなってない」と「新しき皮袋はどのようなシステムだったのでしょうか」の意味です。

    ぼくは、すべての人達に「善きもの」(神性)は埋め込まれていると思っています。
    ですから、それをどのようにして発露させていくかのためのシステムのことです。

    >> 大川さんの言うことは現在、宗教運動になっていないではありませんか。
    ↑これは、宗派を超えて人に神性を再度気付かせる運動の事です。

    >> エル・カンターレ宣言をしたのち、新しき皮袋はどのようなシステムだったのでしょうか?
    ↑これは、イエスのやったことを見てください。
    怖れと天罰による秩序を説く古き皮袋から、愛と慈悲の神の実相を説く新しき皮袋の事です。

    > 偶然について、哲学的なことを考えていたのではなくて、ウォルシュのいう神の言葉に心動かされたということなんです。目前に展開する事象への驚き、真摯な受けとめが大事かと思った次第です。

    ウォルシュが言っているわけではないんですよ。ウォルシュとは別人格のようです。
    おそらくイエスに近い集団のようです。


    突然ですが、しばらくお休みさせていただこうかと思います。書き込みを止めるわけではありませんよ。

    ueyonabaruさんの真摯な疑問に呼応して通信を始めましたが、ぼくの知っている事はほぼ書きつくしました。
    大川さんのこういう側面も知ってほしいと云う気持ちもありましたし、大川さんの霊界についての決定的間違いなどもあるようですが、
    ようは幸福の科学は大川さんの見る霊界のようです。
    この段階になると、大川さんを救世主と信じるか否かの発言になってしまいます。
    そしてエル・カンターレと云う存在を認めるか否かの問題になるようです。
    ぼくはさんざん悩んだあげく、そのような存在はあるはずだろうが大川さんがそれであるとは思えないと思っています。
    また、エル・カンターレそのものがあやしいと思います。
    ひとことで云うと、大川さんは新しい宗教を創造したのではないかと結論しています。

    たんなる論争はぼくの好みではありませんし、ueyonabaruさんも好まないと思います。
    ぼくが普段思っていることを話す機会はほとんどありませんし理解してくださる人もめったに居ませんので、ueyonabaruさんが聞いて下さったことをとても感謝しています。
    また、これで終わりなわけではありません。

    もし、ぼくの住んでいるところに立ち寄る事がありましたら、ほんとうに遠慮なくわがやに泊まっていってくださいね。大歓迎しますよ。 (*^_^*)

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  • from: ueyonabaruさん

    2009年03月14日 13時21分06秒

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    「Re:Re:偶然はない」
    > ですが、初期のころ言っていたことと、現在のやっていることの違いで離れたのです。
    > 是々非々の態度でものごとを見ていきたいのです。

     大川さんの初期の頃と現在やっていることの違いとは何でしょうか。


    > 大川さんの発言のことですが・・・、
    > もし幸福の科学が千年後に残っているとすると、件の発言も残るでしょう。
    > イエスも釈尊も孔子も人情味のある人だったと思いますし、大川さんのような発言は皆無です。
    > もし、四大聖人の言行に大川さんと同じような発言があったら、こんにちまで残らなかったことでしょう。

     私は天邪鬼の面があるので、そうは考えません。イエス様やお釈迦様などでも人情に外れた言動は相当にあったのだろうと思うんです。もっとも、通常人の感覚での人情に対してです。また、彼らとて、弟子達が全て思うように師を理解し、従ったものだけでもなかったのだろうと思うんです。離脱、裏切りさえもあったはずです。そして、社会は必ずと言ってよいほど、これら偉大な救世主たちを攻撃したのではなかったのではないでしょうか。



    > 前回、書き忘れていました。
    > ソクラテスを「気難しい」とueyonabaruさんは表現されていましたが、そんなことはまったくありません。
    > そう思われたのはおそらく硬い訳文を読まれたからだと思います。
    > じっさいは、とても快活で人当たりが良く親しみやすい人だったと思われます。
    > 議論さえ吹っかけなければ、だれからも好かれた人のようですよ。

     前にもお書きしましたように、気の良いソクラテスのイメ-ジは私にはありません。気難しくはなかったかも知れませんが、時流に抗して理念に生きた、信念の人という強いソクラテス像です。彼とエマ-ソンを魂の兄弟だと思うのは私の思い込みかもしれません。しかし、そのように思えます。


    >
    > >幸福の科学は、新しき救世主を打ち立てたのだと思われます。エルカンタ-レという神なのです。
    >
    > そのはずでした!! しかし、現実は? 大川さんの言う事は? 大川さんのやっている事は? 集ってきた信者さんたちは幸せに近づいたのでしょうか?
    > なによりも、エル・カンターレとして何を提唱し、何をといたのでしょうか?
    > エル・カンターレ宣言をしたのち、新しき皮袋はどのようなシステムだったのでしょうか?
    >
    > 太古から人間は「善きもの」を知っています。
    > 歴代の大聖人は「善きもの」を再度思い起こさせるシステムのもといになった人たちです。
    >
    > 大川さんの言うことは現在、宗教運動になっていないではありませんか。
    > 大川さんの言うことをまともに信じたら、かえって国家的紛争の火種になりそうです。
    > そうは思いませんか? 
    > 真の宗教家なら、国家を越えて他国のひとたちの「善きもの」を目覚めさせる発言をするはずです。
    > ですが、右よりのみの発言に偏っています。
    >

     すみませんが、またご説明ください。「宗教運動にはなってない」と「新しき皮袋はどのようなシステムだったのでしょうか」の意味です。
     確かに、右寄りに見えます。しかし、私にとっては幸いでした。私は右の人間です。生長の家の出身なのです。軍国主義者ではないのですが。
     信者を幸せにしているかどうかがホントに重要です。私が、支部の方々を見る限りでは、皆さん結構充実しているようにしか見えません。しかし、このことはもっと長い目で他の外部の方々の意見も参考に見てゆきたいと思います。また、私自身はどうかというと、毎日「正信法語」をあげるだけの信者ではありますが、心は落ち着いていく方へ徐々に変わってきていることは確かです。全てをゆるすという深い境地には至ってないことが分かるので、悩んではおり、この点についてまだ修行中というところです。少しですが、守護霊という目に見えない存在が身近に感じられるようにはなりました。ま-幸せかなという気持ちでしょうか。



    > >要するに偶然はないのだということだと解釈できます。
    >
    > このことは昔から人類のテーマでしたね。
    > 偶然がないからこそ占いが成立するわけでして、すべて偶然でしたら予見などできるはずがありませんね。
    > と同時に、自由意志で選んだことも含めて偶然ではないと云い切れるのかどうかについて人間は頭を悩ませて来ました。
    >
    > 「右にすべきか、左を選ぶべきか?」
    > 「みんなが右だと云うから、じゃあ左にしよう」も「みんなが右だと云うから、じゃあ右にしよう」も、どちらも自由意志でありまして・・・・。
    > ようは、選択肢がそれほど無いといいますか、あるいは選択肢を狭めながら人生を生きて現実を経験しているようです。
    >
    > いづれにしても、「神はサイコロを振らない」のか、あるいは「神はサイコロを振る前に、次の出目が分かっている」のか、・・・・
    > いやきっとそうではなく、「神はサイコロの出目がなんであっても、次の出目(結果)を用意している」ではないでしょうか。
    >
    > >清教徒達には、何か悩みを抱えたときとりあえず聖書を開くということがありました。開いた聖書のそのペ-ジの言葉が神の言葉として何らか示唆を与えてくれるのだという考えがあったのだそうです。
    >
    > こういう、意思決定方法はあちこちにありますね。
    > 数秘術などでは、「迷ったら、3,5,7・・・を選べ」とあります。
    > ぼくは結構利用しています。腕立て伏せの回数だとかに・・・ (*^_^*)

     偶然について、哲学的なことを考えていたのではなくて、ウォルシュのいう神の言葉に心動かされたということなんです。目前に展開する事象への驚き、真摯な受けとめが大事かと思った次第です。

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  • from: hiraokaさん

    2009年03月13日 00時18分52秒

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    「Re:偶然はない」
    ueyonabaruさん、こんばんは。

    > 離れた人は、信者のようには感じないものなのですね。

    誤解されていないと思うのですが・・・、
    ぼくは大川さんに感謝しているんです。
    ぼく自身の考えをとても明確にしてもらいましたし、その他おおいに役立つ考えを貰いました。
    ですから、ぼくは後悔などはしていません。
    悪く言うつもりもありませんし、憎しみもありません。

    ですが、初期のころ言っていたことと、現在のやっていることの違いで離れたのです。
    是々非々の態度でものごとを見ていきたいのです。


    >サイババ並みの奇跡を大川さんにお求めですか?

    ueyonabaruさんがユタに期待した程度には期待しましたよ。(*^_^*)
    ぜんぜん事態は変わらないどころかもっと悪くなってしまいましたが、別に大川さんのせいではありません。
    そのことよりも、僕が大川さんに期待した奇跡は「人類全体の指標となる宗教観の提示」です。
    イエスの云うように「新しき酒は新しき皮袋に」のことです。

    大川さんの発言のことですが・・・、
    もし幸福の科学が千年後に残っているとすると、件の発言も残るでしょう。
    イエスも釈尊も孔子も人情味のある人だったと思いますし、大川さんのような発言は皆無です。
    もし、四大聖人の言行に大川さんと同じような発言があったら、こんにちまで残らなかったことでしょう。

    前回、書き忘れていました。
    ソクラテスを「気難しい」とueyonabaruさんは表現されていましたが、そんなことはまったくありません。
    そう思われたのはおそらく硬い訳文を読まれたからだと思います。
    じっさいは、とても快活で人当たりが良く親しみやすい人だったと思われます。
    議論さえ吹っかけなければ、だれからも好かれた人のようですよ。

    > 「善きものと認められる理想」は、すでにあると考えられます。・・・問題は、これらの善きものが世界の人びとの共通認識としてなりえてないことでしょう。

    その通りであります!! 

    >幸福の科学は、新しき救世主を打ち立てたのだと思われます。エルカンタ-レという神なのです。

    そのはずでした!! しかし、現実は? 大川さんの言う事は? 大川さんのやっている事は? 集ってきた信者さんたちは幸せに近づいたのでしょうか?
    なによりも、エル・カンターレとして何を提唱し、何をといたのでしょうか?
    エル・カンターレ宣言をしたのち、新しき皮袋はどのようなシステムだったのでしょうか?

    太古から人間は「善きもの」を知っています。
    歴代の大聖人は「善きもの」を再度思い起こさせるシステムのもといになった人たちです。

    大川さんの言うことは現在、宗教運動になっていないではありませんか。
    大川さんの言うことをまともに信じたら、かえって国家的紛争の火種になりそうです。
    そうは思いませんか? 
    真の宗教家なら、国家を越えて他国のひとたちの「善きもの」を目覚めさせる発言をするはずです。
    ですが、右よりのみの発言に偏っています。

    >いつになることやら、という批判は当然起こりますが・・・

    いますぐできることでない事は、当然分かっていますよ。


    >要するに偶然はないのだということだと解釈できます。

    このことは昔から人類のテーマでしたね。
    偶然がないからこそ占いが成立するわけでして、すべて偶然でしたら予見などできるはずがありませんね。
    と同時に、自由意志で選んだことも含めて偶然ではないと云い切れるのかどうかについて人間は頭を悩ませて来ました。

    「右にすべきか、左を選ぶべきか?」
    「みんなが右だと云うから、じゃあ左にしよう」も「みんなが右だと云うから、じゃあ右にしよう」も、どちらも自由意志でありまして・・・・。
    ようは、選択肢がそれほど無いといいますか、あるいは選択肢を狭めながら人生を生きて現実を経験しているようです。

    いづれにしても、「神はサイコロを振らない」のか、あるいは「神はサイコロを振る前に、次の出目が分かっている」のか、・・・・
    いやきっとそうではなく、「神はサイコロの出目がなんであっても、次の出目(結果)を用意している」ではないでしょうか。

    >清教徒達には、何か悩みを抱えたときとりあえず聖書を開くということがありました。開いた聖書のそのペ-ジの言葉が神の言葉として何らか示唆を与えてくれるのだという考えがあったのだそうです。

    こういう、意思決定方法はあちこちにありますね。
    数秘術などでは、「迷ったら、3,5,7・・・を選べ」とあります。
    ぼくは結構利用しています。腕立て伏せの回数だとかに・・・ (*^_^*)

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  • from: ueyonabaruさん

    2009年03月12日 12時59分55秒

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    偶然はない

     ウォルシュの著書「神との友情」を開いてみました。一度ざっと読んだ箇所でしたが、気にかかることが書いてあります。以下

    「いいかな、良い出来事も「神の御業」だよ。どんな人間も偶然に出会うことはないし、どんなことも偶然に起こりはしない。 
     ラリ-があそこにいたこと、ちょうどそのとき、ぴったりの態度のぴったりの人間がいたこと、それが偶然と思うか? あの日にラリ-と出合ったのは偶然ではなくて、袖で待っていた脇役が合図されて舞台に登場し、セリフを言い、退場したのだと考えてごらん。そのあとも、あなたの芝居は続いていく。いまも続き、あなたが明日についての考えで台本を書いているように、口にする言葉で、舞台を演出しているように。行為で舞台をつとめているように。」

     要するに偶然はないのだということだと解釈できます。全て神の采配であり、あるいは自身の選択だと言っていると思うのです。
    この考え方は、ホントに重要なものではないかと思えます。この考え方に立つと、自分の眼前に展開することの全てに意味があるということになりますね。そうかもしれません。そうあって欲しいです。そのように考えて日々を過ごしてみようと思います。
     もしかすると、これは私にとって重要な意味を持つかもしれません。期待します。

     このような言葉は、TVのオ-ラの泉で繰り返し出てくるものでもあります。これまでただ聞き流していたのですが、そうもしておられません。昔、アメリカのニュ-イングランドの敬虔な清教徒達には、何か悩みを抱えたときとりあえず聖書を開くということがありました。開いた聖書のそのペ-ジの言葉が神の言葉として何らか示唆を与えてくれるのだという考えがあったのだそうです。

     今日、ウォルシュのこのくだりのテ-マを書いたのも、彼の著書を偶然開いたところ、偶然はないということが書いてあったことによるのです。ウォルシュの本は、たびたび開いてみる読み方をしてみたいと思います。聖書もそうです。 

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  • from: ueyonabaruさん

    2009年03月11日 11時22分19秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:番外編 30兆円の銀行紙幣を発行せよ」
    > 信者というものは、ほんとうにありがたいものです。これは、けっして皮肉などではありません。
    > ueyonabaruさんは信者ですので、大川さんをまずいったんなんでも好意的に解釈しますが、離れた人から見れば大川さんの云った事は看過できないものなのです。
    > おそらく一般的な人達の感覚からすれば、大川さんの冷たさを感じることでしょう。
    > ジョークと解釈するのは、信者だけですよ。
    > ためしに一般的な人達に聞いてみればよく分かるでしょう。

     離れた人は、信者のようには感じないものなのですね。そうでしょうね。離れてまもない人は、特に恨み心が強いように見えます。私の友人のMさんは、大川隆法は詐欺師であると当時言っておりましたね。詐欺師は言いすぎでしょうが、よほどの反発を感じたようです。信じて裏切られるという感情でしょうか。分かるような気はしますが、私は、同調はできませんね。そんなことなら、最初から慎重にいくべきだったのではないかと言いたいものです。この宗教は、自分に合致するだろうかという前判断をすべきだったと思います。


    > それよりも、大川さんは景山さんを焼死から救う事はできなかったのでしょうか?
    サイババでさえ、おおくの信者が「生死を分ける危機から救ってもらった」と証言しています。

     サイババ並みの奇跡を大川さんにお求めですか?



    > >釈尊の生まれ変わりと私がいうのは、先生の仏教論を読むとそのように断定しても良いと思ったのです。仏教論とは、「悟りの挑戦」、「沈黙の仏陀」、「釈迦の本心」等々のご本です。
    > ぼくは「黄金の法」を読んで釈尊の生まれ変わりだと確信しましたが、いまではそう思えなくなりました。
    > 傾倒していたころに読んだ以上の三冊も、すこし肩透かしをくいました。

     私はこちらあたりが、特に大切に思っております。hiraokaさんが
    これらの本で説かれたことをご理解しているのであれば、相当な悟りの境地にあるといわねばなりません。
     私は、「黄金の法」を読んでビックリしましたが、これで、大川隆法を釈迦の生まれ変わりと思ったわけではありませんでした。これだけの多数の思想を一人の人間が知っていることに驚異を感じたのです。それから、ヨチヨチと、私の大川隆法の勉強が始まったと言ってよいかと思います。これはいわゆる霊言集とは違うと位置づけておりました。大川隆法の直覚的、霊的な真理把握だと思います。
     霊言集は、こちらに霊能力がないので検証は不可能であり、他の霊言と比較考量して判断することは可能だとは思えますが、その際には自分自身の判断のモノサシが問われることになります。自分自身のもつ羅針盤が重要になりますね。


    > >以前にも、宇宙の法ということを言っておられましたね。具体的に教えてください。・・・・
    >
    > ぼくも、「パイトロン」などの話を聞きたいわけではありませんです。
    > ぼくに限らずおそらく多くの人達が思ったことだろうと思うのですが、
    > 大川さんに多くの人が期待したのは、「世界中でばらばらになってしまった宗教派閥によるいさかいを解消するいしずえを作ってくれるかもしれない。」と思ったのではないでしょうか?
    > 人類が同じ思いを持つ必要はありませんが、人類全体が共通に「善きもの」と認められる「理想」です。
    > この提示こそ、「宇宙の法」ととりあえず呼べるのではないでしょうか。

     「善きものと認められる理想」は、すでにあると考えられます。もろもろの良き哲学、宗教が語る真理がそれであると考えて良いかと思います。問題は、これらの善きものが世界の人びとの共通認識としてなりえてないことでしょう。特に、国家、民族、宗教の違いにより、共通の認識がたちまちのうちに失われてしまいます。
     幸福の科学は、新しき救世主を打ち立てたのだと思われます。エルカンタ-レという神なのです。この神の語ることを世界の人よ聞けと言いたいのだと思います。この神こそ、至高のものなるぞ、仏陀の教えをもとに、イエスの愛を説き、ヘルメスの繁栄をもたらすもの、これぞエルカンタ-レなりと言っているのです。
     幸福の科学の信仰はエルカンタ-レを信じることにあります。エルカンタ-レの思想が世界の宗教的常識になれば、宗教に起因する争いは格段に減少すると思われます。ここでいうエルカンタ-レの思想とは、エルカンタ-レをリ-ダ-にして、イエスや他の9次元霊たちが協力しているということ、輪廻転生、与える愛の生き方、心の法則等大川隆法の説く真理などであり、これが世界の宗教的常識となるときに平和へ世界は一歩踏み出すということではないでしょうか。
     いつになることやら、という批判は当然起こりますが、これが幸福の科学の宗教運動であることは間違いないでしょう。ずいぶんの大風呂敷でもありますが、その志は高いとしなければなりません。
    このような大理想を掲げた運動を私は、微力ながらも協力していきたいと思うのです。

     いずれにしろ、この世は人間が相当に努力していかねばならないようにできているように思います。霊界ではそうでもないのですが、この世は四苦八苦の世界でもあり、だれもが相当な努力をしなければなりません。目の前の、仕事を全力投球する生き方をすることにより、これがひいては世界平和につながるカルマの創成につながるということであれば良いのですが。



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