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from: ueyonabaruさん
2009年11月30日 19時16分06秒
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「Re:Re:「霊的世界のほんとうの話」から」
hikaru0827さんへ
ご返事ありがとうございました。この件については、いまだピンときません。痕跡との表現ですので、もっとストレ-トのものであって欲しいのですが、よく分かりません。支部で、よく勉強をしておられる方にもきいてみましたが、hikaruさんに似たご回答でした。もう少し考えてみます。
> > このように、自分の内のほうへ深く入っていくと、実は、そのなかに、無限の宇宙へと伸びている道があるのです。無限の宇宙から各人のなかへとつながっているものがあるのです。
> >
> > それは、結局「人間以外のものも含めて、この地上に存在が許されているすべてのものには、被造物、すなわち創られたものとしての痕跡がある」ということです。人間であれ、動物であれ、植物であれ、みな、創られたものとしての痕跡があるのです。
> >
> > 創られたものとしての痕跡とは「その生き物をあらしめようとする力が宿っている」ということです。
> >
> > そのあらしめようとする力は「仏性」という言葉で呼んでもよいのですが、表れ方においては、心の法則として表れています。「すべての存在が、心の法則を持ち、その心の法則に則って生きている」ということが、創られたものしての痕跡です。
>
>
> どのあたりの事でしょうか?
> 以下、少し文章をまとめてみました。
>
> ●創られたものとしての痕跡=仏性
>
> ●仏性は、神と同一と捉え、
> ”自分の内のほうへ深く入っていくと、実は、そのなかに、無限の宇宙へと伸びている道がある”
>
> ●創られたものとしての痕跡=「その生き物をあらしめようとする力が宿っている」事
>
> ●創られたものとしての痕跡=仏性=「その生き物をあらしめようとする力が宿っている」事
>
> ●仏性の表れ方の例:心の法則を持ち、その心の法則に則って生きている事。
> (仏性の表れ方の1例としての説明でしょうか。表れ方という話に変わってから、文の内容は大きく変化しています。
> 心についての説明はあれこれあると思いますが、要は「心」というものの存在自体が、人が神に作られた証拠の一つということでしょうか)
>
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from: ueyonabaruさん
2009年11月30日 18時57分37秒
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「Re:Re:小沢一郎の宗教」
cosmo77みなさんへ
> ><神仏の心を心としてというくだり>は神と仏の定義をしないまま
> >神仏の心という言い方をしたので反発を買ったのではないでしょうか?
> >相手の宗教を同等と考え、認めた上で人間同士のつきあいをすればいいんではないでしょうか
>
>
> チャンネル桜のクリスチャンの方が言われていたのは 確か キリスト教では 人間は神の子ではない 神の子はキリストです
> 人間を神の子とすることは傲慢であり認められない というお話だったと記憶していますが。
そうでしたね。でも、彼の捉え方は、すべてのキリスト教に共通するものでもありません。カトリックでさえ、いつでしたか、神の光はキリスト教以外にも降りているということを公表したようです(私の叔母で、カトリックの修道女の言)。スウェ-デンボルグの教会もあるようですが、ずいぶんと融和的なキリスト教です(ネットで調べられます)。そして、アメリカのエマ-ソンから始まる光明思想がありますね。ここでは、イエスのみを貴しとする考えから脱皮し、各人に宿る神性を強調しております。
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from: ueyonabaruさん
2009年11月30日 18時44分41秒
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「Re:Re:Re:小沢一郎の宗教」
hikaru0827さんみなさんへ
> 大きく、みんなが正しいと思える枠を設定する事は可能ではないでしょうか。
> 全ての、宗派共通、とはいかないでしょうけど…。
それは可能だと思うんです。この表現ではどうだろうかと、それぞれの宗教関係者に根回しをするとかの手段が考えられます。
日本人の多くが、宗教を考えるようにするためには、幸福実現党がやったように、憲法草案の前文に入れるということをおおっぴらに提言し皆にショックを与えることも必要なことであり、今後とも幸福実現党この姿勢は変わらないだろうと思います。社会は改革を求めているようです。民主党の改革もその一つではあるでしょうが、これには不安も大きいのです。民主党が成功すればよいのですが、大きな失敗に終わらないか、危惧しております。
昨日当方の属する南部支部に初めて行き、教義を良く知っている方とお話しする機会がありました。その方の信仰心は堅く、エル・カンタ-レ信仰をストレ-トに主張する段階に来ているとのことを申しておりましたが、これは私も同感です。幸福実現党が立党してから、内部でなにか変わってきたような気がします。
その日は、相談事があり支部を訪れたのですが、まず支部長にお会いしたいと申しましたら、私が支部長だというので、Yさんの冗談かと思いました。プロの支部長にお会いしたいのだと再度申しましたら、これまでのプロの方々は、これからは海外伝道などに振り向けられることになったので、全国の支部はすべてが基本的には普通の会員の方々で運営するようになったと言うんです。宗教行事も行うようです。事務なども含め、すべてが、ボランティヤ-で運営するそうです。ビックリです。まるで、アメリカの西部開拓時代に、開拓民達が自前で教会をつくっていったようなものですね。すごいです。こんな組織はほかにあるでしょうか。カトリック修道院は独立運営をする点で少し似ているかもしれませんね。キリスト教の新教も独立運営ですね。まあ-とにかく感動しました。
私の属する南部支部は、つい2カ月前に落成したばかりですが、かなり立派な建物であり、駐車場は30台もとめられるものです。
多くの方々の布施があったようです。幸福の科学の教えでは、大黒天とも言うべき方々が、各地にはいるということのようで、思わぬ寄進があるようですね。私も、大黒天になりたいものです。
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from: ueyonabaruさん
2009年11月30日 17時53分51秒
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「Re:Re:小沢一郎の宗教」
にしき鯉さんみなさんへ
> 融和は無理だと考えています、しかし共存は可能だと思います
> 私は友達にイスラム教の人やキリスト教の人もいます
> しかし、改宗は勧めません、なぜなら考え方の土台が違うからです
> 同じ仏教徒なら教義の理解も含めて話し合う事はありますが、、、
融和は難しく思えますが・・・。同じく仏教でも、曹洞宗と念仏宗、創価学会を並べても、とてもじゃないがケンカにしかならないような気がします。ましてや、外国のキリスト教、回教などはさらに難しく思えてきますね。
幸福の科学の信者の私としては、この難問について挑戦したい気持ちがあります。
> イスラム教の人は人生の中で教義が完結しています
> 他を受け入れる要素はほとんどありません
イスラムの国の方とあるカフェ-で少しお話したことがあります。酒を飲まないのですね。酒を飲まないのら、カフェ-など来なければいいのにと後で思いましたが、同時に我々日本人の知らない宗教の影響力のことを思い知りました。
人はいろんな考えがある、しかし、政治になると何を決めるにも
> 「定義」が必要になります
> 定義は万人が納得できるものでなくてはなりません
>
> <神仏の心を心としてというくだり>は神と仏の定義をしないまま
> 神仏の心という言い方をしたので反発を買ったのではないでしょうか?
そうです。チャンネル桜の水島さんは、自身が禅宗をやっておられるので、なにを言い出すかという感じでしたね。こいつらは仏教とキリスト教の違いも知らないと思われたでしょう。水島さんは、日本主義者であり、神道の天皇主義者であるようです。この方の活動には賛同できるところが多いのです。私のみならず、幸福の科学の友だちも私同様、好感をもっているようです。幸福の科学のことを彼ら、右翼に理解をしてもらいたいのですが、時間はかかるでしょうね。
> 相手の宗教を同等と考え、認めた上で人間同士のつきあいをすればいいんではないでしょうか
個人的なお付き合いは紳士的にできると思うのですが、集団となり、国家となるとこれが非常に難しくなります。
> 政治に宗教を持ち込む事は時期が早すぎるのではないかとも思います
> 現状ではどっちが正しいかという摩擦にしかなりません
おっしゃる通りではあります。しかし、幸福の科学の理想を世間にぶち上げて宗教論争でも起こって欲しい気持ちがあります。icon
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from: hikaru0827さん
2009年11月29日 19時31分09秒
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「Re:Re:偶然と必然」
cosmo77さんへ
> 過去は必然で 未来は必然ではない
> と言われていたのは 勘違いで
> 実は hikaru0827さんのお考えは次のように まとめられます
> --------
> 世界は (可変性を認める)必然 として展開している
> 偶然は存在しない
> 過去も未来も (可変性を認める)必然 である
> --------
確かに、上の私の言葉に使った「必然」は意味が微妙に違います。
途中で、修正したと思いますが、
過去は、その瞬間まで積み重ねられた因縁に従い、果が表れたものだから、なるべくしてなった、と言える。
未来は、無限の可能性を秘めているが、表れる果は、未確定かつ、因果の法則に従う。
となります。
cosmo77さんが、まとめられた文と、たぶん同じかと思います。
> ◎(可変性を認める)必然
>
> これが hikaru0827さんの考えです
> 縁と果に可変性があるが 偶然は存在することはなく すべては必然である という考えですね
> 世界展開はたくさんシナリオがありすべて必然だ という立場になります
> (可変性を認める)決定論 ということになります
>
細かなことを言うようですが、”縁と果に可変性がある”というのはよくわかりません。
因・縁は、可変性があり、因縁が変わることで、果も変わりますから、可変性という意味では因縁果すべてに可変性はありますね。
しかし、因縁果の方式にいささかの齟齬もない、という事でしょうか。
となると必然とは、「因果の法則という公式」の正しさを指すのかもしれません。icon
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from: hikaru0827さん
2009年11月29日 19時00分29秒
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from: cosmo77さん
2009年11月29日 16時00分29秒
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from: cosmo77さん
2009年11月29日 15時52分51秒
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「Re:偶然と必然」
hikaru0827さんへ
もう一度考えてみましたところ さらに包摂性の高い理論を考えつきましたよ!
前回 (因果律的)必然 と (決定論的)必然 という言葉を使いましたが これだと どうも 包摂できないことがあるので
(因果律的)必然 -> (可変性を認める)必然
(決定論的)必然 -> (可変性を認めない)必然
としたところ よく説明できることがわかりました
「必然」は「決定論」と置き換えても同じことと思います
◎(可変性を認めない)必然
これは今の状況になるしかあり得ない ということです
世界展開は初めから決まっていてシナリオは一つしかない という考えです
通常の決定論はこの考え方だと思われます
(可変性を認めない)決定論 です
◎(可変性を認める)必然
これが hikaru0827さんの考えです
縁と果に可変性があるが 偶然は存在することはなく すべては必然である という考えですね
世界展開はたくさんシナリオがありすべて必然だ という立場になります
(可変性を認める)決定論 ということになります
そうすると hikaru0827さんが
過去は必然で 未来は必然ではない
と言われていたのは 勘違いで
実は hikaru0827さんのお考えは次のように まとめられます
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世界は (可変性を認める)必然 として展開している
偶然は存在しない
過去も未来も (可変性を認める)必然 である
--------
でよろしいのですよね?
いやあ これは 我々は 新しい哲学を切り開いたのかもしれません v(゜ε゜v)
シナリオがたくさんある という考え方ですね(多シナリオ理論 と名づけてみます)
確かに納得できる 世界観ではあります
これは 幸福の科学教学の枠を 超えて一般性を持つことができる理論です
しかしですよ
この (可変性を認める)決定論 にも 包摂できない ことがあると思うのです
それは やはり ではなぜ 信じがたい極悪が 存在するのか
という 問題です
やはり すべては 必然で展開しているとすると
極悪を作り出しているのは やはり 根源神 になる ということになります
これは さすがに納得し難いのではないでしょうか
やはり 偶然の存在を認めれば この問題が 解決されることは 以前と同じですねicon
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from: cosmo77さん
2009年11月29日 15時00分04秒
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from: hikaru0827さん
2009年11月28日 15時59分18秒
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「Re:Re:小沢一郎の宗教」
> <神仏の心を心としてというくだり>は神と仏の定義をしないまま
> 神仏の心という言い方をしたので反発を買ったのではないでしょうか?
>
> 相手の宗教を同等と考え、認めた上で人間同士のつきあいをすればいいんではないでしょうか
>
> 政治に宗教を持ち込む事は時期が早すぎるのではないかとも思います
> 現状ではどっちが正しいかという摩擦にしかなりません
今でも、世界宗教者会議など、(正式名は知りませんが)ありますし、日本でも同様な集まりがあるようです。
全ての、細かな教義が、一致しなくても、大きな部分で共通の認識を持てれば、その上で政治的な話し合いは、可能ではないでしょうか。
大きな部分…例えば、
●神仏=畏れ多い尊ぶべき存在
●重要な思想=慈悲や愛の精神・自助努力の精神、ほかに自由・平等・平和・調和・正義・発展…。
大きく、みんなが正しいと思える枠を設定する事は可能ではないでしょうか。
全ての、宗派共通、とはいかないでしょうけど…。icon