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from: minamikazeさん
2011年01月31日 20時16分30秒
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from: minamikazeさん
2011年01月31日 20時11分11秒
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from: hikaru0827さん
2011年01月31日 17時29分54秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:堕ちた美の女神」
みなさんへ
> そもそも、至高神の考えが全て理解できるのでしょうか? > 大企業ですら社長の考えが理解できない人がたくさんいます。それが地球の至高神です。 > 理解出来ないと信じないはやはり純粋な信仰ではないのではないでしょうか。 > > > 天才のことを我々凡人がすべて理解できるということはありえません。天才の言うことは、わからなくても一応は受けとるというのが筋でしょうね。
今、NHKで放送されている「姫たちの戦国」で信長と江のカラミを見て、笑ってしまい、かつ、興味を持ちました。
信長は、「我は自分のみを信じる」と語り、信長の心を理解しようとする江に対し、千利休は「傲慢だ」と諭します。
信長は誰も見えないものを見ていて誰も聞こえない声を聞いている。その信長を理解しようとするのは貴女の我であり、理解できると考えるのは傲慢な事だと。
なんてタイムリー。
私も江と同じく「理解できる自分」でありたいと思う傲慢な人間です。
また「自分を信じる」という信長にも共感できます。icon
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from: ueyonabaruさん
2011年01月31日 11時55分53秒
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同期生
一昨日は、私の高校の同期のものの新年会がありました。
色々の人がおります。
O君、現役の腎臓の専門医で人工透析で頑張っております。彼の奥さんは、幸福の科学の熱心な信者ですが、本人は、エル・カンタ-レ信仰などまったく関係がないという状況です。以前から小林秀雄が好きであり、この頃は私の影響もあってか西尾幹二を良く読んでいるようです。幸福の科学の信仰について話したいとも思っておりましたが、やめました。話せるような雰囲気が彼にはなかったからです。
同じく医者のK君は、精神科の医者でしたが、現在は内科の診療所を開業しております。学生時代は三派の全学連の闘士でした。変に霊能力があり、Oリングとかいうものを使って薬を選択しているということを昔言っておりました。悪い霊とお付き合いしているのかも知れないと思ったりしております。
N君がおりますが、彼は学生時代には一番の成績であり、秀才です。NTTの幹部でありましたが、退職後、民間の会社の社長をしておりました。現在の職は不明。一度、大川隆法の話をしたところ、受け付けてくれず、「something great」なるものは認められるが、生長の家とか幸福の科学とか具体的になると拒否反応を示します。
聞くところによると、禅かなにかで瞑想などやっているようです。琉球古武道を長いあいだやっておりました。
進学のための特別クラスの者たちの集まりですので、社会的には上の方々が多いのです。しかし、宗教的なことにはあまり関心がなく、というより知らないと言った方が良いのかもしれません。
彼らに幸福の科学の書籍を送ろうかと考えたりもしますが、実行するまでに至っておりません。宗教とか、霊界のことについては、話題にするのが憚られる雰囲気がありますので、躊躇しております。しかし、皆が年老いてあの世に行くのは、そう遠くない状況になってきましたので、そろそろ、こちらも決断しなければなりませんね。
大川きょこさんが悪魔であるとかレプタリアンであるとかのお話が交わされておりますが、これは、一般人にとってはまったく関係のない事柄に違いありません。
宗教における素養らしきものを多くの方々に持っていただくことが今喫緊の課題なのかもしれません。 -
from: ueyonabaruさん
2011年01月30日 21時26分06秒
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「Re:Re:Re:Re:堕ちた美の女神」
hikaru0827さんへ
> > 読み聞き→感じ→考え→そして『審判する』というのは、それは違うよ、と、そう言われてるわけでしょうか?それは信仰ではない、と。 > それならばなんとなく分かる気がします。
先生が、これまで法を説かれてきて、そして最後の言葉として、「われを愛し、信じよ」と言われるのですから、それはジャッジするものではなく、イエスかノ-しかないのでしょうね。
> > 私の信仰は、その神を信じた「自分」を信じる事なのかもしれません。ですから、目をつぶって付いてこいと言われても困ります。 > > 信仰というものは、頭でっかちに、理屈で考え判断・審判、ジャッジするのでなく、心で感じ、通じる事であると言われているのでしょうか。 > > > > >
「神を信じる自分を信じる」でいいのではないでしょうか。誰も、そのようなものです。逆は、「神を信じない自分を信じる」ですが、人それぞれの信念ですから、それもありうるでしょうね。
要するに、自分が基準になるということです。
ですが、他力の信仰というのは、自分をうち棄てて、判断も捨て去り、ひたすらに、偉大なるものへ自己をそのまま投げ出すことなんでしょう。
先生は、全てをなげうってついてきてもらっていいとおっしゃっているのです。自信があおりなのです。
もちろん、理屈やこの世の計らい心など頭デッカチなことを棄てるという意味もあるでしょうね。ここは、他の宗教でも説かれる真理ではあります。学者や頭のいい人は救われがたいということですよね。
自己内在の神性、仏性を信じるというのは、光明思想的発想ではありますね。hikaruさんは、その辺りのことを言っておられるのでしょうか、そのように感じました。icon
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from: ミラーワールドさん
2011年01月30日 19時54分34秒
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信者の皆様へ
信者の皆様へ
o(^-^o)(o^-^)o
『祈願文①』『太陽の法』『黄金の法』の改定版が、支部に到着しますので、ご案内致します。
【改定理由】世界宗教実現に向けた、全世界伝道への本格的スタートを切るために、純粋なエル・カンターレ信仰を確立する。
1『祈願文①』
・「結婚のための祈り」が、「結婚祈願」に差し替えられました。
・この「結婚祈願」は、ヘルメス神の霊示であり、総本山・正心館から全国精舎に下賜されている経文と同じものです。
2『太陽の法』『黄金の法』
・当会の教えが誤解されるような記述がなくなり、地球神エル・カンターレご自身の、オリジナルの教えで統一されました。大きな変更としては以下の2点です。
①文殊、アフロディーテ、ナイチンゲールに関する記述が削除され、当会の教えが、二仏信仰(仏陀―文殊)や、夫婦信仰(ヘルメス―アフロディーテ)につながりかねない箇所等が削除されました。
②一地域の小さな宗教であるGLA、高橋信次関連の説明箇所が大幅に削除され、裏の教えとの明確な線引きもなされました。
【到着予定】
○改訂版『太陽の法』『黄金の法』は順次、書店に並びます。支部には、2月1日以降に届きます。
○改訂版『祈願文①』は2月1日以降、『携帯版祈願文』は2月13日以降に、支部に届きます。(三帰信者限定) -
from: Liberaさん
2011年01月30日 17時10分45秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:堕ちた美の女神」
みなさん、こんにちは。Liberaです。
「秘儀公開特別研修」というのが行われたそうですね。
ルシフェル、覚鑁、ベルゼベブ、それに、きょう子氏の死んだお父さんが呼び出され、総裁先生が時おり、それぞれの悪魔の特徴などについて解説され、対話を進めていったと紹介されています。
2chに信者と思われる人のこういう書き込みがありました。
>きょうこは、過去世でレプタリアン宇宙人であり、地球に侵略し に来たのです。
その後、ルシが地上に生まれた時に、妻となり一緒に悪魔界を作 りました。
それから裏側仙人界の女天狗になり、鳥海山の女天狗が彼女の本 性です。
今回、地球をレプタリアンの星にする密命を受け、お人好しの大 川総裁を脅し無理やり結婚しました。
彼女を指導していたのは、悪魔です。
その使命は、地球を宇宙人の支配下に置くこと、地球の地獄界を 主流とすることです。
文殊も邪道です。ナイチンゲールも唯物論者、無神論者で天狗の 魂です
これは、一信者の個人的な見解ではなく、教団側の公式見解なのでしょうか。
しかし、文殊が外道だとするならば、多くの大乗経典はどうなるのでしょうか。
大乗仏教そのものが、外道の邪説だということになってしまいませんか。
かつて総裁補佐だった頃に月刊誌や書籍で説いた教えは、天上界の光を感じさせるような煌めきを放つものだったと思いますが、
それが、ルシ系の流れをくむものだったとは、どうしても信じられません。
「堕ちた美の女神」事件で、また教団を去っていく人が出てくることは避けられないでしょう(教団が崩壊するほどの流れにはならないと思いますが)。
> 幸福の科学に熱狂し信じた方々のうち、多くが脱落しました。この脱落していった方々に、どのように言葉をかけていけばよいのでしょうか。
会内アンチの存在をご存じでしょうか。
アンチHS派と称する掲示板がいくつかあります。
中でも最近台頭してきたのが、「幸福の科学撲滅対策」とかいう掲示板です。
運営しているのは、2世信者を名乗る女性です。
そこに投稿しているメンバーは、おもに信仰から脱落した元信者ですが、中には現在も教団に出入りしながら、内部情報を裏サイトに流し、誹謗中傷を書き込んでいる現役信者もいます。
裏サイトでは、元教団本部職員を名乗る人物が、一般信者の知りえない中枢の内部情報を都合よく捏造して流しています。
有名なファルコンなる人物がそれです。
昨年あたりからアイマイミーなる元本部職員がそれに加わりました。
彼らは独自のブログを開設し、教団に疑問を感じた信者を偽の情報で洗脳し、アンチにしています。
その情報には、きょう子関連のものも多数含まれており、以前からその悪妻ぶりが、事細かに描写されていました。
今回の週刊誌事件で、2chや裏サイトの勢いが増しています。
「現代の悪魔は活字を通して入ってくる」と言われましたが、さらに昨今は、ネットを通じて入ってくるようです。
裏サイトでの悪魔の暗躍を許さないためにも、対抗する信者の掲示板が必要だと思います。
この世的なさまざまな事件に動揺してしまう信者さんは少なくないでしょう(私自身がそうですが)。
そういう人々に、信仰を手放す前に、何らかの導きが与えられるような掲示板を目指したいものだと思います。icon
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from: ueyonabaruさん
2011年01月30日 15時38分13秒
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「Re:Re:Re:Re:堕ちた美の女神」
チョコスッキ-さんへ
そして「これは凄い!」と思って信仰します。 > > 信じると決めたなら、その後はもうただついて来いということなんだと思います。
私も、先生のお言葉に従いたいと思っております。そこでのジャッジは私にはないのですよ。
幸福の科学に熱狂し信じた方々のうち、多くが脱落しました。この脱落していった方々に、どのように言葉をかけていけばよいのでしょうか。どのようにすれば、エル・カンタ-レ信仰まで導いていくことができるのかという問題がありますよね。
そのような方々に対し、あなたは「大川隆法を信じたことがあったではないか、素直に先生のおっしゃることをただ信じていくのが良い」ということだけでは、うまくいかないと思うんです。
熱狂的な大川隆法信奉者が、熱狂的な大川隆法批判者に変わってしまった例は多いでしょう。このような方々を説得するのは、難しいことだと思っております。ご自身で、これまで歩んできた道筋を振り返り、十分に過去のチェックをするしかないと思われます。ご自身のジャッジは正しかったのかどうか、再度考えていただくしかありません。それでも、大川隆法を受け入れがたいということであれば、ご自身の道を行かれるしかありませんね。
しかし、このような方々でも、おのれのジャッジ能力が向上し、再び大川隆法の思想を学ぶというのは全くありえないということではありません。これに期待したいと思います。
私が信仰が非常に不安定だったのは、ちょうどこのブログを立ち上げた時なんです。心の定まらない、不安定な毎日に、若干の光が得られたのは、ソクラテス(対話編)やアウグスティヌスを読んだからなんです。彼らが、エル・カンタ-レ信仰を説いたわけではもちろんありませんが、彼らの語る普遍なる真理は、幸福の科学の教えとおんなじだと思いました。
人それぞれに、歩む道筋は異なりますが、結局は大川隆法に回帰してもらいたいという思いは胸内にありますね。
> > そもそも、至高神の考えが全て理解できるのでしょうか? > 大企業ですら社長の考えが理解できない人がたくさんいます。それが地球の至高神です。 > 理解出来ないと信じないはやはり純粋な信仰ではないのではないでしょうか。 >
天才のことを我々凡人がすべて理解できるということはありえません。天才の言うことは、わからなくても一応は受けとるというのが筋でしょうね。
私が、毎日「正心法語」を読誦するのは、信仰がある故なんです。
「全て理解できる」という事自体が一種の思いあがありではないでしょうか。もちろん理解できるよう自分を高めていく必要はあると思います。 > > 信じると決めたなら、あとは素直に「はい」と受け入れる。 > 「従順」「服従」ということもおっしゃっています。 > > 主の教えを逐一ジャッジしていいのでしょうか? > 明らかな犯罪行為でも無い限り、基本は「受け入れる」のが信仰だと思っています。 > (私はまだそこまで達していませんけど)icon
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from: hikaru0827さん
2011年01月30日 08時03分05秒
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「Re:Re:Re:堕ちた美の女神」
みなさんへ
liberaさん、はじめまして。よろしくお願いします。
>「判断はいりません。ついてきなさい」
>「正しいか正しくないかについて、自分でジャッジメントする」ということであり、結局、自分が神になっているわけです。それではいけないのです。それは純粋な信仰ではありません。
「ただ信じろ。考えるな」と言われて「分かりました」とはいきません。
「ただ信じろ」と話す人が麻原氏であったら大変です。
思考停止はあり得ない事です。
では「ジャッジ(審判)するな」とはどういうことでしょうか。
順を追って考えます。
本来、真理の法に接した場合、
読み聞き→感じ→考え→自らの心に問い→そして『信じる』わけです。
対して、
読み聞き→感じ→考え→そして『審判する』というのは、それは違うよ、と、そう言われてるわけでしょうか?それは信仰ではない、と。
それならばなんとなく分かる気がします。
私の信仰は、その神を信じた「自分」を信じる事なのかもしれません。ですから、目をつぶって付いてこいと言われても困ります。
信仰というものは、頭でっかちに、理屈で考え判断・審判、ジャッジするのでなく、心で感じ、通じる事であると言われているのでしょうか。icon
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from: チョコスッキーさん
2011年01月30日 07時42分04秒
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「Re:Re:Re:堕ちた美の女神」
ueyonabaruさんへ
おはようございます。
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>自分でジャッジするというのは、誰でもやることだと思います。私は、それは認めるんです。心の問題ですから、理解できなければ信じられないというのは自然です。
問題は、そのジャッジが正しいのかどうかなのです。自分のジャッジに固執してはいけないと思うんですね。しかし、信仰だけでいいのだからジャッジする行為を止めろというのは無理があります。
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自分のことは棚に上げて書きます。すみません。
確かに、最初は自分でジャッジしますね。そして「これは凄い!」と思って信仰します。
信じると決めたなら、その後はもうただ着いて来いということなんだと思います。
そもそも、至高神の考えが全て理解できるのでしょうか?
大企業ですら社長の考えが理解できない人がたくさんいます。それが地球の至高神です。
理解出来ないと信じないはやはり純粋な信仰ではないのではないでしょうか。
「全て理解できる」という事自体が一種の思いあがありではないでしょうか。もちろん理解できるよう自分を高めていく必要はあると思います。
信じると決めたなら、あとは素直に「はい」と受け入れる。
「従順」「服従」ということもおっしゃっています。
主の教えを逐一ジャッジしていいのでしょうか?
明らかな犯罪行為でも無い限り、基本は「受け入れる」のが信仰だと思っています。
(私はまだそこまで達していませんけど)icon