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from: もん吉。さん
2011年04月30日 21時57分26秒
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from: にしき鯉さん
2011年04月30日 21時54分24秒
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「Re:Re:Re:Re:イエスは創造神?」
Ayumu さんへ
なるほど、仏教は宗教ではなく哲学ですか?
興味深く拝見させていただきました、私は哲学も宗教の一つだと思っています
Ayumu さんの考える宗教と哲学の線引きはどのあたりでしょうか?
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仏教は因果律に終始するという意見は自分も聞いています
(間違いではありませんが、それは釈迦の代表的な「教え」であって総てではありません)
因果の理法は教科書なんです、釈迦は人間が苦しむのは何故か?
その問いに、答える形で「因果の法則」と「四諦八正道」を説いています
(当時はそれが一番必要、かつ欲していたものだからでしょう)
今、現代に必要なのはなんでしょう?
キリスト教における「愛」のかたち、調和を大切にするイスラムの教え
どちらも、有意義だと思います
私はイスラム教の考えは最も人間社会に適合した教えだと考えています
キリスト教(カトリック)は最も美しい生き方だと思います
しかし、現実にはイスラム教の考えでは、神の思考になる事はありえません、それをムスリムは良しとしています
キリスト教も神の国に生まれるという事を最終目的としています
どちらも、人間の生において、幸福になるための教えではあると考えます
しかし、実際に修行をしてみれば、わかることがあります
私はヨーガの行と仏教の教えを学んできました
自分の考えうる思考の中でさえ、本気で追いかけると神は見えますよ
それは人格神もいますし、それを超えた存在の神もいます
一つだけ、断言します
仏教が哲学(思考的科学)と考えている人は明らかに勉強不足です
実践があれば結果が出るのが仏教です、不可視の部分でも
(それはヨーガも仙道も同じですが、、、)
思いついたまま書いてしまいましたが、 Ayumuさんがまだ、道を求めているような気がしました
気を悪くされないで読んでもらえることを望みますicon
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from: もん吉。さん
2011年04月30日 21時30分04秒
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from: Ayumuさん
2011年04月30日 21時18分30秒
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「Re:震災復興の経費、財政再建、福祉」
ueyonabaruさんこんばんは、話題が広くて興味深いですね。
>
> 日銀総裁は、震災国債を発行しこれを日銀が全部引き受けるということはできないと言っております。理由は、日本経済の健全性を失ってしまうからと言うのです。ハイパ-インフレを恐れているのでしょう。しかし、事態は深刻です。増税も好ましくない、しかし金は必要であるというジレンマに陥っておりますが、ジレンマは一方を選択すれば解消されるものです。私は、国債を日銀が引き受けることがベタ-だと思いますね。日銀は、国家の非常時には、インフレ抑制策という日銀の基本策を超え、国家としての乾坤一擲の方向が示されれば、これに従うべきではないでしょうか?
>
> 経済の素人の意見です。大方のご批判を乞います。
>
社会基盤の復興に25兆円ぐらいが必要なので、どのように捻出するかという議論になりますね。ただ今回は社会保障のような経費的なものではなくて、需要面と投資効果では確実なので、戦後の復興や高度成長期のような戦略が震災復興に関してはとれるのではないかと思います。国債か、増税かの議論になっていますが、高度成長期のやり方も今一度研究してはどうかと思います。国債の乱発は、長期金利の上昇は最低起こりますので、やはり景気のブレーキ効果が発生してしまいます。高度成長期には、資金が十分でなかったので、民間の投資に債務保証をつけるやり方で、投資を持ち上げる方法もとっています。(田中角栄さんの手法ですね)
また、こうなってしまうと郵政の民営化はマイナスで、昔だったら財政投融資が使えたのですが、この方法は無理ですね。ちょっと難しいかもしれませんが、郵便貯金と簡保資金の今一度の社会基盤への投資に仕組みを時限立法化する方法もあるかもしれません。(今となっては亀井静香さんの方が正しかったですね。私は、あまり好きではなかったのですが、その評価は反省しています。)
さらにPFIという方法があります。確実にキャッシュフローが見込める分野は民間の投資を利用するという方法です。漁業や、港湾に関しては使えるように思います。
消費税は、おそらく、耐久消費材を中心に消費が下がる予測になりますので、あまりやりたくはない選択ではないでしょうか。特に住宅や、自動車の消費低下は、かなり経済にはマイナスです。
いくつかの方法のMIXになると思いますが、私でも思いつくようなところが、政府の中で、極論の押収になっているのはどうかと思うのです。
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from: Ayumuさん
2011年04月30日 20時10分01秒
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「Re:Re:Re:Re:イエスは創造神?」
> はじめまして。
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> よく分からないけど、木の葉一枚落ちるのも縁起の理法の内にあるから、因果律から抜けることは不可能だと思うんだけど。
>
> 物事に対する認識として次元を超えるってことかな?
説明不足ですみません。木の葉一枚落ちることを縁起で説明しきれる人がいるかどうかです。エマソンの言葉の延長ですが、人は自分の考えの外にはなかなか出れないので、思いつく範囲内でしか、因果の理解が及ばないという意味です。
天災は人間の悪想念でおこるというような理解があったとします。よい想念を広げればで天災は回避されるとか、さらに、レムリアルネッサンスのように地球が金色の光に覆われていることをイメージしましょうとかという理解になるわけです。
でも、上記では説明がつかないし説明がつかなければ『人間の信仰が足りない』という理由付けをすることが、ローマカトリックの時代から行われてきています。
天災に対して人間は縁でしかないですし、どちらかというと新陳代謝的な意味合いで、定期的におこるものもありますので、影響は与えるかもしれませんが、直接の原因とは考えられないです。
因果の閉じた輪と書いたのは、人間の理解の範囲内でしかわからないことで、同じところをぐるぐる回ってしまうようなことがあるのかなという意味です。
ちょっと腹立たしく思っているのは、日本は、非常自然が豊かで、生命にあふれた土地柄です、地球の生命が他の場所に比べて集中するので、新陳代謝も活発であるということですね。そのような土地柄であるが故調和や秩序を大切にする歴史もあるからです。日本の美しさは損なわれてきている部分はありますが、地震の後をみても、やはり誇れるものはあると思うのです。それが一律に信仰が足りないということになるのは、ちょっといかがとは思います。
ただ、因果律の見え方も、どこかの段階で見え方はかわるのかなとも思います。例えば、現在の瞬間に、既に起こった過去と、既に起こった未来が存在するからです。起こっていない未来がありますので、完全にわかりませんが、既に起こった未来は人間にもわかります。icon
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from: Ayumuさん
2011年04月30日 19時38分49秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:イエスは創造神?」
ueyonabaruさん
コメントありがとうございます。
> 私は、その頃は、大川先生のご本を読んでいただけでした。いまは、この宗教にどこまでの可能性があるか、実践の上確かめていきたいと思っているんですよ。疑問も生じますが、これも糧として学ぶしかないと思っております。
>
私は、既に会員ではありません。ただ、宗教団体に所属したのはKKのみですね。私が、いた当時から、100%の信仰のお話はありました。一度当時の、支部長さんにあえてきいたことがありますが、疑念をはさむことはよくないという返答でしたね。でも信仰は服従ではないので、服従は、自分の神性まで否定することになります、ある意味霊的な自殺ですねみたいな答えを返すとその後は適当にあしらわれた記憶があります。
疑問を生じるのは、まじめに学ぶ信徒として当然ですし、その疑問の先に、進歩があると思うのです。
教団を離れたのは、『義』がないからですね。すべて『利』で判断するようなところがあったからです。そのような団体はやはり社内の表にはなれないというような生意気なことを当時は考えていました。
> 今は、新しい宗教が求められていると思うんですよ。
そうですね。価値観が混乱していますからね。宗教の役割として、色々ありますが、社会共通の価値観を作ることや、コミュニティーを作ることとか日本には失われて必要とされているものがかなりありますね。KKは四正道というすばらしい体系があるのですがどうもうまく社会に広まりそうにないですね。
> 「畏れと謙虚さ」肝に銘じたいと思います。
私も、悲しいことに、すぐ忘れてしまうので、絶えず、自戒しています。icon
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from: ueyonabaruさん
2011年04月30日 13時25分30秒
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震災復興の経費、財政再建、福祉
今朝TVを見ますと、表題の内容のことが論じられておりました。NHKの番組です。NHKらしく、かしこまった表情の解説委員たちが、礼儀正しく発言しておりましたが、具体的にこれぞという具体的な解決策を示すことはできず、ただ、観念的に語るのみです。何か、ハッキリしないのですよ。
これは、NHKに限らず、国会論議にも、マスコミの論調にも見られる現象です。解説委員の中で、創造的復興という言葉を挙げた方が一人おられました。具体的にどのようなことかは示されませんでしたが、その言葉の響きには心惹かれるものがありました。
幸福実現党はどのような政策を掲げているのでしょうか? 増税には反対しておりますね。震災後の実現党の政策がどのようなものか期待したいと思います。大方が増税、財政再建の方向へ傾く中、現実にも通用する論を提起できるか注目したいと思います。
誰でも、増税でもしない限り復興経費、財政赤字、福祉経費は捻出できないと考えております。これが、できるとすれば、経済の活性化しかありません。経済発展による国家の税収増です。
日本経済は、もう先進国入りしてしまったのだから、かつてのように高い経済の成長はありえないという意見も強いものがあります。後進国の中国、インド、ベトナムなどでは10%の経済成長もありうるが、日本にはこのようなことは不可能だというのですね。
経済生長も不可能であり、増税は国民の消費意欲を失わせ、ますます不況に陥るというのでは、日本は滅びの道を辿るしかないと言っているようなものです。打開策は必要ですよね。
経済の一段の発展策を目指すべきです。国民の積極マインドを発揮し、政府はすべての発展の可能性を探り、会社は、国民は、今自分が国家のためになにができるかを探るという未来志向の考え方に立たねばなりません。
日銀総裁は、震災国債を発行しこれを日銀が全部引き受けるということはできないと言っております。理由は、日本経済の健全性を失ってしまうからと言うのです。ハイパ-インフレを恐れているのでしょう。しかし、事態は深刻です。増税も好ましくない、しかし金は必要であるというジレンマに陥っておりますが、ジレンマは一方を選択すれば解消されるものです。私は、国債を日銀が引き受けることがベタ-だと思いますね。日銀は、国家の非常時には、インフレ抑制策という日銀の基本策を超え、国家としての乾坤一擲の方向が示されれば、これに従うべきではないでしょうか?
経済の素人の意見です。大方のご批判を乞います。
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from: もん吉。さん
2011年04月30日 12時30分35秒
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from: ueyonabaruさん
2011年04月30日 12時27分51秒
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「Re:Re:Re:Re:イエスは創造神?」
Ayumuさんへ
ようこそいらっしゃいました。自由にお書きくださいね。
東大講演のときに会員さんであったとのことですが、随分前のことですね。現在は、非会員であると察します。
私は、その頃は、大川先生のご本を読んでいただけでした。いまは、この宗教にどこまでの可能性があるか、実践の上確かめていきたいと思っているんですよ。疑問も生じますが、これも糧として学ぶしかないと思っております。
イスラムの方が、仏教は宗教ではなくて哲学であると言ったのは、面白いですね。これをどう受け止めるかですが、現在の仏教を見るとき、そのように言われても仕方ないと思われますね。力を失っていんるのでしょう。昔は、力がありましたよね。政治にも強い影響を及ぼした時代がありました。
「人間を信仰してしまうと傲慢さができてしまう」とのことですが、これは改めるべき、個人の問題かとも思います。私もそうならないよう、気をつけねばならないことですね。
因果論に縛られるだけでは、面白くもありません。因果論を逆手にとり、善因果による未来の開拓という視点も持ちたいものです。
お釈迦様の教えを、輪廻転生の繰り返しから抜け出るために、出家し修行をするという画一な見方についても、私は好きではありませんし、また現代人にはほとんどアピ-ルしないと思いますね。
今は、新しい宗教が求められていると思うんですよ。
「畏れと謙虚さ」肝に銘じたいと思います。icon
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from: Ayumuさん
2011年04月30日 10時51分33秒
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「Re:Re:Re:イエスは創造神?」
1989-1991ぐらいまでの会員だったものです。大川総裁の東大での講演が最後くらいでした。こんにちは
> 論旨とはずれるかもしれませんが、エマソンのいい言葉を思い出したので書いておきます。
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> 祈りとは何だろう? それは、人間の願望を神に向かって表現したものである。では神とは何だろう?それは、人間精神のなかに形成し得るもっとも高い人格概念である。完全の域に達した個人自身の魂である。なぜなら、個人は、これ以外の神を考え得ないからだ。私が有限であるように、神は無限なのだ。私が有限であるように、神は罪なき存在なのだ。私が無知であるように、神は全知なのだ。私が弱いように神は強いのだ。ところで、いのりとは、人間の魂がそのすべてをあげてこの至高の理念にささげようとする努力、この大きな精神を痛感し、私たちが人びとと話すようにこの大きな精神と言葉を交わそうとする試みである・・・・・。
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インターネットでの議論をよく拝見いたしますが、概ね信仰に関わること、特に上記のような視点での話が多いですね。KKの会員の方にも、総裁が自分の理想の人格であるというような部分が信仰の中に入っているようなケースもあるように感じます。キリスト教もカトリックは三位一体で、それ以外の解釈は異端になってしまうのですが、(ニケーアの公会議というところで決まって異端は追放されてしまいましたから)プロテスタントは、どちらかというと聖書中心主義で、聖書の言葉を糧として生きてゆくことが、信仰の中心に据えられていると記憶しております。
ここからは、自分の考えなのですが、上記は、神への道を進むときの方向を見定めている部分でありますが、信仰の結果として、畏れを感じているかどうかが大切ではないかと思います。畏れは恐れではないです。
人知を超える部分を認めることと、今神から既に与えられていることに対する感謝する気持ちを持っているかということですね。
イスラム教は、神と人間との間に絶対的な線引きを行っています。例えば未来のことを人間が決めるのは傲慢だとかという考え方があります。(アラブの人はこれを縦にとって、時間を守ってくれず苦労することが多くあります。。。)人間が予言を行うことはあり得ないことですね。
さらに彼らの考え方では仏教は宗教ではなく哲学であるそうで、なぜかというと人間が考えたものだからだそうです。
これは極端ですが、人間を信仰してしまうと、どこかに傲慢さができきてしまうこともありますし、例えば、因果や、縁起で理解できる世界もありますが、そこにはまってしまうと、因果や縁起の閉じた輪から抜けられなくなることもあるということも今更ながら感じています。icon