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from: ueyonabaruさん
2011年05月31日 22時05分23秒
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「Re:Re:Re:奇跡現象」
もん吉さんへ
> 大袈裟なにいえば、自分が聖別されたようなように感じるんだよね。 >
私の場合はそういう気持ちはまったくありません。目に見えないものの不思議な作用を身近に感じ、不安もあり感動もある状況でしょうか。
支部へ午後行った際に、このことを話そうかとも思いましたが、やめました。皆さんは、もっと体験があるようですので、・・・。
皆さんには、不思議な体験は多いようです。
守護霊の導きというものを、2,3年前から意識するようになっております。守護霊は何も神秘的なメッセ-ジを送ってくるわけでもなく、心静かに、むしろ理性的に判断ができるようになっております。人の言葉の中にも、示唆があるという感じももてるようになりました。
霊的な作用が、いわゆる霊能者たちがするように、霊感で感じるというものではないのですね。これでいいと思っているんですよ。
良いことは、それでも多く起こってもらいたいものです。目に見えないものの力を体感するのは、とても大事なことだと思っております。
> > > 悟後の修行を緩めたら、魔境がありますよ。 > > 横言ですけど、僕は転落は何回もしてるから老婆心です。 >
心しておきます。icon
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from: もん吉。さん
2011年05月31日 21時36分37秒
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from: ueyonabaruさん
2011年05月31日 21時03分31秒
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from: もん吉。さん
2011年05月31日 19時17分30秒
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from: ueyonabaruさん
2011年05月31日 19時09分11秒
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奇跡現象
今日の午後は支部にお手伝いに行っておりました。
支部に着いたら、ちょうど先生のご法話が衛星放送であり、後半の部分を拝聴することができました。
質疑応答のところでしたが、先生は「奇跡現象が他に増して多く起こってくるだろうと」言っておられました。
この奇跡的な現象ですが、従来、私は、そのようなものは私には無関係のようなことだという気持ちがありました。しかし、この度の台風(沖縄では土曜日に50m以上の強風あり)において、自分の身の周りで不思議な現象がありました。
一つは、庭の大木が三つの幹のうちの一つが、夜中に強風で折れたようで、これを朝になって気づいたのですが、その大きな幹は実にうまい具合に、4、5メ-トルも離れたところの、枯れ枝など集積してある場所に納まっているのです。おかげで、後処理が随分と楽になりました。
あと一つは、自分の畠にある1トンの貯水タンク(空)がやはり強風で、畠の低い方へと吹き飛ばされておりましたが、これもうまい具合に低い場所で、上下正しく鎮座しているではありませんか。使っていないものなので、当座はそのままでも支障はなさそうです。
小さな取るに足らない奇跡現象ですが、わたしにとっては今までにないような不思議な現象なんです。
東北の大震災でも、このような小さい不思議な現象が重なって命を救われたという方々がいたのかと思われましたね。津波の真っ只中に、島のように空白の部分ができたという奇跡もあったとのことですが、現場に行き調査もしないと確実なことは言えませんが、ホントにあった事なのかも知れないと思い始めております。
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from: もん吉。さん
2011年05月31日 18時53分59秒
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from: もん吉。さん
2011年05月31日 17時31分48秒
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from: ueyonabaruさん
2011年05月31日 13時08分38秒
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from: もん吉。さん
2011年05月31日 12時18分22秒
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from: ueyonabaruさん
2011年05月31日 10時55分37秒
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「Re:Re:Re:「空」と「無我」は難しい」
hikaru0827さんへ
> 「無我」とは「人の存在の本質は空である」という意味のような気がしてきました。 > > オギャアと出てくる前は自分は存在しないと思ったり、死んだら自分は消滅すると思ったり、ではなく、自分の本質が光エネルギーであると悟る事を無我というのではないでしょうか? > > すると、「諸法無我」とは、「全ての本質は、光エネルギーである」という意味になります。 > > ん?となると、「一切皆空」=「諸法無我」なのでしょうか!?
論理的に組み合わせたりすると分からなくなりますね。空も無我も似たようなものではないでしょうか?
① 無我ということをテ-マにすると、我はあるのかないのか あるとすればいかなるものかということになるのでしょう。我はある それは肉体ではなくて霊的なものであるとしてみます。
② 諸法無我については、万物(世界)はあるのかないのかと考えたとき、万物は肉体の目に見えるようなものとして絶対存在をしているのではなく、その本質は光のエネルギ-であるとします。
①と②から、我も諸法も等しく、光エネルギ-となります。
難しくなってくるのは、すべてが光エネルギ-であるとすればいいものを、空の立場から説明をしたり、無の立場から色々と説明するからではないでしょうか? そのような説明が無用というのではありませんが。
hikaruさんの論説、大変参考になります。また、こちらの矛盾点などがあれば、ご指摘くださいネ。
> > それと、他の仏教団体との法戦が避けて通れないならば、ある程度の観念的な仏教理論であっても会員に教えておく必要があったのかもしれません。 > 釈尊の生まれ変わりをトップにいただく団体なわけですから、会員も。他の仏教団体帰依者とそれなりに議論も出来ないと困ります。 > > >
おっしゃるとおりです。
> 明らかに釈迦と年代の違う方の書いた文章の枕詞に、「私は尋ねた。すると、釈尊はこのように話された」とついたりしているそうです。 > 「かく思う」「こう感じる」「このように私は悟った」ではありません。 > > 瞑想中に釈迦と話をしたかのように書かれています。そのような事もあったのではないか、と思います。 >
興味があります。どの本を読めばよいのでしょうか、教えてください。
> 現在は情報に壁がないですから難しい面もありそうです。 >
そうですね。
> 今の幸福の科学は、会員が自分にあった教えを選択して勉強出来る環境のような気がします。 > > 仏教理論の書籍を読み込む方もいれば、易しい文章で書かれた書籍を好む方、感性に訴えるような文章を好む方も居ます。 > > 様々なものが提示されており、私たちに選択する自由があります。 > > ちなみに「仏教」が哲学的で理論的なのは、少なからず「ゴウタマシッダルタ」ご本人の性格が影響していると思います。 > 毘る遮那仏の性格を強く感じます。 > > > >「空」は光とエネルギーです > > 私もそのように理解しています。icon