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from: にしき鯉さん
2011年06月30日 22時54分02秒
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「Re:運動の進め方について」
ueyonabaruさんへ
たとえば、10人いる中で、一人だけ違う考えを持っていると中々声にだして言う事ははばかれますね
しかし、自分の考えを無理に合わせる必要はないと思います
悩み、苦しむ事も修行の内ですが、、大事なのは今、何をすべきかです
横のつながりが無いと言う事は選挙にしても伝道にしても遅れをとる事です
もっと、教義に夢中になってもいいんではないでしょうか?
KKの教義では霊界は20次元まであると聞きます
それでは、どういう状態になれば、7次元8次元と心のステージを上げていけるのしょう
自分が信徒ならば、今、自分はどのくらいまで行ってるのかがとても気になります
それはおごりなどではなく、冷静に上を見つめて、自分の身近な目標を設定する意味もあります
そして、どれだけ教義を自分の内側に内在しているかが信仰の目安ではないでしょうか
私はueyonabaru さんの落ち着いた性格がとても好きです
その性格でもっともっと法友と高めあったらいいと思います
教義を真剣に語り合ったら、得るものは多いですよ、それはどの宗派でもそうですが、一本の道筋が自分でつかめます
何のために、自分は信仰しているのか、他に幸せを感じてもらうにはどう接すれば良いのか
今日、一日、自分が生きる道の指針として選んだ教えにそぐわない生き方をしなかったか?
これらを、話し合い共に喜び、共に悲しむ、これが法友ですよ
迎合するのが法友ではありません、切磋琢磨するのが法友です
気持ちを停滞させるのが一番、怠惰と考えて下さい
頑張りましょう
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from: ueyonabaruさん
2011年06月30日 18時52分45秒
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運動の進め方について
次のような運動形態について、皆さんはどう思われますか。
① 先の衆議院選のときに、沖縄選挙区において、先生が、10万票を取るようにとのお言葉を述べられました。また、先生は、当会の運動は、空爆(書籍の発行などで強い)では強いが、地上戦は弱いということも言われました。地上の竹やり戦に例えられる戸別訪問のようなものは弱いということですね。
この言葉を受けて、全国の支部から多くの方々が、地上戦(戸別訪問)の応援のため来られました。
② また、この度の先生のご生誕祭の際のご法話(衛星放送)の拝聴会も教団本部では力をいれているようで、沖縄県で10000名の目標が設定されたようです。これを県内の10の支部で割り当てると、当支部では1000名の聴衆を集める計算ですので、先日、支部の目標数を1000名にしたいという支部長の提案がありました。
この二つの事例があるのですが、私は批判的な立場を持しております。
①についてですが、これは先生がご指摘のとおりであると思います。しかし、先生が、そのように言われたからといって、いきなり、戸別訪問の応援者を多量投入するという運動の方針はどうなんでしょうか? 地上戦に弱いというのは、日々の活動が、横のつながりを重視していない当会のカルチャ-そのものからくるものであり、これを改める必要があるにも拘わらず、1回きり選挙戦のため、応援部隊を投入してもその効果はないのです。そこのところの分析と改善策について議論されることはその後ありませんでした。行き当たりバッタリの感じです。すべて経験が、生かされないような感じがします。
②についてですが、先生が大きな目標を持てと言われたことがあって、支部や沖縄本部での大きな目標の設定が、今回なされたと思われます。インドのブッダガヤで、一介の支部長が、何万人もの聴衆を集めたことを引き合いに出され、先生は檄を飛ばされたのでしょうが、これを、信者さんは、支部段階においても直ちに動員目標を高くして多くを集め、先生のご意向に沿うせきだととらえてしまっているように思えます。それが可能だと思っており、それしか考えないようです。
大きな目標は結構なことですが、小さな行動からはじめるべきではないかと私は思います。心に、大きな目標を持つが、しかし、目先の目標は若干強めというのがいいのではないかと思うんです。
1000万人の信者がいるというのも、一つの掛け声でしょう。それを実際だと思い違えないことです。
このように、現実主義者の自分は、どのように信仰者の熱狂とお付き合いしていけばよいのかと悩みます。 -
from: にしき鯉さん
2011年06月29日 10時25分13秒
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「Re:釈尊が池に石を投げ入れた話に思う」
hikaru0827 さんへ
追伸です
「お経で人が救われるかどうか?」と問われれば、、、
ダイレクトにいきましょう、
転生を信じ因果の法則をアタマで理解できる人には効果があります
しかし、死んだら総て、終わりと考えている人には効果はありません
なぜなら、バルドの状態は現世と違います
意識はあっても、自分から他に関与する事は不可能です
今生で生きてきたカルマの総決算がバルド(中有)ですからすべて自分が決めなければなりません
転生には理論があります、「為した事が帰ってくる」というのは大まかな言い方です
魂だけになった時に、意識は鮮明になります
同時に、悪業が下に引っ張る力としてダイレクトに魂に負荷をかけます
それに負けずに、転生先を選ぶことができるように手助けするのがラマです
何の予備知識もない人に、ラマがいくらバルドの「今の状態」を説明しても「馬の耳に念仏」でしょう
知識が総て支配するわけではないですが、知識はイメージとして魂には記憶されます
「救われる」という言葉が「転生先を良い所にする」という意味ならば予備知識は有効です
だれでも、良心があるならば、人に喜ばれる事はけっこうやっています
ただ、バルドの中では孤独です、誰もいません
(賞賛してくれる人も、アドバイスをしてくれる人もいません)
その孤独の中で、hikaruさん、何を求めますか?
あれをしたい、これをしたい、と思っても肉体がなければ行動には移せません
愛し合うセックスのビジョンと神に祈りを捧げるビジョンがでてきたらどちらに飛びつきますか?
現金がいっぱいの満足したビジョンと、餓鬼のように飢えている子供たちのビジョンが見えていたら、迷わず、子供たちのところへ行って食べ物を布施する気持ちがうまれますか?
自分が安定した状態では、後者を選べるんです
でも、バルドはとてもさびしい所なんです
目もない、鼻もない、五感がすべてあるのに、使えない、確認しようがない状態での判断をせまられます
だから、唯物論者に「ありがたい経」は効きません
おそらく、ラマの声が聞こえたとしても、「俺は今、それどころではないんだ、わけのわからん世界に迷いこんでるんだ」と考えるでしょう
しかし、ラマが言った状態を素直に受け入れる、又は理解できる状態ならば本来、転生するはずの一つ、上の世界への誕生は可能だと思っています
これが、経で人を救えるかという問いの答えになっていると思うのですがいかがでしょう?
返信をお待ちしますicon
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from: にしき鯉さん
2011年06月28日 23時12分15秒
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「Re:釈尊が池に石を投げ入れた話に思う」
hikaru0827 さんへ
うわ〜、凄い反論が来ましたね、嬉しいです
<その人にとって、今必要な教えかどうか、という観点から「段階的」というなら分かります。>
その通りです、
今、必要な教えが凡夫(普通の人)に説いた小石のたとえですね
そして、それは生きるための基本的な考えです
対して、バルドの教えはすでに肉体がなく、心だけで彷徨っている魂に投げかけるものです
私はどちらも正しいと思っています、別に僧と在家を隔てるつもりはありません
しかし、現実的には24時間、考えられる時間を作れる僧の方が「道」の習得は早いと考えています
(私も在家ですから、 hikaruさんの気持ちはわかります)
・・・・
せっかく素晴らしい疑問を出してくださったので答えたいと思います
<僧に尋ねた。「人を殺した男が、しかし、その後精進し、善行を重ねた。この男は地獄に落ちますか?」>
これは仏教ではプラスマイナスの問題です
人殺しは大罪です、カルマも重いです、その後の精進というのは努力と善業を積んだと言う事でしょう
しかし、バルドに入った時はどこに自分の心を合わせるかという問題があります
と、いうのは悪業は下に引き下げる力、善業は上にしがみつく力と考えてください
中有の49日の最初の七日間(初七日)は無色界からの光がふりそそぎます
しかし、心がそのステージに達してない場合、目もくらむ恐怖にしか感じないと言われます
畏怖しながら落ちていくんです、それから、ず〜っと日にちをかけて
人間に生まれるのは大体43日あたりと言われています
ところが質問のように悪をたくさん働き、人をたくさん殺した場合、一気に落ちます
中有に入る前に普通の人は死後、魂の気絶が3〜4日あります
それは「肉体を自分」と思っている人が「魂だけの自分」と気づく期間です
「悪業」を定義すると潜在意識における自我、他を害そうとするイメージによる想念、現実に行なってしまった「殺害」などの行為があります
一般人は行為が一番、重く作用します
殺意を持って行為をしたなら、自我、イメージともに汚れています
この人は地獄とまでは言いませんが明らかに下の世界に行くでしょう
しかし、その後精進したということですね
そうすると、イメージ、潜在意識下における「汚れ」は取り除いている可能性はあります
人を殺したという物理的なカルマが落ちれば又、転生の時期が来ると思います
その時は地獄での「死」です、生まれ変わりです
仏教における転生輪廻は上のように説明されています
・・・・・・・・・・・・・・・
表題とは関係ありませんが、、、
幕末の時代、坂本竜馬や、西郷隆盛、大久保利通も戦争を経験しています
彼らは反対意見の者をたくさん殺しています
もちろん、彼らは自分の信念があり、日本国をよい物にするためにと言う気持ちはあったと思います
しかし、「行為のカルマ」は必ず残ります
だから、死後「偉大な事業を成し遂げたから天界行き」などという説明は受け入れられません
どんな偉い人にも作用するから「法則」なんですicon
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from: ainotaigaさん
2011年06月28日 20時11分02秒
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from: hikaru0827さん
2011年06月28日 18時37分26秒
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釈尊が池に石を投げ入れた話に思う
にしき鯉さんへ
標題を変えました。
<釈尊が池に石を投げ入れた話>
……………………
あるとき、釈迦の弟子が釈迦に、死人の周りで有り難いお経を読めば死人が善い所へ生まれ変わるのでしょうかと尋ねた。釈迦の回答は否だった。
釈迦は小石を拾い池に投げた。その沈んでゆく石を指差し、池の周りで、石よ浮け、浮いてこいと唱えていれば石は浮くだろうか、と答えた。しかし石は自重により池の底まで沈んでゆくのである。
………………………
>>< これは教えの「段階」というよりも「奥行」ではないでしょうか。>
>奥行きも段階も同じようなもんですよ、と言ってしまったらみもふたもないですね
しつこくてスミマセン。私自身、何が心に引っ掛かっているのが探っている状態です。
その人にとって、今必要な教えかどうか、という観点から「段階的」というなら分かります。
例を出します。
…………………
僧に尋ねた。「人を殺した男が、しかし、その後精進し、善行を重ねた。この男は地獄に落ちますか?」と。
これの正解は、
「不眛因果・不落因果」
という話です。
…………………
どちらか1つではダメで、生悟り、野狐禅とされます。不眛因果と不落因果はセットなんです。これが「奥行き」です。
>まず、【池の石】の話は、在家一般に通用する話としての比喩です
>それは超能力や願望成就に固執しないようにとの釈迦の願いがありました
>死後の世界が「ありがたい経」で変わるか?と言えば変わりません
この「池の石」の話は、一般的に「お経では人を救えない」と理解されているようです。
しかし、それは釈尊の本意を汲み取れていないと思います。
あまりに一面的です。
にしき鯉さんのおっしゃる通り、縁起を説いたものです。
しかしながら、「では、お経で人が救われないか?」と言えば、救われる場合もあるんです。
言霊に力があるように、悟りの言葉が並び、信仰を集めるお経にも、相応の影響力があると思います。
「お経で人が救われるかどうか?」と問われれば、「是是、否否」だと答えます。
「また仏教を難しく言って」、と叱られそうです。
ですが、真実です。
「お経では救われない」と簡単に理解して、
かたや、お経で救う話があると、
この一見矛盾に見える連立方程式の解を、「在家の為の教えと、道を究めようとする出家者の為の教えは違うから」
という解釈は、私には仏教を矮小化していると感じます。
私の思い込みかもしれませんが、仏陀の教えはもっと立体的で深遠ではないでしょうか。
何をもって深遠か?も人それぞれ感じ方が違うのでしょうけど。
>次にバルドの教えについてです。
>死者の「心の善根」を見つけ出し、その善根にあった世界に導くようにするのがラマの仕事です
お経で善導する…可能な事です。
これは、秘儀、技術、スキルの話です。
もちろん出来る人がやれば出来ます。条件が揃えば。
出来ない人が、変われない人に、あるべきでないタイミングに、いくら行っても無理でしょう。
このような秘儀が出来るからエライのではなく、エライ人だから出来るんです。
大切なのは「正しい心」を持っているかどうか?です。
そこに在家も出家者も関係ありません。
在家の生活は、仏の道から遠いとお考えですか?
確かに、雑多な波動に流されやすく、欲望を掻き立てるものが多く、守るべき家族や生活があるため、執着も増えます。
しかし、そこからの学びもまた真理です。
世俗の中でこそ学べる真理もあります。
特に現代社会の中で、仏陀の教えを、在家と出家者という立場で線引きする必要はない、と思います。
どうぞ御反論下さい。 -
from: もん吉。さん
2011年06月28日 15時32分39秒
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from: ainotaigaさん
2011年06月28日 10時52分03秒
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from: ainotaigaさん
2011年06月28日 10時15分31秒
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from: もん吉。さん
2011年06月28日 03時29分01秒