サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: にしき鯉さん
2012年05月31日 22時51分00秒
icon
「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:悪魔」
kanataさんへ
<宇宙があるから見えるとか、見えるからそこに宇宙があるとか、そういう私と私以外の物の関係のような因果ではなくて、私自身にある意識と呼ばれるものと、この世界や宇宙と呼ばれるものは不可分で一体なので原因も結果もそこにはないのです。>
この意味がよくわかりません
<私と私以外の物の関係のような因果>
これは区別ではないのですか?
・・・・・・・・・・・・・
<宇宙があるから見えるとか、見えるからそこに宇宙があるとか、そういう私と私以外の物の関係のような因果ではなくて、私自身にある意識と呼ばれるものと、この世界や宇宙と呼ばれるものは不可分で一体なので原因も結果もそこにはないのです>
と、いう事は「因・縁・生・起が縁起」なのだけれど、大川さんの意識は宇宙と一体(自分の意識が宇宙そのもの)だから、縁起の理法からは別離されていると解釈するのですか?
心や魂が意識の織り成す綾だとします、そしてそれは作為的(人為的)には不可能と考えているんですね
しかし、それだと自分が向上する術がありませんね
ただただ、創造神に懇願し、「縁起の理法」を通用しないようにするしか方法はなくなりますね
kanataさんはメデティーションはやられていますか?
幸福の科学でも瞑想は取り入れていると聞いたことがあります
「祈り」も瞑想ですが思索の瞑想はやられないんですか?
原因と結果、これを漫然と受け入れるのではなく思索することによって識別が時間と共に変わってきます
「美」という題にしてみます
小学生の時に感じた「美」と成人になった頃の「美」の基準は違いますよね
結婚して親になると又、「美」の価値観が変わってきますね
これは何故だと思いますか?
意識の「識別作用」(判別作用でも良いです)が変わってくるからなんです
それは「経験」によって変わってくるものです
私は意識が心や魂を作っているのではなく、魂の考える部分が「意識」というパートなのだと思いますがどうでしょうか?icon
-
from: kanataさん
2012年05月31日 21時10分13秒
icon
「Re:Re:Re:Re:Re:Re:悪魔」
>>[885] にしき鯉 さん
>私は幸福の科学会員ではないので、kanata さんの理解した八正道がどういう内容なのかがわかりませんが、因果律には反しないですよ
「仏説・八正道」には「縁起の理法」が説かれています。
「原因必ず結果あり 因・縁・生・起が縁起なり」
意識は神でも悪魔でもなく、今この時私自身が感じる世界ないし宇宙は私の意識の広がりです。
宇宙があるから見えるとか、見えるからそこに宇宙があるとか、そういう私と私以外の物の関係のような因果ではなくて、私自身にある意識と呼ばれるものと、この世界や宇宙と呼ばれるものは不可分で一体なので原因も結果もそこにはないのです。
>意識を高い世界に合わせていくことが、「聖なる道」低い世界に合わせていくことが「悪魔への道」と言えるのではないでしょうか
心や魂といわれるものが意識が織り成す綾だとするならば、自由意志や心の持ち方によって意識の綾を紡いでいくことはできますでしょうか。
おそらく作為的には不可能ではないかと思っています。
意識は意識しようとせずとも既に意識なので、作為によって影響を及ぼせるはずがありません。その作為は既に意識の綾であるからです。
意識というものには高い低いという区別が通用しないと考えます。
なので、にしき鯉さんの仰る意識は、自分という実在感を伴う意識、という意味で捉えたいと思います。つまり心や魂といわれるものです。
>>[890] もん吉さん
>意識の発生に因果の理法がない????
まず意識についての言葉の意味から述べます。
ここでいう意識とは、目覚めている時の見える様子や聞こえる様子のことを指します。
自分という実在感があって、自分が何かを見ているといったような主客分離を伴う主観的な態度のことではありません。
意識を脳と絡めて考えた場合ですが、そうした場合の意識であっても因果の理法は働いていません。
脳内現象としての意識は脳内組織との相関関係はありますが、因果関係はありません。
私たちは「自分」ないし「自分の身体」の外部に、「物」や「他人」が存在すると認識しますが、それは人間あるいは生物が進化の途上で獲得した生きるための機能でありまして、「自分」の外部に「物」を認めても、その「物」は既に私たちの意識になっています。
私たちの意識は私たちとは別の外部にある「何某か」とは別ではなく、その「何某か」と不可分だということです。
チャーマーズが提唱した「意識のハードプロブレム」は存在しないということですね。
>意識がないと宇宙が存在しない???
自分が目覚めている意識がない時に、自分はどのようにして宇宙を確認できるでしょうか。
しかしそれは単に寝ている時は確認できないという事であって、存在するかしないかという問題はまた別の記録の話です。
自分が寝ている様子をビデオで録画してそれを後で見れば済むことですが、ビデオに映っているのは、自分が寝ていた時の過去の記録であって現在のことではありません。
またこれは[889]のueyonabaruさんへの回答と共通する部分もありますが、意識というものをこのようにして「自分の意識」と考えた場合、生物として生きるための機能が前面に現れるのですから、生物としての機能の一つである睡眠を例にして寝ていて目覚めた意識がない時でも宇宙は存在する、あるいは死後に遺族はまだ宇宙が存在していることを確認できるといった話と混同できない面があると思います。
前段で述べた通り、自分の意識は、「生物としての自分」の意識としてだけでなく、主客分離としての客体ないし対象物が、「自分自身ではない意識」と分離できない不可分のものだということを踏まえた時に、生物的な死の後に「自分自身ではない意識」がどのようになるかは興味深いと思っています。
総じて意識が単なる脳内現象で、脳内神経細胞の電気ないしイオンの変化に伴うただの現象で実体がない、ということであれば、死後の世界は無く、死んだら永遠に闇の中という見方もできるかもしれませんが、そうではないかもしれません。
意識は宇宙であるなら、万物は意識であるとしてもよい思いますし、そうであれば死後に肉体は灰になり土に還ったとしても、肉体があった頃の意識と万物における意識とが等価で不可分であれば、「自分自身の存在感があるところの意識」はなくなるかもしれませんが、「自分自身ではない意識」はどうなるかわかりません。
そしてこうして生きている時でも、その意識に「自分自身ではない意識」というものがあるのも確かです。
>そうでなくて、意識が宇宙と独立して存在しているっていうのは創造神と意識が等価ってことになるけど。
意識は宇宙と独立していないと思います。
意識はこの宇宙です。としか言いようがないと思います。
>>[889] ueyonabaruさん
>仏陀再誕の内容を変更するということでしょうか。考えられないことです。
そのDVDでは「仏陀再誕」については言及していませんでしたが、世界を目指す宗教としてその教義も変化していくという意味合いの事を述べていました。
大宇宙の根本仏についてもそのお話の中で解説がありました。私も一度だけしか見ていないので、後日に再確認してその時にまた回答します。
今年に入ってから幸福の科学は世界を意識し始めているようですね。先日も「世界のリーダーをめざして」という御法話がありました。
>これを分かりやすく表現できませんでしょうか?
もん吉さんへのレスと重なる部分もありましたので、そちらをもって回答に代えさせてください。icon
-
from: もん吉。さん
2012年05月31日 11時57分21秒
-
from: にしき鯉さん
2012年05月31日 06時10分01秒
-
from: もん吉。さん
2012年05月30日 23時02分18秒
-
from: ueyonabaruさん
2012年05月30日 22時52分01秒
icon
「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:悪魔」
kanataさんへ
> 先日、法友との集いで拝見したDVDでの講演会(おそらく本部職員の方だと思います)によれば、根本仏に関連したお話の中で、今後は世界に向けた宗教としてその教義も変化していく、という意味合いのことを述べておりました。
> ゆえに「仏陀再誕」の経典内容も一部古くなったといえば語弊がありますが、そういった経緯があるようです。
仏陀再誕の内容を変更するということでしょうか。考えられないことです。前にエル・ランティにかかる変更の問題がありましたが、これは先生の発展途上段階におけるものでありましたが、今回仏陀再誕の内容を変更するとなると大変に大きな問題を含むことになります。ですから、ありえないと思いますよ。
> 私としては人格神であっても創造神であっても根本は同じ意識だという解釈に従って、大して問題にはしていません。
哲学的な思考をするならば、創造神と人格神を区別しようとするのは、自然な作業です。実際の信仰生活の上でこの二者を区別しなくても、支障はないでしょう。多くの信者さんは気にしないと思います。信仰上支障がないのでどうでもよいというわけでもありません。
私自身ではないこの意識があるからこの宇宙も存在できるわけです。
これを分かりやすく表現できませんでしょうか? せっかくの議論の機会ですから、正確にわかるところ分からないところなど詰めて話し合いたいのですがよろしいでしょうか。icon
-
from: kanataさん
2012年05月30日 22時16分09秒
icon
「Re:Re:Re:Re:Re:Re:悪魔」
ueyonabaru さん
>「しかし、この天地を創り、大宇宙を創った仏が、小さな人間の肉体に宿って、魂修行をするということはないと思ってよいだろう。その意味において、人間の人格というものを遥かに超えた、大きな意識があるということは、真実なのだ。」
先日、法友との集いで拝見したDVDでの講演会(おそらく本部職員の方だと思います)によれば、根本仏に関連したお話の中で、今後は世界に向けた宗教としてその教義も変化していく、という意味合いのことを述べておりました。
ゆえに「仏陀再誕」の経典内容も一部古くなったといえば語弊がありますが、そういった経緯があるようです。
私としては人格神であっても創造神であっても根本は同じ意識だという解釈に従って、大して問題にはしていません。
極端な話、ueyonabaruさんや私自身がこの宇宙を作ったとしても私にとっては何の不都合もないのです。
もちろんこの宇宙があるから私が生まれてきたわけですが、私のこの意識、私自身ではないこの意識があるからこの宇宙も存在できるわけです。
意識は何かの結果ではありません。
この宇宙とこの意識は不可分で、何がしかが見えたと同時に即それが意識であるという意味では、原因も結果もないのです。
「縁起の理法」からは外れていますが、そちらは心や魂に関する説法だと思っています。icon
-
from: もん吉。さん
2012年05月30日 20時52分11秒
-
from: もん吉。さん
2012年05月30日 20時41分18秒
-
from: にしき鯉さん
2012年05月30日 18時57分01秒
icon
「Re:Re:Re:Re:Re:悪魔」
kanata さんへ
いや〜、素晴らしい、素晴らしい
ここまで、論理的に考える人は中々いないです
<自分の意識はこの宇宙と区別できないという考え方なので、、、>
そうですね、それを体感的に感じることが仏教では悟りと言われています
・・・・・・・・・・・・・・・・・
<ただ因果関係を真っ向から否定するため、「仏説・八正道」に反するようにも、、、>
私は幸福の科学会員ではないので、kanata さんの理解した八正道がどういう内容なのかがわかりませんが、因果律には反しないですよ
八正道は四諦が前提にあり、その上でどのように進めていくかを示したものです
何日か前に「正見」とはという論議がなされていました
ありのままに見ると言うのが常識になっているようですが違います
四諦は釈迦が説いた「苦・集・滅・道」という基本概念です
この基本概念の上に進める、
ようするに「苦」元々あって「集」何かしらの関係があって起き上がる現象
しかし、これは「滅」する事ができるもの、その方法が八つの聖なる階段の「道」 八正道という事です
だから「正見」は正しく見ると訳されています、が、基準はなんでしょう
四諦を前提とするならば、「煩悩」を肯定することは総て「苦」ということになります
ですが、この八正道というのは在家に向けたものではなく、修行僧に向けたものです
最短で、社会生活を振り捨てて解脱・悟りを目指す者のために説いた教えです(最初が5人の比丘でした)
後に、僧団で当たり前のように行われたことが在家にも知れ渡り、マネをするようになりました
・・・・・・・・・・・・・・・
話が脱線しました、申し訳ない
八正道は「方法」であり「法則」ではありません
因果の法則は、あまねく生き物、総てに作用すると思っています
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<意識そのものは悪魔でも神でもありません>
その通りです、煩悩もそうなんですよ
低い次元の煩悩を使えば、悪魔になれます、高い次元の煩悩を使えば聖者になれます
例をとります、闘争本能が人間にはありますね
他人を陥れたり、殺して自分だけが利益を得ようとすれば、犯罪者や悪魔に近くなります
では、権力者から虐待されている民衆を守るため、権力者を殺したとしたらどうでしょう
どちらも、闘争本能を使っていますが片方は極悪人、片方は英雄とよばれるでしょう
意識を高い世界に合わせていくことが、「聖なる道」低い世界に合わせていくことが「悪魔への道」と言えるのではないでしょうかicon