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from: もん吉。さん
2012年06月28日 02時36分16秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:e:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:悪魔」
平井和正は、魂的には預言者だから救世主が出る前に霊性のウェーブをつくる役目があったんだろうと思うんだけど。
東丈がGENKENを作って起きる問題は、あらゆる宗教に起きる問題としてあらかじめわかっていたって感じだよね。
霊現象の危険性に対する警告とそのために思索を禁じることによる思考の画一化は幸福の科学にも起きたよね。
今になってみると、作品世界での東丈が大川隆法を仮託しているのは明らかだよね。
GLAは高橋信次が後継者として青年が出ることを予言しているから、それが作品世界の真の救世主の元タネなんじゃないかなあ。icon
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from: もん吉。さん
2012年06月27日 16時11分12秒
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from: hikaru0827さん
2012年06月27日 07時36分36秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:e:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:悪魔」
もん吉。さんへ
> 霊魂否定の思想は暗黒思想だと思うんだけど、転生輪廻と霊魂の不滅を真っ向から否定するのは、神への反逆だからそれをエクササイズだってことで認めるわけにはいかないってことが言いたかったんだけど。
もちろん「現場」はね。認めるわけにいかないですよね。
要するに、ミカエルのように、最前線で悪の軍勢と戦っている立場もあれば、と同時に、地獄や悪魔について、その存在を認め、慈愛のまなざしで見守っている大きな大きな存在もいて。実はミカエルにとっても修行になっているという側面もあったり。
「現場」は戦うんですが、戦後には、分け隔てない人類愛と許しの観念も念頭になければ、排除に偏った息苦しい世界になりそうな気が。
しかし、そういうことを強調しすぎると、今度は悪がのさばったり助長してしまったり悪影響がでるやもしれません。
このあたりは、「教え」としてのバランスが重要なんでしょうね。icon
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from: もん吉。さん
2012年06月26日 02時23分39秒
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from: もん吉。さん
2012年06月26日 02時15分24秒
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from: hikaru0827さん
2012年06月26日 01時17分08秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:e:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:悪魔」
もん吉。さんへ
> 平井和正の青春期っていうのは、安保闘争でイデオロギーの対立が激しかった時代だから、時代の子として人類駄目論がテーマになったんじゃないかなあ?
よく分析されていますね。
話の中で、GLAらしき団体が出てきます。その創設者が死にあたり、遺言を残すんですが。
「私の後継者は、団体の内部でもなく、身内の人間でもない。若い青年だ」と。
平井氏が、圭子さんと知り合いだったのは後で知りましたが、それでもこの件は解せません。
何かご存知ですか?
そういえば、桑田次郎氏の本も読んだ事あるんですが、実は平井氏と8マンつながりがあって驚いた記憶があります。icon
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from: hikaru0827さん
2012年06月26日 01時05分06秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:e:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:悪魔」
もん吉。さんへ
> 結局僕が何が言いたかったかというと、真理価値がない思想は人生の意味を誤るってことが言いたかったんだけど。
> 鳥瞰すれば、霊魂は不滅だから浮遊霊や無限地獄でもいずれやり直しができるけど。
> それに、何か意味があるのかなあ。
> 価値がないものは価値がないんじゃないかなあ。
> 人生の意味を誤る思想を認めちゃあいけないと思うんだよね。
真理価値がない。というのは、
"真理ではない"ではなく、
"人生の意味を誤る"という事ですよね。
真理であっても、それを主張することにメリットがない。魂の向上にとってかえって障碍になる…と。
発する言葉が、人にどのように受け取られどのような影響が出るか…充分気を付けねばいけませんね。
もん吉。さんの人生論に異論ありません。
私も、現状維持で構わないとか、頑張らなくても、ただ経験するだけでOKだとか、要するに「すべてはエクササイズ」を、"頑張らない言い訳"に使うのは間違いだと思います。
しかし、「死んだら全てがお終い」という考えからは"エクササイズ"という言葉は出てきません。
魂は、永遠の修業を続けている事を示唆します。
また、エクササイズという言葉には、因果は必ずしも今世だけで完結しない、という意味を含んでいます。
もちろん、思想、言葉には、使う場所や使い方があります。
例えば、人事を尽くした後に、天命が下り、それが望んだ結果であれ、違う結果であれ、どういう心持ちで待ち、そして受け入れるのか?
例えば、信仰心厚かったヨブに何度も何度も試練が訪れた時、彼は、どのように心をコントロールすべきだったか?
例えば、地震や津波で、それまでの人生で積み上げてきた目に見える実績(家、田畑、仕事、家族)があっという間に流されてしまった時、心を覆う悲観から、如何に心を守るか?
"すべてはエクササイズ"
を私は、こんな風にも捉えています。
人生の一瞬一瞬は、真剣勝負の本番でありながら、次の勝負のリハーサルでもある。…そうだとすると、「結果」をないがしろにしてはいけないけども、執われてもいけない。
大成功に有頂天になってもいけないし、ドン底でも絶望してはいけない。
発展思考は「結果」が全てではなく、「次」があるから思えることです。
「本番」かつ「リハーサル」
「結果」かつ「次への布石」
です。icon
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from: ueyonabaruさん
2012年06月24日 15時44分29秒
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from: もん吉。さん
2012年06月23日 14時36分31秒
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from: もん吉。さん
2012年06月23日 13時58分42秒